13.落ちていく
それからのミナは、そういう気持ちで、それはそれで日々をそれなりに楽しく過ごせていたのだけど、
調子を保てなくなったのは、イチが別の女のコに声をかけているらしい、という話を聞いてからのことだった。
その話を聞いたとき、ミナの視界は真っ暗になった。
その話は、イチがもう本当にミナのことを愛していないという事実をミナに突きつけた。
そうなってみてからミナが初めて気づいたのは、イチに別れを告げられてからも、ミナはまだそれを受け入れてはいなかったのだということだった。
イチがまだミナのことを愛しているだろうという期待を、ミナはどこかで持ちつづけていた。
あんなにもまっすぐに愛してくれたイチの愛が本当に消えるなどとは、思考の中では受け入れたつもりになっていても、本心ではほとんど信じていなかったのだ。
今は一緒には過ごしていないけれど、気持ちはどこかでお互いに向けて残ったままだろうという期待があって、その期待が、それまでのミナを支えていた。
それがいざ無くなってみると、ミナはもうどうしていいのかまったくわからなくなってしまった。
それからのミナは、何を見てもイチを思い出してしまい、生活がイチであふれてしまうようになった。
ミナの母が新しく挑戦したという料理が夕飯に出されると、この料理についてイチならば何と言うだろうかと思った。
ミナの部屋にイチからもらった小物などが残っているのを見つけると、ミナの部屋にイチがくれた小物があるという事実をとにかくイチに言いたいような気持ちになった。
二人でそのうち行ってみようと話していた場所がテレビで紹介されると、もう決して実現しないその話を思い出すのがいたたまれなくなってテレビを消すのだが、それでも涙をおさえることはできなかった。
風呂で体を洗っていると、もっとたくさんイチに抱かれればよかったと思い、付き合っているときにそこまで貪欲に求めなかったのは、
やはり心のどこかでこの恋が終わることはないと油断していたのだと気づかされて、打ちのめされるのだった。
ベッドで眠ろうとすると、今このときにもイチは新しい女のコに愛をささやいているかもしれないと、想像は止まらなくなるのだった。
ミナに言ったのと同じことを言うのだろうか、同じことをするのだろうか。
それとも、ミナには決して見せなかった表情を、イチはその女のコには見せるのだろうか。
ミナといたときと同じような喜びを、イチはその女のコと過ごしながら得るのだろうか。
ミナといるときと比べてずっと楽しいと思うのだろうか、それとも、そもそもミナのことなどイチの思いには少しも入り込まないのだろうか。
そのとき、イチの中でミナの存在は消えているのだろうか。
その女のコは、イチの愛にきちんと応えられるのか、ミナほど上手くイチを喜ばせられるのか。
その女のコはイチのことをちゃんと愛しているのか、イヤな女にだまされているのではないだろうか。
イチにはミナしかいないはずではなかったのか。
あんなに熱烈に愛してくれたものが本当に消えるものなのだろうか。
イチが新しい人を見つけたというのなら、ミナもいつか新しい人を見つけるのだろうか。
そんなことはとても起こりそうもない、信じられない。
とても受け入れられない、信じられない!
果てしない問いかけ。応える声は無い。
そうして、ずいぶん長い時間がたってから落ちる、夢の中。
優しくミナを見つめて、ミナが期待するよりももっと喜ばせてくれるイチがそこにいる。
綺麗な景色の中を歩きながら二人でわけもなく楽しく笑って、ミナは「結婚しよう!」と叫びたくなる。
幼い子供のミナとイチが、当たり前のように二人で遊んでいる。
ミナがいくら話しかけても、イチはふてぶてしく押し黙って一言も発しない。
さっきまで一緒にいたはずのイチを見失ったミナは、恐怖と混乱にまかれてめまいを起こして気絶する。
くり返し、くり返し、喜びと絶望の支離滅裂なくり返しに翻弄される。
そんな夜をこえて、朝起きたミナが最初に思うことは、イチに「おはよう」と言いたい、ということだった。
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