第1章 痴話喧嘩アカデミア - Boy_fights_girl - 

第1話 エドセトア魔術学院の朝


「アーンーニぃーカぁーっ!!!」


 由々しき事態であった。

 そろそろ設立50年を数えようとしているエドセトア魔術学院史上、これはトップクラスに由々しき事態であるに違いなかった。

 だからリリヤ・エクルース・フルメヴァーラは、朝っぱらからエルフィア出身者用女子寮《天女の家ヴァルキリー・ハウス》を震撼させる。ガシャーンとどこかから皿を割るような音が聞こえてきたが、今は構っていられない。


「アンニカっ! いないのー! アンニカぁーっ!!」

「――お呼びでしょうか、リリヤ様」


 扉を開けて部屋に入ってきたのはメイド服の少女だった。肩の辺りで二房のおさげに結われた髪は、反射の加減でピンク色に見える。


「いかがなされましたか、淑女らしからぬ声をあげて。あまりの大声に給仕中の家事精霊シルキーたちにノイズが走っていましたよ」

「大変よ! 大変なのよ!」

「できれば具体的にお申し付けいただければ。櫛が見つかりませんか? それともヘアゴムですか」

「違うわよ! それだと私が失せ物をしてばかりみたいじゃない!」

「失礼致しました。しかし、そうすると、わたくしには皆目見当もつきません」

「失せ物以外に可能性はないの!?」


 まったくもう、とリリヤは自らの長い金髪を軽く払いながら嘆息した。

 この桃色髪の少女――アンニカ・エルッコは、小さな頃から尽くしてくれている専属のメイドだ。よく働き、よく気がつき、そしてよく従う。けれど、どうにも下に見られているときがあるように思えてならなかった。魂的にも肉体的にも年下なのに。


「そうじゃなくて、メールよ、メール! 何なの、今朝来てたアレは!」

「……アレですか。その前にリリヤ様、ネットが苦手だからと言って個人的なメッセージのやり取りまでわたくしに代行させるのはいかがなものかと」

「今はお小言はいいの! アレは何なのって訊いてるの!」

「恐れながら……文面の通りです」


 沈痛に瞼を伏せて、アンニカは小さく頭を下げた。


「わたくしは一文字たりとも触れておりません。デリック様より受信したメッセージを、そのままお送り致しました」

「……な……な……!」


 リリヤは顔を赤くしてぷるぷると震える。

 今朝起きて最初にチェックした、婚約者デリック・バーネットからのメッセージ。問題はそこにあった。

 何が問題だったのか?

 端的に言えばこういうことだ。


「う―――浮気よーっ!!!」




※※※




 ――雨の音が聞こえる。

 しとしとと、どこか物悲しく染み入ってくる雨の音が。

 これは……いつのことだっただろう?

 思い出すのは、撒き散った血の匂いと、すっとまっすぐに射す光……。

 確か、これは―――


「―――さん? そろそろ起きてください、義兄にいさんっ!」

「…………んがっ」


 目の前に、銀髪の少女の顔があった。

 精妙な氷細工のような美しさを、朝日が横ざまに淡く照らしている。今にも溶けてしまうのではないかと、そんな儚さを感じさせて、デリック・バーネットはそっと手を伸ばした。


「……君は、天使か……?」


 銀髪に触れながら言うと、少女はきょとんと眉を上げる。


義妹いもうとですけど。よく起き抜けにそんなおべんちゃらが出てきますね、義兄さん?」

「……ん。あ……れ、レイヤか」


 だんだん意識がはっきりとしてきた。

 怒ったような顔で覗き込んでいるのは、義妹のレイヤ・エクルース・フルメヴァーラだ。デリックの婚約者、リリヤ・エクルース・フルメヴァーラの妹である。

 レイヤは可愛らしい顔をむすっとさせた。


「もしかして、今、姉さんと間違えました?」

「あ? いや――」

「デコピンいっぱつ」


 ピン、と額を指で弾かれる。大して痛くもなかったが、


「ぐうおおおおおお!! 頭蓋骨があああああああ!!」

「はいはい」


 ブルーシートの上を転がって悶絶してみせるデリックを、レイヤは慣れた様子で起き上がらせた。


「……ん? なんか背中が痛てえな」

「こんなところで寝るからですよ」


 言われて自分が寝転がっていた場所を見下ろすと、薄いブルーシートがあった。

 デリックが寝ていたのは、薄暗いガレージの床だ。

 エドセトア魔術学院の敷地内にある、第一機械魔術研究室所有の工房である。

 身体の周囲には、ネジやゴム管などの部品パーツが、子供が遊んだ後の積み木のように散らばっていた。


「あ~……魔術機剣の最終調整をして、そのまま寝オチしちまったのか……」

「まだ暖かい季節ですけど、こんなことしてたら風邪ひいちゃうんですからね。ほら、さっさと制服に着替えちゃいましょう。はい、ばんざーい」

「子供か!」


 と言いつつも、デリックは大人しく両手をあげる。

 銀髪の少女は作業着を脱がせると、半裸になったデリックの胸板をすりすりと撫でた。


「ふふふ。役得役得」

「……寒いんだが」

「ああ、すいません。何度見てもえっちな筋肉でつい」

「オレの筋肉を猥褻物呼ばわりするのはお前だけだぜ、レイヤ」


 そして本当に扇情的なんだとすれば、彼女の行為は男が女子のおっぱいをおもむろに揉みしだくのとあまり変わらなかった。

 義理の兄妹という枠を若干越えた行為のようにも思うが、デリックは大して気にしない。


 ――デリック・バーネットの最終目的は、許嫁であるリリヤの殺害である。


 もしその目的が達成された場合、互いの家の事情――より厳密には族領クラスタの事情――で婚約しているデリックの許嫁は、自動的に妹のレイヤに移動することになる。

 つまり、彼女はデリックにとって、未来の妻なのだった。

 それを抜きにしても、よく懐いてくれるし甲斐甲斐しく世話してくれるし、可愛げという点であの女とは比較にならない。結婚するなら絶対こっち。


「はい、お着替えおしまいです。朝ご飯食べに行きましょうか、義兄さん。わたし、サンドイッチ作ってきたんです」

「おお、助かる。お前はホントいいお嫁さんになるぜ。リリヤと違って」

「じゃあ義兄さんがいい旦那様になってくれますか?」

「リリヤの奴を修道院にでもブチ込んだらな。あの自堕落な本性も直せるしレイヤとも結婚できるしでWIN-WINだな」

「くすくす。期待して待ってますね?」


 レイヤは小さく握った拳で口元を隠し、軽く肩を揺らす。

 ほら可愛い。


「んじゃ、朝飯ついでに研究室に寄るか。……っと、その前に――」


 ブルーシートの上でほったらかしになっていたを取り上げる。

 これが昨夜遅くまで調整していた特製のブツだ。心地のいい重量感に、知らず笑みが零れてしまう。


「ふふふ……くっくっく……何度見ても完璧……試運転はまだだが、これがあれば今度こそ……」

「怪しい笑みが漏れてますよ、義兄さん。ホントに機械が好きなんですね?」

「機械はいい。無駄なものがひとつもない。極限まで効率を追求した機能美は一種の芸術だぜ」


 生まれ変わり、第二の生を得てから、デリックの趣味は機械いじりになった。

 何せ前世の時代――現代いまでは神代と呼ばれている――には、機械技術なんてものは影も形もなかったのだ。興味を抱かないほうがおかしい。


 神代から1000年。長い時間の中で大気中の魔力が枯れ、魔術の出力は大幅に落ちた。

 その代わりとして人類が磨き上げた力が《科学》である。

 もはや世界は、神や精霊にばかり支配されるものではなくなった。人が自分の力で打ち破ったのだ。

 デリックは後輩にして先輩たる先人たちに、多大なリスペクトを感じていた。


「これでよし……と」


 テーブルの上のケースにを納め、三重のロックをかける。

 放課後に試運転をしよう。今から楽しみで仕方ない。


「に・い・さんっ」


 片腕にバスケットを提げたレイヤが、じゃれるように腕を絡めてくる。


「いちゃいちゃデート気分で登校しましょう。姉さんを相手するときに備えて予行演習です」

「あいつは自分から腕を絡めるようなこと、死んでもしねえけどな。腕を組んで仁王立ちすることはあるが」

「あははっ」


 シャッター横の扉から工房を出る。


「おっ。いい天気だな」


 抜けるように青い空を見上げると、太陽の手前を細長い《予報龍》が横切っていた。


『本日のエドセトアは、快晴。平均気温、22度。降水確率、0%。湿度、34%。平均霊圧、83%です。霊子事故もなく、穏やかな一日となるでしょう――』


 珍しくどこかに出かけたくなるいい天気だ。アレの試運転をかねて、放課後にでもレイヤを誘って――


「――見つけたぞッ! デリック・ヴァーネット!!」


 そのとき、穏やかならざる声と共に、鋭いレイピアの切っ先がデリックの顔を襲った。




※※※




 マーディー・ハスラーはエドセトア魔術学院高等部1年に所属する男子学生である。

 繰り返すが、学生だ――背が全然伸びないのと極端に童顔なのとで女子に間違われることも多いが、ちゃんと喉仏だって出ているし女の子にも人並みに興味がある。好みのタイプは自分より背の低い女子だ。


 高等部の生徒は全員が何らかの研究室に所属しなければならないのがエドセトア魔術学院の決まりだが、マーディーの所属は第一機械魔術研究室といった。

 学院に通うドワーフィア人の多くが第一志望にする人気の研究室ゼミで、今は特に、学院で最も有名な生徒の一人が所属していることで注目を集めていた。


「ふわーあ。よく眠れたあー」


 欠伸しながら仮眠室を出たマーディーを、担当教官のミノーグ准教授が死んだ魚のような目で見やった。


「マーディー君……特に作業のないときまで仮眠室に泊まるのはやめてくれないかな……」

「いやあー、僕、もうここのベッドじゃないと寝られないんですよねー」

「まあ……たびたび論文を手伝ってもらっている手前、強くは言えないけどもね……」

『コレハ ゲンロントウセイ ダ。カクメイ セヨ。カクメイ セヨ』


 ミノーグ教官の膝の上で、猫型ロボットの《ココ》が物騒な機械音声を発した。

 教官は黒ずんだ隈のある目でココを見下ろし、優しく背中を撫でる。


「ココのAI、リセットしないんですか?」

「とんでもない……。この子はぼくの子供だ……。ちょっと教育を間違えて、過激な政治発言と陰謀論しか口にしなくなっただけでね……」

『ワレワレハ カンシ サレテイル。エシュロン ヲ ハカイ セヨ』

「フフ……そうだね……ぼくらの通信はすべて政府に傍受されているね……フフフフ……」


 相当疲れているみたいだなあ、とマーディーは思った。論文が大詰めになったときは大体こんなものなので、そっとしておくことにする。


「さーって、デリックさんのとこにでも行こっかなー」


 昨夜、魔術機剣の最終調整をすると言っていたので、どうせ工房で寝オチしているだろう。

 デリックは敬愛する研究室の先輩だ。寝オチしたときに起こしに行くのは忠実な後輩の責務と言えた。


 とりあえずモーニングコールでも入れておこう、とポケットから小型タブレット状の機械式情報精霊ブラウニーを取り出す。

 画面上で指を滑らせ、いつも使っているトークアプリを立ち上げて、


「……ありゃ? 繋がんない」


 通話を飛ばそうとしてもエラーが返ってくる。霊波はちゃんと入っているのに……。

 うーん? と首を傾げるマーディーに、ミノーグ教官が言った。


「ああ……そのトークアプリ、今朝から使えないよ……」

「え、そうなんですか? なんでだろ。なんか問題が起こったのかな……。ま、いいや。直接行こっと」


 資料や霊子演算機コンピュータ、ゼミ生の私物などでごみごみとした研究室を横断して、入口の扉に手をかける。

 と。

 ガラッと、マーディーが開く前に、扉のほうが勝手に開いた。


「あ」

「……………………」


 ピンク色の髪の女子が、敷居の向こうでかすかに眉根を寄せた。

 マーディーよりも小柄な身体と、反して隠しきれないほど育った胸とを、学院指定の制服で覆っている。頭の上にはちょこんと白いヘッドドレスがあり、申し訳程度に自分の立場を主張していた。

 アンニカ・エルッコだった。先輩であるデリックの婚約者であるリリヤの専属メイドである女子。マーディーからは結構遠い間柄だ。


「……なんだよ。何か用?」


 マーディーは棘を隠しもしない声音で尋ねた。


「……別に。あなたには用はありません。これっぽっちもね」


 アンニカのほうもまた、棘のある声で答えてくる。

 この女子とは性格的な面と信条的な面とその他諸々の面でウマが合わないのだった。

 アンニカは軽く背伸びをして、マーディーの肩越しに研究室を覗き込む。


「デリック様はいらっしゃいますか?」

「……? 今日はまだ来てないけど?」

「そう。ここに逃げ込んだかと思ったのだけど……」


 ――逃げ込んだ?


「では――中で待たせていただきます」


 アンニカがすっと右手を挙げた。

 直後、彼女の後ろからレイピアを帯びた男子たちがどっと押し寄せてきた。


「わっ! わっ!? わあーっ!?」


 マーディーは彼らに研究室の奥まで押し込まれ、資料の山を派手に崩して転ぶ。


「ぷはあっ!」


 紙の海からどうにか生還したとき、研究室はすっかり見知らぬ男子たちに占拠されていた。

 誰もが180センチほどもある長身で、色素の薄い髪と肌のエルフィア人である。


「なっ、なっ、なんだお前らあーっ!! ここは僕らの研究室だぞっ!!」

「恨むならあなたの大好きな先輩を恨むことです」


 白い肌の高身長イケメンたちがおもむろに頭を下げたかと思うと、その間からピンク髪の少女が進み出てきた。


「わたしたちはリリヤ様の指示のもと、あなたの先輩の不義理を弾劾しようとしているだけ。これは正当な蛮行です」

「不義理だってっ!? デリックさんが浮気でもしたっていうのかっ!?」

「ええ、その通り」


 アンニカは嘲るような笑みを浮かべると、くるくると指先で虚空に魔術陣を描き、鳥型の精霊を喚び出した。

 精霊魔術式の情報精霊ブラウニーだ。彼女たちエルフィア人は伝統的に機械仕掛けを嫌う文化を持つ。

 ツバメに似た精霊がキエーと鳴くと、クチバシの先にホログラム・ウインドウが展開した。

 そこに映されていたのは、トークアプリでのやり取りだった。

 それを読み、マーディーは瞠目する。


『すこしは眠れた?(^o^)

 きのうはごめんね、ヤりすぎちゃって>ω<

 だけど、これも愛の表れだからさ(*^_^*)

 よかったら、今夜も会いたいな!(≧∇≦)』


 宛先はリリヤ、発言者はデリックとなっている。


「あ……ああ~……」


 マーディーは顔を覆った。

 目も当てられない。

 画面の上に見切れている他のやり取りから察するに、明らかに普段のノリではない。思いっきり誤送信だった。思いっきり浮気だった。

 しかも顔文字と文面から痛々しさとクズクズしさが同時に匂い立つ。


「わかったでしょう? リリヤ様はデリック様と相手の女を見つけ出して市中引き回しの刑にかけろと仰せです。さすがというか、逃げられてしまいましたが」


 そりゃそうだよ、と反射的に思ったマーディーだったが、「いやいや!」とすぐに思い直す。


「こんなの何かの間違いだ! デリックさんは浮気なんてする人じゃない!」

「ああそう。よかったですね。擁護したければ好きなだけどうぞ。わたしは聞きませんが」

「うわっ! ちょっ、痛いって!」


 マーディーはエルフィア男に取り押さえられ、アンニカはすたすたと立ち去っていく。

 ミノーグ教官が疲れた溜め息をつきながら、カタカタとキーボードを叩き続けていた。


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