第18話 兆し
清々しい朝だった。山の朝はやはり肌寒い。見れば暖炉の火も消えていた。するりと肌掛けが肩を落ちていく。ぐっと伸びをして辺りを見回すと、寝起きのぼんやりとした視界が徐々に輪郭を確かにしていく。そんな、遅い朝のやわらかな時間。いまだ少しぼやけた映の目に入り込んできたのは、爽やかな日差しとは正反対の異様な光景であった。
木板の張り合わされた床に、白いチョークで描かれた
映は、眉をひそめた。
「【ウィルマー、あなた何をしているの】」
「【……あぁ起きたのか】」
「【じゃぁ、俺はちょっと出てくるから、映はここにいてくれ……】」
そう言って
「【……私は、何をしているのか聞いているのよ】」
「【セバさんを探しに行くんだ】」
うろんな目を向けてくるウィルマーに、映の声は
「【そう言えば居ないわね。それで? この部屋の惨状は何?】」
「【≪
時々ぐらりと倒れそうになりつつ、
「【全然わからないわ】」
その言葉を、説明不足と捉えたのか、弱々しい口調で、必死に言葉を
「【エオーは……、人の精神を操作する魔法が使えるんだ……。使役が制限されてはいるけど、たまに現れることもあって……、だから……っ】」
ウィルマーの身体が、
「【……ウィルマー、もしかしてあなた寝てないんじゃない?】」
見たところ身体に傷は無く、部屋の中が荒らされているということも無いため、ここまでぼろぼろになっている所を見ると、そうとしか考えられない。
「【……行ってくる】」
ウィルマーは、何か言い掛けた唇を閉じ、もう良いだろうとばかりにきびすを返す。映の眉間のしわがぎゅっと一気に深くなる。
「【待ちなさい】」
思わず、立ち上がっていた。その手は、しっかりとウィルマーの腕を掴んでいる。
「【よく分からないけど、今の状態では、見つかるものも見つからないと思うわ。山道で転落でもしたらどうするの】」
「【はは……】」
目を伏せ、ぼそりと小さな声でウィルマーがつぶやく。
「そしたら、日本に転移出来るかもな?」
「【……なに?】」
ちら、と背後の映を見やるウィルマー。
「【……いや。ともかく、俺は行かなきゃ】」
腕を掴まれていることをものともせず、玄関へと進もうとする。その腕を、映は強く引いた。
「【待ちなさいと言っているでしょう!】」
「【――セバさんは俺の大事な友達で恩人なんだよ!! 探しに行って何が悪いんだっ!? 異常な状況で失踪したんだぞ!?】」
振り払い、
「【寝なさい】」
す、と映は目を細める。今のウィルマーは、あまりにも冷静さを失っている。
「【いつそれが起きたのかは知らないけれど、もう大分時間が経っているのなら、少し寝て落ち着いてからでも遅くは――】」
「【誰のために遅くなったと思って――!】」
……おそらく、あの小人に何か奇怪な現象が降りかかったのだろう。そして、同じような現象が、私にも降りかからないようにと、身を砕いてくれたのだろう。映は、そう思った。
しかし、だ。例えその通りだったとして、普段のウィルマーであれば、彼がカバーした他人の非や、自分の善意を
だから、彼のことは止めないといけない。
「『寝なさい』」
まずは寝て、冷静さを取り戻しなさい。心からの願いとしての一言が、ウィルマーの身体を打った。
反射的に食ってかかろうとした――、その瞬間。
「【俺は――っ!】」
ウィルマーが、刈り取られるように意識を失った。受け身もなく倒れ込み、鳴るのは、木床を叩く重い音。
まるで、糸が切れた操り人形の様相で、床に崩れ落ちているウィルマーを見て、映はぎょっとした。
少し顔を近づけてみると寝息が聞こえ始めているので、寝ているのだろう。
(ね、眠気が限界だったのかしら……?)
身体こそ震えなかったものの、
(まるで術にでもかかったような感じだったけど……これが怪奇現象なのかしら……)
わからないのだ。誰も何が変わったのかを。
――そう、それは誰も認識が出来ない出来事。映の言葉がウィルマーの身体を打った瞬間。
気配無き気配がうっすらと笑った声もまた、誰にも気付かれず、朝の
◆
少し落ち着きを取り戻した
映は、溜め息をついて立ち上がる。
「【……まあ、それはそうとして。守られてばかりでは、私としても格好が付かないわ】」
自分が使っていた肌掛けをウィルマーに掛けると、ベッドの脇机に乗っている本を見やる。それは、昨晩、ウィルマーとあの小人が勉強に使っていたこの世界の辞書だ。この単語は? この単語は? この単語は日本語でどういうのだ? とやっていたのを思い出す。
手を伸ばし、ぱらりとページをめくる。映には読む事が出来ない本だ。だがしかし――、
「【この対応表と、今まで見聞きした単語をこの辞書で調べれば、なんとかなるでしょう】」
ウィルマーが作った対応表を手に、ふ、と口の端を上げる。
「【何を探すにしても、まずは、通行証をどうにかしないとね――】」
映は、困難なことにこそ、燃える
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