あたしには、あの子しかいないの

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…………

……



『お願いします、どうしても、この作品を本にしたいんです』

「そう、言われてもね……」

 同封された原稿を読み、断ることを前提に逢いに行った時、まさか公衆の面前で土下座してまで懇願されるとは。

 赤み掛かった不可思議なゆるふわストレートに、お嬢様結びのリボンでワンポイント。そこへ来て二十代らしからぬあどけなさと来れば、漫画か絵本から飛び出して来たお姫様のよう。


 故に、提出して来た内容には正直、いろいろな意味で舌を巻いた。


 ヒーローが蔓延する社会で、それを殺して復讐を完遂しようとするピカレスクアクション、ガーディアン・ストライカー。文庫一冊分の量と、詳細に決まったストーリーライン。まるで『完成品』をそのままなぞったかのように準備が良い。

 上代茉莉かみしろ・まつり。やり方はさておき、文才はあるみたい。話の方も好みの内容ではある。


 ド素人の一話目にしては申し分ないクオリティー。けれど『うち』のカラーじゃない。事実、彼女も他の数社に送って、その総てから否の解答を受け取ったという。


「話としては面白いけど、うちのイメージとかけ離れてるのはちょっとね。悪いけれど……」

 折角だからうちも他者に続こう。そう思い、話を切り上げんとした、その瞬間。

『そうやって体よく、逃げるんですかッ』

「何ですって?」

 向こうも後には退けないのだろう。失礼を承知で、と前置き、身を乗り出し凛とした瞳で私を睨む。あれほど、野心に満ちた目は初めてだ。


『案配に頼ってばかりの会社に成長はありません。前例がないなら創ればいい。私の――、ガーディアン・ストライカーにはそれだけのチカラがある。私はそう、信じるッ』


 よしんば無かったとしても、自分がその嚆矢こうしになって見せる――。怖ろしいまでの気迫だ。何がそこまで彼女を突き動かすのだろう。


『この話を"面白い"と言ってくれたのも、ちゃんと逢ってハナシをしてくれたのもあなたが初めてなんです。どうせなら、解ってくれるひとと一緒に物語を紡ぎたい。だから』


 もう一度、ご再考願えませんか――。と来ましたか。

 蒼く澄んでいるのに、此処ではない何処かを見据えた瞳。一歩も引かぬ口調と態度。何より、自分を信じて任せると云うこの言葉。

 かの職に就いてもう二年。幾人もの作家を受け持ったけれど、こんな娘は初めてだ。


「解ったわ。そこまで自信があるのなら……」

 馴染めず燻ぶるこの部署を、文字通り『これまで』をブッ壊す嚆矢になるのなら。今なおパートナーに恵まれず、腐って燻ぶる自分を奮い立たせることが出来るなら。


『あ……、あぁ……ありがとう、ございます! やった! やった! やったぜー!』

 故に私はこの時判を押し、この話を皆に推した。

 それが理由。他にそんなものはない。


 でもこの時私が視ていたものは。円な目を輝かし、私の手を取りぴょんぴょんと跳ねる上代茉莉を見て想っていたことは――。



……

…………

……………………



「よう、目ェ覚めたかよ」

「あなた……」

 見覚えのある天井。自分の部屋の無機質な臭い。代わり映えのしない家具配置。

 だのに、そこに似つかわしくないものがある。この場に居るはずの無い人物が、死んだ魚みたいに渇いた目で私を見ている。

 白髪交じりの黒髪に、整えることを諦めた天然パーマ。口元がとんがり、どうにも冴えないあの男。


「大雑把マサル。あんた、なんでウチにいるの」

「ちょっとした気分転換さ」向こうも、うんざりとした口調で嘆息し。

「アンタんとこのカイシャから電話が来たんだよ。ナナちんが倒れたって。こちらとしてもすることないから、家主さんらに事情話して来たってわけ」

「はあ」

 考えが纏まらず、とりあえずの生返事。ぼやけたアタマでそれまでの出来事を反芻する。

 緊張と貧血で冷たい汗が頬を滴り、意識が薄れて担架に乗り、医務室で休んだ後、休暇届を渡し賃に公用車で家まで送り返された……。だったわよね。たしか、たぶん。

 改めて、自らを見返してみる。バレッタは……、布団に潜る前に外したっけ。長い髪を敷布に投げ出して、纏う衣服は白いワイシャツただ一つ――。

 待てよ。無防備な姿で、昼下がりの借家に、知らない(知ってる)オトコ!?

「アンタ……、見舞いに託けて私に何する気!?」

「物騒なこと言うんじゃねェ」向こうはどこかやるせないその口調で、手の平を掲げて否定に掛かる。「おれだって、この歳でムショに入りたくねーっての」

「それは……そうね……」

 極端にシーツを乱した形跡はなく、下半身に痛みを感じることはない。成る程、あぁも長く一緒にいて、茉莉との仲が進展しない理由も頷ける。


「まあ、何も無いわけじゃ……ないんだが」

 彼はそう言って、ばつが悪そうに頭を掻き、ズボンのポケットに突っ込まれた封筒を取り出した。

「これ幸い……って言うべきじゃ、ないか。でも、あんたと推敲作業以外で会うこと無いだろ。だから」

 向こうの言葉を話半分に流し、無記名の封筒から紙を引きずり出す。

 ナニ、コレ? それを見た私の第一声にして、何一つ偽らざるホンネである。


「何って、見りゃあ解かるでしょ。『辞表』ですよ。これ以上はその、さ……無理だから」

 無理。無理って、何よ。ガーディアン・ストライカーはあなたの作品なんでしょう? それを何故、今更、無理だなんて。

「だいたいね。あなたうちの社員でもなんでも無いでしょう。そういうことは辞表で解決するもんじゃありません」

「一身上の都合、って訳しても構わんぜ」向こうは乾いた目つきで食い下がり。「おれは元々、マツリのかわりにやってたんだぜ。本来書いていたニンゲンが死んだ以上、ゴーストライターは廃業だ。違うか? 違わないよな」

「それは」

 認めたくはないが、的は射ている。

 自分は、そういう触れ込みでこの男を巻き込んだのではないか。いつか、あの子が戻って来ることを待ち望みながら。


 上代茉莉は死んだ。もういない。

 だから、無理して死に体の作品を持ち上げて、延命を続ける必要もない。

 向こうにも同情の余地がある。無理して続けて、自分だけでなく彼まで使い潰してしまうのも忍びない。


「納得……してもらえたってことでいいか? いいよな?」

 言うことは言ったとばかりに踵を返し、この場から去らんとする。それでいいのか? 良いに決まっている。奴とは元々、そんな利害関係に過ぎなかったのだから……。



「好きなの」

「何が」



 だからこそ、口を突いて引き止めの言葉が出たのには内心驚いた。

 彼は間違っていない。無茶を要求するこちらに非がある。そうだ、相違無い。

 なのに何故、私はこうして呼び止める。続く言葉を口にせんとする。かくあるべきとする理性と、そうじゃないと喚く感情がココロの中でせめぎ合い、寸での差で情念が打ち勝った。


「茉莉のこと。Likeじゃなくて、Loveの方」

「はい?」

「鈍いわね。私が本当に好いていたのはガーディアン・ストライカーじゃない。それを持ち込んだ、上代茉莉という女の子」

「あぁ、ええ……。えっ!?」



※ ※ ※



 これ以上は双方の為にならない。これ幸いと打ち切りを提案しに来たのだが、一体どうしてこうなった。

 Love。愛。同性。愛、曖、愛。コイツはオンナだ。見た目には麗しい二十九歳一人暮らしの独身貴族。

 それが、恋愛対象は、男じゃなく、マツリなんだって、こいつは今、そう言った!?


 Wait・Wait・Wait、一旦落ち着け・落ち着けおれ。アイツは今何て言った? 茉莉が好きなの? 二十九歳独身バリキャリ女が、同じオンナノコをスキだって、そう言った?!


「驚くのも、無理ないわね」おれの反応に予想通りと独り言ち、奴は目を合わせず話を継ぐ。

「幼い頃から、異性のことを異性として意識出来なかったの。医者は気の持ちようだって言ったし、父母も歳を経れば変わるってマトモに取り合わなくて。

 そりゃあそうよね。だって私のキモチは、ずっと『同性』に向いていたんだもの」


 おれの同意を得ることもなく、菜々緒の話はなおも続く。

 否、話しているというより一方的。おれを神父に見立てた懺悔のようだ。


「子どもの頃は冗談だとマトモに取られず、学生時代はそんな趣味無いって突き返されて、就職してからは言わずものがな。本当のキモチを理解してくれる友達なんていなかった。

 そんな中現れたのがマツリ。絵本の中のお姫様みたいにキレイな娘で、私のことを必要だと言ってくれて、己が決めたことを絶対曲げない意志の強い子。あの娘のことが大好きで、あの娘のためになりたくて、私はずっと、頑張ってきた」


 不意に、おれの方に顔を向け、射竦めるような視線を投げかける。いきなり何だとたじろぐが、その理由は直ぐに解った。

 とどの詰まり、おれとこいつは、同じオンナマツリを巡る、恋敵だったのだ。



「半年前のあの日、私は自分の気持ちに踏ん切りを付けたくて、あの子に『コクハク』するつもりだったの。断られたらそれで良し、応じてくれたらありがとうって言うつもりでね。

 だから、茉莉が『遺書』を残して消えた時、雑葉大、私はアナタを憎んだわ。あの子にはやっぱりスキなやつがいて、そいつがあの子を弄んで殺したんだって。

 馬鹿みたい。証拠もないし、そもそもお門違いなのにね」


 淡々と言葉を紡ぐ菜々緒の姿と、親に叱られて萎縮する子どもの姿が重なって見えた。

 成る程、奴がおれの提案を受け付けないのにも頷ける。ナナちんにとってガーストはマツリとの確かな繋がり。秘め事を打ち明けず、近くに居られる確かな手段だったのだ。


「大雑把、あなたはひとつ間違ってる」

 おれの返しを聞くこと無く、菜々緒の奴が縋るような口調で畳み掛ける。

「ガーディアン・ストライカーを刊行していたのは我が社、F書房。執筆者は上代茉莉ではなく夢野美杉。そして、あなたは未だ、生きている」


「ってえことは、何か?」続く答えは、子どもにだって解かる。「おれがそっくりそのまま、夢野美杉に成れ、ってこと」

「どう取って貰っても構わない」菜々緒の目はヘンに虚ろで、必死ながらどこか逸っているように見えた。

「私はあの子のことを諦められない。お別れなんて認めたくない。あのお話には、茉莉の紡いだエッセンスが詰まっているの」

 尤もらしい文句を垂れて、そのまま『だから』と言葉を繋ぎ。

「辞めるなんて言わないで。あたしにはあの子しかいない。自分勝手なのは分かってる。辛いだろうってのは嫌ほど解かる。けど、あなただってそうでしょう? 立って……、お願い、立ち上がってよ、雑葉大!」


 はじめて、フルネームを菜々緒に呼ばれた。それだけ向こうも必死なのか、勢いでつい漏らしてしまっただけなのか。それはわからない。

 やつの顔に、今はもう居ないマツリの顔が重なって見えた。呑みの席で、ヒーロー特撮の明日について語り合う日々。もう戻らないあの日々。

 そして、死に際に奴が遺したあの言葉。きっと、一生残るであろうあの言葉。

 どちらを取るかなんて、決まりきっている。



「おれ、もう行くよ。お大事に」

「待って、雑葉。行かないで」

 縋る菜々緒を蹴落とすかのように。

「あなただって、解かってるはずよ」

 ああ、そうだとも。どうにもできない、ならないこともさ。

「見捨てないで……! やめるなんて、言わないで!」

 ゴメンよナナちん。本当にゴメン。


 アンタの気持ちは痛い程良く分かる。おれが逆の立場なら、殴り付けてでも止めただろう。

 でもさ、それは全部。安請け合いした、おれのせい。

 おれがやめなきゃ、何も解決しないんだ。


 ――ありがとね、ざっぱー。あれに、ちゃんとトドメを刺してくれて。


 ああ、まただ。またアイツの言葉がこだまする。

 はじまりは、いつだったか。あの呑みの日? ちがう。

 もっと、もっと前……。中学時代、ガーストを、マツリにだけ見せていた、あの頃――。


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