境界線より

水月

第1話

もし、ひとりひとりの人生に価値というものがあったとして。自分の人生は一体どれくらいなのか、なんて考えたことはないだろうか。

私の人生は値段にして一体何円くらいの価値がつくだろう。ペットショップで子犬が買えるくらいか、平均的な新築の一軒家くらいか、それとも…ファストフードのバーガーセット1つくらい、だったりして。

取り留めのない妄想かもしれないけど、私は知りたい。私にはどれくらいの価値があるのか。私は明日も明後日も生きていていいのか、それを確認するために自分自身に値札が欲しいのだ。




腕に掛けた鞄の重たさで、ふと我に返った。いつも通り、退勤して家までの道を帰っているだけだというのに、なぜだか身体が重たかった。意識も少しぼうっとしているような気がする。熱でもあるんだろうか。


社会人になって早2年、なんとかやってこれたものの仕事ばかりが増えて、上司や先輩から理不尽にどやされて、疲弊しきらない方がおかしい。現に、今年入ったばかりの新人は半年の試用期間も終わらないうちに、青ざめた顔で退職願ひとつ出して辞めてしまった。それもそうだ、何の後ろ盾もない彼は上司たちにとって格好のサンドバッグだった。何か理不尽なことを言われたりしても俯いてじっと唇を噛んで耐えていたり、どうでもいい雑用をさせられているのを見かねて私が声をかけても、気弱そうに微笑んで「でも、これが僕の仕事だと言われましたから」と返すだけだった。折れるのはどう考えても時間の問題だった。聞こえよがしの悪口なら当たり前、さすがにこのご時世暴力沙汰はなかったけれど、私ならとても耐えられないような無残な仕打ちまでされていたから。


彼が退職願を出した日、倉庫でファイルの整理をしていた私のところへ来て、「今まで、お世話になりました」と言った彼の表情。辛い日々から解放された筈なのに、まだ何か悲しそうな顔をしていて、私自身も何と声を掛けるのが正解か分からずに「お疲れさま」としか返せなかった。


彼は今どうしているだろうか。きちんと、次は温かな雰囲気の職場に出会えているだろうか。それだけが少し気にかかる。


私自身、他人のことを心配している場合じゃないのに。


師走の冷え切った空気が頬の熱を奪っていく、ビリビリした僅かな痛みのようなものを感じながら、ほの白い街頭に照らされた家路を急いだ。明日も明日で7時半出勤を言い渡されている。早く帰って寝ないとそれこそ遅刻で大目玉だ。


駅前広場の時計は午後11時を指していた。

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