グリム兄弟の不思議な詠唱

@syosetu_rotonmu

01. グリム兄弟

「ヘルム、疲れてないか?」




 ヤコは自分より少し後ろを歩く弟に背中越しに声をかけた。既に二日ほど殆ど休み無く歩き続けていることを考えれば、返ってくる返事は自ずと予想できる。




「疲れてないと言えば…嘘になるね。兄さんは?」




「俺はまだいけるが…そうだな、疲れてないと言えば嘘になる」




「人の心配をしてる余裕はあるんだね」




 ヘルムはまだ余裕がありそうだった。息が上がっているのは確かだが、ヤコの口から少しの弱音を吐かせるくらいにはまだ余力があるようだ。




「さっきのおっさんの言うことが正しけりゃ、この先に大きな街があるはずだぞ」




「そうだね。そこに行けば多少は休めるかな。…気になることも言ってたけどね」




 ヘルムは含みのある言い方でヤコを見ている。ヤコは立ち止まり、振り返ってヘルムを少し見た後口を開いた。




「あのおっさんが言ってた“魔女”ってのがその街にいるってか?」




「少なくとも、何か話を聞けることは間違いないんじゃないかな。さっきの人の話で、このあたりの地域には魔女伝説が蔓延ってるっていう情報を思い出した。古い文献だったから信憑性は欠けるけどね」




「お前、そういうのはもっと早く思い出せ」




 ヤコはビシッとヘルムを指差して言ってやった。おっさんに会ってなかったら、近くの街に行くまでに魔女の存在など知る由もなかったのだから。




 数分前、ヤコとヘルムは魔物に襲われていたおっさんを助けた。そのおっさんはこの辺の地域に住んでいるようで、旅人のヤコたちに魔女の存在を知らせてくれた。




 しかしそれは、忠告に近しいものだった。


 「この地域には魔女がいる。気をつけろ」


 おっさんは確かにそう言った。魔女というのは、気をつけるべき存在なのだろう。少なくとも、土と汗で汚れたこんな兄弟を優遇してくれるような聖女ではないだろう。




「でも兄さん、魔女が本当にいて、もし会うことができれば…」




「ああ。もしかすると魔女は、俺たちが知りたいことの答えか、或いはヒントを知っているかもしれない」




「…それなら疲れて休む気になんてならないよ。さっきの質問は、ちょっと野暮だったんじゃない?」




「お前な、そういうことは言わなくていいんだぞ」




 ヤコとヘルムは、近くの街を目指して再び歩き始めた。






 少し歩くと、道の端に倒れている男が目に入った。ヤコたちはすぐに駆け寄った。血まみれの男はいつ死んでもおかしくないような状態だった。




「おい!しっかりしろ!」




 ヤコの声で男は失いかけていた意識を少し取り戻したようだった。男はヘルム、ヤコの順に顔を見ると、血で染まった手でヤコの腕を力強く握った。とても血塗れの男の力とは思えなかった。




「なんだ、何があった?」




 ヤコは問いかける。男は怯えるような、しかし力のある震えた声で言う。




「まっ…魔女に……魔女にぃ…っ…!」




 男はそう言って力なく目を閉じた。




「ヘルム…」




 ヤコはヘルムを呼ぶ。ヘルムはしゃがみこみ、男の首元に指を置いた後、ゆっくりと首を横に振った。




「…この人は、近くの街の人間か?」




「どうだろう。そうとは言い切れないかもね」




 ヘルムは立ち上がって進む道の先を見据えた。




「どういうことだ?」




 ヤコは息絶えた男をゆっくりと寝かせ、着ていたローブを被せた。立ち上がり、ヘルムに問う。




「見て、もう街が目と鼻の先にある」




 確かに、ヤコとヘルムが目指していたであろう大きな街が目の前にあった。街の外形はもちろん、建物の窓すら視認できる程の距離だ。




「あの街の人間だったら、こんな街の近くで殺されるとは考えにくい」




「どうしてだ?」




「魔女が出ると分かってて、何の武器も持たずに一人で街の外に出るかな?」




 確かに男は一人で、武器らしきものは何一つ持っていなかった。




「近くにはあの街の他に小さな集落みたいなのが点々としてるようだし、そっちの人かもしれないね」




「それにしたって、魔女がいるのに一人で外に出るか?」




「あの街の人間と、ほかの集落にいる人間とでは、魔女に対する認識が違うとか?」




 つまり例えば、例の大きな街に住む人々にとって魔女が脅威ではあっても、集落に住む人々にとっては脅威ではないという可能性だ。


 同じ魔女に対して認識の違いがあるのはやや無理がある気もするが、なくはない。




「とりあえずあの街に行って魔女について聞こう」




 ヤコとヘルムは互いに顔を見合わせた後、街へ向かって歩こうとした。その時、背後からの足音に気付いた。




 そこには、三人いた。


 一人は、左右の腰に一本ずつ剣を携えた黒い髪の男だ。やや筋肉質で身長も高い。


 もう一人は、やけにスタイルの良い金髪の女だ。


 そしてその二人の間に、白くて長い綺麗な髪の少女がいた。




「あんたたち、もしかしてあの街に行くのか?」




ヤコが話しかけると、黒髪の剣士が少女の前に立った。それとなく剣の柄に手を添えている。




「そうだ。お前らは……」




 剣士はヤコの足元に視線を落とした。視線の先には、ローブを被せられた人間の姿がある。顔は見えないが、ローブからはみ出た手の白さと、拭えない量の血を見れば、その人間が死んでいることは直ぐに分かった。




「お前ら二人は…見たところ人殺しか?」




 剣士は剣の柄を握る。




「ちょっとダイス!」




 金髪の女は、剣士の行動を静止しようとする。




「人殺しじゃねえよ。俺たちが来た時にはこの人はこうだった。だから俺が着ていたローブを被せたんだ」




 ヤコは正直な弁明を述べる。しかし、ダイスと呼ばれた剣士は二本の剣を鞘から抜いた。




「へぇ、信じろってか?」




 ダイスがやる気であることは、ヤコとヘルムには既に分かっていた。




「ダイス!!あんたってなんでそんな好戦的なの!?」




 金髪の女が咎めるが、ダイスは聞く耳を持たない。やがて踏み込み、ヤコに向かって剣を振り下ろした。ヤコはそれを後ろにかわす。




「ふん、このくらいの太刀筋なら躱せるタマか」




「躱さねえと冤罪で死ぬことになんだろーが」




「まだ言うか。悪いが疑わしきは斬る…それが今の俺の使命なんでね」




「そんな使命ないでしょ!」




 金髪の女のツッコミなど、二人の耳には届かなかった。


 ヘルムは苦笑いを浮かべながら金髪の女に近づいた。




「なんか…僕たちほんとうに勘違いされてるみたいですね…」




「ごめんなさい、ウチのバカ剣士が…やけに喧嘩腰で」




「ウチの兄も、売られた喧嘩は買うタチというか…」




 まるで世間の悪党の噂を広める主婦のようなやり取りで、ヘルムと金髪の女はお互いにへりくだっていた。


 ヤコとダイスはそれには目もくれなかった。




「二刀流か」




「剣双と呼んで欲しいな」




 ダイスは謎のこだわりを見せてすぐ、ヤコに斬りかかる。ヤコはその一太刀一太刀を見据えて躱す。しかし反撃の手は加えなかった。


 それには直ぐにダイスが、攻撃をやめて物申した。




「てめえ!なんで攻撃してこねえ!」




「攻撃する理由がねえんだよ!逆にお前はなんでそんなに攻撃的なんだよ!!」




 ダイスは少し間を置いた。そして双剣を握り直して言った。




「後悔はしたくねえんだよ!」




 ダイスの太刀筋のキレが変わったことがすぐに分かった。ヤコは同様に躱そうとしたが、先ほどまでより速い太刀筋に、少しばかり翻弄されていた。




「ゼオン、アイドラ ベル セオセオ ティーア」




 ヤコがそう呟くと、ヤコの身体を守る様に楕円形の盾が浮かび上がり、ダイスの剣撃を防いだ。ダイスは少し態勢を崩す。




「マーロイド、アイドラ ベル フレイ フレイ」




 続けてヤコは手から鳥型の炎を放った。ダイスはそのスピードに遅れをとり、躱せずそれを二本の剣で防いだ。


 大した威力ではなかったのか、ダイスは無傷だった。




「ちっ、魔導師か」




 ダイスは舌を鳴らす。




「今の詠唱…」




 金髪の女が何かに引っかかった様で、ボソッと呟いた。ダイスにはその呟きが耳に入っていた。




「なんだウレシア!」




「今の詠唱…少し変」




 ウレシアと呼ばれた金髪の女はじっとヤコを見据えた。ヘルムはウレシアの横でニコッと微笑んだ。




「お姉さん、詠唱の違いに直ぐに気付くなんてすごいね」




 ウレシアはヘルムの微笑みに少し目を逸らした。ヤコは口角を上げ少し笑いながら、ダイスを見て言った。




「俺はそこらの魔導師とは違う。新しい詠唱を使う魔導師だ」

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