普通に暮らす

水宮うみ

普通に暮らす


 悲しいことに妹の未来予知どおり快晴だった。

 考えるのをやめた哲学者の眼で窓の外の青空を見ていると、妹がわたしの部屋を開ける。

「ふうちゃん、起きて―。朝だよー」

「起きてるよ」

「布団から出ようよ」

「嫌だ」

「陽が昇ったら布団から出なくちゃ行けないのはこの世の掟だよ。起きてー」

「なにしれっとおやじギャグ言ってるの。箱子まだ小学生でしょ」

 言いながら起き上がる。今日は校内マラソンの日。ほとんどの女子高生と同じように、わたしは走るのが嫌いだ。

 なぜ人は走るのか。移動するために決まっている。同じところへ帰ってくるために走るなんて馬鹿なんじゃないかと思う。それに移動するためなら、自転車も車も電車もあるし、走る必要性に迫られることなんて普段そんなにないだろう。

 健康のため。確かにそれは一理ある。が、少なくともこんなに寒い真冬に走るのは確実に体によくない。

 なにゆえわたしたちは走らされるのか。

 などと思いながら制服に着替え、一階に降りる。

「おはよう~。もう七時半だけど大丈夫?」

「どちらかと言えば大丈夫ではない」

「ココちゃんはもう小学校行ったわよー」

「箱子は優秀だなぁ」

 箱子は良い子だ。優しいし真面目だし、未来予知もできる。

 箱子が生まれて初めて発した言葉は未来予知だった。たたたーと走る幼児を見て箱子は一言「ころぶー」と発し、母親が「シャベッタアアア」と言い、幼児が転んだ。

 その後も箱子は未来予知を連発し、周囲からはすごいすごいと言われ続ける。いじめられたりしないのは、たぶん行っている学校が良い学校なのだろう。

 中学生になったら距離を置かれたりするかもしれないから、予防策を考えとかないとな。わたし一応あの子の姉だし。


 わたしは駅へ自転車で向かう。

 冬に自転車に乗ると風が冷たくて嫌だ。せめて自転車のサドルがホットカーペットになってたらいいのに。

 凍えながら駅のホームで電車が来るのを待つ。電車がホームに入ってくるときわたしはいつも恐怖を感じる。自分が電車に巻き込まれたり、ホームにいる誰かが飛び降りたりするんじゃないか。

 誰かにこの不安を話したことはないけれど、そんな風に思うのはわたしだけなのだろうか?

 電車のぶおんという風を浴びたあと、電車に乗り込む。高校までは各駅で四駅なので、いつも少し混んでいるがそこまで大変ではない。

 電車の外の景色を眺めるのが好きだ。車のなかだと事故らないか不安になるのだが、電車は大きいので安心できる。景色のなかにいる人たちを眺めていると、みんなちゃんと暮らしているんだなぁと穏やかな気持ちになる。きっと会話をすることもないけれど、みんな今日も頑張れ。わたしも学校行くから。

 電車が高校の最寄り駅に着く。駅から徒歩五分なので楽で良い。

「おはよ~」と言いながら教室に入るとクラスメイトたちが「おはよう」と返してくれる。中学の頃は教室に入るときに朝の挨拶をする人はいなかったが、この学校は挨拶に厳しく、みんな朝教室に入るときは挨拶する。そのおかげか分からないが、中学の頃よりクラスの雰囲気が良い。

「風鈴ちゃんおはよう~。綺麗に晴れたね」

「快晴のせいでわたしの心の中はどしゃ降りだよ……」

「相変わらず文学的だねぇ」

 そう、わたしにだって他愛もないことを話す友達くらいいるのだ。名を夜風と言う。

 文学的だとか言ってるが、わたしより夜風のほうが本を読む。文芸部に所属しているぐらいの本好きだ。

 入学初日、わたしの隣の席でドグラ・マグラをカバーなしで読んでいたのが夜風だった。友達を作ろうと思い、勇気をもって「なに読んでるのー?」と聞いたらあの表紙を見せてくれた。

 なんでドグラ・マグラをカバーなしで堂々と読めるのだろう。しかも入学初日に、と今でも不思議に思う。その後夜風と友達になっているわたしも不思議だが。

 しばらく夜風と話しているとチャイムが鳴り、ホームルームがあったあと、クラスメイトとともに運動場へと移動する。

 移動中別のクラスの友達と喋る人がちらほらいる。わたしは部活をやっていないので別のクラスには友達がいない。一年生なので、去年同じクラスだったとかもない。

 夜風も部活仲間と話せればいいのにと思うが、他クラスと合同のときも挨拶するくらいで特に交流しない。わたしが言うのもなんだけど、友達いないのかな……。

 夜風どちらかと言えば話しやすい奴なのにな。可愛いし。

 夜風はまるで夜みたいに綺麗な黒髪をしているし、それになにより何があっても動じない風格がある。

 校長先生のありがたいお話を聞いた後、マラソンが始まる。始まるやいなや夜風は人が変わったように風を切って走り出し、ピューンとわたしから見えないくらい遠くへ行ってしまった。

 うわめっちゃ速い。文芸部なのになぜ。

 わたしはあっという間に最後尾になる。

 五分ほど経過し、もう限界、とゼーハーしていると「お前らちゃんと走れー」と後ろから体育教師の声が聴こえる。走っとるちゅうねん。

 最後から三番目でゴールする。即地面に座るわたしに、夜風が「おつかれ~」と声を掛けてくれる。

「夜風もおつかれ。走るの速いんだね。知らなかった」

「そんな速くないよー。走るの好きだけど」

 夜風の、好き、という言葉に驚く。わたしにはあまり、走るのが好きだという人がいるという発想がなかった。

「走るのって、どこらへんが楽しいの。疲れるじゃん」

「それはそうだけど、疲れるのあたしそんなに嫌いじゃないし。走ってる間、余計なこと考えなくて済むから、すっきりするんだー」

「へえ」

 ありがとう。と、言いながらわたしは考える。

 走ることについて、今朝否定的に考えていたけど、実際に走るのが楽しい! という人には、明らかに走ることに意味があるだろう。

 走るのが楽しくないという人でも、走っているうちに楽しさに目覚めることがあるかもしれない。それでも、真冬に走る必要性は感じないが。

 わたしたちは、強いられることで自身の形を変えるチャンスが与えられる。

 なにゆえわたしたちは走らされるのか。と考えていたけれど、そもそもわたしは何故、なにゆえ走らされるのか。と考えるのだろう。

 走るのが嫌いだからだ。

 つまり、そもそもの前提が違う所為で気付けない意味があるということだ。

 たまに、自らの普通に疑いを持ったり、普段と違うことをしてみたりするのも、悪くないということだろう。

 ひとつの大きな世界の中で暮らすわたしたちの普通は、それぞれ少しずつ違って、ひょっとすると全然違って、実はひとつの世界に住んでいないという案も採用できるかもしれないくらい違う。

 だから、他の人の普通に触れるだけで、わたしたちはたくさんのことを学ぶことができる。

 そんな風に考えていたら、夜風が「風鈴ちゃん、どうしたの黙り込んで」と言う。

「いやなんでもないよ」とわたしは笑う。

「全然普通のことに気付いただけ」

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