(短編)掌(てのひら)
こうえつ
てのひら
今日は休日だけど、また一人だった。
待ち合わせた場所に彼は来なくて、30分待った時に携帯が鳴った。
「え、来れないの……そう」
彼からだった、仕事が忙しくて今日は無理だと言ってきた。
「また?」と言いたい、でも違う言葉を口にする。
「そうかぁ。仕事だもんね。大変だけど頑張ってね……大丈夫よ私は」
携帯を切ったら、急に寂しくなった。
「少し街を歩いてから帰ろうかな」
大きな会社に勤める彼、いつも忙しいみたい、今日は一緒にいたかった。
別に誕生日とか、付き合い始めた記念日とか、そんな特別な日じゃない。
でも、一緒にいたい日もある、理由なしで。今日はそんな日だった。
ウィンドウショッピングをしながら、自分に言い聞かせる。
仕事が出来て、イケメンで、お金持ちの家で次男坊。
「これ以上の恋人なんかいないよね」
パラパラと小雨が降り始めた、心は落ち着かなかったけど、もう帰るしかない、一人の部屋に。なんでも揃っている彼の豪華なマンション。
好きな人だけいない。
心の隙間が空いたのか、雨宿りをしていた私は男の人から声をかけられた。
「あの、よかったら、そこの喫茶店で雨宿りでもいかがです?」
「え?」思わず反応してしまった、普通は無視なのに。雨が降っているせい?
声をかけてきた男は、冴えない表情に無精ひげ。
背が高いのが唯一の救いかな。決してイケメンとは呼べない。
「あのですね。私は待っている人がいるんです」
男は笑顔でこう言った。
「そうですか。じゃあ、その人が来るまで、お茶しましょうよ」
「彼を待っているの」と言いかけて、自分の嘘に寂しさを感じて黙ってしまった。
「では、まいりましょう」
沈黙をイエスととられてしまった。どうしようと迷ったが、時間があるのは事実だし、少しだけここにいない恋人への当てつけもあった。
「わかったわ。雨宿りしたら帰るからね」
もちろん、と長身だけが取り柄の冴えない男と喫茶店に入った。
思ったより、目の前の男は話題が豊富で、私を飽きさせない。
「へぇ、そうなんだ」感心したり。
「あはは、それって変だよ」笑ったり。
私は男に少し心を許し、本音を話す。
「冴えない男だと思ったけど、雨宿りのナンパも悪くないわ」
男は頭を掻きながら大きく笑った。
「それはひどいなぁ。そんなにダメそうかなオレ」
ええ、と小さく笑った私。
「ねえ、ところでなんで私をナンパしたの? もっと派手で若い子いたでしょ? だいたい私は、普段なら絶対ナンパなんか受けないわ」
「そうなんだ、ついてるねオレ。でも誰を待っていたの?」
私はダージリン茶を一口飲んでから答えた。
「私は彼を待っていたの。一部上場の会社に勤めていて、私が言うのもなんだけど、イケメンなの。家もねお金持ちで……それからベンツのSUVに乗ってて、今は彼の高層マンションに一緒に住んでいるの30階にある……でね……」
なぜだろう、どうして初めて会った人間に、自分の彼を自慢しているの。
黙って自慢話を聞いていた男は、頷き賛同してくれた。
「それはよかったね。理想の彼氏なんだ」
紅茶カップを持ち上げ頷く。
「じゃあ、幸せだよね?」
その問いには、カップを持ち上げる手が止まり、頷けなかった。
「う、うん、もちろん!」
慌ててそうだと頷いた。
よかったねと言ってくれた男は、外を見ている。
「そろそろ、雨も上がったし、彼氏も来てるかもしれないね」
「え?」まだ少し話したかった。
「もう出ようか」けど男は立ち上がった。
「じゃあ、ここで。楽しかったよ」
男は晴れ間が見えた街で、別れを言って手を差し伸べてきた。
「握手?」喫茶店の入口でもじもじする、そんな年ではないのに。
「うん、こちらこそ……楽しかった! ありがとう!」
わざと元気に手を伸ばした、握った、てのひら、暖かった。
「最初にね、君を見た時に寂しそうに見えたんだ」
男の笑顔。少し長い握手が続く。
「私、寂しくなんかないわ! さっきから言っているように、理想の恋人と暮らしているのよ!」
強く反発した私。男は歩き出す、手をつないだままで。
「ちょ、ちょっとなに?」
「送っていくよ。そこの駅まで」
「恥ずかしいから、手を放して。若い子とは違うの。こんなの彼氏にもしてもらった事ないから」
そうだ、一緒に暮らして豪華な食事、濃厚なキス、抱かれてもいたけど、手なんか握ってもらった事なんてない。
「そっか……」
ふいに分かった。何が私に足りなかったのか。
「何が分かったの?」
無邪気に笑顔を見せる彼。
「あったかいね。てのひら」
私は真っ赤になりながらも笑顔を返した。
(短編)掌(てのひら) こうえつ @pancoo
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