39 泰河


「ルアハ... 」


髪や眼の色が変わった男の人型は、オレの右手の焔を見ていて、つい口を動かした... という感じだった。


今は、自分が言葉を発した ということに驚き

エリヤや 周囲の人型を見回している。


「話せるようになったのか?」


エリヤが聞くと、男の人型は 自分の唇や喉に触れ

「エリヤ」と言った。


やっぱり、発声 出来るように... と 思っている間に ワアッ! と 歓喜する思念の波が押し寄せてきた。

周囲に居る 人型の大気たちの思念だ。

仲間が発声 出来るようになったことを喜んでいて

この場の感動に鳥肌が立つ。

歓喜の思念を受けた人型も 喜び泣いている。


「何という事だ... 」


男の人型を抱きしめ、とんとんと背中を叩き

喜びを分かち合ったエリヤが 腕を離すと

男の人型の元に 周囲の人型たちが集まって

代わる代わる抱きしめている。

まだ興奮している顔を オレに向けたエリヤは

「それは、獣の焔か?」と 聞いた。


「はい... 」


返事をしながら、目の前で誰かが喜んでいる ということに、胸が熱くなる。


「獣を 食っちまったからだと 思うんすけど、

天の筆で模様を出すまでは、発現してなくて... 」


焔を使って、こんな風に喜ばれたことは

今まで 一度もなかった。


「いつも、何かを消しちまうだけで... 」


「だが、こちら側の世界では

“ルアハ” という獣は、生命を齎すものなのだろう?

一度だけ見たことがある。

灰色の砂漠の 濃灰の神殿から、白い焔の天へ

駆け上がるところを」


「地上にも現れるんで」と エリヤに頷きながら

ケシュム島の儀式の時かもしれない と考えた。

あの時は、影人と重なった青銀の眼の人たちを

消失させてしまっていた。


「何故、発声 出来るようになったと考える?

髪や眼の色も変化したようだが」


えっ...  何でだ?

焔がやった ってことは間違いねぇんだろうけど...


そうだ、男の人型や根が 焔に巻かれた時

空気が抜けるような音がしたよな... ?


あ...


ふと、大気左の男が抜けたんじゃないか? と 思い当たった。

この人型たちは、生命の木の実を食べた後の 色の着いたオレの血液を 直接 纏っている。

土に泡立った血泥を全身に塗っていた。

水の男オレルアハ大気左の男と 大地の男だけから成っている訳じゃない。

その後に生まれた人型たちも、色の着いたオレの血の土や 血の大地に根を下ろす杉の木と、青い川の水... 大地の男の血液から成っている。


夜国... この世界の意思は、大気左の男だ。

それが抜けたことで、大気左の男の意思の支配からも抜けたんじゃないか?


それなら、大気左の男と対を成す 法則右の男... 司祭の支配からも抜けた ってことになるだろう。

ここに居る人型たちは、元々 司祭より大地の男を慕って、神殿の向こうには行かなかったけどさ。

とにかく、この推測が当たっていれば

強制力のある 統一 の意思と 法則から抜けた。


考えたことを エリヤに話してみると

「成程。自由意思を獲得した ということか」と

また嬉しそうな顔で

「お前は “大地の子” だ。白い大樹の男も目覚めるかもしれんぞ」と、白髪はくはつの人型の男にも笑いかけている。


黒い鉱石の木々の顔たちは、白い大樹の男... 灰色の砂漠の大地の男が眠ってしまったのは、エリヤが居るせいだ と考えていたけど、オレは、創世の祭壇での儀式が なくなったからだ と思う。

贄である水の男オレの燔祭が。


「他の者等からも 大気左の男を抜く事は出来るのか?」


エリヤに言われて、右手を上げてみたけど

白い焔の模様が浮き出さない。

実際に、他の人型の手を取ってみてもダメだった。


人型たちは 少し残念そうだったが、それよりも

仲間が話せるようになったことの喜びが大きいようで、白髪の人型を笑顔で囲んでいる。


「何か条件があるのかもしれんな。

先程との違いは、黒い根が出ていた事だ」


あの黒い根は、地上側で影人となって 人間と融合した大気たちだ。

人間の霊に反応して 焔の模様が出たのか、人型が取られることを阻止しようとしたからか...


「黒い根の者等は、眼が青銀に光る者等だろう?

黒い棘の森の木々のように、地上の人間と 一体となった者等であり、夜国こちらから見ると異物だ」


人間が異物...

まぁ、そうだよな。ここは夜国なんだしさ。


「焔は 異物に対して反応し、排除しようとしたのでは?」


「排除 っすか... ?」


それなら、あの黒い根の人間霊の部分を 消しちまった ってことになるのか?


けど確かに、地上で人間の霊に触れると 消えちまってた。大気左の男の 一部である影人も。

なら、影人と人間霊のどちらも消しちまってるんだろうか?

その霊たちは、どこに行ってるんだ?

どこかに行ってるんじゃなくて、本当に消滅させちまってるのか... ?


考えても わからねぇけど、やっぱり消すことしか出来ねぇんだな... と 苦い気分になっていると

「根は地中に沈んでいった。

その後どうなったかは、川の向こう側で 確認せねば分からんが、声をもたらしたのは確かな事だ」と

オレの背に手を宛てた エリヤが頷いた。


「いや、ただ大気を消しちまってるだけ かもしれないんで」


そもそも、人間霊であっても 影人であっても

右手で触れる時は、何とかしよう... つまり、消しちまおう という意志で触れている。

消しているのはルアハでも、その意志を向けているのは オレ自身だ。

神でもないのに、そんなことが許されないんじゃねぇのか?


「大気を抜いた というだけで、ひかりを得る事は無いだろう。

彼等には、備わっていなかったのだから」


「それは、エリヤが 言葉を教えたからじゃないんすか? だから もたらしたのは... 」


“分かりきっていることを” という表情になった

エリヤに

「彼等は、司祭が話すことによって、言葉という概念は持っていた。私が教えたのは 文字だ。

だが 話せなかっただろう」と 返されて、口を噤んだ。


「霊は、光である主の気息だ。

タイガ。それが かつては異界の者であった君に与えられたのは、主が 君の中に愛を見られたからだ。

この夜国せかいのために、自らを捧げ続けた」


「いや... 」


やめてくれ と、恥ずかしくなった。

それが嫌で、半身を殺して逃げたのに。


「君が贄として捧げられたのは 一度きりではない。生まれる度に幾度も繰り返されたのだ。

とても耐えられたものではない。

そうした役割 という概念こそが不自然なのだ。

しかし その度に、生命いのちを齎した。

君の魂の根にあるのは愛だ。

それだから、愛を受ける生命そんざいとなった」


言葉が出なかった。

“泰ちゃん” と呼ぶ、ばあちゃんの声。

実家のリビングや、道路から見上げた神社の階段がよぎる。

それなのに、地上でも人を...


「罪は、主によって赦される」


見越したように言われて、「けど」と 口にすると

「赦されるのだ。君が つらくとも。

犯したあやまちを忘れる必要は無い。

それでも、受け入れなさい。

彼の声は 君によって齎された事も」と 返されて

また胸を熱くした。


話す間、背に宛てられていた エリヤの手が緊張して、その視線の方... 淡い水色の丘へ顔を向けてみると、人型 二人が 丘の上から駆け下りて来る。


オレの背から 手を離しながら、こちらに走り着いた人型に、エリヤが「何かあったのか?」と聞くと、人型は 空中に指で文字を書いた。


「... 向こう側の者が?」


向こう側って、 川の向こう か?


不安な表情になっていく人型たちの中心で、白髪になった人型が、オレに顔を向けて

「“川岸、集まってきてる”」と 通訳してくれた。


「様子を見て来るから、待っていなさい」


エリヤが 皆に言ったけど、人型たちは エリヤと離れることも不安なようだ。


「タイガ、君も」


えっ?


「いや オレ、一緒に行くっす」


そのつもりだったしさ。

そしたら白髪の人型が「俺ら、行く」って 言い出して、何か言おうとした エリヤに

「根、こわい」と 肩を竦めてみせた。


「私より前に出ては いけない」という、エリヤとの約束付きで、結局、皆で行くことになったけど

マシュマロ色の岩場に向かって歩きながら

オレは、今じゃなくてもいいだろ ってことを考え出していた。

白髪になった人型のことだ。


エリヤは 天使サンダルフォンだから解るけど

この人、日本語 話してねぇか... ?

エリヤから文字を習ってたんなら、ヘブライ語とか ラテン語とかになるんじゃねぇのかな?


「あのさ... 」


どうしても気になって聞いてみたけど、白髪の人型は 質問の意味が解らん って顔だ。


代わりに エリヤが

「ミカエルの加護を受けているだろう?

光の加護だ。ことばは光であり、生命である」と

説明をしてくれるようだ。


「地上の人間同士の言語が通訳される事はないが

異教の神々や異界の者のことばは通訳される」


「ええっ?!」


「天使が人間と話す必要が生じた場合、当然

相手に合わせた言語を使用するが、ヴィシュヌやトール、悪魔等も、地上で君等と共にあった神々は、君等に合わせて 日本語で話していたのだろう。

だが、ソゾンとやらは どうだ?

日本語で話す必要はなかろう。

耳に届く前に通訳された という事だ。

共に戦う人間を護るために、特殊な加護を与えたのだろう」


確かに... 言われてみりゃ、最初に半魂の状態のソゾンと会ったのは、バリ島の寺院だったのに

日本語で話してたもんな...

世界樹ユグドラシル平原ビーグリーズで会った時も、呪文以外は日本語だった。


「なんで、人間の言葉は通訳してくれないんすか?」


「学べば良いからだ」


事も無げに感はあるけど、ごもっともだ。

何も返せねぇ。

けど、地上から見て異界である夜国ここでも

ミカエルの加護は生きている。


「主は、“思い上がってはならない” と 言語を散らされたが、人間同士が 互いに わかり合おう と歩み寄るのならば、その垣根を越え、友好的な関係を築くことは出来る。学びなさい」


「はい... 」


項垂れている内に、マシュマロ色の岩場に着いた。

岩場を抜けると、黄色い草の原の向こうには

青い水の川が見える。


その川の向こう岸には、人間と融合した大気たちが 川沿いに並び、青銀の眼を光らせていた。

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