第11話 チキンレース


「しっかり捕まってな!」

 俺たちが願いを込めて曲がった角の先。

 俺はまんまと大当たりを引いちまった。


 俺たちの進路の先……

 奴らの車がこちらへ進んで来た。


 正対した以上、やるかやられるか。

 それ以外はない。

 

 茉莉花に声をかけるやいなや、床を踏み抜く勢いでドンッとアクセルオン!

 消しっぱなしだったライトを点灯させると、一直線に対向車の元へ急ぐ。

 キックダウンして車のギアが下がり、ゴオォンとエンジンがうなる。

「ちょっ、まさかぶつける気!」

「その気で行かなきゃ!

 舐められたらゲームオーバーなんだよ!」

 パッシングを何度も繰り返して目くらましを仕掛ける。

 そのままベタ踏みで加速し続け、突撃する。

「道を開けろよってんだよ!」

「いや! 怖い!

 ぶつかるから! ねえっ!

 止めて!」

 あまりの勢いに、茉莉花と同じようにひるんだのか、対向車の進路が右に逸れた。


 だが、俺はえてその進路に被せるように同じ方向にハンドルを切って追うようにする。


 ――ただすれ違うだけじゃ、壁を越える時間が作れない。

 オラオラ! 

 もっと逸れないと、ぶつけちまうぜ!

 そらそらそら!


 俺のイカれた勢いにやられたか、対向車はさらに横へ逸れて脇に乗り上げる。

 アクセルを緩めず、今度はハンドルだけを左へと切り返す。

 すんなりと道路に沿って車は真っ直ぐに……


 ――なんて上手くはいかず、俺たちを乗せた車は左の脇に積まれた資材へ一直線。

 1度ブレーキを蹴りとばし、操舵輪の前輪に荷重を掛ける。

 急ブレーキに体が前へと、つんのめった。

 その状態から一気にアクセルを踏み直し、荷重を掛けた前輪をグリップさせ、右へと引っ張り込む!

 これでどうだ!


 ――やったか?


 そう思ったがリアが遠心力で滑って流れ、ゴリッと縁石で跳ねる。

 次の瞬間、車体後部が重力に引かれて着地し、ドゥンと激しく下から突き上げられる。

 

 だが、なんとか車は道路に戻った。

 どうせ奪い取った乗り捨ての車。

 派手に壊れたって、俺の知ったったこっちゃないぜ。

 車を立て直せさえすれば、勝ったも同然!


 そのまま俺が侵入したポイントまで、俺を邪魔するものは何もなかった。

 急ブレーキで車体を止めると、「さあ、急ぐぞ」と声をかけた。

 ギアをパーキングに入れ、運転席のドアを開け放ち、外へ飛び出す。

 俺はブロック造の小屋の裏へと走り出した。


 ――裸足で走れるか?


 そう思い振り返ってみると、遅れてくるどころか、誰も俺のうしろについてきていない。

 奴らもいないが、肝心要の茉莉花もいない。

 慌てて俺Uターン。

 車に戻り、助手席のドアを外から開ける。

「何やってる!

 ここまできて、ノンビリできんぞ」

「う、動けなくなっちゃったの」


 ――ふざけんなよ! 

 カーッとなり、頭に血が一瞬でのぼるのを感じる。

 ここまで苦労してきて、もうすぐなのに!

 助手席に頭を突っ込んで、シートベルトを外す。

 見えない追手に焦り、手探りで外そうとするもなかなか上手く外せず手間取った。

 そのままシートと茉莉花の間に右手を差し込み、体を前に起こす。

 抱き込むようにしてゆっくり頭から引き出そうとするも、1度茉莉花の頭をドアの枠にぶつけてしまう。

 もう1度さらに姿勢を下げ、ゆっくりと気をつけながら頭を外へ出してやる。

 それから膝をつくようにしゃがむと、茉莉花の体を右肩に背負うようにして車から抱え出した。

 右手に触れる臀部でんぶ付近、茉莉花のスカートは生暖かくも、ジットリ湿っていた。


 ――俺は興奮しっぱなしだが、普通の女の子は、こうか。

 そりゃそうだ。

 その湿り気に、俺は冷静さを取り戻した。


 茉莉花を肩からそっと降ろし、声を掛ける。

「怖かったよな、俺が悪かった」


 かわいそうに茉莉花の可愛らしい顔は、濡れて崩れていた。

 茉莉花がパニック状態から抜け出て安心できるように、上半身をぎゅっと抱き、背中を軽く叩く。

「もう大丈夫だからな、すぐに暖かくしてやれるから」

 それから少しでも早く感覚が戻ってくるように、「よしよし」と頬や耳を擦ってみる。

 完全に感覚が戻るまでそうしてやりたいのも山々だが、残念ながら逃亡者の時間には限りがある。

 再び茉莉花を背負いに切り替えて、俺は室外機や配管に足をかけつつ、小屋の下屋げやをよじ登りはじめた。

 姿勢を前傾にしておかなければ、当然、うしろの茉莉花はズリ落ちてしまう。

 バランスに気を使いながらよじ登ることは相当なシンドさで、骨が折れた。

 奴らはまだ見えていないとはいえ、内心は焦って仕方がない。

 けれどもここで俺が焦りを見せれば、なおさら茉莉花はパニックになる。

 嘘でもハッタリでも、俺の背中から余裕が伝わるようにしてやらねばならない。

 手を、足を、何度も掛け直しながら慎重に登らねばならなかった

 登り切って屋根の上に上がる頃、ようやく茉莉花の体に力が戻ってきた。


「この壁を降りれば外だ。

 行けるな」

 茉莉花は何も言わずにうなずいた。

 俺は先にコンクリートの壁を降りて、石垣の上に立つ。

「いいか、壁の外は見るな。

 必要ない。

 壁だけ見て足を下ろせば、あとはしっかり支える」

 コンクリートの塀自体は2mしかない。

 足元が石垣だからいささか不安定ではあるが、茉莉花の体を支えること自体は容易だ。

 建物の窓から、散々に苦労して降りたことを思えば、イージーモード。

 ただし、注記がつく。

 その下に石垣があることを除けば、だ。

 だから俺は、2mの塀としか言っていない。

 そしてそれは嘘ではない。

 ただでさえ腰が抜けたあとだ。

 暗い壁の外は下が見えず、まるで絶壁のように見えても不思議はない。


 暗闇とは、想像力をき立てるものだと決まっている。

 それももちろん、不安な方へだ。

 心の弱っているものには、なおさらだろう。


 だから嘘も上手く使わなければ、立ち往生でジ・エンド。

 茉莉花はまだ力が入りにくいのか、腕がプルプルとして、ただ足を下ろすだけの簡単なことが上手くいかない。

 俺は『バランスを崩されたらどうするか』と思うと、背中がひんやりと涼しくなった。

 ――いや、それは茉莉花を背中から下ろしたせいだ。

 俺の不安は伝染しちまう。

 心を強く持つんだ。


「茉莉花、腹減ったろ?

 何が食いたいか、考えとけよ。

 脱出の記念に、なんでもおごってやるぜ。

 缶詰もたまには悪くないが、毎食じゃ味気なかったろ?」

 茉莉花のわずかな動きに合わせ、「いいぞ、そうだ。もう少しだ」とこまめに励ましてやる。

 そうして壁を越え、続けて石垣も一息に降りてしまうことができた。

 最後は転げ落ちるようにもなったが、しっかりとした地面の上なら何の問題もない。

 茉莉花程度の重量を抱いて支えることなど、造作もないこと。

 工場から抜け出した余韻に浸る間も無く、再び茉莉花を背に乗せ、ここへ乗り付けた車へと駆けていく。

 車にさえ乗ってしまえば、疲れることもないのだ。

 そう思うと疲労があるはずなのに、足が軽く思えた。

 やっとたどり着き、茉莉花を助手席に座らせ、シートベルトを掛けてやる。


 ――こりゃ完璧に掃除しないと、髪の毛がみつかって凜々花りりかにドヤされるパターンだな。

 まあ、面倒だから掃除はしないが……

 

「少しシートを倒すからな」と声をかけて、苦しくないように調整した。

 茉莉花は小さくかすれる声で「ありがとう」と返してきた。

「大したことじゃないさ。

 それより食いたいもんは決まったか?」

 俺は運転席に回り込むと、エンジンに火を入れる。

 それから中央のパネルに手をやると、エアコンの温度を最大に上げる。

「すぐあったまるぞ。

 それまでこれを掛けろ」

 後ろの席から車内で昼寝をする用のひざ掛けを引っ張り出し、未だ冷たいエアコンの風で鳥肌の立つ茉莉花の足にかけてやった。

 あとは全開であらかじめ予定していた逃走経路をぶっ飛んで――と思ったが、すぐに気がついてしまった。


 そもそも茉莉花は俺が対向車にぶつける勢いで突っ込んだから、腰を抜かしたのだ。

 同じことを繰り返せば、俺は茉莉花の信用を完全に失うだろう。

 それは避けたかった。


 ――ん?

 避けたい…だと?


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