第十一話 今現在の先輩と私の心

 沙耶佳との会話から数日後の放課後、私は教室で本を読みながら佐伯先輩を待っていた。

 進路のことで先生と話し合わなければいけないらしく、遅くなるかもしれないけど待っててと昼休みに言われたのだ。

 捨てられた子犬のような目で懇願されてしまえば、私にはうなずくことしかできなかった。

 佐伯先輩の武器は声だけではない、と認識を改めさせられた。

 そもそも彼自身が立派な最終兵器だ。


 文字を目で追っていると、階段を駆け上がってくる足音が聞こえてきた。

 私は佐伯先輩ではないから、誰の足音か判別することはできない。

 でも、部活動をしている人はまだ活動時間で、部活以外で残っている人は限られている。

 何より今この時、こんなに急いで教室に来ようとする人なんて、彼以外に考えられなかった。


「ごめん、遅くなって!」


 ガラッと勢いよく開かれたドアと共に、その声は教室に響き渡った。

 元陸上部部員なのに荒い呼吸。どれだけ全力疾走したんだか。

 思わず苦笑がこぼれる。


「いえ、それほど待ってませんから」


 こちらに近づいてくる佐伯先輩にちらりと目をやり、そう言った。

 読んでいた本に挟むため、しおりを手に取る。


「あ!」

「はい?」


 いきなり声を上げた佐伯先輩に、驚いて手が止まる。

 問うように彼を仰ぎ見れば、なぜか咲きこぼれんほどの笑み。


「しおり、使ってくれてるんだ。ありがとう」


 その言葉に、佐伯先輩の表情の理由を知る。

 私が今手に持っているのは、彼から贈られた銀のしおりだ。もらったその日から使っていた。

 にこにこと本当にうれしそうに、佐伯先輩は笑っている。

 頬が赤く染まって見えるのは、夕焼けによるものではないだろう。

 プレゼントを受け取っただけでありがとう。それを使用すればまたありがとう。

 佐伯先輩は私に対して感謝を大安売りしすぎだと思う。


「……そりゃあ、もらったものですから」

「でも、趣味じゃなかったりしたら使ってくれないかもなぁって。ちょっと……でもないな、かなりドキドキしてた」


 そう語る佐伯先輩は、情けないことを言っている自覚があるのか、少し照れくさそうにしている。

 彼の気持ちはわからなくもなかった。

 誰かにプレゼントを贈るとき、気に入ってもらえるかどうかは私だって心配になるものだ。

 相手が好きな異性なら余計だろう。

 佐伯先輩にとって、私は、片思いの相手。

 私の何気ない言動で、先輩は大げさなほどに一喜一憂する。

 もし私がプレゼントを気に入らなかったら、彼はどれだけ落ち込んだのだろうか。

 想像してみるとなんだかおかしくて、笑えてきてしまう。


「かわいいと思いますよ。私に似合うかどうかは別として」


 プレゼントを見たときの素直な感想を告げてみる。

 カードには、似合うと思ったものだと書かれていたけれど。

 可憐で繊細なデザインは、地味な私に似合っているとはとてもじゃないが思えない。

 佐伯先輩の目は節穴だ。もしくは、恋は盲目ということなのか。


「似合ってるよ。よく似合ってる。俺が篠塚のことを思って選んだんだから、似合わないはずがない」


 きっぱりと、佐伯先輩は断言した。

 どこにそんな自信があるのか聞きたくなるほどに。

 まっすぐ私を見下ろしてくるその瞳は、節穴には見えなかった。

 鼓動が勝手に早鐘を打ち始める。


「篠塚はかわいいよ。本当にかわいい。優しくて、繊細で、俺にとって誰よりも魅力的な乙女だ」


 声が、言葉が、耳を通って心まで届き、奥底で反響を繰り返す。

 かわいい。好き。一緒にいて楽しい。

 佐伯先輩はいつだって、自分でも気づいていなかった、私の欲しい言葉をくれる。

 甘い甘い声で、想いを込めて、受け止めきれないくらいたくさん。

 はちみつのような言葉の数々に、おぼれてしまいそうになる。

 どうして、そんなに私のことを想ってくれるんだろうか。

 不思議で仕方がないのに、怖くて聞けずにいる。


「いつか、篠塚のこれを、俺にちょうだい?」


 私が手に持っているしおりの、真ん中のハートを指さして、佐伯先輩はそう言った。

 これ。私の、ハート。私の心。私の……恋心。

 言葉の意味に気づいたとたん、カッと全身が燃えるように熱くなった。

 佐伯先輩は、私に想いを返してもらうことを、望んでいる。

 わかっていたはずのことを、この瞬間、ようやくちゃんと理解したような気がした。


 私といるときはいつも、楽しそうに笑っている佐伯先輩。

 ちょっとした言葉ですごくうれしそうにしてくれる佐伯先輩。

 もし、私が彼の想いに応えたなら。

 先輩はどんな顔で笑ってくれるんだろうか。


 ああ、もう、駄目かもしれない。

 いつかと言わず、今すぐに。

 あなたのことが好きだと、告げたくなってしまった。

 茨に囲われた心を、捧げたくなってしまった。




 数ヶ月前から今まで続いていた先輩と私の攻防戦にも、どうやら終わりが見えてきたようだった。

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