第七話:『だから、あたしが、キミのゴーストライター』

上代茉莉と雑葉大

 紙の上にボールペンで丸を書き、そこに棒を足してヒトひとり。

 それを数十数百と作って、雑に大きな円を描いて囲う。

 囲いは総てを覆えない。端っこにあぶれたニンゲンが残る。

 そのうちひとりがこのあたし。好きなことに好きと言えず、誰とも分かり合えない偏屈者。



 男の子だからこうだとか、女の子だからあぁだとか。偏見なく総てを愛せとヒトは云う。

 道徳の授業で、各々の個性を尊重し、共有し合えと先生は言った。みんな、表面上はそうしているのだろう。

 でもそれは、認めているからじゃない。単にあぶれるのが怖いんだ。ひとりになりたくないから、それを好きだと嘘吐いて。居心地の悪さを噛み殺して。


 馬鹿じゃないのとあたしは思う。タテマエで仲良し演じて、よくそんな関係が続くよねって。

 馬鹿じゃないのとあたしはあたしに問いかける。嘘でもそう言っておけば、無視なんかされずに済んだのに。


 ――なあ、オイ。待ってくれよ。まだ続きがあるんだ。伝説の九人がひとり、マッハバロンが主人公をぼこぼこに畳んじまってさ!


「何この陳腐な展開。クソつまんねぇ」

「こういうの、おたくの横好きって言うんだよ。見世物にするべきじゃないと思うな」

「皆が考えててもやらないようなことを、よくもまあ……ドヤ顔で」


 カレもあたしと一緒で、他と馴染めない「ばか」のひとり。自分の話が一番面白いって信じて、書いては呆れられ、それでもまだまだ食い下がる。

 最初のうちは、皆と一緒で「あほだなあ」って斜に構えて観てたっけ。でも、カレは書いて書いて、友達たちに何を言われても書きまくって。

 いつしか、あたしの視界はカレでいっぱいになっていて。


「面白いじゃん、これ」

『おもしろい……? それが、面白い?』


 だから、カレがくずかごに原稿を放った時。我慢できずに話しかけてしまったんだ。


「良いよ、凄く良い! なんでポイ捨てなんかにするのさ。続き、あるんでしょ? もっと読ませてよ」


 ヒーローのことなんか何一つ知らないのに。鼓舞するつもりで放ったことば。

 カレに、諦めてほしくなかったから。もっともっと、“皆”に歯向かって、抗って、自分は自分だって言い続けてほしくて。


『わ、わかったよ。じゃあ。じゃあさ。明日! 明日までに……続き、書くから』

「おっけー、待ってる。えっと……」

『雑葉。雑に葉っぱの葉でざっぱ。後ろの名前がまさるだから、みんなして“大雑把”って呼びやがる』

「そっか。じゃあ、ざっぱー。あたし待ってるよ。ざっぱーの話の続き」

『それ、あだ名でいいの? あだ名なの、これ』


 それが、あたしとざっぱーの馴れ初めで。どっちにとっても忘れられない想い出で。

 それが多分、何もかものきっかけで。あたしは結局うそつきで。

 ああ、神様。あたしたちはどこを、どう、間違えてしまったのでしょう。



※ ※ ※



「何を間違えたか、なんて言われてもな……」

 未だ日が昇り切らない朝。目に隈をたたえて早起きし、馴染みの喫茶店でブラックコーヒーとモーニングセットのトーストを待つ。


 飾りげの無い、プラの表紙で覆われた桃色のリングノート。おれと不釣り合いなそれは、マツリが自殺したあの日、載っていたレンタカーから発見され、警察の見聞の後『遺族』らの元に返された証拠品である。

 ――のだが、『日記』には日記以上のことは書かれておらず、数年近く実家に連絡を寄越さなかったこともあってか、おばさんたちには中身に込められた意味を理解できなかったそうだ。

 このまま無碍にするのもしようがないと、病欠していたナナちんの代わりにおれが受け取ることになった。

「だいたいさ。これ、日記……?」

 日付で区切られてさえおらず、頁を捲れば自分語り。まるで、他の誰かに読まれるのを待っていたかのよう。

 警察が調べて証拠にならぬと言ったものだ。素人が見たって新しい発見などあるまい。


「あいつ。興味もなく頷いてやがったのか」

 それでも、頁を捲る手を止められない。

 あれだけ逢っていたというのに、おれはマツリの何を知る? 何も知らない。話し話されたこともない。

 そんなアイツが遺してくれた、懺悔にも似たこの日記。今読まずして何とする。

 まあ、いきなり中学時代まで遡らされるとは、夢にも思っていなかったのだが……。



◆ ◆ ◆



「第二章? まだ、ハナシ終わってないんでしょ? もうやるの」

「馬ッ鹿お前、一章のラストからシームレスに繋がるから二章って言うんだろ。今から考えて無くてどうすんだ」

「そーゆーもん?」

「そういうものです」

 そもそも、章区切りにする話自体初耳だ。とは思い付いても言い出せない雰囲気。

 放課後の視聴覚室。こっそり潜ってパソコンを立ち上げ、書いてきたデータをUSBから飛ばし、印刷して紙媒体に焼き付ける。

 あたしが読み手についてもう半年。カレは拙い筆で物語を紡ぎ、ばらばらな点にどうにか線を結び続けていた。

 ヒーローものに疎いあたしにとって、カレの紡ぐ物語がどんなもので、何を訴えたいのかは解からない。分からないけど、熱意がその穴を埋めて行く。

 トータルで見れば、これはきっと面白い読み物ではないのだろう。だけどあたしは。カレが創り、見せ、言葉を求められるこの日常を受け入れていた。


「創作意欲が尽きないねェざっぱーは。で。で? ストライカーは《原初の男》を倒して、どうなるのさ」

「よくぞ聞いてくれたぜマツリさん。それはだな……」



 割と、楽しくやれていたとは思う。

 空っぽだった中学時代、カレがカレで居てくれなければ、あたしはきっと、今こうして言葉を綴れなかっただろう。


 けれど。シンデレラにかけられた魔法が解けるみたいに。マッチ売りの少女が死に際に視た幻想みたいに。楽しい時間なんてのはいつだって有限だ。

 しかも、決まってその後には辛い現実が待っているのだからたまらない。



「とうとう、この学校ともおさらばか」

「そーだね」

「お前、A市の高校行くんだって? おれも、そっちにすりゃあ良かったかな」

「ぷぷぷ。強がっちゃって。ざっぱーの学力じゃ、そもそも受かりっこないでしょー」

「あッ言ったなお前っ。確かにさ、K高もぎりぎりだった……そう、だけど! お前に! お前だけには、絶対に言われたくないっつーの」


 舞い散る桜を視界の端に留め、貰った黒筒を手持ち無沙汰に振っていたあの日。

 あたしたちは、『おさらば』するものを履き違えて喋っていたんだ。

 この時はまだ、いつだってやり直せる。連絡を取り合えばなんて軽く考えていた。

 けど、それは無理だったんだ。高校に進み、人間関係は枝葉みたいに拡がって、悩みばかりが増えてって。

 結局、十代のうちにカレと直に言葉を交わしたのは、その日が最期となっていた。


…………

……


「よっ。ざーっぱ、元気? ねぇ、元気?」

「ええと。スイマセン、どちらさま……?」

 あたしが再びカレと出会ったのは、互いに成人し、地元で合同の式を行われた日だった。

 自信に満ち満ちて、嬉々として話を見せてきてくれたあの姿は何処へやら。猫背気味で覇気がなく、あたしのことすらまともに憶えていなかった。


「んもー。茉莉だよ、上代マツリ。中学の時、あなたお話かいて、あたしが読んで、って」

「あぁ……?」最初の一語目にあたしの顔をしげしげと眺め。

「ああ……」二語目で顔をしかめ、整髪料で撫で付けた髪を弄り。

「ああ、あああああっ!?」三語目でようやく気付き、半歩引いて人差し指を突きつける。


「おっ、お前……。お前……? おまえーっ!?」

「けっけっけ。驚いてる驚いてる。どう? どう? 五年ぶりくらいに逢った茉莉さんってば」

「どうって、お前……。イキナリ過ぎて、なにが・なんだか」

 ちょっとスカートの裾を抓んで上げて見るけれど、向こうは考えを整理するので必死みたい。あたしのことなんか、すっかり忘れていたみたいで、なんだか少し、胸が痛む。

「あのさ、あのさ。ざっぱー、今日ヒマ?」

「暇……暇、あぁ、うん……ヒマ」

「うしっ! そんじゃ折角成人になったことですし、ちょっとお酒を呑みにゆきましょーっ。あ、お店探しそっち持ちねー」

「えっ!?」

 でも、ちゃんと想い出してくれさえすれば。カレは、昔と変わらないんだって証明したかった。

 だからこそ、呑みの席でカレが話した言葉がわすれられない。



「書いて……ない?」

「今だって、人並みには観てるよ。朝のヒーロー。でもさ、二十歳にもなって、そんなのずーっと書いてられるかよ。無理・無理」

 呑みの席の、酔いから来た出任せだと思っていた。実際ひどく酔っていたし、カレは想像以上に下戸だった。

 けれど、その言葉は諦めに満ちていて。本当にやる気が無いんだって解ってしまって。

「オマエもさ、いい加減現実見ようぜ茉莉さん。これから就活だってのに、ガキみたいな夢見て生きてられないっしょ」


「そんなの」

「はい?」

「そんなの……」

「ンだよ。何か、気に障りましたかァ〜」



「そんなの、あたしの知ってるざっばーじゃない!」


「な、な。何だよ急に」

 カレは今、現実を見ろと宣った。夢を見て生きられないと言った。

 根本から、観ているセカイが違う。あたしにとって、現実とはあなたが造った夢と等価なんだ。それを否定されて、黙っていることなどいられるか。


 それからカレとどんな会話を交わしたかは覚えていない。あたしの気持ちはこの時既に、部屋の押入れにしまった懐かしい紙束の方へと向いていた。

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