第13話 復讐鬼の残骸たち


 ――それは遙か、神代の記憶。

 ――やがて魔神と呼ばれることになる、勇者たちの物語。


 すべては、エルフの里に生まれた一人の男から始まった。

 生まれて何年もしないうちに七つの家をたらい回しにされ、、一人の異端児。

 彼が持っていたはずの七つの名前は、今となってはどんな記録にも、否、残っていない――ただ彼は、《魔神王》とだけ呼ばれていた。


 魔神王は、自然と共に生き質素に暮らすことを尊ぶエルフの中にあって、例外的な野心の持ち主だった。

 数いる人間の中でもエルフこそが最強の種族であると信じて疑わず、その魔術の力をもって世界に覇を唱えるべきだと公言してはばからなかった。

 その思想を危険視したエルフの里の長老たちは、彼が成人すると同時に里から追放した。

 これによって平和は保たれると、このときは本当に信じていたのだ。


 追放された魔神王は世界各地を巡り、《神霊》と呼ばれる超越存在に接触した。

 彼は七つ与えられた自らの名前をすべて生け贄に捧げることで、七体もの神霊と契約を交わすことに成功し、絶大な力を得た。

 その力をもって、《グロウマン》の国をひとつ、手中に収めてみせたのである。


 グロウマンは、神代において最大数を誇る種族であった。

 寿命は50年から80年と、他の種族に比べて非常に短命である。しかしその代わりに、たった1年で妊娠と出産を終える繁殖力と、わずか20年足らずで成人に至る成長力を持つ。ゆえに《成長する人グロウマン》と呼ばれた。

 グロウマンはその繁殖力を活かし、世界中に自分たちの国を持っていた。当時、世界はグロウマンのものであったのだ。


 しかし、グロウマンたちは、たった一人のエルフの男によって、次々と蹴散らされていった。


 時に戦争で奪い取り、時に王の寿命を待ち、時に自らの魔術で破壊した。

 エルフとしての強みを最大限に活かし、魔神王はグロウマンたちを自らの配下に取り込んだのだ。


 グロウマンの国をあらかた侵略し終えると、魔神王はその矛先を故郷に向けた。

 エルフの里である。

 エルフこそ最強の種族であると考える彼にとって、一番の脅威は同じエルフであったのだ。だから彼は、エルフたちが静かに暮らす森に火を放ち、軍勢を率いて攻め入った。


 そこに、一人の少年が現れた。


 ただ一人の家族たる妹と共に姿を見せた彼は、卓絶した剣の腕でもって、魔神王の軍勢を追い払った。

 そして宣言したのだ。

 魔神王の暴虐を許しはしない。必ずや彼の王を討ち果たし、世界に平和をもたらしてみせる――と。


 やがて、その噂を聞きつけた勇気ある者たちが、少年の元に集まった。

 魔神王の猛威から世界を守るため集結した、各種族最精鋭の七人。

 いつしか人々は、彼らをこう呼び始めた。


 天が遣わした七人の英雄たち――《七天の勇者》、と。


 七天の勇者は魔神王との戦いを繰り返し、ついには数千の義勇軍と共にその王都に攻め入った。

 いくつもの助けを得て城の最上階に辿り着いた勇者たちは、神霊の力を振るう魔神王と凄まじい死闘を繰り広げる。


 やがて、決着はついた。

 少年の突き出した剣が、魔神王の心臓を深々と貫いた。

 世界に恐怖と絶望を振り撒いた王は、痛恨の表情で事切れ――

 生き残った勇者たちが、その骸を見下ろしたのだ。



 ――こうして、本当の破滅が始まった。



 魔神王との死闘のあと、その場に立っていたのは

 激しい戦いの中で、たった一人、犠牲となった勇者がいた。

 それは、魔神王にトドメを刺した少年の、実の妹――彼にとっては、たった一人の家族だった。

 妹の亡骸を見下ろした少年は、泣くこともなくこう呟こうとしたと言う。


 ――これで、終わっ……


 言葉は言い切られなかった。

 ふと顔を上げた少年の視線の先に、一人の少女がいたからだ。

 その少女は、耳が長く尖っていた。

 それは、エルフ族の血を継ぐ者に特有の形だった。


 この瞬間、勇者たちは初めて、魔神王に娘がいたことを知ったのだ。


 少女を見た瞬間、少年の胸中に嵐のような感情が渦巻いた。

 足元の妹を見て、前にいる少女を見て、妹を見て、少女を見て――そのたびに膨らんでいく感情には、たったひとつの名前しかつけられない。


 憎悪。


 ……対して少女は、その目ですべてを目撃していた。

 父が見知らぬ人間たちによってたかって攻撃され、その末に剣で胸を刺し貫かれる、一部始終を。

 少女にとって、父は父でしかなかった。彼女は王としての魔神王を、何も知らなかったのだ。


 そして、そのとき。

 魔神王の骸から、七体の神霊が解き放たれた。


 ――名を捧げよ。


 七体の神霊は、最も近くにいた七人に、それぞれ同じ言葉を投げかけた。

 生き残った六人の勇者と――たまたまその場にいた、魔神王の娘に。

 真っ先に、少年と少女が答えた。


 ――名前くらいくれてやる。

 ――だから力を寄越せ。


 かくして、勇者は魔神に変転する。


 勇者と魔神王の戦いを遙かに超えた規模の戦闘は、城を破壊し、城下を破壊し、王都を破壊した。

 世界に平和がもたらされる瞬間を夢見て決死に戦っていた義勇軍は、すべからく死に絶えた。


 それでも二人は止まらない。

 妹の亡骸が、命を奪われた瞬間が、魂に焼きついて離れることはなく。

 優しかった父が、その胸が貫かれた瞬間が、心に刻みついて消えることはなかった。


 後に語られる少年の名は、《轟き砕く雷天のゼウス》。

 後に語られる少女の名は、《舞い踊る風天のエンリル》。


 二人の復讐は、1000年を経てもなお、終わっていない。




※※※




『エドセトア記念公園では午後に行われるエドセトア50周年記念式典の準備が進められています。式典には各国から多くの要人が参加を表明しており――』 


 情報端末ブラウニーの画面の中では、平穏な日常が営まれていた。

 東屋の屋根の向こうに見える空は、憎々しいほどの快晴だ。天気予報によれば、今日は一日中過ごしやすい気温でお出かけ日和らしい。きっと午後の記念式典にも人が集まるだろう。


 エドセトア魔術学院の中庭は、色とりどりの花壇に埋め尽くされた壮麗な場所だ。普段は一般開放していないが、創立記念祭が始まれば観光客がやってくるだろう。

 その中央に建つ東屋は、だから学院の中でも特別な場所だった。昼休み、花々に囲まれたこの場所で昼食を摂ることができるのは、創立記念祭でベスト・カップルに選ばれた男女だけに限られるのである。

 そして、その座はここ3年ほど、ずっとデリックとリリヤが占有していた。


「……レイヤは風邪を引いて寝込んでいることにしておいたわ」


 リリヤがカチャリとティーカップを置きながら、青空とは真反対の暗い声で告げた。


「でも、こんな嘘は何日も保たない。エルフィア本国のフルメヴァーラ家も、明日か明後日には絶対に気付くでしょうね……」


 レイヤは――その肉体を乗っ取ったペイルライダーは、姿を消した。

 持ち前の病害魔術でデリックたちを煙に巻き、あっという間に逃げ去った。

 ただひとつ、こう言い残して――


 ――舞台は整えてあげるわ、ゼウス。

 ――だから今度こそ、その女を、魔神王の娘を殺してね?


 皮肉なほど青い空を仰ぎ、デリックは呟く。


「……やるなら今日中、か」

「ええ。やるなら今日中よ」


 リリヤはくすりと微笑み、ルビー色の紅茶に視線を落とした。


「ペイルライダーの言う通り。こうして婚約者の真似事をしてること自体、お笑いぐさの茶番だったのよ。……これは、いい機会だわ。ケリをつけないと……いい加減」


 今、こうしている二人を前世のデリックが見たならば、きっと怒り狂ってエドセトアを消滅させることだろう。

 ドワーフィアとエルフィアの関係。

 お互いの実家の体裁。

 再会して7年、散々に復讐を妨害してきたそれらの状況は、しかし前世のデリックならば、意にも介さなかったはずのものだ。


 ……心の奥では、実はわかっている。

 転生し、物心がついて、宿敵と再会するまでのほんの数年。……その数年が、致命的だったのだ。

 人間としての生き方を思い出した。

 復讐以外の生き方を思い出した。

 家族を、生き甲斐を、魔神になったあの日に捨てたものすべてを、ほんの数年で取り戻してしまった。


 この場にいるのは、復讐鬼の残骸でしかないのだと。

 本当は……もう、わかっている。


「――魔神と戦えるのは、同じ魔神だけ」


 紅茶を半分以上残して、リリヤは席を立った。


「だったら、私は。……いいわよね」

「……勝手にしろよ。許可なんか取るな」

「そうよね。そうだったわ」


 冷然とした声で言って、リリヤは金髪を翻す。


「さよなら。デリック・バーネット」


 婚約者の少女は、一人で花壇の合間を歩み去っていく。

 デリックはその背中には目を向けず、遠くに聳える高層ビルを、見るともなしに見上げていた。


「年貢の納め時――か」


 モラトリアムは終了する。

 それを告げるかのように、慌ただしい足音と声が、東屋に近付いてきた。


「で、デリックさあーんっ!! い、いまニュースで――」


 そして、新しい何かが幕を上げる。

 その合図となる号砲は、元魔神に相応しい派手さだった。


 高層ビルの上層階が、轟音と共に爆煙に包まれた。




※※※




 ――『本日、エドセトアから輝きが失われる』。


 デリックと別れたリリヤが、慌ててやってきたアンニカに見せられたのは、SNSの画面だった。

 シンプルな短文に、4枚の写真が添付されている。


 1枚目は、銀色に輝く高層ビル。

 2枚目は、静謐な佇まいの博物館。

 3枚目は、歴史を窺わせるオペラハウス。

 そして4枚目は――


「……なるほどね」


 それぞれの写真には、左下の隅に時計の絵が添えられていた。

 1枚目の時計が示しているのは、13時ジャスト。……ちょうど今の時間だった。


「時計の時刻に、写真のをぶっ壊すってわけ。なかなかシンプルな趣向ね」

「り、リリヤ様! そんなことを言っている場合ではございません!」


 アンニカは珍しく焦った顔で、リリヤの手を強く握った。


「本日のご予定はすべてキャンセル致します。安全な場所に避難を――」

「何を言っているの、アンニカ。テロリストには弱腰の姿勢を見せない。それが為政者たる者の態度でしょう」

「……なっ……」


 ――4枚目の写真には、金髪の少女が映っていた。

 第四標的、リリヤ・エクルース・フルメヴァーラ。

 時計が示す時刻は、17時ちょうど。


 舞台を整える――ペイルライダーはそう言って姿を消した。

 なるほど。こうしておけば、デリックがリリヤを殺したとしても、それはテロリストのせいになる。彼の悪評にはならないわけだ。


「午後は確か、記念公園でエドセトア50周年式典に出席するはずだったわね。17時はその開始時刻だわ」

「ま、まさか――ご出席なされるおつもりですか!?」


 式典には、本来はレイヤも出席するはずだった。その肉体を乗っ取ったペイルライダーにとっても侵入のしやすい舞台だ。

 もちろん暗殺を実行するデリックも同様だ。リリヤと共に、彼は五族融和の象徴なのだから。


 だったら、どちらも返り討ちにしてやればいい。

 テロ騒ぎに乗じて暗殺を誤魔化せるのは、こちらだって同じことだ。


「行くわよ、アンニカ――できるだけ動きやすいドレスを用意してくれる?」

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