シキミのための魔術災害カプリツィオ
黒石九朗
第1楽章 私、退魔士になりたいんですけど未経験でも大丈夫ですか?
第1曲 狂想曲、開演
第1話 ここで言わなかったら、きっとまた後悔する
階段の踊り場の窓から見える中庭は、学生たちで賑わっていた。昼頃と比べれば
横目でその様子を見つめながら、
4月某日。
もっとも、樒は大学生ではない。彼女はキャンパスに併設された付属高校に在籍する、大学図書館に興味があるだけの高校一年生だ。
1階のロビーで場所を取っているサークルの前を横切るが、制服姿のままでいるせいか、樒は誰からも声を掛けられることは無い。
実験室や道場、購買に食堂など、高校と共用している施設は大学内にいくつもある。だからキャンパス内を高校生が歩いているのは、葉槌学院大学ではごく日常的な風景だった。
――みんな楽しそうだな
すれ違う学生たちの活き活きとした表情とは対照的に、樒は内心に心細さを募らせる。
高校の入学式から数日、クラスの自己紹介の後もクラスメイトとは二言三言しゃべるのがせいぜいで、樒は友達らしい友達を未だに作れないままでいた。人と接するという行為は、樒が苦手とする分野だった。
――高校もまたなんとなくで終わってしまうのかな
樒が心配しているのは孤立することではない。そんなものは実家を離れた時点から覚悟している。彼女が一番恐れていることは、意志が有耶無耶になり、恐れていることすらも忘れてしまうことだった。
――せっかく苦労して掴んだチャンス。今度こそ、上手くやって見せる。
過去の記憶を無理やり振り払い、いかにも真面目そうな表情を作り直して歩調を速める。
辿り着いた図書館の中も、人の多さは変わらなかった。館内の会議室を活動拠点とするサークルが集まって、新しく迎え入れた1年生達と歓談しながら館内を案内して回っているのが目に映る。
騒がしいラウンジを横目に、樒は入館ゲートへと向かう。はずだった。
樒の足が、ロビーの中央で止まる。
彼女が二度見したのは、今しがたすれ違った女性。出口へ向かうその人が持つ立札に向けられていた。
と、樒の視線に気づいたのか、女性の方も足を止めて、振り返る。
「どしたのキミ、そんなとこでボーっとしちゃって?」嫌味のない、明朗な声色。
こちらに向き直って佇むその女性の、まるでファッションモデルのような立ち居姿の後ろで、腰に届くほどに長い烏羽色のポニーテールが蛇のように揺れていた。
「ん、もしかしてウチに興味あるとか?」
彼女は樒の視線の先にあるものを理解し、軽そうな雰囲気を帯びた笑みを浮かべる。
「えっ、あっ……はい」呼ばれて我に返り、思わず頷く。
”魔術災害対策研究プロジェクト”と書かれた立札を手に持ったままの女性は、樒の出で立ちを一瞥し、そして笑った。
「キミ、付属高校の子なんだね。しかも魔術士養成コースの一年生、だよね?」
「えっ、なんで……」自分の所属を完璧に言い当てられ、思わずびくりと跳ねる。
「それはもちろん、私もソコ出身だから。リボンの色を見れば一目瞭然ってね。いやぁこんな時に後輩に会えるなんて嬉しいなぁ。」
――この人、一体何なんだ
1人ではしゃいでいる女性を目前にして、樒は当惑する。段々と顔が熱く、鼓動が早くなり始めるのを感じる。
「それで、やっぱりウチに興味ある? どう?」
迫る女性に慄き、樒は顔を伏せ、口を開く。
「ごっ……ごめんなさい。図書館に用事があるだけなので」
無意識のうちに口にした一言。もはや癖と言っても過言ではない、他者との間に壁を作る言葉。
いつも通りなら、樒は言葉を残し、そそくさとその場を立ち去っていただろう。だが、今回は違う。言葉を吐き出した胸が締め付けられるような感覚に、樒はその場に立ちすくんだままでいた。
「ん……そっかぁ。じゃあウチにも入る気はないかな。やっぱ珍しいよね、こういうの」
樒の様子を察したのか、女性はそう言いながら立札の名前を見て笑う。
魔術災害、俗称"霊震"。魔導・魔術の発展に伴い顕在化した
樒の心は揺れていた。なにしろ、樒がわざわざ実家を離れ、一人暮らしをしてまで葉槌学院大学付属高校に入学したのは、魔術士に――いずれは退魔士になるためだ。
この高校で魔術師養成コースを選択して一定以上の成績と魔術の実績を挙げることができれば、魔術の名門、葉槌学院大学に内部進学することができる。数多くの退魔士を輩出してきたこの大学で、退魔士となるのが樒の目標だった。
だが、この内部進学制度は高校入学時点で魔術の経験があることがほぼ前提の条件となる。高校内で学んだ事だけで得られる魔術の実績などでは他の優秀な同級には太刀打ちできまい。
校外の経験も実績もある退魔士の力を借り、彼らの下で学び、自らも退魔士として活動する。魔術士の家系ではなく、まともに魔術を習ったことすらもない樒は、この可能性に賭けるしかないと直感していたのだ。
「ごめんね引き留めちゃって。それじゃ、良い読書ライフを」
小さく手を振って、再び出口へ向き直る女性。その後姿を、樒は見つめる。
――ここで言わなかったら、きっとまた後悔する
深い深呼吸を一つ。そして再び息を吸い、
「あ、あの……実は私、魔術には興味あって。その、未経験ですけど」
樒は勇気を振り絞って、控えめな、小さな声で女性に自ら声を掛けた。
「ほぇ、なんか言った?」自動ドアの前で立ち止まり、振り返る。
「私、魔術未経験ですけど! それでもお話だけは、聞かせてください!」
もう一度、不安を押しのけて思いを伝える樒。それに女性は心の底から嬉しそうな笑みで応えた。
「おー、早速成長だ。未経験でも全然オッケー! 技術面は私らがキッチリ教えたげるからさ」
「本当ですか!? それならお話を聞きた――あ、でもここは大学生のサークルですよね……?」
「そこんとこも大丈夫。ウチはインカレ。歳とか学校は関係なしで誰でも参加できるよ」
女性の返事とその優しい表情につられて樒も思わず表情を緩ませる。
「私の名前は
「えっと、しきみ……
「みちびき、しきみ、か。いい名前だ。じゃあ樒ちゃん、私についておいで!」
そう言って図書館の外へと出ていく後姿を、樒は慌てて追いかけた。
「そういえば樒ちゃんは
見上げる程に大きな先輩が屈託のない笑顔で問いかけてきた。
意図の読めない質問に樒は言葉を詰まらせる。
「――あ、移動中の
それは話すことを見つけられず、ただ黙ってついて来る樒への助け舟だった。
この内向的な少女は、未だ緊張状態から抜け出せていない。今のまま年上に囲まれれば委縮して何も言わなくなってしまうのは間違いないだろう。ならば今のうちに言葉を交わして打ち解け、自分という逃げ道を作るのが彼女の為だろう。そう考えたのだ。
「そ、そうですけど……なんで?」
「無意識だと思うけど、喋り方に京阪系のアクセントが混じってる。静岡は東京系のアクセントが主流だから、少なくとも県外、関西圏育ちかな~って予想」
そう言われて、樒は口元に手をやる。自分では全く気付かなかった、体に染みついた癖。それを指摘されて、顔が熱くなるのを感じる。
「あっ、あぁごめん、無神経だったね。落ち込ませる意図はなかったんだ。ただ、こういうのも魔術学で勉強するっていうデモンストレーション」
「魔術学部って方言についても学ぶんですか?」自分もそこまで気にしていないという意思表示も併せて、率直に質問を返す。
「方言じゃなくて言語学だけどね。言葉を術式とする場合、アクセントの違いだけで発動するしないが決定されちゃうこともあるから。意外とナイーブなのよん、魔術って」
そう言ってウィンクして見せる歩の顔を見上げて、樒はつくづく思う。
――この先輩、実は凄い人なのでは?
軽薄そうな印象とは正反対の理知的な言動に、樒は興味を覚えた。
歩は「話を変えようか」と切り出し、樒に自らの高校時代を話して聞かせた。その手垢のついた脚本のような青春話を聞きながら、樒は嬉しいような、それでいて寂しいような、そんなない交ぜの感情を覚えた。彼女は人生の殆どを閉じた人間関係の中で生きてきた。先輩らしい先輩を得た経験はこれが初めてであったし、そのような人間は自分とはかけ離れた存在であるという事を実感させられたのだ。
いつもの居心地の悪い冷ややかな風を肌で感じて、樒はふと我に返る。
「あの……すいません、先輩。私達、どこに向かってるんですか?」
二人が歩いている並木道は、近くに大きな建物や運動場があることから、おそらく学校の敷地内であることが察せられた。だが、少なくとも樒の知る場所ではないのは確かだった。
「私たちのサークルが部屋を使ってる旧部室棟ってところだよ。正式名称は何だっけか、忘れちゃった」
苦笑いで応える歩を見て、樒は訝しんだ。旧と付くからには古い建物なのは間違いない。普通なら建屋が新築されたら、そちらに活動の拠点を移すものだ。いつ頃その転換があったのかは分からないが、なぜそんな所で活動を続けているのだろう?
「旧部室棟って……なんでそんな所で活動してるんです?」
「いやぁ、私達はまだ新しい部室棟を使わせてもらえなくってね。それで唯一申請が通った旧部室棟を使わせてもらってるんだ」
嫌な予感が、樒の脳裏をよぎった。
「あの、魔術災害対策研究プロジェクトって、まっとうな活動なんですか?」
「む、失礼な。ウチは今年から活動始めたばっかりでまだ大学非公認のサークルだけど、これから大きくしてくから大丈夫!」
得意げに言い終えたところで、歩は我に返る。樒に目をやると、彼女はあからさまにショックを受けた様子でその場で立ち尽くしていた。
「大丈夫……だから、ね?」
急に冷え込みはじめた空気に、歩は身震いする。
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