第17話 夜闇の操り人形
二人は騒がしく会話を交わしながら、
「【とりあえずあなたの知り合いには礼を言っておいて
と、ドアに手をかけながら、ウィルマーの方を向く映。
目に付くのは、
ただ、見せびらかすのを良しとしていないのだろう。映は、胸や肩を隠すように、しっかりとフード付きのローブを着込んでいた。しかし、それもあまり意味がないように見える。ローブの襟はぐっと開かれ、デコルテが
それを証明するかのように、全体のデザインは白を基調とした聖職者風であるし、
だがそれも、下に合わせる衣服によっては印象はまったく違ってくる。
やや左に寄ったゆるい合わせの
脚の方に目を落とせば、目に入ってくるのは、左右で
――印象を総括するのなら、ゲームの登場人物、だろうか。とても日常生活用のデザインとは思えない。映が、センスはともかく、と言うのも
しかし、セバさんが選んだその服達には、一つ一つ特別な機能があるのかもしれなかった。ローブだけでいけば、至上最強の特殊部隊、
――と、散漫な思考でぼうっと映を眺めていたウィルマーは、だから、次の瞬間の映の行動について行けなかった。
ドン、と音が鳴った。
大股で家に踏み込んだ映が、飛ぶように走り込み、セバさんの手からノートをもぎ取っていく。先程までのよそ行きお嬢様笑顔はどこへやら、冷たく見下すような視線が、セバさんへと向けられていた。
「【追加よ。人の荷物を
見れば、中高生がよく使っているようなポリエステル地のスクールバックが床に転がっており、セバさんを中心に中身がぶちまけられていた。
むべなるかな。さすがにこれは誰でも怒るだろう。大方、見たこともない品の数々に、好奇心を抑えられなかったのだとは察しがつく。つくのだが……。
「【……これは、素直にすまない】」
突然
「おお、これは似合うな! んむんむすばらしい」
ぐっと身を乗り出す。
「さあ、いらなくなった先程の黒い衣服を代わりに……!」
若いおなごの持ち物を漁り、なおかつ着ていた服をくれと息荒く迫るその様は、まるで変態そのものだった。
「セバさん……、言葉については教えて上げるから、ちょっと落ち着こうか……」
これが美少年顔で無ければ一発アウ……いや、顔が良くてもだめか……。なんだかセバさんの
◆
「この文字は【す】と発音するんだ。イルミンスク文字で対応するのは……」
ウィルマーは、セバを相手に膝をつきあわせて日本語の講義を
その背後で、パチパチと
一方、映はと言えば、貸し出された肌掛けにくるまってベッド上で三角座りをしていた。暖炉の炎の揺れをぼうっと見つめて、うつらうつらとしているが、耳はウィルマー達の方に
「文字が50も種類があると覚えるのにも大変だな……!」
と、セバが声を上げる。
「字体が違う、同じ発音の文字がまだ同じだけあるよ」
「は――――!」
両手を上げばたんと後ろに倒れ込むセバ。その顔は、心地よい脳の疲労に酔いしれているようでもあった。
やれやれそろそろ終わりかな、とウィルマーが息を抜いた瞬間。
「ちょっと、会話もしてみたい!」
セバが起き上がりこぼしのように起き上がった。――この人、底なし沼なんだろうか。まあ、乗りかかった船か。と、ウィルマーは頬をゆるめる。
「いいよ。とりあえず、今教えた挨拶と名前の聞き方でも実際にやってみる?」
「おう!」
座学だけでは辛かろうし、良いタイミングかもしれない。
「じゃあ、夜の挨拶ね」
ウィルマーがさらっと
「【こ・ん・ば・ん・わ】。はい、セバさん一緒に!」
「クバァワ!」
「んー、ちょっとオシいかなあー【こ・ん・ば・ん・わ】」
「こ、【コン、バンワ】?」
「お、セバさん! そう! そんな感じ!」
「おー! なんとか言えた! 発音の仕方が違うからなかなか難しいなあ!」
手を握ってぶんぶんと振るセバさん。楽しそうでなによりだ。
「じゃあ、セバさん、今日はこのフレーズで終わりにしようか」
「うむ! なんだ!?」
「名前を聞くときのフレーズだよ。【あ・な・た・の・お・な・ま・え・は?】ちょっと長いけど言ってみよう」
「アンタオメエワ?」
初対面で、いきなり"おめえデブだな"ってぶっこむ外国人を想像して、少し吹いた。
首をかしげるセバさん。
「えっと、いやなんでもない。少しずつ区切って言ってみようか。続いて喋ってね。【あなた】」
「まあいいか。【あナた】」
「【あなたの】」
「【あナたノ】」
「【おなまえは?】」
「【おナまえは?】」
どうやらセバさんは、な行が苦手なようだが、どうにかこうにか言えたようだ。ほどよく達成感を感じたウィルマーは締めにかかる。
「じゃあ返事をするね。【わたしのなまえは、ウィルマーです】」
「お、おおー、名前は~です、だな? ウィル坊!」
目のきらきら具合よ。セバさんの見た目は美少年っぽいものの、がらっぱちな性格をしているのでどうにも見た目と中身のギャップがある。だが、こういう時は本当にそこらの少年より少年らしい顔をするのだ。
「よし、ウィル坊、俺にも名前を聞いてくれ!」
身を乗り出すところも愛らしい。
「はは、いいよ、【あなたのお名前は?】」
「【わたし、は、せばです】」
指で丸をつくると、さらにセバさんが喜ぶ。もう少年というより赤ちゃんのようだ。セバさんはそのノリのまま体の向きを変え、映にも話しかけに行く。
「【あンたおンめえわ?】」
「セバさ――――ん!」
ウィルマーは思わず叫んでいた。女性に! あんた重ぇわは! 禁句!
「【ちょっ、映、違う、違うからね!?】」
船をこぎながらも、自分に話しかけられたのがわかったのか、目を少し開け、ちらりとセバを見やる映。やれやれと言ったように薄く息を吐いた。
「【私の名前は、逢咲映です】」
そういうと映は目を閉じる。どうやら正確に意味を受け取ったらしい。映の理解力が高くて良かった、と胸を撫で下ろすウィルマー。
ぴょんぴょんと跳ねながら、しかし、ぶしつけなセバさんは止まらない。
「その名前は、どういう文字を書くんだ!?」
木の切れ端とチョークをずいと差し出すセバさん。
少し、映の目が覚めたような気配がした。常の凍ったような表情に、笑顔の膜を薄く
またしてもウィルマーは内心焦りつつ、口を開く。
「【……これで最後にするから、書いてもらってもいい?】」
眉根を上げた困った、という笑みを浮かべるウィルマーにも映はため息を一つ。
「【いいわ……】」
膝に顔を埋めかけていた身体を起こし、映は木の切れ端とチョークを受け取る。
「【こうよ】」
さきほど口にした一文を漢字混じりで書き、セバに
手を伸ばしてそれを受け取ると、セバさんが難しい顔をした。
「さっき見たのと全然文字が違うな」
「そうだね、読みは同じだけど違う字体の文字が~って話をしたとは思うけど、50の基礎文字の他に、さらに数えきれないほどの記述文字があるんだ。それがこれ、"漢字"だよ」
「は~~、世界は飽きねえなあ」
木片とにらめっこしながらも、うんうんと頷くセバさん。
やはり、楽しんでいる誰かを見るというのは楽しい。ひたいに浮かんだ汗をぬぐいつつ、ウィルマーは満足感にひたっていた。
「しかし、俺もそこそこ世界を巡ってはいるがこの文字は見たこと無いなあ。ただ・・・・・・」
「ただ?」
「この世のものとは思えない文字が書かれた土地の話は知ってる」
にやりと
――来た、とウィルマーは感じた。
セバさんは、
希少であろう衣服を、自分たちは貰った。その対価として、自分は未知の言語の知識を教えた。しかし、希少な衣服以上の価値が、先ほどの講義にあったとセバさんは感じたのだろう。だから、今追加で情報をくれている。
「思い出したよ、ウィル坊。お前が小さな頃、
ギラギラと目を光らせ、ウィルマーに顔を近づけるセバ。
「ああ……、セバさん……!」
がっしりと、二人は手を組んだ。
「ガキの
わかっている。ぐっと握りあった拳。ざらざらと荒れた岩肌のような小さな手を、一度思いっきり下に振ると、互いに手を離し、拳をぶつけ合う。
「「刺激は山分けだ」」
粗野な笑いが交差する。
「そうとなったら、まずは巡礼者登録か、冒険者登録だなあ……」
指折りなにごとか嬉しそうに算段を始めるセバ。それをよそに、ウィルマーは、我慢しきれないとばかりに声を弾ませる。
「それで? セバさん、そのこの世のものとは思えない文字が書かれた土地ってのはどこにあるんだ!?」
「おいおいウィル坊、落ち着けって」
くすぐったそうに笑顔を歪める。
「いいか、それはだな――」
ぴっと得意げに、人差し指が上を向いた瞬間――。
セバさんがふいに虚空に目をやり、ゆらりと立ち上がる。
「すまん、少し用事が出来た……」
「は……? え、セバさん、どうしたの?」
「呼ばれたんだ……」
明らかにその様子は、おかしかった。誰かに操られているかのように声がうつろだ。
ふらふらと、夢遊病者のような足取りで玄関のほうへと歩いていく。
「もう深夜だよ!? 誰に呼ばれたっていうんだよ!?」
ハーフリングに種族間だけのテレパシー能力や、特殊な意志疎通手段があるわけではない。ただ、人より背が小さくすばしっこく、好奇心が旺盛なだけだ。
「セバさん!」
叫んで肩にかけたウィルマーの手を猛然と払いのけ、振り返ったセバさんの顔の向きは、不自然な方向に曲がっていた。まるで壊れた操り人形だ。瞳からは、光が消えていた。
ウィルマーは総毛立ち、息をのむ。思わず、二歩、三歩と後ずさってしまう。
それで、もう追ってこないと判断したのか、セバさんは玄関を開け放ち、極寒の山間へと足を踏み出していく。そのまま宙空へ歩こうとして地面に落ちたのだろう。重く湿った音がした。
映は、もう寝てしまっているのか、ベッドで丸まっていて起きない。サラマンドも、今は幾分か安らいだ顔をして静かに寝息を立てていた。
ウィルマーだけが、その場に呆然と立ち尽くしている。夜山の風が吹き込み、映が少しむずかる声を出す。ふと、震えが来た。
怖くて、家の下がどうなっているかを確認する事は出来る気はしない。
ウィルマーはそのとき、何かとてつもないものに巻き込まれ始めていることに、ようやく気がついていた。
◆
呆然と立ち尽くす赤い髪の少年を、部屋の端で眺める視線があった。
『物語の主人公。彼とその
くつくつと笑う声。
『
気配だけが、ずるりとその位置を動かす。男と女ともつかないその声は、しかしここにいる誰にも届かない。共にいて、しかし共にいない。人が運命を目視出来ないように。物語の登場人物の耳に、語り部の声が届かないように。それだけが、ただただ、歌うように語りだす。
『これで彼は、上を指し示す指を手がかりに、
『ハハハハ、果たして神は気づくだろうか? いいや、気づくはずもない。私は、ただ、
床にまとめられている赤髪の少年の荷物の中から、するりと短剣が抜かれ、宙を舞う。
『今はまだ、な――!』
その短剣を、少年の首後ろに振り当て――、しかしそれは直前で止まる。
なにも動かない空間で、ふいに黒髪の少女が寝返りを打った。
ふと、息を吸う気配だけがする。
『よりによって、マティアスの
そう吐き捨てると、それきり気配は、その場から消えていなくなった。
その後に立つ音は、暖炉の
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