第17話 夜闇の操り人形

 二人は騒がしく会話を交わしながら、樹上の家ツリーハウスの前まで戻ってきていた。

「【とりあえずあなたの知り合いには礼を言っておいて頂戴ちょうだい。……センスはともかく、ね】」

 と、ドアに手をかけながら、ウィルマーの方を向く映。

 目に付くのは、深紅ボルドーのホルターネック。胸元から伸びるひもが喉前でクロスしており、チョーカー状の布へと繋がっている。菱形ひしがたに空いた胸元からは豊かな谷間がかすかに見え隠れしていた。オフショルダーの肩口からのぞく、白くきめ細かな素肌がまぶしい。

 ただ、見せびらかすのを良しとしていないのだろう。映は、胸や肩を隠すように、しっかりとフード付きのローブを着込んでいた。しかし、それもあまり意味がないように見える。ローブの襟はぐっと開かれ、デコルテがあらわになるデザインだ。恐らく、本来の用途としては、首の詰まったインナーを着込み、召喚用の精霊石のネックレスをつけたり、儀式用の首飾りを付けるためのえりぐりの広さなのだろう。

 それを証明するかのように、全体のデザインは白を基調とした聖職者風であるし、ふちというふちはターコイズ地に金糸きんし刺繍ししゅうほどこされていた。色とりどりの宝石が散りばめられてもいる。フードをかぶれば、いくらかえりぐりもせばまり、聖職者に見えなくもない。

 だがそれも、下に合わせる衣服によっては印象はまったく違ってくる。 

 やや左に寄ったゆるい合わせのすそからは、黒いショートパンツと、それを覆い隠すような黒いレースのパレオが、足の動きにそって夜のとばりのように広がる。

 脚の方に目を落とせば、目に入ってくるのは、左右でたけの違うアシンメトリーなデザインだ。右足はサイハイたけの黒いソックス。左はひざ下たけで、グラディエーターブーツのように、布が足に巻き付いている。靴は黒い、甲の空いた厚底だ。

 ――印象を総括するのなら、ゲームの登場人物、だろうか。とても日常生活用のデザインとは思えない。映が、センスはともかく、と言うのもうなずける。

 しかし、セバさんが選んだその服達には、一つ一つ特別な機能があるのかもしれなかった。ローブだけでいけば、至上最強の特殊部隊、世界樹の眼ラタトスクの着用しているものに似通っている。いわく、世界樹の眼ラタトスクの着用する衣服には神の力に対抗する仕掛けがあるというが、それはどういうレベルの話だともウィルマーは思う。もし、これが本物の世界樹の眼ラタトスクのローブだとして、セバさんは何故そんなものを持っているのだろう。珍品コレクターの一言で片付きそうな気もするが、由来でも聞こうなら1日中話に付き合わされそうだ。

 ――と、散漫な思考でぼうっと映を眺めていたウィルマーは、だから、次の瞬間の映の行動について行けなかった。

 きしむ音を立てながら開かれたドアの向こうでは、床に座り込み、何かをこちらにかかげながら手を振るセバさんがいる。ノート、だろうか?

 ドン、と音が鳴った。

 大股で家に踏み込んだ映が、飛ぶように走り込み、セバさんの手からノートをもぎ取っていく。先程までのよそ行きお嬢様笑顔はどこへやら、冷たく見下すような視線が、セバさんへと向けられていた。

「【追加よ。人の荷物をあさるな、と、そう言っておきなさい】」

 見れば、中高生がよく使っているようなポリエステル地のスクールバックが床に転がっており、セバさんを中心に中身がぶちまけられていた。

 むべなるかな。さすがにこれは誰でも怒るだろう。大方、見たこともない品の数々に、好奇心を抑えられなかったのだとは察しがつく。つくのだが……。

「【……これは、素直にすまない】」

 突然おもちゃ・・・・を取り上げられたセバさんは、きょとんとしていたが、お召し替えをした映を見ると手をたたいた。

「おお、これは似合うな! んむんむすばらしい」

 ぐっと身を乗り出す。

「さあ、いらなくなった先程の黒い衣服を代わりに……!」

 若いおなごの持ち物を漁り、なおかつ着ていた服をくれと息荒く迫るその様は、まるで変態そのものだった。

「セバさん……、言葉については教えて上げるから、ちょっと落ち着こうか……」

 これが美少年顔で無ければ一発アウ……いや、顔が良くてもだめか……。なんだかセバさんの悪癖あくへきが、昔より悪化しているような……、と頭を抱えながら、ウィルマーは後ろ手にドアを閉めた。


       ◆


「この文字は【す】と発音するんだ。イルミンスク文字で対応するのは……」

 ウィルマーは、セバを相手に膝をつきあわせて日本語の講義を敢行かんこうしていた。

 その背後で、パチパチと暖炉だんろまきが爆ぜる音がする。とりあえずの応急処置を終えた火土竜サラマンドの幼体も、暖炉のそばで丸くなっていた。初夏と言えども、そこそこに高度のある山の夜は、かなり気温が下がる。ウィルマーの暮らしていた岩窟街などは、地中なこともあってあまり外の気温に左右されにくい面もあるが、ここは地表だ。しっかりと防寒しなければ、死の危険におびえることとなる。

 一方、映はと言えば、貸し出された肌掛けにくるまってベッド上で三角座りをしていた。暖炉の炎の揺れをぼうっと見つめて、うつらうつらとしているが、耳はウィルマー達の方にかたむけているようだ。

「文字が50も種類があると覚えるのにも大変だな……!」

 と、セバが声を上げる。

「字体が違う、同じ発音の文字がまだ同じだけあるよ」

「は――――!」

 両手を上げばたんと後ろに倒れ込むセバ。その顔は、心地よい脳の疲労に酔いしれているようでもあった。

 やれやれそろそろ終わりかな、とウィルマーが息を抜いた瞬間。

「ちょっと、会話もしてみたい!」

 セバが起き上がりこぼしのように起き上がった。――この人、底なし沼なんだろうか。まあ、乗りかかった船か。と、ウィルマーは頬をゆるめる。

「いいよ。とりあえず、今教えた挨拶と名前の聞き方でも実際にやってみる?」

「おう!」

 座学だけでは辛かろうし、良いタイミングかもしれない。

「じゃあ、夜の挨拶ね」

 ウィルマーがさらっとまき端材はざいに書いた、イルミンスク文字との対応表。一文字一文字、文字を指し示しつつ、セバさんに返答を教えていく。

「【こ・ん・ば・ん・わ】。はい、セバさん一緒に!」

「クバァワ!」

「んー、ちょっとオシいかなあー【こ・ん・ば・ん・わ】」

「こ、【コン、バンワ】?」

「お、セバさん! そう! そんな感じ!」

「おー! なんとか言えた! 発音の仕方が違うからなかなか難しいなあ!」

 手を握ってぶんぶんと振るセバさん。楽しそうでなによりだ。

「じゃあ、セバさん、今日はこのフレーズで終わりにしようか」

「うむ! なんだ!?」

「名前を聞くときのフレーズだよ。【あ・な・た・の・お・な・ま・え・は?】ちょっと長いけど言ってみよう」

「アンタオメエワ?」

 初対面で、いきなり"おめえデブだな"ってぶっこむ外国人を想像して、少し吹いた。

 首をかしげるセバさん。

「えっと、いやなんでもない。少しずつ区切って言ってみようか。続いて喋ってね。【あなた】」

「まあいいか。【あナた】」

「【あなたの】」

「【あナたノ】」

「【おなまえは?】」

「【おナまえは?】」

 どうやらセバさんは、な行が苦手なようだが、どうにかこうにか言えたようだ。ほどよく達成感を感じたウィルマーは締めにかかる。

「じゃあ返事をするね。【わたしのなまえは、ウィルマーです】」

「お、おおー、名前は~です、だな? ウィル坊!」

 目のきらきら具合よ。セバさんの見た目は美少年っぽいものの、がらっぱちな性格をしているのでどうにも見た目と中身のギャップがある。だが、こういう時は本当にそこらの少年より少年らしい顔をするのだ。

「よし、ウィル坊、俺にも名前を聞いてくれ!」

 身を乗り出すところも愛らしい。

「はは、いいよ、【あなたのお名前は?】」

「【わたし、は、せばです】」

 指で丸をつくると、さらにセバさんが喜ぶ。もう少年というより赤ちゃんのようだ。セバさんはそのノリのまま体の向きを変え、映にも話しかけに行く。

「【あンたおンめえわ?】」

「セバさ――――ん!」

 ウィルマーは思わず叫んでいた。女性に! あんた重ぇわは! 禁句!

「【ちょっ、映、違う、違うからね!?】」

 船をこぎながらも、自分に話しかけられたのがわかったのか、目を少し開け、ちらりとセバを見やる映。やれやれと言ったように薄く息を吐いた。

「【私の名前は、逢咲映です】」

 そういうと映は目を閉じる。どうやら正確に意味を受け取ったらしい。映の理解力が高くて良かった、と胸を撫で下ろすウィルマー。

 ぴょんぴょんと跳ねながら、しかし、ぶしつけなセバさんは止まらない。

「その名前は、どういう文字を書くんだ!?」

 木の切れ端とチョークをずいと差し出すセバさん。

 少し、映の目が覚めたような気配がした。常の凍ったような表情に、笑顔の膜を薄くかぶせた、武装の表情が顔を出し始めている。

 またしてもウィルマーは内心焦りつつ、口を開く。

「【……これで最後にするから、書いてもらってもいい?】」

 眉根を上げた困った、という笑みを浮かべるウィルマーにも映はため息を一つ。

「【いいわ……】」

 膝に顔を埋めかけていた身体を起こし、映は木の切れ端とチョークを受け取る。

「【こうよ】」

 さきほど口にした一文を漢字混じりで書き、セバにかかげる。

 手を伸ばしてそれを受け取ると、セバさんが難しい顔をした。

「さっき見たのと全然文字が違うな」

「そうだね、読みは同じだけど違う字体の文字が~って話をしたとは思うけど、50の基礎文字の他に、さらに数えきれないほどの記述文字があるんだ。それがこれ、"漢字"だよ」

「は~~、世界は飽きねえなあ」

 木片とにらめっこしながらも、うんうんと頷くセバさん。

 やはり、楽しんでいる誰かを見るというのは楽しい。ひたいに浮かんだ汗をぬぐいつつ、ウィルマーは満足感にひたっていた。

「しかし、俺もそこそこ世界を巡ってはいるがこの文字は見たこと無いなあ。ただ・・・・・・」

「ただ?」

「この世のものとは思えない文字が書かれた土地の話は知ってる」

 にやりと柔和にゅうわな口のはしを粗野に吊り上げて、セバが笑う。

 ――来た、とウィルマーは感じた。

 セバさんは、しまない。気質としてはコレクターだが、溜め込むタイプでは決してない。その行動は、商人や投資家に近いものだ。より興味深い、希少価値の高いもののためなら、いともたやすく自身のコレクションを手離す。しかし、ただでくれてやる、ということは決してしない。そして、それは自分が何かほどこしを受けた時も同じだ。必要以上に提供を受け取ったと感じた時は、それと同じぐらいの価値のものを返してくれる。

 希少であろう衣服を、自分たちは貰った。その対価として、自分は未知の言語の知識を教えた。しかし、希少な衣服以上の価値が、先ほどの講義にあったとセバさんは感じたのだろう。だから、今追加で情報をくれている。

「思い出したよ、ウィル坊。お前が小さな頃、方々ほうぼうに聞いてまわって、ついぞ見つけられなかったという見知らぬ文字の話。今教えてくれた文字とそっくりだぜ。――見つけたんだな・・・・・・・?」

 ギラギラと目を光らせ、ウィルマーに顔を近づけるセバ。

「ああ……、セバさん……!」

 がっしりと、二人は手を組んだ。

「ガキの世迷よまい言には、いつだって、一分いちぶの真実がまぎれているものさ。目がくもっちまった大人には見えねえ道が見えてる。わかってるな? ウィル坊」

 わかっている。ぐっと握りあった拳。ざらざらと荒れた岩肌のような小さな手を、一度思いっきり下に振ると、互いに手を離し、拳をぶつけ合う。

「「刺激は山分けだ」」

 粗野な笑いが交差する。

「そうとなったら、まずは巡礼者登録か、冒険者登録だなあ……」

 指折りなにごとか嬉しそうに算段を始めるセバ。それをよそに、ウィルマーは、我慢しきれないとばかりに声を弾ませる。

「それで? セバさん、そのこの世のものとは思えない文字が書かれた土地ってのはどこにあるんだ!?」

「おいおいウィル坊、落ち着けって」

 くすぐったそうに笑顔を歪める。

「いいか、それはだな――」

 ぴっと得意げに、人差し指が上を向いた瞬間――。

 セバさんがふいに虚空に目をやり、ゆらりと立ち上がる。

「すまん、少し用事が出来た……」

「は……? え、セバさん、どうしたの?」

「呼ばれたんだ……」

 明らかにその様子は、おかしかった。誰かに操られているかのように声がうつろだ。

 ふらふらと、夢遊病者のような足取りで玄関のほうへと歩いていく。

「もう深夜だよ!? 誰に呼ばれたっていうんだよ!?」

 ハーフリングに種族間だけのテレパシー能力や、特殊な意志疎通手段があるわけではない。ただ、人より背が小さくすばしっこく、好奇心が旺盛なだけだ。

「セバさん!」

 叫んで肩にかけたウィルマーの手を猛然と払いのけ、振り返ったセバさんの顔の向きは、不自然な方向に曲がっていた。まるで壊れた操り人形だ。瞳からは、光が消えていた。

 ウィルマーは総毛立ち、息をのむ。思わず、二歩、三歩と後ずさってしまう。

 それで、もう追ってこないと判断したのか、セバさんは玄関を開け放ち、極寒の山間へと足を踏み出していく。そのまま宙空へ歩こうとして地面に落ちたのだろう。重く湿った音がした。

 映は、もう寝てしまっているのか、ベッドで丸まっていて起きない。サラマンドも、今は幾分か安らいだ顔をして静かに寝息を立てていた。

 ウィルマーだけが、その場に呆然と立ち尽くしている。夜山の風が吹き込み、映が少しむずかる声を出す。ふと、震えが来た。

 怖くて、家の下がどうなっているかを確認する事は出来る気はしない。

 ウィルマーはそのとき、何かとてつもないものに巻き込まれ始めていることに、ようやく気がついていた。


       ◆


 呆然と立ち尽くす赤い髪の少年を、部屋の端で眺める視線があった。

『物語の主人公。彼とその知己ちきが旧交を温めている最中さなか、ふとその知己ちきが重要なことを話そうとする。だが、しゃべり終える前に彼は正気を失い、姿を消してしまう。さて、主人公である彼はこれからどうするのだろうか……』

 くつくつと笑う声。

知己ちきを探しに夜闇に飛び出すのか? 旅の同行者を叩き起こすのか? そのまま悩みながら一人夜を明かすのか? 彼にはどの展開がふさわしい? ああ、物語を創るとは楽しいなあ、なあ、神よ――』

 気配だけが、ずるりとその位置を動かす。男と女ともつかないその声は、しかしここにいる誰にも届かない。共にいて、しかし共にいない。人が運命を目視出来ないように。物語の登場人物の耳に、語り部の声が届かないように。それだけが、ただただ、歌うように語りだす。

『これで彼は、上を指し示す指を手がかりに、くだんの土地を探し始めるはずだ。少しは面白くなってきただろう? 神よ。殻園かくえんの物語は、まだまだ面白くなるぞ……。なあ? あなたのぬるいぬるい自慰的な物語オナニーを観せられただけでは、とてもとても興奮など出来はしないのだ……。私が、私がしてやろう、なあ。この世界を、終わりのないつまらぬ物語ではなく。最高の終わりへと、私が!!』

 たかぶりを抑えきれない声は、割れたような調子外れの不協和音を世界にちらばしていく。

『ハハハハ、果たして神は気づくだろうか? いいや、気づくはずもない。私は、ただ、御心みこころのままに動いているのにすぎないのだから……』

 床にまとめられている赤髪の少年の荷物の中から、するりと短剣が抜かれ、宙を舞う。

『今はまだ、な――!』

 その短剣を、少年の首後ろに振り当て――、しかしそれは直前で止まる。

 なにも動かない空間で、ふいに黒髪の少女が寝返りを打った。

 ふと、息を吸う気配だけがする。

『よりによって、マティアスの特異点プンクトゥムが主人公だとは、な……。私は、いずれお前も――!』

 そう吐き捨てると、それきり気配は、その場から消えていなくなった。

 その後に立つ音は、暖炉のまきぜる音と夜風が差し込む音のみ。短剣は、いつの間にか、綺麗に荷物の中に仕舞い込まれていた……。

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