第14話 ダンジョン・ミュージアム


 ずっと、姉のリリヤに憧れていた。

 優秀で、聡明で、それでいて奔放で――レイヤにとって実の姉は、理想の自分そのものだった。


 姉さんみたいに振る舞ってみたかった。

 姉さんみたいに褒められてみたかった。

 姉さんみたいに――愛されて、みたかった。


 8歳の頃に出会った将来の義兄、デリックは、そんなリリヤと唯一対等な存在だった。

 あんなにすごい姉さんと、対等でいられるひと。

 幼いレイヤが淡い思慕を抱くのには、それ以上の理由なんていらない。

 時を追うごとにその気持ちが膨らみ――やがて、実の姉への嫉妬に変わるなんてことも、いちいち取り沙汰するのが恥ずかしいくらい、自然の成り行きだった。


 ――いいのよ、レイヤ。それでいいの。

 ――それが普通なの。特殊な成り行きなんて、特別な連中に任せておけばいい。

 ――アナタは普通に恋をして、普通に嫉妬をした。

 ――そして普通に……幸せを掴むんだよ。


 ……わたしは、悪い子でしょうか?

 自分の幸せのために、実の姉を蹴落とすなんて……。


 ――そうかもしれない。……でもね、レイヤ?

 ――損をするのは、いつの時代も良い子のほうなのよ?


 ――さあ、悪い子になりましょう?

 ――だけは味方よ、レイヤ……。




※※※




「デリックさんの様子が、おかしかったんだ」


 時計は13時33分を指していた。

 この前の痴話喧嘩で半壊し、立ち入り禁止になっている校舎の前で、マーディーはアンニカと話していた。


「リリヤさんが狙われてるっていうのに、妙に落ち着いてて……。心配じゃないのかな……」

「……リリヤ様の様子も、少し不自然でした」


 肩を並べて立ち、校舎の壁に空いた穴を見やる。


「怯えるでも、怒るでもない。なんだか、どこか儚げな雰囲気で……」


 アンニカの声には不安が滲んでいた。それはきっと、マーディーの胸の中にもある不安だった。

 よく知る人たちが、どこか遠くに行ってしまうような。

 アンニカは不安を上書きするように、平坦な声音で続ける。


「……それでも、わたしはリリヤ様に従うだけですが」

「僕だって、デリックさんのやりたいことを全力で手伝うだけさ」

「信者」

「奴隷」


 マーディーは数秒、アンニカと睨み合うと、ふいっと顔を背けた。

 そのまま立ち去ろうとしたが、つっかえたように足が止まる。


「…………一応、気をつけなよ」

「はい?」


 さんざん躊躇ってから呟くと、アンニカが振り返る気配がした。


「きみ、リリヤさんの護衛でもあるんだろ。命を狙われてる本人より、その護衛のほうが危ないじゃないか」

「……お気遣いなく。主より先に死ぬのがメイドの務めです」

「そんなわけないだろ、骨董品!」


 振り向きながら全力で叫ぶ。

 アンニカがびくりと肩を跳ねさせて、驚いた顔をした。


「あ……いや、その……じゃなくて……」


 何か言い繕おうとしたが言葉が出てこなくて、ますます気まずい空気になる。

 アンニカのほうも、ばつ悪げな雰囲気を出して、視線を斜め下に逸らした。


「…………一応」


 ぽつりとこぼれた呟きを、マーディーはかろうじて聞き取る。


「病院で、あなたに拾ってもらった程度の命は、守るつもりです」

「……あっそ」


 マーディーが苦笑すると、アンニカはピンク色の髪を翻し、小さな背中を向けた。


「たとえ相手があなたでも、義理くらいは守ります。……メイドですから」

「……メイド、関係ないだろ」


 その言葉を最後に、二人はそれぞれが信じる人間のもとへと足を向けた。




※※※




 14時30分――第二テロ予告時刻まで30分。

 デリックはバイクを適当な路肩に止めると、大騒ぎになっている博物館の入口を見やった。


「……天見隊が野次馬を押し留めてるが、やけに重装備だな。爆弾処理班って雰囲気じゃない」

『それが……どうにも妙なことになってるみたいです』


 端末の通話越しにマーディーが言った。


「妙なこと? 爆弾だけじゃねえのか?」

『さっきから天見隊の無線を傍受してみてるんですけど、おかしな話が聞こえてくるんですよ。化け物がどうとか、魔物がどうとか』

「はあ?」


 神代じゃあるまいし、現代社会に化け物なんているわけが――と思うが、ネクロキメラの例もある。


『デリックさん……。なんで爆破テロなんかに首を突っ込もうとするのか、聞いてもいいですか?』

「説明しただろ。リリヤを守るためだよ」

『本当にそれだけですか?』


 マーディーの声からは、本当に心配してくれているのが伝わってきた。

 だからこそ、嘘で偽るのは心苦しい。……デリックにできるのは、ただ黙っていることだけだった。


『……わかってます。デリックさんが一見余計なことをしようとするときは、いつも何かのためなんです。それを手伝うのが僕の恩返しです』

「……ありがとうな。いい後輩を持ったよ、オレは」

『えへへ~』


 マーディーが女の子のような高い声で照れるのを聞いて、デリックはふっと笑みを零した。

 実際、大人しくしていればいいだけのことだ。

 ペイルライダーが用意する舞台とやらを、黙って待っていればいいだけのことだ。

 なのになぜ、彼女の邪魔をしようとするのか……その理由は、まだ具体的には掴めない。


「とにかく近付いてみるぜ」

『僕もドローンで偵察してみます!』


 ブウーンとドローンが人垣の上を飛び越えていく。デリックも野次馬を掻き分けていった。

 野次馬の最前列に出て、博物館の入口が視界に入ると、デリックは目を剥いた。


「手を挙げろ!」

「貴様たちは包囲されている!」

「入口を開放しろ!」


 大きな盾を構えた天見隊の機動隊員たちが拡声器でがなり立てると、博物館の入口に陣取ったはブッヒョヒョフォッホと下品な鳴き声を発した。


「おっ……オークじゃねえか!」


 博物館の入口にいるのは二匹のオークだった。あの豚と人を混ぜ合わせたような姿と声、間違いない。


「やっべー!」

「マジオークじゃん!」

「本物初めて見たわー!」


 野次馬たちが興奮気味に、ピロンペロンポローンと端末ブラウニーで撮影している。今頃SNSが大騒ぎだろう。


『デリックさん! 状況が掴めました!』

「おい、なんなんだこれ! なんでオークが現代にいる!?」

『アレは本物じゃないです。一種の生体精霊ですっ!』

「生体精霊だと……?」


 オークによく似せたネクロキメラだとでも言うのか?


『あの博物館には、神代の魔物の化石がたくさん展示・保管されてたらしいです。それを依り代にして、爆破テロの犯人が生体精霊にしちゃったみたいです!』

「そうか……化石を利用すれば伝承性質の定着が容易になる! ……おい。ってことは、あの博物館の中――」

『実はもう何人か天見隊が突入してるんですけど……案の定、ダンジョン状態です。そのせいで避難し遅れた人もいるみたいで……』

「チッ……!」


 ペイルライダーも妨害が入るのは想定済みというわけだ。


「マーディー。博物館にあった魔物の化石をできる限りリストアップしてくれ」

『えっ……? は、入るんですかっ!?』

「当たり前だ。諸事情あって、ダンジョン攻略は得意なほうでな……!」


 抜剣。

 デリックは魔術機剣・ヴォルトガ弐式のスイッチを入れる。武骨な鞘が弾け飛び、身体の各部に張りついて簡易パワードスーツとなった。

 バヴァリッ!! と電流が弾ける音がする。

 強化された身体能力に任せて、野次馬を押し留める天見隊の頭上を飛び越えた。


「んなっ……!?」


 着地するなり博物館の入口に走る。

 盾を構える機動隊員たちを追い抜くと、慌てた声が追いかけてきた。


「き、きみッ!?」

「よせッ! 戻ってこいっ!!」

「あの豚どもには銃弾さえ効かないんだぞ!!」


 銃弾が効かない?

 デリックは思わず鼻で笑う。

 仕方がないことではあるが、どうやら現代にはダンジョン素人しかいないらしい。


「ブュフォフォウフォッ!!」


 走ってくるデリックを見て、二匹のオークが臨戦態勢を取った。

 デリックもまた、紫色の光を放つヴォルトガ弐式を構える。


「ブヒョオーウッ!!」


 奇怪な声をあげながら、オークが屈強な腕を振り上げた。

 が、それが振り下ろされるよりも、ヴォルトガ弐式の切っ先が届くほうが早い。

 肥え太った腹部を、深々と刃が貫く。


「ブッ……ュ……」


 オークはどす黒い血を吐いて、ぐったりと力を失った。屍体を蹴り飛ばしてヴォルトガ弐式を引き抜く。

 まだだ。もう一匹のオークが突進してきた。

 それを余裕を持ってかわすと、脂肪で胴体と一体化しているうなじを正確に切断。「プギュッ」と小さな断末魔を漏らして、オークの屍体が積み重なった。


「な……」

「い……一瞬で、二匹とも……?」


 ヒュンッと空気を切って血振りをしながら、デリックは愕然としている天見隊に声を張り上げる。


「オークの心臓は脂肪に守られた腹部にある! それに脳がちっちぇえから頭を狙っても大したダメージにならない!! 人型に騙されるなッ!!」


 ピロンペロンポロンと撮影される音がした。動画にも撮られているだろうが、構っている場合じゃない。


「魔物リストはできたか、マーディー」

『で、できました! ……けど、もしかしてデリックさん、神代の魔物に詳しかったり?』

「さっき言ったろ?」


 博物館の入口は、まるで深い洞窟のように暗い闇を湛えている。

 それを前にし、デリックは肩に1本の剣を担いで、懐かしい日々を思い出した。


「――昔、勇者をやっててな」





 まさにダンジョン博物館ミュージアムだった。

 ゴブリンが、オークが、スライムが、ゴーレムが、異種様々なモンスターが、ショウケースの中から飛び出して、薄暗い博物館の中を跋扈していた。


「チッ……! 通風口がバジリスクの巣になってやがる! 肉眼で目を合わせると石になるぞ! カメラを目にして戦うしかねえか……!」


「展示物の鎧が動き回ってるな……。ありゃポルターガイストだ。本体がどこかに隠れてる。気温計を使って探そう。ゴースト系の魔物は周囲の気温を下げるからな」


「んっ……? ――おいおい、ケルベロスかよ! さすがにあんなバケモン……ああいや、そうか。あいつ音楽聴くと頭三つとも寝るんだった。喰らえ、アイチューンズ・アタック……!!」


 神代には存在しなかった科学技術を駆使しつつ、デリックはダンジョンと化した博物館を次々と踏破していく。


「あー、超楽だわ。情報端末ブラウニー最高。これ一個あればダンジョンとか余裕なんだが」

『文明の暴力ですねー。なんだか悪いことしてる気分になっちゃいますよ』

「1000年前の骨董品がのこのこ出てくるのが悪い」


 とはいえ、テロ予告の時刻まではすでに15分を切っていた。そろそろ爆弾を見つけ出さなければ間に合わない。


「マーディー、爆弾は探知できそうか?」

『さすがにドローンのカメラ越しじゃあ……。でも建物の構造的には、この先の大展示室が怪しいと思うッス。……ただ……』

「ただ?」

『……そこに展示されてるものが、ちょっと』


 マーディーが何を懸念しているのか、件の大展示室に近付くとすぐにわかった。

 この空気が震えるような巨大ないびき……。


「……大展示室は吹き抜けだったよな。2階から様子を探るぜ」

『……はい』


 二人して声を潜めながら、2階に回った。

 手すりから1階を覗き込むと、そこには巨大な生物が身体を丸めていた。

 コケのような色の鱗。長い尻尾に屈強な巨躯。コウモリのような翼は折り畳まれ、凶暴な牙の隙間から尊大ないびきを漏らしている。


「……ドラゴンか……」


 魔物の中の魔物。キング・オブ・モンスター。

 この大展示室には、ドラゴンの化石が展示してあったようだ。


「あの巨体……霊子強度レベルにして70はありそうだな。等級は叙事詩級エピック伝説級レジェンダリーの間ってところか……」


 戦車が1個中隊を組んでも相手になるまい。科学兵器で相手をするならミサイルが必要になる。


『デリックさん……ドラゴンの懐にあるもの、見えます?』

「ん?」


 猫のように身体を丸めたドラゴンのお腹の辺りに、何か置いてあった。

 情報端末ブラウニーのカメラで映してズームすると、小さなディスプレイに表示された赤いデジタル数字が、1秒ごとにカウントダウンしているのが見えた。


「あれが爆弾か……! お宝の代わりってわけかよ」

『あんな財宝いりませんよぉ……!』

「爆発させるわけにはいかねえよ。上のほうの階に逃げ遅れた人間がいるんだろ? 博物館が倒壊なんかしたら一網打尽だ……!」


 大展示室には太い柱が何本も建っている。あれらが一斉に折られれば、建物そのものがタダでは済むまい。


「どうにかするしかねえな、あのトカゲ野郎を」

『どうやってですか……!? あんなの情報端末ブラウニーでどうにかできる範囲を超えてますよ!』

「その通りだ。……が、手段がねえわけじゃねえぜ」

『え?』

「ドラゴンには有名な弱点がある。逆鱗っつってな、身体中の鱗の中に、一枚だけ逆向きになっているものがある。そこだけは極端に防御力が低いんだ」

『一枚だけって……そ、そんなのどうやって探すんですかっ!?』

「おいおい。お前、それでも機魔研の人間かよ」


 デリックは苦笑して、現代人にしか使えない最強の対ドラゴン攻略法をマーディーに教えた。


「画像解析で探すに決まってんだろ?」





 デリックは正面の扉から堂々と大展示室の中に踏み入った。

 ドラゴンの尊大な寝息が止まる。

 瞼がゆっくりと開き、爬虫類らしい双眸がじろりと目の前の人間を見た。


「おはよう、トカゲ君。1000年ぶりの寝覚めはどうだ?」


 咆哮が爆発した。

 音の衝撃だけで壁に亀裂が走り、デリックの足が宙に浮きそうになる。

 ビリビリと肌を叩かれながら、それでもデリックは不敵な笑みを崩さなかった。


「久しぶりだぜ。懐かしいぜ。その咆哮、威圧感。神代じゃあお前が王だった。あらゆる生物の頂点だったさ」


 ブアウッ! と巨大な翼が空気を叩く。

 吹き抜けの大空間に、巨躯が浮かび上がる。


「大仰な盾で炎を防いで、弓矢を雨と降らせて注意を惹いて、血眼になって逆鱗を探す――そんなのはな、人類は何十年も前に卒業してんだよ。お前たちが化石になってた間、オレたちが眠りこけてた間、人類は1000年間、一時も休まずに歩み続けてたんだよ」


 デリックは思い出す。

 転生し、物心がついて程なくして、興味本位から父親の懐中時計を分解した。

 その内部構造の美しさ。

 すべての歯車がピタリと噛み合って成立する、凄絶なまでの機能美。

 何百年もかけて人類が辿り着いた、究極の境地のひとつ。


「……なあ、ペイルライダー。お前の言うことは尤もだよ。オレたちは無責任だったのかもしれない。でもそれって、オレたちやお前みたいな骨董品が、今の人間を邪魔していい理由になるのか? 1000年も前の因縁のために、今の世界を使い潰していいと思うのか!?」


 滞空するドラゴンの周囲を、一機のドローンが飛び回っていた。

 それに取り付けられたカメラが、ドラゴンの全身を隈無く撮影し、


『――ありましたっ!! 右腕から33センチ尻尾側に逆鱗!!』


 報告を聞いて、デリックはヴォルトガ弐式を構えた。

 ドラゴンが獰猛なアギトを開き、口腔の奥に紅蓮の炎を充填する。


「……やっぱり気に食わねえよ。お前のやり方は気に食わねえ」


 業火のブレスが勢いよく吐き出されたときには、大理石の床にはすでに雷光の残滓しか残っていなかった。

 紫電の軌跡がジグザグに宙を駆ける。

 デリック・バーネットが逆鱗を目の前にしたのは、吐き出された炎が床に辿り着くよりも前だった。


「悪いな、ペイルライダー」


 ヴォルトガ弐式の切っ先が、逆向きの鱗に据えられる。


「せっかく用意してくれた舞台――ぶっ壊させてもらうぜ」


 勢いよく刃を突き込むと同時に、ヴォルトガ弐式のトリガーを引いた。

 血流に乗って、強烈な電撃がドラゴンの中を駆け巡る。

 勇壮な断末魔すら、許されることはなかった。

 たった一撃。

 巨体からすれば針の穴にも等しい傷で、魔物の王は沈黙を余儀なくされる。


 大理石の床に墜落する前に、ドラゴンの巨体は霊子へと返った。

 ばらばらと床に散らばったのは、依り代となった化石だけ。

 それらと共に着地したデリックは、残り1分にまで迫っていた時限爆弾をひょいっと左手で拾い上げる。


『それが答えで、いいのね?』


 すると、爆弾に取り付けられたスピーカーから少女の声がした。

 デリックはふっと鼻で笑う。


「さあな。答えなんて大層なもんは持ち合わせちゃいねえよ、いつだってな」

『……優柔不断』

「汗顔の至りだ」


 爆弾を頭上に放り投げると、雷撃を帯びたヴォルトガ弐式で両断した。

 起爆回路を焼き切られた爆弾は、残り23秒を指した状態で四散する。


『――さあ、第三幕は16時よ』


 今度は展示物紹介のスピーカーからだった。


『優柔不断なあなたのことだもの――次こそは考えを変えて、の用意した舞台の上で踊ってくれるって信じてるわ?』

「……お前こそ」


 刃に残った電撃を払いながら、デリックは旧知の少女に告げる。


「次こそは、本音を話してくれるって信じてるぜ」

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