奇跡とは

月乃宮

第1話 幼馴染の2人

 太陽が姿を隠すその時、俺――青木あおき晴行はるゆきは、電気一つ点けていない薄暗い部屋の中で、鏡を凝視しながら呟いていた。


「俺は――おれは――いや、違う――」


 長い間鏡に映る自身を睨み付けるように立っていたが、やがて夜の訪れによって何も見えなくなる。鏡から視線をはずし、ソファに荒々しく座った。うっすらとしか目視できない天井を仰ぎ、そして重いため息をつく。

 平和に、平穏に、静かに暮らしたかった。長い人生を、彼女――水瀬みずせ千穂ちほと共にゆっくりと歩き続けたかった。唇を強く噛みしめる。今となっては、力を持たない俺たちに、できることなど何もない。

 あの時、己の能力に助けられた俺たちは、その能力によって死に追いつめられる。それが、能力者として生まれた俺たちの運命だというのか。

 意味のない自己問答を繰り返し、そして強く目を閉じた。



――2日前にさかのぼる。


 幼馴染である千穂から連絡があったのは、どんよりと曇った日の朝だった。彼女は今日仕事じゃなかったのかと思いながらも、眠気で鈍る思考をどうにか覚醒させ、昼食にと約束を取り付けた。


 耳に残る千穂の強張った声色に、眉間にしわが寄る。確かあんな声を前に聞いたのは、仕事場で上司とトラブルがあったときだった。と、芋づる式にその時のことを思い出し、同時に苦くどろりとした感情も湧いて出てくる。

 しかし流石に朝から深く考え込みたくはない、と意識的に思考を断ち切り、のろのろと風呂場へ向かった。


 待ち合わせをしたのは、通いなれている古びた喫茶店だ。千穂の言う相談事がどういうものかはまだはっきりとは分からないが、あまり人に聞かれたくない話をするにはもってこいの場所である。ただでさえ俺たちは、目立ってはいけない存在なのだから、注意しすぎるくらいで丁度いい。


 喫茶店に着いたのは、約束の時間ぴったりだった。「Closed」の札がかかった扉を開ける。


「やあ、晴行君。千穂さんはもう席に通しているよ」

「ああ、ありがとう、マスター」


 マスターは穏やかに微笑み、スマートな動作で、俺がいつも頼む軽食を2人分手渡した。その気遣いに笑みを返し、千穂のいる席へと向かった。いつもの、一番奥の席だった。他に客はいない。


「晴行っ」

「随分と酷い顔色だな、千穂。体調は大丈夫なのか?」


 俺が来たことに気付くと、千穂はすぐに顔を上げた。普段の彼女からは考えられないほどに憔悴しきっている様子を見て、この前の比ではないくらいの案件だと察した。

 おそらくそれは、俺たちの生活を脅かす。


「どうしよう、ねえ、どうしよう! 私、わたしっ!」

「千穂、落ち着け。全部ちゃんと聞くから。ゆっくりでいい。焦らなくてもいいんだ。……千穂、俺の眼を見て。呼吸を俺に合わせて」


 隣の机にトレーを置き、千穂の隣に座る。そして顔を青くしている彼女の手を握り、ゆっくり一言ずつ言い聞かせ、なだめる。乱れていた呼吸もしばらくすると落ち着き、手の震えも収まり、体温が少しだけ戻ってくるのを感じた。


「……落ち着いた」

「そうか。じゃあ、お前がそこまで取り乱した理由、自分のペースでいいから、話せるか?」

「うん、大丈夫」


 体が少し強張ったことが握った手から伝わってきたが、落ち着いた目をしているから大丈夫だろう。

 千穂は、ゆっくりと、声を落としながら話し始めた。


「つい最近、他の部署から移ってきた男がいてね。私と同じグループになったの。最初はスムーズにいってたんだけど、先週、ちょっともめちゃって。

「いや、ちゃんと解決はしたんだよ。言うほどのことでもないと思って……黙っててごめん。それでそいつ、私のこと目の敵にし始めて。厄介なことに、国のどこかの機関――諜報辺りに繋がりを持ってたらしくて。昨日、言われたんだ。これでお前は終わりだ! って。

「その時は私、相手にしないで帰ったんだけど。今日、仕事に行ったら、上司に呼ばれて……」


 そこで言葉に詰まり、手をぎゅうっと握られる。


「ゆっくりで、いいんだぜ?」

「大丈夫、言う。言わなきゃ。

「上司に、呼ばれてね。言われたんだ。『君が能力者だということで、国に徴収されることになった。準備期間は一週間だ。知っているだろうが、国の命に逆らうことは罪になる。国のために働くなんて、これ以上の名誉はない。上司として誇りに思うよ』……って。

「晴行、私、見つかっちゃった。ここまで誰にも知られずに生きてこれたのに! 晴行と二人で、生きてきたのに! バカみたいな国の争いで、死ぬなんて……」


 告げられた、最悪で絶望的なその事実に、背筋が凍る。

 だけどそれはいつも頭の片隅で予想していたこと。必死に考えないようにしていた状況が、今、現実となった。

 それも、千穂の目の前で。


 希少である能力者は、いつしか世界中の国にとって、未知なる力を秘めた兵器と認識された。ゆえに、半ば強制的に徴収される。従っても背いても、待つのは『死』のみ。国のために戦う名誉とうそぶくのは非能力者。

 『天から与えられた奇跡』によって、俺たちは地獄を見る。


千穂の眼から溢れた涙が落ちるにつれて、望んでいた、夢見ていた二人の未来が、黒く塗りつぶされていくように思えて。

 気付いたら――


「俺も行く」

「え……はるゆき?」

「お前だけ、死なせるかよ。ガキの頃から一緒に生き延びてきたんだ。死ぬ場所も、死ぬ時も一緒だろ」


 俺は千穂の涙をぬぐい、そう言っていた。


「だ、ダメに決まってるでしょ!? 国に見つかったのは私だけ、だから晴行は」

「千穂! 『お前は俺を置いていかない。俺もお前を置いていかない』」

「……『生きるときも、死ぬときも、ずっと一緒。私たちの名前に、誓う』」


 何年も前に、この場所で、この席で誓った言葉を、震え声で、それでも言い切った千穂に笑いかける。


「俺は、俺たちの未来のためにこの能力を使う。この能力を自覚した時からそれは変わらない。またこの平穏に戻れるよう、命をかける。そして、このバカバカしい戦争を終わらせるんだ」

「・・・・・・晴行は、変わらないね。私も、私たちの未来のために、命をかけるよ」


 そうして、あの時と同じように額を合わせた。


「俺たちの名前に誓う」「私たちの名前に誓う」



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