第80話 最後の一刃
「……あ……かはっ……」
アメルは震える腕をついて必死に身を起こした。
肘ががくがくと震えている。せっかく持ち上げた体が、べしゃりと地面の上に落ちてしまう。
アメルは小さく咳き込んで、唾液と共に血を吐いた。
息を吸うだけで、全身の骨がばらばらになったかのように痛かった。地面に擦った肌も痛かったが、体の芯の痛さはそれ以上だった。
骨……折れちゃったのかな……
胸に手を当てて、軽く押してみる。
びきっ、と電撃が走ったかのような激痛が生じ、彼女は顔を顰めた。
多分……折れてる……
はぁはぁと荒い息を吐きながら、前方に目を向ける。
遠くにいるキラーボアが、こちらに狙いを定めて頭を低くしている様子がぼやけた視界に映った。
駄目……立って、逃げないと……
でも、力が、入らない……
アメルは腕に残っている最後の力を使って、鞄の中をまさぐった。
そして、ハイポーションの瓶を何とか引っ張り出した。
蓋を開け、噛み付くような勢いで瓶の口を口の中に含み、中の液体を一気に飲み下す。
苦い薬だ。いつか齧ったアメルの花を思い出す味である。
しかし、今はそんな小さなことを気にしている場合ではない。
薬が効いたのか、全身を蝕んでいた痛みが薄れた。完全に消えたわけではなかったが、我慢できる程度には落ち着いた。
キラーボアが駆けてくる。
アメルは両腕で地面を押し、その場を勢い良く横に転がった。
頭のすぐ横を、キラーボアの足が踏み抜いていった。生じた風に髪を引っ張られる感覚を感じながら、彼女は空になったハイポーションの瓶を握り締めて立ち上がる。
随分と体力を消費してしまった。彼女は全身で呼吸をしながら、自分がもうあまり長い時間は戦えないことを悟った。
……お願い……私の体、もうちょっとだけ頑張って……
駆け抜けていったキラーボアが、大きく弧を描きながら再度突進してくる。
アメルは持っていた空の瓶を、キラーボアの足下めがけて投げつけた。
瓶が地面に落ちる。それを、キラーボアの足が踏みつけた。
冒険者が持ち歩く薬品の瓶は、戦闘の衝撃で壊れないように考慮されて普通のガラスよりも頑丈な特別な素材で作られている。魔物に踏まれたからといって壊れるような代物ではない。
踏まれた瓶がごろりと転がる。それはキラーボアの足を攫って、転ばせるには十分な代物だった。
キラーボアが体勢を崩して派手に転倒した。そのお陰で、今まで見えていなかった腹の下が露わになる。
そこをめがけて、アメルは双剣を構えながら走った。
双剣は小さいから、背中を狙っても効果は薄い……致命傷を与えるには、此処しかない!
アメルは双剣を、キラーボアの胸の中心を狙って突き立てた!
それは、キラーボアの心臓がある位置だ。
キラーボアが悲鳴を上げる。脚を突っ張らせ、身を捩って暴れた。
アメルは双剣を手放さない。深く深く、全てを貫こうとするかのように肉を抉っていく。
ぶぎ……ぶぎぃ……
暴れていたキラーボアの全身から力が抜けていく。
びくんびくんと脚が痙攣し、口から涎を零して、目の前を力なく睨みつけて──
「…………」
ほう、と息を吐いて、アメルは双剣から手を離した。
一歩後ろに下がり、横たわったキラーボアの全身を見つめる。
……やった……
よろりとよろけて、尻餅をついた。
空を見上げて、じんわりと込み上げてきた勝利の実感を深く噛み締める。
……私……勝てた。自分の力だけで、この大きな魔物に勝てたんだ……!
仄かに香る血の臭いも、嬉しさの前にはちっとも気にならなかった。
彼女は深く息を吸って、満面の笑みを浮かべた。
彼女の偉業を讃えるように、遠くから吹いてきた風が彼女の髪を躍らせて街の方へと向かっていった。
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