第27話 娘と女、2人の進路 (後)
「進学なら高校を卒業してから続けてってのが、環境も揃いやすいし、まわりの応援も得やすい。
たとえば5年遅れて進学しようと思ったら、同級生は卒業だろ?
一緒に頑張ったり、情報交換したりはできないよな?」
「そうだよね、たしかに」
「ひとつの流れに乗っかるとな、そこから別の流れに飛び移るのは、難しいこともあるんだよ」
――そういえば今朝、2人は随分とノンビリな朝だったな。
ちょっと強引だが、それもひとつの流れの例か?
「長い休みだと、だんだん朝の起きる時間がルーズになりやすいだろ?
今朝もそうだし、今年の夏みたいにな」
凜々花は片目をつぶって――痛い話題がきた――というような仕草で、俺から目を逸らした。
これから俺が言うことの予想がついたのだろう。
「で、学校が新学期になってはじまると、早起きに苦労する。
長期休みで流れが切れて、生活が変化する。
休み中はそれでよかった遅い起床の流れが、新学期でまた変わる。
その人のタイプにもよるが、低血圧とか朝が弱い奴はより一層苦労するよな、早起きのパターンに変えるのは」
「あーもう、あんまり痛いたとえ話を出さないでよ、パパ」
「こういうのはな、痛いから効くんだよ。
流れを変える大変さがイメージできれば、それでいい。
結果としてはどうか知らんが、俺は小言を言っているつもりはないからな。
まあ、進路について、最後は自分で決断しろ。
凜々花の人生だ。
俺がいつまでも手を出してたら、気持ち悪いだろ?
情報を集めたり、話を聞いたり、誰かの
ただ、『なんとなく』で流されんな。
『俺がどっちでもいいって言った』とかはナシだ」
「大丈夫だよ、そんなつもりはないもん」
「だよな、そうなんだわ。
凜々花はそうだと思うよ」
いったい立候補するのかしないのか?
決めかねている茉莉花の手前、ちょっとあからさま過ぎるかと思い、続けるかどうか少し迷った。
けどまぁ、娘の凜々花の進路も大事なことだ。
ここまで言って肝心なことを言わないのは、俺らしくないはないし、かえって不自然だろう。
「ただな、何もかもがいつの時も、順風満帆で上手く行くってことはないもんだ。
高波も嵐も、残念だが必ずやってくるのが人生ってもんだ。
俺もそうだし、コイツもそうだろうな、きっとな」
俺はいったん区切ると、正面にすわる茉莉花の、テーブルの上に置かれた白い指に目をやる。
わざわざ顔を見てアピールすることは避けた。
また『いじめて楽しいか』と言われるのも、癪に
「そういうとき、人ってのは誰かのせいにしたくなるもんなんだ。
それは仕方ない。
そういうシステムなんだからな。
だってそうだろ?
試験が上手くいかなかったのは自分のせい。
雨が降ったのも自分のせい。
傘がないのも用意しない自分のせいで、傘が無く濡れて風邪をひいたのも自分のせい。
医者にかかりたくても土曜の夜で、月曜までやってない。
こんなタイミングで風邪をひく自分が悪い。
なんでもかんでも自分のせいじゃ、自信も元気もなくなっちまう。
治る風邪も、治らんよ、それじゃあな。
そんなんだったら、いくらかは他人のせいにした方がマシだ。
風邪は一昨日、隣に座ってコンコン咳をしていたアイツのせい。
医者だって休まなきゃ死んじゃうし、ただの偶然。
そうして落ち込み過ぎないようにできれば、次も考えられる。
なら、今度はマスクをしようとか、用意しておこうとか。
休日診療を調べて、行けそうなら行ってみようかなんて、こんなふうにな。
だけど布団被って、『なんで? どうして? やることすべてがダメだよ』って暗く落ちこんでたら、次の1歩がどうにも出ない。
自信喪失状態だからな」
「でも、全部が他人のせいで反省しないのは……
それって……」
「それって、なんだ?」
「えーと、私はそんな人の近くにいるのは、しんどいかな。
そばにいたら、んー、なんて言うか、責められるというか、攻撃されそうというか……
とにかくなんだか、いろいろ嫌な事に巻き込まれそうだもの」
「そうだな。
トラブルメーカーは避けられる」
「そう、それね。
全部が自分のせいじゃ、自信をなくす。
全部が人のせいじゃ、まわりをなくす。
こういうことでいいの?」
「ほー、上手くまとめたじゃないか、凜々花。
俺には負けるが、なかなかのモンだ」
はにかんで「へへへ」と笑う凜々花。
「パパ、そういうときは、ちゃんと女の子に花を持たせないとモテないよ」
「余計なお世話だ、コイツめッ!」
ゲンコツを振り上げて殴るフリをしてやった。
そうすると凜々花は、「さらにモテないポイントがアップしちゃいました、今ので」とはしゃいで言い返していた。
俺と凜々花がやりとりするあいだ、茉莉花は1人取り残されたようになっていた。
ぎこちない笑顔をはりつけたままだ。
ひとしきり2人で冗談を言い合ってから、俺はさらに続ける。
「ただな、出来事にはその価値とか、重要さが違うことがある。
就職や結婚。
恋人と付き合う、別れる。
もちろん進路もそうだな。
そういうのが、傘を忘れたとか、風邪をひいたと同じに並べられるか?」
「ないないない、絶対ないよそれ」
「だよな。
傘を忘れたなんて、明日には思い出すことさえ、ないかもしれん。
風邪だって1か月後には、『そういえば大変だった』程度の話だろ?
――気になって残る。
つまり『後悔』のことだな……
傘や風邪程度なら、ほとんどすぐ消える。
けど、凜々花が『高校選びに失敗した』と、もしも現在進行形で思っていたとしたらどうだ?」
「げ、それは最悪!
もし失敗してたら、まだ2年もあるのに『あっちの方が』って考え続けちゃうのかな?
それはちょっと……
想像でも嫌!」
そう言って凜々花は、テーブルにズザッと伏した。
行儀が悪いからやめろと、俺はそれをたしなめる。
「はぁーい」と返事するも、早速お茶のマグカップにぶつかっていた。
「それは私、絶対、人のせいにする。
そのせいで、勧めてくれた人を見る目が変わっちゃうかも。
今はもちろんそうじゃないから冷静に判断できるけど、本当に当事者だったら『こいつのせいだー』って思うよ。
たぶんそうじゃないかな。
しかも傘や風邪みたいに短期間ですまないかもしれないわけだし……
ああ、なんだか落ち込んできた」
「オイオイ、ただの想像だぞ。
でも、いいリハーサルだったろ?
「リハーサル?」
「ン、そうだ。
シミュレーション、予行演習でもいいぞ。
だってそれ、大学でも、専門学校でも、彼氏でも……
同じことじゃないか?
これからの未来に、もしかしたらあるかもしれないことだろ?
なんとなくで、選んでいいのか?」
「んー、余計に難しくなった気がするよー」
「どうして難しくなったと思う?」
「え、だって先に考えておいた方がいいなって。
そのうちにはっきりすると思ってたから……」
「じゃあ、考えておくタイミングが早くなったわけだが、それは困る?」
「ううん、困らない。
むしろそのほうがいいんだと思う。
『あとでいいや』が、『もっと自分から先に考えていかないと』になった感じ。
なんか目の前にきたっていうか、プレッシャーはあるかな」
「じゃ、あとは方法だけか?
先輩に聞いてみるとか、可能なら体験してみるとか……」
「そっか、考えるにも手掛かりが必要だもんね」
「そこでだ。
ずっと静かに凜々花を見守っている、コチラのお姉様に相談してみたらどうだ?
せっかくだし」
「えぇ! 私?」
「そう、その私さんに」と話を振って、俺はウィンクした。
「パパ、それキモいからやめて。
それはともかく……
茉莉花さんは高校生のときって、すぐに進路を決めたんですか?」
「私のとき……」
茉莉花は俺をチラチラ見ているようだが、気づかないフリをして土鍋からおかわりをすくって取った。
「えーと、こんなこと言うのイヤなんだけどね。
私、この大学へ行けって、父に言われてたのよ。
だからずっとそこだけ目指してたかな」
「おぉ! 凄いですね。
それ、迷いがなかったってことでしょ。
どうしたらそんなに、はっきりできるんだろ?」
凜々花は深く溜息をついた。
「……そうじゃないの。
迷いがあるとか、ないとかじゃないんだ。
私は父に認めて欲しかった。
褒めて欲しかったのね。
父はわかりやすく喜んだり、言葉にして褒めたりしない人だったから……
そんな父の気を引くためで、真面目に考えて悩んだりはしてないの。
でも、そんなの変よね。
自分の人生なのに、自分以外の人のためだなんて。
とっても重要なことなのにね」
「そうですか?
全然変じゃないと思います、私は。
だって、高校生の茉莉花さんにとって、それだけお父さんが重要で、大事な存在だったっていうことでしょ。
そのためにたくさん時間を掛けて、努力を重ねて頑張った。
それって、そのときの茉莉花さんにとって大事なことが、明らかにそこにあったってことじゃないですか。
高校生の茉莉花さんが心に持っていた、大事な思いを貫いたってことですもん。
それは誰かがとやかく言えるような、そんな軽いものなんかじゃないですよ、きっと。
私はそう思うな」
――凜々花の奴、意外といいことを言いやがるな。
それを聞い茉莉花の瞳は、揺れていた。
感じるものが、きっとそこにあったのだろう。
その瞳には、今は亡き父親の姿が浮かんでいるはずだ。
いくら俺が筋道を立てて話しても、伝わらないこともある。
ときには凜々花が言ったように、裏のない純粋で、シンプルな言葉のほうが何倍も意味があるのだ。
俺のような奴がこねくりまわしても、
やがて黙ったまま、茉莉花は鼻のあたりを両手で覆う。
「え! あれ?
私、何かマズイこと……」
突然の出来事に慌てふためく凜々花の腕を掴んで制すと、俺は首を振った。
それから茉莉花はそっと立ち上がると、ダイニングをあとにした。
そのうつむいて小さく丸くなった背中が凜々花の部屋に入ったのを見て、俺の娘は「大丈夫かな、茉莉花さん」と心配の声をあげた。
「いいんだよ、あれでな。
凜々花にしては、いいことを言ったぜ。
それが良過ぎて、グッと刺さったのさ、きっと」
それでも凜々花は目をパチパチとさせ、落ち着かない様子だ。
「ちょっと頭出してみな」
「へ、なんで?」
「いいから、さ」
おそるおそる出された娘の頭を、荒っぽく撫でてやる。
「いい子に育ったな、凜々」
「ちょっ、え、痛いって。
2人とも意味がわかんないから、もう!」
「凜々花。
いつまでも彼女がいる訳じゃない。
そのいつかってのは、俺もわからん。
けど、覚悟しとけ」
「……そうだよね、わかった。
わかったけど、さみしいね」
「ン、たぶん残りは少ないだろう。
アイツがどう考え、どんな答えを出すにしろな。
けどな、こう考えろ。
思い出して後悔しないためにはどうするかってな。
できることをするのは当たり前で簡単だが、後悔しないように人に関わることは難しい」
「それってママにも……」
「そうできなかったから、そう思う。
それだけだ。
さ、もう食べる方はいいのか?
いいなら片付けよう」
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