さよなら、たぶんきっと初恋だった

※ ※ ※



 今一度、鏡を前に己が姿を見やる。

 髪や衣服はばっちりなのに、何故だかどうしてキモチがまとまらぬ。


 此方から呑みに誘うことはあっても、向こうが呼んでくれるのは始めてだ。明日は早番だが、『大切な話』があると言われたからにゃあ、ハイそーですかと断るわけにはゆくまい。



「判ってるってんだよ、そんなことくらい……!」

 ナナちんの奴め、ヒトが折角青春を謳歌してるって言うに。去り際に余計な一言残して行きやがって。マツリは良いのかだって? 馬鹿を言え。いつだって忘れたことなどあるものか。


 けど、あいつはもう『いない』。死人に操を立てた人間が、どうして前に進めよう。暗い顔で塞ぎ込むよりは、明るく楽しく暮らせていた方が、マツリだって幸せなはずなんだ。

 死人に口なしと囁き声に耳を塞ぎ、前だけ向いて進んできたんだ。ケチを付けられる謂れはない。間違ってなど、いない、はずなんだ!



「だのに続くこの『つかえ』は、そう思いきれてない証拠か……」

 このキモチが何なのか、幾ら考えどもずっと答えが出なかった。

 けれど、解ってみれば何のことはない。ただ単に、申し訳なかったのだ。


 こんなおれに親しくしてくれたマツリに。

 呆れながらも問題を指摘してくれた菜々緒に。

 それでも変わらず接してくれたギギちゃんに。


 身の丈に合わぬ高望み。こんなせめぎ合いを続けたままで、ひとりの女性を愛することなど出来ないよ。

 向こうに、そんなキモチなど微塵も伝わってないのがせめてもの救いか。誰に? そりゃあ、おれに。



「ア・あ・ぁあ……あ」

 おっと、葛藤の間に主賓の到着。端正な顔立ちを覆い隠す丸眼鏡が、桃色吐息で真っ白に染まってやがる。

「えっと、あの……。ギギ・ちゃん……?」

 言い出せなくてどもるのならおれも一緒だ。この気持ちをどう伝えればいい。そもそも、向こうには何も話していないのだ。言うことは無いのかも知れないが――。


(いや、待てよ)この威圧感は『それだけ』じゃあない。ギギちゃんの陰に隠れた……。

 否、隠れ切れてない。おれよりも頭一つ、ギギちゃんと比較すればふたつ。標識めいた黄黒横縞のシャツに灰色のカーゴパンツを履いた大男が、目深に被った登山帽で顔を隠して立っている。



「あ・あのさ。ギギちゃん。後ろのその……何?」

「ふえ、え。う、し、ろ……?」怯えた目付きで背後を向くと。「な。なな、にも。無いと……思いますけど」

「What!?」

 いや、いやいやいやいや。何故見逃す。どうして触れぬ。いるだろやべーの。これ絶対通報モンだろ!?


「ん。んん……」あまりにもおれの目線が後ろに行くのが気になってか、ようやく向こうも認知したらしい。「あ、ふぁ。もしかして『カレ』、ですか」


 そうだよ、それ以外に何があるってんだ。

 いや待てよ。『カレ』? 今、彼って言った!? 彼って言いました?!



「はい。『みっちゃん』ですよね? えと、その……『カレシ』です。私の」



 な。

 な、な。

 な・な・な。

 なんだっ、てぇぇええええええええっ!?



※ ※ ※



「と、まあ。そういうワケだったんですよユメノさま。ごめんなさい、今の今まで言い出せなくて」

「あぁ、うん……。いいよ、別に。気にしないで……」


 それから十数分程酒を酌み交わし、ようやっと聞き出した事実はこうだ。

 ギギちゃんを挟んで端の席に座す男の名は『盛森モリモリみつる』。ガーディアン・ストライカーに於いて、『女性キャラ』全般の作画を受け持つ絵師だという。

 あの時抱いた疑念は間違いじゃなかった。彼女は意図的に違えていたのだ。得意分野じゃないことを割り振られ、嘘が露呈するのを防ぐために。


 成る程、書き手が覆面作家ゴーストライターなら、描き手だってゴースト・ライターってこと。皮肉にしちゃ出来すぎている。


 怒るべきだろうか。よくも人を騙したな。おれの淡い恋心に深い爪跡残しやがってと。

 答えはNOだ。条件はこちらも同じ。かつこっちはゴースト・ライターであることを明かしてすらいない。難癖を付ける道理など、此方にはないのだ。


「けどさ。なんでこんな回りくどいことする必要があったんだ。分業家なら、そっちがあの日挨拶すりゃあよかったのに」

「あ。それはですね……」ギギちゃんは隣に座す大男の脇腹を肘でつつき、「みっちゃんってば物凄いあがり症で。特に菜々緒さんみたいなヒトを前にしちゃうと、そりゃあもうしかめ面で何も言えなくなる訳ですよ」

「ああ、だから……」これ以上無く説得力のある答えだ。彼だってそこそこ酒を呑んでいるだろうに、未だに顔も見せず話もしないのだから、そのコミュ症も筋金入りなのだろう。


「ほらほらみっちゃん。何か、渡すものがあるでしょ?」

 そんな盛森満モリモリマンを促して、彼女伝いに一枚のルーズリーフが流れてきた。

 今、この場で描いたのだろうか。鉛筆書きの力強い筆圧で、あの日『ギギちゃん』が贈ってくれた茉莉花のイラストが綴られている。


(『ずぅっと言い出せなくてごめんちゃい☆』、ねえ)

 小首を傾げて可愛らしくてへぺろ。成る程、あのイラストをくれた当人に違いない。

 しかし、茉莉花ほぼマツリを使って謝罪ってのがまた意味深だ。キミが『ごめんちゃい』を言う相手は、本来この子なんだよ、おれじゃない。



「もうっ。みっちゃんったら、ユメノさまの前なんだよ。そんなにぼそぼそ喋ってないで、もっとハッキリ挨拶挨拶!」

 消沈するおれの気持ちを知ってか知らずか、嬉々とした顔で彼氏の腹に人差し指をぐりぐりとねじ込む嫁。そんな悪戯も意に介さず、シャッポも脱がずに無表情の旦那。


(おれの前じゃ、見せたことのない顔)

 元々、付け入る隙などなかったのだ。ふたりとも、せいぜい仲良くするがいい。場違いなおれは潔く身を引こう。



「思えば、儚い恋だった……」

 ほんの少し視界がぼやけ、鼻先がツンと熱くなる。踏ん切りは付いた。諦めろ。自分自身に言い聞かせても、なかなかどうして、納得までは行かないようで。



(それでも、やっぱり悔しい)

 誰に言うでもなく、聞かれるでもなく、涙を堪えてそう呟く。

 楽しい夢を、ありがとう。それに、ごめん。



◆ ◆ ◆



『――ハ・ハ・ハ。やるじゃねェのストライカーちゃん。その”チカラ”を受け継ぐだけのことはある』

「お前は……誰だ? どこから俺に話しかけている」

 怯える茉莉花を護りながら、ストライカーは殺した筈の標的が前触れなく立ち上がり、抑揚のない声で話出す様を観ていた。

 ライフルショット。両腕両脚の蛇腹が発条バネとなり、驚異的な跳躍力で敵を仕留める中堅ヒーロー。マッハバロンから奪った「加速」無くば、命を刈り取られていたのは自分の方だったろう。


 そして、今ここで喋るのは間違いなく「彼」ではない。

 まるで、放送基地局を通じ、スピーカー越しに誰かの声を聴いているかのようだ。


『――なんだ。お前、”聞かされて”いないのか』”電話越し”の何某は不思議そうに嘆息すると、

『まあ、いいや。”そいつ”に勝ったご褒美だ。名前くらいは教えてやるよ。俺は「九番」。イカタコの吸盤じゃあない。数字の9番目さ』


「どういう意味だ」

『――おっと、駄目駄目ェ。それはこれから先のおたのしみ。どうせこれから長い付き合いになるんだ。俺たちの意思に関わらず、な』

「待て、話はまだ途中……」


 一方的に話を切り、通信断絶。遺されたライフルショットは間も無く息絶え、人生二度目の死を迎えることとなる。


(意思に関わらず、だと)

 燃え盛る炎に身を焼かれたあの日。

 力を授けた白衣とは、偶然知り合ったものだと思っていた。

 事実は、そうじゃないのか? 俺がガーディアン・ストライカーとして再度生を受けたのは、『仕組まれたこと』だったのか?


 これまで正しいと信じて疑わなかったことが歪む。築いて来た屍の山が融けて行く。

 俺は、本当は、存在してはいけないものなのか――?



「ストライカー。どうしたの?」

 動揺し、だらりと下がった右の腕を、背後に控える茉莉花がぐぐと掴む。

 そうだ。今の俺は一人じゃない。『共犯者』たる彼女を放っては置けぬ。

 正しかろうが間違っていようが、俺は未だ、死に晒すわけには行かない。


「何でも無い。逃げるぞ、ここも危ない」

「解ってる」

 奴の乗って来たバイクを奪い、セキュリティーのけたたましい警告音を尻目に走り去る。

 俺は死なない。死んでなるものか。此の世から、ガーディアンなる間違った存在を、総て消し去るその日まで――。



※ ※ ※



「ふぅ、ん。やっと来たわね、『九番目』」

「そ。栄光の九人のラストナンバーだから9番」

 四巻の原稿を書くに当たって、菜々緒には事前に全体の流れを伝えている。この道標に従って話を作り、添削や没を貰いつつ、一冊の本に仕上げてゆくと言う訳だ。

 書き上げておいて何だが、やはり出した次の回でヒロインが倒れるのは都合が悪い。

 あまり、ヒトの言うことは聞きたくないのだが、今回ばかりはナナちんの方が一枚上手だったというべきか。


「……何よ」

「別に。それよりどうなの、アリかナシか」


 あの日どうして、ギギちゃんが彼氏同伴で呑みの席に現れたのかは聞かなかったし、向こうからそんな話題が飛び出すこともなかった。

 おれたちの関係を知っていて、尚且つそうした告げ口の出来る人間など、眼前に座すこの女以外にありえない。


 全くもって余計なお世話だ。お前の力を借りずとも、おれは一人で立ち直れたというのに。そのせいでおれがどれだけ傷付いたか、知りもしないでぱらぱらと原稿を捲りやがってからに。


「まあ、前のリビドーだだっ漏れな駄文よりは幾分かマシってところね。ぎりぎり及第点」

「あッそ。きっちり仕上げて来たんだから、お褒めの言葉のひとつも欲しいんですがね」

 こっちの言及に、菜々緒はまるで知らん顔。誰も悪くない以上、もうこちらに攻め手はない。

 他に言うべき言葉もなく、向かい合ってしばしの沈黙。いやはや。とてつもなく気まずい。


「ねえ、大雑把」

「なんだよ」

「なんていうか、その……大丈夫?」


 大丈夫、って何だよ。おれを慮っての台詞だとしても、仕掛けた本人がソレ言うか?

「別に。気にするようなことなんざ何もないだろ」

「うん。まあ、それなら……いいけど……」


 それでも。不思議と悪い気がしないのは何故だろう。

 負い目から? ありがたみ? いやいや、全部あいつのせいじゃないか。

 わからん。何故か分からんが――。


「だったら次行くわよ次。後は校正誤字脱字。今日中に製本可能な状態まで持ってゆきますからね」

「アイ・アイ……。わァってますよ」

 まずは、こいつを終わらせなきゃな。

 なんてったって、マツリのやつから受け継いだ、おれの話なんだから。



※ ※ ※



 小鳥たちがちちちと囀る、静かな湖畔の林の影。女はレンタカーの軽自動車を停め、道すがらに購入した文庫本を開く。



 女は噛み締めるように、頁を一枚一枚丁寧に捲る。

 ガーディアン・ストライカー。雑葉大が『夢野美杉』の名を借りて世に出したアンチ・ヒーロー小説。

 殺伐とし、時に救いの無い物語を、彼女は時折くすくすと笑いながら読み進めてゆく。



「やっぱり、ざっぱーの方が面白いな」

 総てを読み終え、溜息と共に座席シートに身体を投げ出す。赤みかかった黒髪が重力に従って零れ落ちた。


「そんじゃ、こっちも始めますか」

 何か走り書いた手帳を本と共に助手席に置き、車を降りて湖へと歩き出す。

 手にしているのは一抱えもあるボウリングボールだ。指穴の部分に鎖が繋がれ、彼女の右足首に接続されている。



「ありがとね。最期に読めて、嬉しかった」

 誰にでも無くそう独り言ちると、躊躇うこと無く湖底を目指して進む。

 その先に待つ未来が何なのか、解かっていながら。

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