カモノハシのおもちゃ箱

芹沢カモノハシ

もし、過去に戻れたら

 タイムマシンを買った。以前から欲しい欲しいと思いながら、自分のような薄給のしがないサラリーマンにはおいそれと買える額ではなかったので、コツコツと貯金していたのだ。家に届いたタイムマシンは椅子型のもので、戻る日付まで設定できる高級品であった。その代わり時間制限付きで、最大2時間までしか過去には滞在できないが、僕はそれでもかまわなかった。彼女が救えるのであれば。

 彼女は僕の職場の同僚で、とても明るく人当たりもいい太陽のような人で、僕だけでなく会社の皆から好かれていた。3年前のあの日も、仲のいい同僚とサプライズでささやかながら誕生日パーティを計画していた。しかし、彼女はそのパーティを楽しむことはなかった。

 3年前の彼女の誕生日。その日に彼女は死んだ。何者かに首を絞められ、自宅で亡くなっているのが発見されたのだ。警察は指紋や髪の毛などの痕跡が見つからなかったことから、犯人は彼女に恨みを持つ何者かの犯行だと結論付けたが、僕は違うと思った。彼女は人から恨まれるような人間ではなかった。

 彼女がいなくなって、僕はまるで胸のあたりにぽっかりと穴が開いたようになって、感情やら気力やらがその穴から流れ出て、死んだように無気力になってしまっていた。当然仕事でもミスばかりで、上司にも心配されてしばらく休むように言われてしまった。

 そんな絶望の底にあった時だった。ふと街中の広告を見た時、僕は救われたような心持になった。それはタイムマシンの広告だった。『人類の夢が、貴方の手元に』そのキャッチコピーに、僕は心の底から感謝した。その日から僕は元のように、いや元よりもずっと一生懸命に働くようになった。過去に戻り、その日の彼女に会いに行けば、きっと彼女を守れる。その一心で働きに働いた。そしてようやく今日、タイムマシンが家に届いたのだ。

 早速電源を入れる。手すりのところに年月日を入力する部分があり、そこに戻りたい日付けを入れてスイッチを押すと過去に戻る。制限時間は反対側についている入力用キーボードに分単位で時間を入れる。簡単な仕組みだ。座席に座り、日付を入れて、制限時間を最大の2時間に設定。スイッチを押した。独特の駆動音が部屋に響き、僕は目を閉じた。ああ、漸くだ。やっと君を救える。待っていてくれ、僕の愛しい人よ。

 

 目を開けると、僕は僕の部屋の椅子に座っていた。タイムマシンではなく、ただの黒いデスクチェアだ。日めくりのカレンダーを見る。3年前の彼女の誕生日が書かれていた。成功だ。やった。急いで椅子から降りて、手袋とコートを着て部屋のドアを開ける。早くしなければ彼女は殺されてしまう。

 彼女の家は僕の家からそう遠くはない。徒歩で十分に行ける距離だ。全力で走ったから、彼女の家にはすぐについた。合鍵で彼女の部屋の鍵を開ける。叩きつけるようにドアを開くと、そこには驚いた顔をした彼女がいた。

「助けに来たよ」

そう彼女に言うと、彼女は震える声で、

「……どなたですか?」

と言った。

「何言ってるんだよ、僕だよ。わからないかい?」

「誰?なんで私の部屋にいるの?なんで鍵を持ってるの?出てってよ!」

彼女は目に涙を浮かべながら叫ぶ。僕はわけがわからなくなって、

「どうしたんだ?僕だよ、ずっと一緒にいたじゃないか!ずっと君を見ていたんだ!」

すると彼女はおびえたような顔から一転してこちらを睨むと、

「…あんたね!私をずっと付け回してたストーカーは!」


 ストーカー?僕が?馬鹿な事を言うな。僕はストーカーなんかじゃない。君を助けに来たんだ。ずっと前から君を大切に思ってた。会社で君を初めてみたその時から、君は僕の大切な人だったんだ。だから雨の日も風の日も、夏の熱帯夜も、冬の良く冷える夜だって、ずっと君を見守ってきたんじゃないか。君をずっと守ってきたのは僕だ。他の誰でもない、僕なんだ。そんな僕を、あろうことかストーカーだと?ありえない、ありえない、ありえないだろ!僕は君の、何より大切な存在なのに!


 気が付けば彼女の首が僕の手の中にあった。両の手で、力いっぱいに握ったからか、首にはうっ血したような跡がついていた。彼女の顔は苦しそうに歪んだまま、あの綺麗な笑顔を浮かべる事はない。でもいいんだ。もう彼女はいらない。過去はしょせん過去だ。明日から僕は、君のことを忘れて生きていくよ。だからお休み、僕の大好きだった人。

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