第10話 "PALERIDER"
「――ッ
アンニカが最も早く我を取り戻した。
ゴリラの胴体から4本の右腕と4本の左腕を生やした怪物に、目一杯の魔力を詰め込まれた精霊が、ごうっと唸って突進する。
怪物の身体が大きくへこんだ。
形を変えながら吹き飛び、ぐちゃりと音を立てて廊下の壁に叩きつけられる。
(柔らかい……!?)
まるで水風船だった。
高さ2メートルを超える巨体が壁に叩きつけられたというのに、激突音があまりにも柔らかい。
筋骨隆々のゴリラの胴体が見せかけであるかのように、軟体動物めいて形を変え、衝撃を吸収していた。
ヒグマの獰猛な目が、じろりとアンニカを見る。
マーディーはそれに気付くや、背後を振り返った。
後ろには、衰弱した天見隊の男たちがいる。
「――出るよ!」
「えっ?」
迷っている暇はないと思った。
マーディーはアンニカの手を掴んで病室を飛び出す。
8本腕の怪物のすぐ脇を通り過ぎて、夜の病院の廊下を走った。
後ろのアンニカが非難がましく叫ぶ。
「わ、わたしたちだけ逃げるんですか……!? 動けない人たちがいたのに……!」
「だからだよ!」
マーディーは走りながら背後を振り返った。
8本腕の怪物がぐねぐねと形を変えながら、こっちに向き直ろうとしている。
「あいつ、僕らのほうを狙ってる……! 僕らがあそこにいたら、あの男の人たちが危なかった!」
「…………!!」
アンニカも後ろを振り返り、8本の腕でぞるぞると身体を引きずり始めた怪物を見た。
「……どうやら、少し冷静さを欠いていたようです」
「わ、わかったなら、どこに逃げればいいか考えてくれないかな……!?」
「計画性がありませんね……! そこ、右に曲がります!」
前後立ち位置を入れ替え、アンニカに引っ張られる形で廊下の角を曲がる。
直後、背後から怪物の腕がゴムのように伸びてきた。
手のひらがビタンッと壁にくっついたと思うと、
「いっ……!?」
「…………!?」
握力だけで、壁の一部が剥がされた。
腕が壁を掴んだまま縮んでいく。
それから、バリボリゴリムシャとおぞましい音が聞こえ出した。
「なんだよぉ……! 雑食かよぉ……!!」
「……静かに。隠れますよ……!」
近くの病室に飛び込む。
そこは個室で、無人のベッドがひとつだけ置いてあった。
アンニカはその下を覗き込むと、マーディーを手招きする。
「ここに……!」
「え……? ここに二人……?」
ぞる、ぞる、ぞる、と廊下から音が迫る。
先に入っていったアンニカに続き、マーディーも覚悟を決めてベッドの下に潜り込んだ。
「(うあっ……せまっ……!)」
「(早く!)」
一人用のベッドは決して大きくない。マーディーもアンニカも小柄なほうだが、とはいえ二人も入れば窮屈には違いない。
アンニカの息遣いや体温、甘い匂いを感じた。
その一方で、ぞる、ぞる、と怪物が近付いてくる音が、床を伝って聞こえてくる。
恥ずかしいんだか怖いんだかもうよくわからなかった。
「(背中が出てます……! もっとこっち!)」
「(え!? これ以上は――うあっぷ!?)」
アンニカにぐいっと引き寄せられたと思った瞬間、顔が温かく柔らかいものに包まれて、思考がフリーズした。
「んくっ……!?」
頭上から甲高い声がする。それで思考が再起動し、『声出さないで!』と言いかけた寸前。
――ぞるっ。
怪物の気配が、二人のいる病室の傍まで来た。
「……………………」
「……………………」
息を止める。
動きを止める。
アンニカの胸にうずめる形になった顔を、引き離すこともできなくなった。
そっとアンニカの顔を見上げると、彼女は自分の手で口を押さえながら、顔を真っ赤に染めている。
(そ、そっちが自分でやったんだからな……!)
心の中でだけ言い訳をしながら、怪物の気配に意識を向けた。
――ぞる、ぞる、ぞる……。
引きずるような音は徐々に遠ざかっていく。
まったく聞こえなくなってからも、二人はしばらく息を止めていた。
(大丈夫? もう大丈夫かな? 大丈夫だよね……?)
心の中で何度も何度も自問をして、それでも気配が戻ってこないのを確認して、ふぁあ、と息をつこうとして、
「ふくっん……!?」
か細く、そして艶めかしい声が聞こえるにつけ、マーディーはようやく今の状態を思い出す。
「あ、あっ! ご、ごめっ――いだっ!」
ベッドの裏に頭をぶつけた。
その痛みに悶絶しながら、窮屈な空間を這い出す。
「……………………」
アンニカも反対側から抜け出ると、大きな胸を両腕で隠しながら、無言で赤い顔をよそに逸らした。
「……え、っと……ご、ごめん」
「……どうして謝るんですか。今のはわたしが原因です」
「いや、でも……ごめん」
もう一度謝ると、アンニカの目がちらっとこちらを見た。
その瞬間、元より恐怖で早鐘を打っていた心臓が、ひときわ強くドクンと鳴る。
(……改めて見ると、本当に小柄だ……)
なぜだか今更、そんなことを思う。そしていつしか、アンニカの細い肩を、ピンク色の髪を、白い首筋を、あどけない顔つきを、ぼーっと見つめてしまっていた。
すると、彼女は自分を隠すように背中を向けてしまう。
「な、なんですか……。変なところでもありますか?」
「え、あ、いや……! だ、大丈夫! これは、そう……吊り橋! 吊り橋効果だから!」
「はあ……?」
怪訝そうにするアンニカの一方で、マーディーは何度もうなずいて自分を納得させた。
吊り橋効果でもなければ、自分が彼女に見惚れるなんてありえないのだ。
廊下に出てしばらく歩くと消防斧を見つけたので、一応回収しておいた。
「……そんなもので、あの怪物をどうにかできるとは思えませんが」
「わかってるよぉ……! でも何か持ってないと不安じゃん! 僕は大した魔術使えないんだからあ……!!」
「やれやれ。魔術学院の生徒だというのに……」
「んぐぐ……!」
そう言われると何も言い返せない。
魔術を行使するばかりではなく、魔術を開発することだって学院生の務めだとわかってはいるが、心に焼きついたコンプレックスはそう簡単に消えはしない。
魔術が使えない魔術師志望。
その烙印は、きっと一生消えることはない。
「……あの怪物が、デリックさんとリリヤさんを連れていったのかな」
不意に蘇った劣等感を誤魔化すように、マーディーは呟いた。
アンニカは廊下の先を注意深く見据えながら、
「いえ……あの程度の怪物に、あのお二人が不覚を取るとは思えません」
「そう、だね……」
答えが詰まってしまったのは、それは願望なんじゃないかと疑ってしまったから。
あの天才二人が負けるところなんて想像もつかない。学生の身に甘んじているのがおかしく思えるくらいの傑物たちなのだ。
しかしそれは、マーディーやアンニカがそう思いたいだけなのではないか……?
デリックとリリヤだって、負けることくらいあるのではないか……?
そんな不安がぐるぐると胸の中を過ぎる。
「……あっ」
アンニカの声で、視線を上げた。
角を曲がった先に、光があった。
と言っても、赤い非常灯だ。ぼんやりとした赤い光が、ある部屋のドアを照らし出している。
「なんで、あそこだけ非常灯が……?」
ここまではずっと真っ暗闇だったはずだ。
それも当たり前で、閉鎖中の病院に魔力が回されるはずがない。
街や建物の明かりは霊子結晶から抽出された大量の魔力が用いられているが、それも無限ではないのだ。
「……あそこだけ、魔力が通っている……」
「非常晶源が働いてるのかな?」
「あの辺りだけ、ですか?」
「コンピュータはいきなりシャットダウンすると壊れたりもするから」
アンニカが懐中晶灯の明かりを振って、非常灯の中に浮かぶドアのプレートを照らした。
「……第二精霊管理室」
「第二――もしかしてバックアップ?」
院内の看護精霊を統御し、患者のデータを統括する精霊管理室。……なるほど、不測の事態に備えてバックアップを用意していたとしても不思議じゃない。
「……デリックさんたちは精霊管理室から連れていかれたんだよね……」
「入ってみましょう」
「わっ……! ま、待って……!」
ずんずん進み始めたアンニカを追う。
彼女は第二精霊管理室のノブをそっと回した。
「……閉まってますね」
そう言いながら、再びスカートをたくし上げて、太股のホルダーから十徳ナイフのような工具を取り出した。
(うう……仕方ないか……)
閉まっているならそっとしておきたい気持ちもあるが、天見隊の男たちの前例もある。……そういえば、彼らはちゃんと逃げられただろうか。
「開けますよ」
あっという間にピッキングを済ませて、アンニカはキィ……とドアを開いた。
マーディーは消防斧を構える。
――が、部屋の中からは何の気配もしない。
「はぁああ……今度こそ誰もいない……」
「入ります。……明かりは点けないでください。せっかく暗さに慣れた目を捨てることになります」
中は第一精霊管理室とほとんど変わらなかった。
唯一はっきりと違うのは、火事による凄惨な痕跡がないことくらいだ。
マーディーは部屋の隅に設置された黒い直方体のコンピュータにそっと触れた。
ひんやりと冷たいが、壊れた様子はない。
「こっちのコンピュータはまだ生きてる……」
「中を見ますか?」
マーディーは少し考えた。
第一精霊管理室のコンピュータは起動しない状態だった。しかしデリックなら、霊子回路から直接データをサルベージできたのではないか。
デリックとリリヤが行方を暗ましたことに、もしそのデータが関わっていたとしたら……?
(……僕たちも同じ目に遭うかもしれない)
思考を遮るように、そんな不安が過ぎった。
だがマーディーは、頭を振ってそれを追い出す。
自分にできることがそこにあるなら、やらない理由はない。
「……調べてみよう。ドア閉めて。モニタの光がさっきの怪物を呼び寄せちゃうかも」
「わかりました」
マーディーはコンソールに近付くと、消防斧をそれに立てかけた。
「えーっと……これか」
晶源を入れる。
非常晶源用の霊子結晶から回された魔力が、壁いっぱいのモニタに次々と光を灯していく。
ウゥゥウン……とコンピュータが低く唸った。
しばらく待つと、起動シークエンスが無事終了する。
マーディーはコンソールのキーボードを叩き、コンピュータ内のデータを漁り始めた。
「うあっ……多いな。ちょっとこれ全部見るのは無理だ」
「何か単語で検索をかければどうですか? 例えば――『PALERIDER』とか」
「あっ、なるほど……」
デリックが第一精霊管理室に残したメッセージ。試してみる価値はある。
「目端が利くよね、君って」
「メイドの必須技能です」
『PALERIDER』で検索をかける。
「……フォルダがひとつだけヒットした」
「『自律式医療魔術臨床実験』……?」
「医療魔術の臨床実験っていうのはまあわかるけど、自律式って……?」
フォルダを開くと、レポートらしきファイルがずらりと並んだ。
そのうちのひとつを適当に選んで展開させる。
「うげ……エルフィア語か」
「読めないんですか?」
「あ、あんまり得意じゃない……」
とは言うが、実はほとんど読めない。
中等部の頃に学院で習いはしたが、普段使いするのは五族共通語だし、論文の読み書きに使うのはドワーフィア語が多いのだ。
「仕方ないですね……。代読します」
アンニカは身を寄せてモニタを覗く。肩がぶつかって、軽くドキリとした。
(こ、こういうの気にしないのかな……。それとも)
女顔だから男扱いしていないだけか。
もしそうだったらとても抗議したいが、それをすると、アンニカのことをたまにエロい目で見ていることを赤裸々に語ることになってしまうのでやめておいた。
「――『自律式人工知能による医療魔術の行使確立を目的とした臨床実験:レポート05』」
アンニカがタイトルらしき文字列を読み上げ、マーディーは目を剥いた。
「じ……人工知能による医療魔術だって!?」
「……何かすごいんですか?」
「い、いや、だって、『医療』はドワーフィアが何十年かけても機械化できなかった分野だよ? 医療用のロボットとかマニピュレータとかもあるにはあるけど、あくまで人間の医者を補佐するもので……もし機械魔術で生き物の治癒を実現できたら、それだけでエルズバーグ賞だよ……」
「機械などに自分の命を任せる患者はいないと思いますが……」
「時間の問題さ。人間は慣れる生き物だから。……いや、ごめん、脱線した。本文読んで」
アンニカは何か言い返したそうだったが、代読を優先してくれた。
「――『ゼネラル・クリスタル・カンパニーより貸与された"PALERIDER"について、驚嘆すべき事実が発覚した。彼女――"PALERIDER"の性自認は女性である――には医療魔術の心得があるというのだ。我々は訝しみつつも、彼女の力を確かめるため、充分な魔力と実験体を用意した』」
(ゼネラル・クリスタル・カンパニー? 彼女? 性自認……? 実験体……?)
ゼネラル・クリスタル・カンパニーは、100年も前からあるドワーフィアの大企業だ。
結晶灯、
「――『実験には身元不明のまま死亡した精神科の患者を使用することとなった。死体の体表に付いた傷を"PALERIDER"が修復できるか否か。もしこれが成功すれば、生きた人間やその内臓への術式行使についても実験する予定である』」
「え……ちょ、ちょっと待った!」
「……はい」
うなずいたアンニカは、顔色が少し悪かった。
「あ、あの……これ……人体実験、だよね? 思いっきり国際法違反だよね……?」
「人間の死体に対して行使する魔術は、公的に認可されたものを除いて
このレポートでは、れっきとした犯罪をまるで誇るように記している。
一種の狂気だ、と思った。
大きな成果を目の前にした研究者が陥りがちな、盲目的な熱狂……。
「……ちょっと、少し前のレポートに戻ってみてもいい? この"PALERIDER"とかいうのがどこから来たのか気になる」
「はい……」
このまま読んでいたらレポートの狂気に飲み込まれるような気がした。
その前に、きっちり時系列を追って情報を咀嚼するのだ。狂気には理性をもってしか立ち向かえない。
「たぶんこの"PALERIDER"とかいうのが、タイトルにある『人工知能』だと思うんだけど……ゼネラル・クリスタルから貸与されたっていうのが気になる。医療魔術を使うAIなんて本当に作れたのかな……?」
「作れたのだとしても、それを世間に発表していないのも気にかかります」
「だよね。本当だとしたら世紀の大発明なのに、『できたぞー!』って言いたくならなかったのかな」
「そういう問題ですか?」
「そういう問題なんだよ、割とね」
一番日付の古いレポートを開いた。
ビッシリと敷き詰められたエルフィア語が目に飛び込んできて、反射的に読解力が沈黙する。
「……お願い」
「自習をしたほうがよさそうですね」
自分の研究以外の勉強は苦手なのだ。
アンニカはモニタに映ったレポートにさっと目を通して、
「っ……!?」
「……? どうかしたの?」
「いえ、その……一言一句、脚色なしで訳します。いいですね? わたしの創作ではありませんから」
「え、うん……?」
意図を読めないでいるうちに、彼女はレポートを訳し始めた。
「――『ゼネラル・クリスタル・カンパニー(以下GC)より、奇妙なAIマギグラムが貸与された。このAIの略歴について、GCの担当者はにわかには信じがたい"いわく"を我々に語った。その"いわく"について、我々はすべてを信じているわけではない。しかし、本稿をより正確なものにするために、その"いわく"をここに記すことを序論に代える』」
「――『"PALERIDER"と名乗るそのAIは、実はGCの技術者によって開発されたものではない。遡ること約120年前、五族協定歴311年。当時、創業8年にして富と名声をほしいままにしていたGCが霊子結晶を採掘していた折、スティック状の奇妙な物体が出土した。当初は石器の類かと思われたが、天才発明家にして"結晶王"、トレヴァー・エルズバーグによって、その正体が判明する』」
「――『それは記録媒体だった。そう、現代の我々が使用するUSBメモリによく似たものだったのだ。当時は霊子演算機が発明されたばかりで、たった4桁の数字の計算に礼拝堂を埋め尽くすほどの複雑な回路を必要としていた時代だ。その技術は時代を大幅に超越していた』」
「――『さらに驚くべき事実があった。その記録媒体が出土したのは当時から数えて1000年から600年ほど前の地層だった。すなわち、神代――未だ人間が100年を優に超える寿命を持ち、精霊や魔物が地上を跋扈していた世界に、デジタルな記録媒体が存在していたことになるのだ』」
「――『エルズバーグは生涯をかけて記録媒体を解析しようとしたが、ついぞ彼が生きている間に技術が追いつくことはなかった。それから神代の記録媒体――当時は"
「――『研究者たちは愕然とした。なぜか? 記録媒体に保存されていたのは、ひとつの知性だったのだ。すなわち人工知能――AIである。それも神代に作られた人工知能だ。研究者たちが興奮しないわけもない。彼らはより詳しく調べるため、記録媒体に魔力を通し――記録媒体は演算装置としての機能も有していた――神代のAIを起動した』」
「――『研究者たちは凍りついた。起動されたAIは、彼らには理解できない言語を話した。おそらくは神代の言語だったのだろう。挨拶をしているようにも唄っているようにも、あるいは踊っているようにも聞こえる極めて豊潤な言語だったそうだ。そして、それゆえに、GCの誇る天才研究者たちは揃って発狂した』」
「――『猿になったかのようだった、と研究者たちは語ったそうだ。あまりに豊潤すぎる言葉を耳にし、そのために、彼らは神代との間に隔たる圧倒的な文明格差を思い知ったのだ。その感覚は、頭脳を生業として生きる彼らには決して耐えられないものだった』」
「――『GCの担当者はそのときの録音も渡してくれたが、技術者や研究者が聞くのは絶対にやめたほうがいいと語った。曰く、"PALERIDER"の言葉は才能を破壊する。決定的に自尊心を挫かれた天才は、もはや天才ではなくなってしまうのだ。尤も、神代の怪物たちの前では、現代の我々など十把一絡げでしかないのだが、と彼は自嘲的に笑っていた』」
「――『そういった経緯があり、"PALERIDER"は一度は凍結されたものの、研究は続行されることになった。なぜかと言えば、"PALERIDER"とコミュニケーションができる研究者が現れたからだ。彼は優秀ながらも自尊心に乏しく、でありながら不屈の精神を持つ希有な人材だった。"PALERIDER"の研究は外部の研究者であった彼にアウトソーシングされた。結果、"PALERIDER"は現代の言葉を学習して無害化し、自らの能力について語り始めた』」
「――『その能力の検証こそが本実験の主要目的である。神代のAI"PALERIDER"は驚くべきことに、医療魔術を使用できると語ったのだ』」
ふう、とアンニカが息をついた。
彼女の口を借りて語られたレポートの内容に、マーディーは息を忘れて魅入られていた。
「し……神代の……AI……?」
眉唾ものだ。到底信じられるものではない。理性はそう言う。そう言うのに――
惹かれる。
途方もなく魅了される。もっと詳しく知りたいという欲求が止めどなく湧いてくる。
そうか、とマーディーは気付いた。
これだ。前に読んだレポートに漂っていた狂気の源泉は、これだったのだ。
だとしたら――怖気が走る。
学生ながらも研究者の端くれとして、マーディーにはわかってしまう。
この研究のためなら、きっと何でもやってしまう。
「……まったく。とんでもない与太話ですね……。大の大人がこんなものを信じたとは到底――」
「先を見よう」
「え?」
「レポートの、できるだけ最後のほうを。……怖いけど。見たくないけど。でも、たぶんそれが、僕たちの現在に繋がってる」
フォルダから、最新の日付のレポートを開いた。
相変わらずのエルフィア語だったが、マーディーにも一見でわかった。
これまでとは、タイトルが違う。
「――『医療AIを利用した人工生体精霊製造実験』……」
生体精霊。
その単語に、マーディーもアンニカも息を止める。
生体精霊とは、動物の身体に走る天然の霊子経を回路として使用し、組成された精霊のことだ。
実体を持っているので、通常の精霊よりも強い強度がある。しかし――
「……これは、何の言い訳も利かない、完全なる
「わかってる……。人間の死体を使ってるんだろ?」
「ええ……そう書いてあります」
アンニカはレポートの一部を訳して読み上げた。
「――『人間、マウンテンゴリラ、ヒグマの死体の一部を使用し、生体精霊の製造に成功した。以後、これを"
案の定だ。
ついさっき遭遇した怪物と、特徴が完璧に一致する……。
「『人間の死体を用いた生体精霊の製造』――《ノルダールの十戒》の4番目だ。バレれば研究チーム丸ごと電気椅子行きだ……」
「一体どうして、こんなものを作ることになったんでしょうか……。非合法とはいえ、最初は純粋に医療魔術の可能性を研究していたはずなのに」
「中間のレポートを読めばきっとそれも――」
――ヴヴンッ。
モニタにノイズが走った。
「あれ? 急に調子が――」
――プツッ。
すべてのモニタが一斉に切り替わった。
何も映っていない、真っ黒な――いや、違う。
暗い部屋だった。
闇に満たされた部屋の中に――ぼんやりと、ひとつの人影が佇んでいた。
全身から血の気が引く。
画面の向こうにいるはずの人影は、こちらの顔を見つめていた。
『――――みたな?』
プツッ、とモニタが暗くなる。
コンピュータも稼働をやめた。
低い唸りが消え、辺りが静寂に満たされ、
――ぞる……ぞる……。
引きずるような音が聞こえてくる。
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