第018話:朋代 in 朋代

「ただいまぁ」


 誰もいない家。暗がりの玄関で、手探りに電気のスイッチをつける。鍵は忘れずに後ろ手でかけておく。誰かに聞いてもらっていないものだとしても、ただいま帰りましたという宣言はした方がいい。そう思ってる。少なくとも、仕事モードとのオンオフを切り替える儀式として役にも立つ。だから、独り暮らしだって毎日そう言っている。

 ただ、今の状況はちょっと違っていて。誰もいない実家に、「ただいま」と言って帰ってきたのは、もう、何年ぶりのことだろう。大学生になって、ここを出て、独り暮らしをし始めて。10年も経ったかな。実家に帰ってくるときは、いつも駅までお父さんが迎えに来てくれるようになったから、私がこの家の敷居をまたぐのは、いつもお父さんと一緒で。それが、何でもないようなことだったけれど、今、こうしてまた高校時代に戻ってきて、この広い家なのに独りなんだということを実感させられると、ちょっとつらいものがある。


「と、しんみりしちゃーいかんぞっと」


 靴を脱ぎ、手洗いうがいをサッと済ませてしまおう。シャワーを浴びたらビールの一杯でも、といきたいところだけれど、今は未成年な我がボディ、口惜しいことに法の魔の手に搦め捕られてアルコールを意のままに摂取できなくなっているのだ。独りだと実感するつらさよりきついかも。うん。

 先刻の宣言通り、帰宅後の義務を果たし終えたので、鞄を投げ出しリビングのソファにダイブ。クッションもふもふ。癒されるわー。


「あー。はふぅ。はわー……」


 しばし現実逃避するように何も考えずモフっていたが、いつまでもずっとこんなことしている場合じゃなく、お父さんとの二人暮らしということは、夕餉の支度を私がしなくてはならないということではないのかな。コンビニ弁当で済ませたいんだけど。マジで。ただ、この頃は私、毎晩ご飯ちゃんと作っていたよなあ。女子力高かったよなあ。何で大学生になって堕落したんだろう。女子力を取り戻せ。いや、そんな主体的で積極的な姿勢はもはや無理だ。女子力よ降ってこい。これでいこう。受け身万歳。


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「ただいまぁ」

「おかえりぃ。夕飯できてるよ。先食べる?」


 自堕落な我が精神に克己した――我と己が重複表現?――私は、めでたく夕ご飯の支度を調え終え、おちちうえのお帰りをお迎えすることができたのであった。まあ、パスタ茹でてチャッチャッとインスタントのバジルソースつっこんだだけの、簡単なモンだけど。しかも洋風スープがないことに後から気づいたから、ジェノベーゼに味噌汁っていう組み合わせだけど。うん、まあ、いいんじゃないかな、和洋折衷ってことで。


「あー。そう、だな……、先、食うか」


 時計を確認してから判断する我が父。お父さんは、夕食を終えてから必ず二時間以上を経ないと入眠しないと決めているのであった。この頃からずっとそうだ。何でも、胃もたれしやすいらしい。日本人は胃弱だ的な歌がそういやあったような。この頃だったっけ。


「おっけー。じゃあ、座って待ってて。あ、手ぇ洗ってうがいだけはしといてよ」

「言われるまでもねぇ」


 ダイニングテーブルに、クロスを敷いてサッサッと盛り付けた皿を置いていく。今の実家……、あー、今、っていうか、2014年のね、実家に置いてある食器と種類が違うし、色々と置いてあるものの場所が違うからなかなか戸惑うことは多いながらも、一通りの準備はできた。食卓にお父さんを迎える。もちろん、ビールの備えまでばっちりだ。


「おお? どうしたお前」

「は? 何が?」

「グラスまでキンキンに冷えてるじゃねぇか。気が利くなおい」

「やー、まあ、常識でしょこれくらい。はい、どぞー」

「何か勉強したのか? お、それくらいでいい。……んん? 泡の立て方も絶妙だな、何かあったのか本当に」

「やー、ははは」


 ちょっとね、社会人として他社の重役の接待をね、ははは、ははは。そんなこと言えるわけもないので、ははは、と笑ってごまかす。ははは。こやつめ。ははは。こう笑っておけば人生のだいたいはクリアできる。社会の荒波で学んだ。ははは。


「私はね、ウーロン茶で申し訳ないけど、かんぱーい。今日もお仕事、お疲れ様でした」

「お? おお……、かんぱい。……お前、ほんとに何かあったのか?」


 ものっすごい怪訝そうな表情を浮かべてグラスをカツンと鳴らしているお父さんを見て、いやー、やっぱわっかいわー、と思う。だって、うちの上司より若いんですもの。39歳。ひょえー。


「お仕事って大変だよね、わかる、わかるよ、うん。せめて、この一杯で明日への英気を養ってくださいな」

「あ、ああ……」


 割と引かれてるような気がするのだけれど、社会人OLオーラを出し過ぎてしまっただろうか。もっとフレッシュなJKオーラを出していかないとならないかもしれない。いやでも、無理ですよ、おうちでまでそんな。制服に袖通して学校にいるからこそ、JKであろうという覚悟も決まるってもんだけれど、こんな、実家で気張れないですよ。むりむり。ニーヨンサンロクゴ対応はできませーん。

 では、家でリラックスして素の自分を出すには、どうしたらいいか? と私は、バジルソースをこさえながら考えていた。それはやはり、お父さんに、私が未来から来たということを打ち明けるしかない。そうしないことには、私は、おうちでもお父さんに気を使ってJKっぽく振る舞わないとおかしくなっちゃった人扱いされかねないのである。フリーダムに恥じらいの薄れた三十路女子の精神を取り戻すためにも! 私は! 今! 告白しよう!


「ねえ、お父さん。驚かないで聞いて欲しいんだけど」

「……なん、だよ? 彼氏でもできたか?」

「できないっつの! できないんだよそれは!」


 言っていい冗談と悪い冗談の区別くらいつけてよ、分別ある四十路なら!


「わ、わかった、わかった! そこまで怒るこたねぇだろ、まったく……、で、なんだよ?」

「あー。私ね。私のことなんだけどさ」

「おう?」


 ……。ここで、溜める。深刻な表情を浮かべる。さあ、いこう。賽は投げられた。


「未来から来たの。2014年から。信じてくれる?」

「悪いこた言わねぇから、今日はもうさっさと寝とけ。食器片づけといてやるから」


 ですよねー。

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