第23話 警告


「どうして凜々花に会わせたか……だと?」


 ……


 …


 言葉もない。

 言われてみれば、その通りだ。

 いつもの俺なら考えるまでもなく、当然に別の方法を探したはずだ。

「娘を私が危険にさらした、みたいに言ったわよね。

 それ、なんかに落ちないのよね。

 私のせいじゃないでしょ?

 あんな大胆不敵なことをやり遂げるようなあなたが、そんな大事なことに注意を払って警戒しないなんて、一貫性がないんじゃなくて?」


 顔を覆うのは俺の番だった。

 まさに、茉莉花の指摘の通りだ。

 わざわざ身内を晒すなど、いったいなんの冗談だ?

 俺は亡き毱花に似た茉莉花を、娘の凜々花に会わせてやりたかったのか?

 それとも俺自身が、囚われの茉莉花に毱花を重ね、舞い上がっていたというのか?

「それは……」

 二の句が継げない。


 ショッピングモールでの2人の姿がよぎる。

 凜々花の母として、俺の妻として、偽りの家族として……

 そんな夢が見たかったというのか、俺は……

 

 偉そうに語りながら、たった1つの質問に動揺し、立往生している。

 うっかりしていた、とか、疲れていた、だとかの見え透いた嘘はマズい。

 そんなものは通じないだろうし、何より自分で自分に失望してしまうような回答だ。

「答えてもらえないのね。

 さっきまでの勢いはどうしたのかしら。

 何か思い当たることが、あるんでしょう?」

 泣き跡が残る顔で、茉莉花は微笑む。

 目尻が光り、俺とは対象的に勢いを増してくる。

「だっておかしいものね。

 でもいいわ、今ここで答えてくれなくて。

 その、あなたの言うことも、いくらかは理解できるわ。

 ちょっとだけどね、ちょっと」

 片目をつむり、親指と人差し指をくっつけたり離したりして言う。

「だから私、決めたわ。

 ここに居座ってやる。

 あなたも誰も、勧めてこない選択をします。

 そうね、きっと凜々ちゃんくらいでしょうね、『ここに居たらいいのに』って言うとしたら。

 だってあなたが嫌がりそうで、面白いもの。

 ここにしばらく滞在します。

 あなた言ったわよね。

 感情の動かないことに真実はないって。

 その通りにします。

 面白そうだから、飽きるまでいようかしらね。

 そのあいだに今の質問の答え、考えておいてくださいね」

「……届出の締め切りまで、何日もないぞ」

「そういうの、期待はずれな答えね。

 マイナス評価でしょ、それ。

 北見さんの基準では、ね。

 そんなのに、私の感情は動かないの。

 思うままにしたら、どうなるか試してみるわ」

「……勝手にしろ!」

「フフ、怒ったのね」


 そうして俺は、もうしばらく痛い荷物を背負い続けることになったのだ。




        ◇



 

 まず、今日どうするのか?


 それを決めてからの茉莉花は毅然きぜんとしていた。

 血筋か育ちかはわからないが、人にハッキリと要求することは得意らしい。

 自分の肝心なことは、いつまでも決まらんくせにな。


 ここにしばらく居座ることを茉莉花が決めてから、その行動は早かった。

 今までのことが、まるで嘘のようだ。

 俺に電話を掛けさせ「しばらくお世話になることになったから、また手伝って欲しい」と凜々花を呼び出したのだ。

 とりあえずの生活に必要なものを、買い揃えたいとのことだった。

「金は?」と問う俺に、経費は後で精算しますと一言。

 俺が立て替え払いすることは、もはや決定事項らしい。

 コイツは恐れ入るね。

 臆面もなくこういうことは、普通できないもんだと思うが……

 オヤジにその周辺の人間といった、指示する立場の人間を見慣れている、そういうことなのだろう。

 簡単な化粧道具、枕に毛布といった寝具、ハンカチにストールに生理用品や腕時計……

 それらを入れるバッグに、バッグの中の小物のためのバッグまで。

 大小さまざまにお嬢様の買い付けが続く。

 茉莉花の出自がわかった今では、取りっぱぐれもないだろうし文句もない。

 けれども、『いったいいくらの請求になるのか?』と、庶民の俺は考えてしまう。

 はじめは自分のものであるかのように喜び、ショッピングを楽しんでいた凜々花も、途中からは買い物酔いというか、単に疲れたのか、一歩引くようにしていて、茉莉花のエネルギーに圧倒されている。

 さながら大名だかスターの買い物のようで、なんだか周囲の目が気になって恥ずかしいほどだった。

 荷物持ちの俺は、お嬢様に付き従う執事か?

 それだけたくさんの品物を揃えれば、時間もかかる。

 すでに夜も8時を迎えていた。


 車に不用品を満載にしてリサイクルショップに売りに行ったことはあるが、買い物で満載とは貴重な初体験だ。

 もしも仮に車が茉莉花のものだったとしたら、きっとこうなるだろう。

「荷物が入らないから、邪魔な北見さんは歩くかタクシーで帰ってね」

 悪気なくニッコリと、そう言われるに違いない。

「満足はできないけど、凜々ちゃんのお陰で十分にはなったわね」

 そのようにお嬢様は語った。

 俺の財布と愛車のお陰じゃないかと思うが、面倒なので抗議はしない。

 正直、俺も疲れていた。

 24時間前には、今回の仕事へと、出発さえしていないのだ。

 それから壁を越え、騙されて茉莉花に会い、連れ出して早朝には凜々花に引っ叩かれ……

 いろいろありすぎた。

 

 さすがに気力の尽きた俺たちは、ドライブスルーで簡単に夕飯を済ませてしまう。

 自宅に戻って車を停めて振り返ると、起きていたのは俺だけだった。

 2人は揺れる車の中で、ぐっすりと眠り込んでいる。

 2人を起こして荷物を俺が運ぶことを考えると、このまま俺も車で寝てしまいたいような、そんな寒い夜だった。

「いったい明日は、何を要求されるやら」

 俺は寝起きで機嫌のイマイチな2人をなだめすかし、部屋まで上げる。

 予想通りに荷物の運びは俺だけの仕事だった。

 茉莉花は風呂に入りたがってはいたが、眠気に耐えられず、凜々花と2人で狭い布団に潜ると寝てしまった。

 それから何往復かして、高価と思われるものを運び切ったところで、俺はバカバカしくなって運ぶことをやめた。

 適当にまとめ、座席の荷物には毛布を掛けて隠すと、簡単に持てる手提げ袋だけを持って部屋へ戻ろうとする。

 正面の自動ドアから入るとそこは風がなく、冷え込む屋外よりも幾分マシだ。

 そのままエレベーターの箱の中へと乗り込んだ。


「――ん、なんだ?」と思わず呟く。


 エレベーターが4階で止まりドアが開くと、一瞬間違えて階数を押したのかと思い、表示を確認する。

 先ほどまではしなかったニオイが、かすかに、確実に、そこに漂っていた。

 建物の外でも、エレベーターの中でも、そんな臭いはしなかったはずだ。


 ――この感じ……コロンか?


 自宅のフロアで降りて、これまでに嗅いだ覚えのない匂いだ。

 茉莉花も凜々花もショッピングでサンプルを試してはいたが、この匂いじゃあ、ない。

 それにエレベーターの中では、まったく感じなかったのだ。

 

 扉を足で押さえ、廊下の左右をサッとのぞき見る。

 息を殺して様子を伺うも、それ以外の異常はない。


 ――よその家の来客?

 そうも思ったが、あり得ない。

 この現代でエレベーター恐怖症の奴など、会ったこともない。

 エレベーターを使わずに階段を使うなど、やましい理由でもない限りあり得ん。

 ましてやこんな夜に、大型の荷物や家具の搬入だってないだろう。

 そのままゆっくりと自宅前まで歩き、部屋のドアを慎重に開ける。

 靴の並び、傘や小物の位置を記憶と重ね合わせる。

 そこに、違いは感じない。

 そのまま足音を殺して部屋へ入る。

 室内にニオイは感じない。

 いくらかホッとし、胸を撫で下ろす。

 ノックしてから返事のない凜々花の部屋をそっと開けるも、2人は寝息をたててグッスリと休んでいた。


 ――フン、心配しすぎか……

 いきなりここがバレようはずもない。

 だが、警戒も必要なことは事実だ。

 注意を払う必要も、ある。

 そう考えながらコーヒーを入れる。

 昨日今日と長く部屋を開けていたから、俺は郵便物がたまっているかもしれないと思い、玄関に向かった。


 そしてそこに、違和感の正体はあった。

 俺が取り出した郵便物に紛れ、1枚の紙が紛れていた。


 そこには、赤の太いマジックか何かで『南雲茉莉花』、ただそれだけが大きな字で書かれていた。

 

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