第Ⅰ章

1 ラム・アルビオン

「――っ!」


 今までも散々見せ付けられた光景で目が覚める。

慌てて周囲に視線を巡らせたが、そこにあったのは何の変哲もない見慣れた自室の風景だった。


 木板を張り合わせただけの簡素な部屋は、壁のところどころ継ぎ接ぎだらけで、室内にはそこかしこから隙間風が流れ込んでくる。

申し訳程度に取り付けられた小さな窓。

その窓際の花瓶に飾られたままの萎れた花も、昨晩と何ら変わりがない。

遅れて、右半身に付き纏う鈍痛が、夢の世界が終わったことを教えてくれた。


 夢というのは残酷だと思う。

自分にとってそれが都合の良いものの場合は、目覚めた時に現実との差を突き付けられてただただ絶望的な気分になる。

一方、それが望まないものの場合は、それこそ今日のような最悪の寝覚めをもたらしてくれるのだから。


 はあ、とこれ見よがしに大きく溜息を吐き出した。

実に気分が悪い。

また『彼女』が頼みもしないのに余計なお節介でも焼いているのだろうか。

もしそうであれば文句の一つでも言ってやりたいところだったが、今はそれを確かめる術は無かった。

次に会ったらあらん限りの罵詈雑言を浴びせてやろう。

そう心に誓って、のろのろと寝台から身体を起こす。


 窓の外はまだ薄暗い。

どうやら、また今日も殆ど眠れなかったようだ。

ここ最近は、安眠とは無縁の生活が続いている。

眠らないと疲弊する一方だということは理解しているつもりだが、身体が言うことを聞いてくれないのだからどうしようもない。

今も頭は休息を欲しているのだが、右腕はいらぬ自己主張を強めるばかりで、これからもう一度横になったところで再び眠りに就けるとは到底思えなかった。


 全く忌々しいったらない。

いっそのこと切り落としてやろうかと考えたこともあったが、結局、最後の踏ん切りがつかなくて止めてしまった。


 だが、これでも以前よりは随分マシになったのだ。

痛みさえ我慢すれば傍目には常人と何ら変わらないし、力一杯に弓を引くことだって出来る。

それこそ、その気になれば人だって殺せるだろう。

だからこの際、贅沢は言わない。

この強欲な同居人から、必ず何もかも取り戻してみせる。

なにも、そんなに遠い未来の話じゃない。

たったそれまでの辛抱なのだから。


 二度寝を試みる気もすっかりと失せてしまった。

まだ、出掛けるには少々早い時間だが、散歩がてらに少し外の空気を吸うのも良いだろう。

そう思い立ち、壁に掛けてあった外套を手早く羽織る。


 自宅の外に出ると、一際冷たい風が容赦なく私の身体を煽りながら、大波のように吹き過ぎた。

通りにはまだ街の人々の姿は見えない。

この街では、早起きをしたところでやることもなければ、出来ることもない。

いや、むしろ無駄に空腹感と戦わねばならないぶん、寝ていたほうがよっぽど利口だろう。

だから、この時間に人通りがないのも至極当然のことだった。


 吹き荒ぶ風に逆らうようにして歩きながら、今日これからの予定について考える。

差し当たっての問題は、やはり食糧についてだろう。

最近は、街の外からの食糧供給が芳しくない。

関所の衛兵にはそれなりの額を掴ませているから、通行の締め付けが原因ではないはずだ。

だが、現に外界からの支援は滞っていた。

だとすると原因は、衛兵風情が恩を仇で返す不義を働いているか、もしくはリダの間抜けが中央の連中に目を付けられたか、だ。


 微かな記憶を頼りに衛兵の顔を思い返してみる。

大して印象に残ってはいないが、リダに負けず劣らずの間抜け面をしていたことだけははっきりと覚えている。

少なくとも、私達を裏切れるような玉じゃないだろう。


 そう考えると、やはりリダの奴がヘマをしたに違いない。

最悪の場合、文字通りこの街に籠城しなければならないのだから、蓄えは多いに越したことはなかった。

だが、それももう少しばかり時間が経てばはっきりする。


 リダとの約束の時間まであと数時間だ。

いつもは私が呼び出したところで忙しいだのなんだのと言って歯牙にもかけないくせに、今回は向こうから出向いてこようというのだから少しばかり面食らってしまった。

珍しく下手に出るということは、きっと多少なりとも現状への負い目があるのだろう。

あるいは、何か別の企みでもあるのだろうか。


 まあ、いずれにしても私にはさして関係の無いことだ。

彼女が何を企んでいようが、自分の役割を全うしてくれさえすればそれでいい。

仮に邪魔になるのであれば、その時は消してしまえばいいのだから。

そして、まだ彼女に利用価値があるかどうかは、今日これから当人と話せば分かることだ。


 そう物騒なことを考えながら、待ち合わせ場所までの道程を歩く。

私の身体は小刻みに震えていた。

最初は認識出来ないほど弱く、しかし、それは次第に強くなり、今ははっきりと自覚出来るほどになっていた。

それが単に寒さのせいなのか、残念ながら私には分からなかった。

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