うん、ごめん。やっぱり無理

※ ※ ※



 介護の仕事は脚が命。脚さえ無事なら長続きするとは今は(此処に)無き先輩の弁。

 実際、的を射ていると思う。学生時代に鍛えていたとカラダを自慢していた新入社員の多くが、腰をやって三か月以内に離職してしまったのを思えばさ。


「はーい。じゃあ、起きてゆきますよー」

 離床介助は力学だ。支点に利用者の体重を集中させ、引き下がるようにして相手の上体を持ち上げ、尻を浮かせて車椅子へと移し替える。

 この、一連の動作をモノにするまで三か月。辞めずに堪えたといえば聞こえはいいが、単に辞め時を逃しただけだ。諦めて別の職に救いを求める方が、ずっと建設的にモノを視ていると思う。


 少なくとも、徹夜を駆け抜け、しょぼしょぼ目に割れんばかりの頭痛を押してシゴトに出て来るおれなんかよりは、ずっと。



「はーい、じゃあ皆さん、いただきまぁす」

 離床介助と整容、ついでに部屋のシーツ替えを終えて、朝食を膳に並べて慣れた手付きで運んでゆく。

 合図を契機に食べ始めたら、二つに割った大テーブルの真中を陣取り、離れ小島で食事介助。細かく刻まれ、飲み込み易くなった煮物や白飯をスプーンに掬い、声掛けと共に舌先へとモノを乗せる。


 真横に座る利用者の、喉がこくんと鳴ったのを見計らいもう一口。その間に向かいの席へと腰を浮かせ、続きを待つ利用者にまた一口。

 護るべきは己ではなく、あくまでも相手のペース。入るからと無理に詰め込めば、食べ物は喉を外れて気管に落ちる。

 いちどむせると、落ち着くまでこっちは気が気じゃない。赤ら顔で涙を零し、断続的に咳が続く。それが元で窒息を起こすことだってあり得る。



 兎角、朝の時間帯は気を遣う。睡眠が取れるならまだ良いが、そうでない日は最悪だ。力仕事の後に椅子に座ってスプーンを上下。否が応でも眠気を誘う。

 こんな調子でシゴトをしていて、何も起こらない方がおかしい。ぼやけた視界に喝を入れ、もう一口をと目を瞬かせたその最中。


「あ、れ……?」

 眼前の――、オギクボさんの歯間に出来た不自然なスキマ。あんなものあったかなと考え、直ぐ様答えに辿り着く。


(や……や、ば、い)

『昨日歯科で虫歯を抜いて、止血に綿を詰めています。飲み込むといけないので、食事介助前に見計らって外してください』。

 夜勤に申し送られたその一言が、アタマの中で鐘の音のようにこだまする。

 改めて、オギクボさんの口内にワタなんか無い。白粥と共に呑み込んで、今はもう、腹の中――。



「まったくもう! だからあんたはいつまで経っても『大ざっぱ』なのよ! 良い歳してこんな凡ミス……。あんたここへ来て何年目? 何よこれ、あり得なくない!?」

「お。仰る通りで……」

 生き死に関わる問題ゆえ黙っておくわけにも行かず、後から来たパート社員に事情を伝えてこのカミナリ。ぐうの音も出ない程の正論である。


「じ。実は」

「何よ」

「え……う、う。なんでも」

 蒸発した友人のゴーストライターをやっていて、寝る間を惜しんで小説を書いているんです。だから朝は眠くて眠くて。

 そう言いかけて逡巡し、無駄だろうなと口ごもる。理由が理由だ。宥めるどころか逆に向こうの怒りに薪を焚べかねない。


(なにやってんだ、おれは)

 同時に、秘密を武器に己を正当化しようとしたことを恥じて自己嫌悪。仕事は仕事。割り切れ、切り替えろ。なぁなぁにするからこうなったのだ。

 ただでさえ憂鬱な職場での朝が、どす黒い藍色で塗りたぐられてゆく。誰のせいでもない、自分の責任。背負い込まされると重いことこの上ない。


 少し前までは割り切っていたのに。バランスがきちんと取れていたのに。

 なあ、マツリ。お前の気持ちはよく解かる。解かるけどさ。担当には馬鹿にされ、仕事とは相容れず。そんなおれを何故後継者に据えた。別におれじゃなくてもよかったろ。


 けろっとした顔で此方を見やるオギクボさんと、今なおしかめ面のパート社員のお小言を聞き流しながら、おれの心はいまだかつて無いくらい揺れに揺れていた。



※ ※ ※



 ダメだ。一行たりともギョウが動かない。

 だからアンタは。もう少しであの人は。当日出勤して来た人たち全員から受けた口撃がボディーブローのように骨身を軋ませ、グラス・ハートをぎゅるぎゅると締め付ける。


 少しくらい、ストレスに晒されていた方が、面白いものが書ける。溜まったそれに捌け口になるから、とは信頼できる特撮二次創作家さんの弁。尤もだと思うし、的を射ている。

 けれど、それにしたって限度があらァ。それを文字に起こすだけの体力まで削がれちゃ意味無いって。


 キリノが指定して来た最終期限まで後三日。それまでに、マッハバロンとの決着まで描かなければ、ガーディアン・ストライカーは完全打ち切り。マツリが求め、おれが担い手となった淡く弱い炎が、世に出る前に掻き消えてしまう。


 けれど、今のおれに何が出来る? 一行もハナシが進まず、パソコンの前で頭を抱えて突っ伏しているおれなんかに、一体何が出来るっていうんだ。



……

…………

…………………


「やっぱ無理だよ。おれ、今の仕事続けてく自信、ねぇ」


 ――だいじょーぶだよ。アタシ知ってるよ。ざっぱーは、追い込まれれば追い込まれただけ、強くなるんだから!!


「そんなさ、気合とか根性論振りかざされても、なあ」


 ――テキトーに言ってるんじゃないよ。ざっぱーだからそう言ってるの。

 ――何せ、このアタシが見込んだオトコなんだからね、ふふふ。


…………………

…………

……



 いつかどこかで、酒の肴に駄弁った会話が、何の前触れもなくアタマを過ぎる。

 なんでそんな会話になったのか。根拠のない自信の正体は何なのか。


「というか、割とそれっぽいこと言われてたじゃん、おれ……」

 あの時、付き合おうって言えば、また違った未来になっていたのだろうか。

 邪推するだけ無駄だと、解かっていつつも考えてしまう。

 なあ、マツリよう。お前は、本当に、死んだのか――?



◆ ◆ ◆



「俺は、本当に正しいことを成しているのだろうか」

 衝動的に数人のガーディアンを殺し、夜の闇に紛れ追手を躱すうち、ストライカーは自信無くそう独りごちる。

 闇金融の取立人、不当に税金を徴収する役人、チカラのやり場を求め彷徨う若者。

 困っている人間は大勢居た。消えたことで助かったと思う者もいるだろう。

 だが、所詮はその場しのぎだ。悪の栄えぬこの世界に於いて、代わりになるヒーロー崩れなど幾らでも居る。

 もしそれが今よりも凶悪だったなら。

 そのせいで救けた誰かが犠牲になったなら。

 そう思うと、感謝の言葉も額面通り受け取れない。


「俺は、この世に居ていい存在なのか……?」

 絶対に外すことの出来ない仮面に手を触れ、解の無い問答に頭を抱える。

 彼が、それを振り切り、自分なりの答えを見つけるのは、もう少し先のお話――。



◎ガーディアン・ストライカー︰第一巻五話”俺は俺だ、誰にも文句は言わせない”・より引用◎

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