38 泰河


木々の下で寛いでいる 赤や赤紫の髪の人型たち。

果樹や畑にも人型たちが居て

皆、麻布のようなものを 腰や身体に巻いている。


右側... 丘に向こうには、草や土と同じ 白っぽい水色の崖があって、エリヤが

「あの崖の洞窟のひとつが、私の住まいだ。

崖の向こうは砂漠となっている」と 指を差した。

こんなに広いのか...

あの時は まだ幽暗くらやみで、あざみといばらしかなかったのに。


丘の裾に並ぶ 果樹の下を歩きながら、木に生っている 林檎やオレンジを見上げて

「地上のと同じなんすね」と 言ってみると

「向こう側と こちら側を分かつ 二本の大樹の周囲にも果樹はあるが、これ等は 私が持っていた種を撒いたものだ。葡萄や小麦も」と

天衣の腰に提げている 革の小袋に触れた。


「天かエデンの種なんすか?」と 聞くと

そうではないようで

「天使は皆、幾らかの地上の種子を持っている。

天災や 人災などの後であっても、許可が出されれば 撒くために」って ことらしい。


「突然 ここに顕れた私の事を、こちら側の者等は

当然 いぶかしんだが、私が撒いた種が発芽したのを見て、興味を示したようだ」


夜国の果実には 種がない。

贄である水の男オレルアハに解け、大気左の男や大地の男と融合することで 生命が生まれていた。

だから 夜国の人型たちは、種から植物が育つことを知らない。

エリヤの種が 贄によらず小麦や果樹になるのを見て、奇跡のように驚いたのだろう。


「彼等は、小麦や葡萄の世話を 手伝うようになった。

手伝う というよりは、私のする事を真似るようになったのだが。

また 本来ならば、私も彼等も食事の必要は無いが、楽しみのために 作って食べている」


エリヤは、赤や赤紫の髪や眼の人型たちと 少しずつ打ち解けていくと、朝日も夜も訪れない 夜国ここの事を聞いたけど、人型たちは 声を発する事が出来なかった。


「だが、川の向こう側に居る 司祭や

人間と融合して戻る者等は、言葉を発している」


あっ、そうだ。

影の恩寵のことも話しておいた方がいいか。

けど、話の腰を折るのも何だし、終わってからにしよう。


「人間と融合した者については解る。

ひかりを知る者と融合したのだから。

だが、問題は司祭だ。

ヴァン神族のソゾンと重なった事は知らなかったために、“司祭は何故 話せる?” と聞いた。

こちら側の者等は、理由を知らなかったようだが

川の向こう側を指し示しながら、表情や動作で

憤りと悲しみを表していた」


その時は なんとなく、“しいたげられているのだろう”

ということが 伝わってきたようだが、わかったのは それだけだったみたいだ。


「後に、実際に見て解ったのだが

司祭や向こう側の者等は、こちら側の者等の事を

贄として見ている。

地中や川底の下を通って こちら側の地面から噴き出した黒い根が、こちら側の者等を連れ去り

向こう側の祭壇に供えていたからだ」


贄...

こちら側の人型は、色の着いたオレの血泥を塗って

身体のようなものを作ったからなのか?


「灰色の砂漠にある 藍の祭壇は使われていない。

白い大樹の男が 眠ってしまったからだろう。

新たなる人型の霊を生み出す為に、こちら側の者を贄とし、血を流させているようだ」


なら、贄とされた人型たちは、オレの代わりに...


「あの洞窟だ」


丘の裾に並ぶ果樹が途切れると、唐突に崖があって、10メートルくらい先に 洞窟があった。


洞窟の入口の脇には、“Eliya” と彫ってあって

「こちら側の者等は 発声は出来んが、言葉を文字で表す事を教えている」ってことだ。


入口は 低く狭く見えたが、中は なだらかな下り坂となっていて、結構 広い。

崖と同じ 白っぽい水色の壁肌で、天井の高さは3メートルから 4メートルくらいあった。

崖の向こう側の砂漠まで繋がっている、溶岩洞のような洞窟トンネルだ。

砂漠まで そう長くもない距離だけど、砂漠側まで 洞窟の壁が見える程の明るさがある。


入口から少し進むと、床も 下り坂ではなくなり

天井も高く 広い場所に、白い岩のテーブルと

ソファーや椅子代わりの岩があった。

あのマシュマロ岩場の岩のようで、テーブルは硬く、ソファーや椅子は柔らかい。


「ワインを造っている」


壁際には 木で作った棚があって、棚には青白い陶器の食器やコップが並ぶ。

棚の隣には瓶が並んでいた。


エリヤは、棚から コップ 二つを取ると

一つをオレに渡して、瓶の木蓋を外した。

また棚から 柄杓のような物を取って、瓶の中のワインを注いでくれている。


テーブルに戻ると、礼を言って コップを合わせ

一口 飲んでみた。甘くて美味い。

鼻に香りが抜けると、ジェイドん家のリビングや

ボティスや シェムハザ、ハティの顔がぎった。


洞窟の入口の方から、カンカン という 拍子木を鳴らすような音が響いた。

振り返ってみると、赤い髪の男が立っている。

こちら側の人型だ。

拍子木の音は、ノックの代わりのようだ。


ソファー岩を立った エリヤが

「どうした?」と 聞きながら、近づいていくと

一度 入口から消え、今度は籠を持って現れた。

フルーツやパンが入っている。


「ありがとう」と受け取った エリヤは

「後で、また文字を学ぼう」と、人差し指で空中に 何かを書いてみせている。

男の人型は 笑顔になって会釈をすると、草原へ戻って行った。


「ここでは、レンガを成形する者や 糸を縒り布を織る者、小麦を挽きパンを焼く者... と

それぞれが自分に合う役割を楽しんでいるが、

初めて文字を教えた時ほど喜んだ事はなかった」


テーブルに、パンとフルーツの籠を置いて

エリヤが微笑った。

文字を喜ぶ人型たちのことを 誇りに思っているかのように。

結構 長く 一緒に過ごしてるみたいだもんな。

自分の子供たちのような感覚なのかもしれん。


文字... そうだ、司祭の言葉!


「干し葡萄が入っている」と 勧められたパンを

「あっ、いただきます」と 取って

「あの、聖父の影の恩寵が 司祭に入ってたんすけど」と 話してみた。


「何? そんな事は... 」


「けど、ミカエルたちも見ました。

今は、天草 四郎時貞という、天が定めた預言者の

内にあります。

一度 死んで、蘇った子なんすけど」


「蘇った? 復活した ということか?

誰の手によって?」


「最初は、アバドンが利用していた エマという

日本の霊です。

四郎は ミカエルと天に昇ったんすけど、現世の肉体を伴ってたんで、“寿命まで地上にいなさい” って降ろされました」


四郎が 敬虔なクリスチャンで

日本で “宗門を認めてくれ” と戦ったことも話すと

「成程。天から降りている者か。

何故 主の影を飲み込めたかは 解ったが。

しかし、主の後ろにある影の恩寵に触れられる者など... 」と 考え込んじまった。


「でも、司祭の中にあった ってことは

サンダルフォンの中に居る 司祭の半魂か

蛇の仕業なんすかね?」


考えながら、それでも信じ難い という表情で

「恐らくは... 」と返した エリヤは

「だが、主や聖子が それに気づかれない という事が あり得ぬのだ」と 続けた。


「もしかすると、何らかには気づいておられ

影の恩寵が失われた事を 公にされなかった という

恐れもある。

影の恩寵も 主のものだ。

失われたとしても、主の手によれば 容易に取り返せる。

司祭が 夜国という異界に在っては、それも定かでは無いが」


何らかに... 夜国や獣か。

影の恩寵を取り戻さなかったのは、異界や異物の気配には気づいてたから、相手を知るために泳がせてたのかもな。


でも、夜国のものは 天からは見えない。

だから、影の恩寵が どこにあるのかは判らなかったんじゃないかと思う。

夜国のものである司祭の中にあったから。

恩寵を取り戻すと、“何らかの異物” との繋がりを断ってしまうことにもなってたんだ。


「しかしな... 」


肩を落とした エリヤは、オレの手のパンに目を止めると

「食べなさい。干し葡萄入りのパンは、私の好物だ」と、自分もパンを取った。


ちぎって 一口 食ってみる。

粉っぽいけど 香ばしくて、レーズンが とびきり甘くて美味い。


「美味いす」と、素直に感想を言って頷くと

エリヤも頷いた。


カンカンカンカン! と、けたたましく拍子木が鳴り、「黒い根か?!」と立ち上がった エリヤが

入口へ走る。黒い根って、あれか...

オレも後を追う。


淡い水色の草原の中心くらいに居る 赤紫の髪の男の人型の周囲に、地面から突き出した黒い根が伸び上がっていた。

近くまで走る間に、黒い根は 人型の腰や腕、足にも巻き付いていく。

周りに集まった人型たちは、根に近寄れずに泣いている。


「どうする事も出来んが... 」


エリヤは、人型の 一人から 石の刃のナタのような道具を受け取ると、男の人型に巻き付いている黒い根を刈り取っているが、根は あとからあとから生えてくる。


根に巻き付かれ 泣いている人型に、腕を伸ばした。

肘から先に 白い焔の模様が浮き出すのを見て

ヤバい と 躊躇ためらう。

もし、この人型を消しちまったら?


けど、川の向こう側で贄にされるなら...


根に巻き付かれる男の人型の肩を掴むと、黒い根の動きが止まった。

シュウウ... という 空気が抜けるような音がして

男の人型も黒い根も 白い焔に纏われた。


「獣の... 」という エリヤの声。


黒い根が 急激に沈んでいく。

男の人型の 赤紫の髪は白く、眼の色は黒くなって

「ルアハ」と、言葉を発した。

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