8 ジェイド


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ユーゴの部屋は、女の子らしかった。

でも、雰囲気は落ち着いてる。


「珈琲でいい?

飲み切りの ドリップバッグのしかないんだけど... 」


「うん、全然 何でも。ありがとう」


グレーがかった水色のラグの上には、ダークブラウンの猫足ローテーブルと アイボリーのソファー。

テーブルやソファーの向かいの壁際には、ダークブラウンのローボードとテレビ。

両隣に置かれた棚もタンスも、ダークブラウンの猫足。アンティーク風のものが好きなのだろう。

ユーゴに似合う部屋だな と思う。


でも ステンドグラスのかさのペンダントライトは

部屋の雰囲気から 少し浮いてる気がした。

小さなかさが四つか六つかついた シャンデリア風の方が合いそうだけど。


ソファーに座って ペンダントライトを眺めていると、ユーゴが戻って

「それね」と 手に持った 二つのカップを置く前に

「最近、変えたの。教会みたいって思って」と

少し恥ずかしそうに言った。可愛い。


カップを ひとつ受けとって、お礼の後に 一口飲んでいると「うん」と、自分のカップをテーブルに置いた ユーゴは、キッチン部分へ戻ってしまった。


でも、冷蔵庫から取り出した 小さな陶器の容器

二つと デザート用のスプーンを持ってきて

「これね、作ってみたんだけど... 」と、テーブルに置いてくれてる。チョコレートムースだ。


甘過ぎないけど、しっかりとチョコの香りと味がする。好みの味。

隣に座った ユーゴに「美味しい」と それも伝えると、「本当?! よかったぁ」と 緊張を解いた笑顔になった。


柄の細い シンプルなデザートスプーンを、ムースの表面に差しいれて

「最近、アコちゃんに聖書を貰ったんだけど」と

言ったので「アコに?」と聞き返してしまった。


「うん」


普通に返してきたので、アコは 聖書を手にしても

火傷などはしていなかったようだ。

「でも、ページを開いて読んでみようとしたら

“部屋か教会で読め” って閉じられちゃって」ということだ。

文字が眠る本ではなく、御言葉がヤバいのか。


「シイナも貰ってたんだけど、私達、読んでも

全然 意味がわからなくて」


何でもだけど、まったく触れたことがないものには、誰だって そうだと思う。

そのために、ゾイと 要点をまとめているのだけど

まだまだ時間が掛かりそうだ。


「何でも 聞いてくれたらいいよ」と 言っても

「何を聞いたらいいのかも わからないの」と。

うん、そうなると思う。


「神様が 地上や人間を創って、ジェズ... イエスに繋がって、愛されていると知ることが書いてある」


「うん、神さまが 何もかもをつくってくれたところは読んで、すてきだって思った。

土から男のコをつくって、その肋骨から 女のコもつくるだなんて」


「うん」と 頷くと、ユーゴは

「こうやって教えてくれるの、嬉しい」と 微笑った。


「神様が創った アダムとエバから 人は始まったけど、子孫のノア達以外は、一度 洪水で流されてしまった。

神様が、“育ててあげなくては” と 導き、共に歩んだ最初の人は、“アブラハム” という人。

キリスト教だけでなく、ユダヤ教やイスラム教も

彼が信仰の父祖となってる」


「あっ、名前は聞いたことある!

でも、どうして 神さまは洪水を起こしたの?

自分でつくった世界なのに」


「蛇に唆された アダムとエバが、神様が “これだけは食べてはいけない” って 禁じていた実を食べたところは 読んだ?」


ユーゴが頷いたので

「約束を守れなかった 二人は、楽園を追放された。“悪い事をした” と 教えられたんだ。

だけど、ただ普通に生きていて、許してもらおうと 一生懸命になったりということはなかった。

神様の方も、“追放したのだから” って、何も課せずに見守ってた。

でも、禁じられていた善悪の実を食べた 二人の子供のひとりは、嫉妬で自分の弟を殺すという罪もおかしてしまう。

二人が食べてしまったのは、そういう実だった。

“裸が恥ずかしい” と、それまでは自然の姿だったものが 肉欲に繋がるようになってしまったもの。

時代が過ぎて 人も増えていくと、堕落して 罪が蔓延してしまった。

流してしまわなければならないくらい、ひどいものだったんじゃないかと思う」と 説明した。


「善悪の実だけど、善いことより 悪いことばっかりしちゃったのかな?」と聞いた ユーゴに

「楽しいからね」と返すと

「ジェイドが言っちゃダメ」と 笑っているけど。


「でも、自分で壊してしまわなくちゃいけないのって かなしい。そうしなくちゃ止まらなかったり

収まらないのなんて」


少し驚いた。でも、そうだと思う。

哀しかったのは聖父だろう。


話している間に、空になった陶器の器と スプーンを置いて、適温になったコーヒーを飲んでいると

「バリの海が割れてたのは、ミカちゃんの超能力だったみたいだけど、聖書で割った人は誰なの?」と 聞いてきた。

本当に聖書の話を知らないんだな... と、半ば感心する。

いいんだけど、海が割れる場面は有名で 映画もあるのに。


「モーセだよ。

... “ヤコブの腰から出たものは、合わせて七十人”...

この時には、洪水から免れたノアの子孫が

また増え拡がっていたんだけど

アブラハムからは神様が 一緒に居たんだ。

もう見守るだけにせずに、直接 導いてた。

二度と流してしまいたくないからね」と 話すと

ユーゴは、スプーンにムースを載せたまま

興味深そうに頷いている。


そうか、まだ海が割れるところを話していない。


「モーセ達の少し前から、子孫はエジプトに居たんだけど、エジプトで奴隷のように使われてたんだ。

子孫は たくさん増えて、エジプトの王様は

いつか国を乗っ取れるか潰されるんじゃないか?って 不安になって、外国人である モーセの先祖達を国で働かせて管理した。

それでも どんどん増えていくから、ついに

“男の子が生まれたら殺せ” と御触れを出したくらいだった」


「うん... 」と、スプーンを忘れている ユーゴに

「ムース、食べないの?」と 聞くと

「あっ」と 口に入れて「もう 一個 食べる?」と

聞いてくれたので「うん」と 頷いた。


冷蔵庫から取り出したムースを渡す ユーゴに

お礼を言ったけど

「“赤ちゃんを殺しなさい” なんて、ヒドイ」と

ショックを受けているので

「... “女は みごもって、男の子を産んだが”... 」と

出エジプト記 2章2節を読んで、先を続ける。


「この赤ちゃんは、助かるんだ。

エジプトの王様の娘に拾われて、養子となって。

これが モーセ。神様が、苦しんでいる みんなを助けるための導き手とした。

大人になったモーセは、神様に

“アブラハムにあげた土地に戻りなさい” と 言われて、みんなを連れて戻る事にしたんだ。

でも、エジプトの王様は 奴隷が惜しかった。

それで追いかけてきたから、神様がモーセ達を逃がすために、海を割ったんだ」


海が割れるところまで話し終えると、ユーゴは

「えーっ、すごい! そんなの神さまにしか... 」と

言い止めて、「ミカちゃん、すごくない?」と

今更 ミカエルに驚いている。


「うん。大天使ミカエルだから」


冗談に取られるかと思ったのに、ユーゴは

「本当?! ジャンヌ・ダルクを導いた天使?!」と、興奮しはじめた。

おかしなことに、“大天使ミカエル” は 知っている らしい。


でも「中学生くらいの時に、ジャンヌ・ダルクの

本を読んだことがあって。

それで、深夜の番組で、フランスのモンサンミッシェルの特集もやってたから」... ということだった。


「本当に本人?」と、眼を丸くしたままだし

「そうだよ。仕事で天から降りてる。四郎も居るしね」と 返すと、「わぁ... すごい... 」と しばらく

感動していたけど

「じゃあ、神さまも本当にいるね」と

また今更なことを言って、寂しそうな顔になった。


「どうして?」と 聞いても、質問の意味が わからなかったようで、それはそうだ と 反省して

「寂しい?」と 聞き直すと

「ううん」と 首を横に振ったけど

「間違えて生まれちゃう人って、いると思う?」と 聞かれた。


「いないよ。生まれてから間違いを犯すことはあっても、自分で それを認めて、悔い改めることが... 」と 答えながら、ユーゴは 違う話をしていたことに気付いた。

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