110


ソゾンを巻いている白い鎖が、みるみると

黒く染まり出す。


「鎖の人間の魂に 移しているのか... ?」と

シェムハザが眉をしかめると、ソゾンは嘲笑い

黒く染まった鎖の下から、右腕を抜き出した。


『これが、以前 最も愛された者だった とは。

笑わせる』


あ と、思う間もなく

皇帝の背に 十二の翼が開く。

テーブルの向こう側に 神々しく輝く翼が拡がり

森の木々を隠した。畏れか感動かに 総毛が立つ。

「ルシフェル!」と、ミカエルが消え

多分、皇帝の背後に移動した。


テーブルに立った 天狗アポルオンが、白く長いつるぎの先を

ソゾンに向ける。


「面白いね」


赤黒い翼の背中。

今、“面白い” って言ったの、天狗アポルオンだよな... ?

別人のように 冷ややかな口調だった。


カタカタと 長テーブルや椅子が音を立て

振動が身体に響く。

無表情で ソゾンの後頭部を見ているが、皇帝だ。

天狗が立つ テーブルのワインボトルやグラスも倒れ、ノジェラと ゾフィエルが 支配者の二人を

テーブルから離した。

ざわざわと森の木々が騒ぎ、視聴覚室の蛍光灯が

立て続けに割れる。


なんとなく、ボティスや シェムハザに眼をやったが「何だ?」「何か出来ると?」と 肩を竦められ

ヴィシュヌが オレらを庇って ゲートの前に立った。


ヴィシュヌの向こうで、天狗が 白い剣を振り上げた。... 切っ先は、ソゾンの顎か額に宛ててたんじゃなかったのか?

予想通りだったようで

「俺の翼から作った剣だ。魂も斬れる。

半魂の眼がイカれたら、失明するのか?」と

長い剣を逆手に持ち替え、ソゾンを見下している。


「いつも、どこかで遠慮していた。

“母のため”、“妻だから” と」


石の門の中、一面に 皇帝の翼が眩い光を放ち

地面の砂が ふるえ浮く。


「でも お前は、人間の妻達や 自分の息子を利用し

皇帝を侮辱した」


その前に立つ赤黒い翼の背中に 興奮が見えた。


「構わないだろ?」


逆手の剣を振り上げると、左手でも柄を握り

渾身で振り下ろす。

『アバドン!』と叫ぶ ソゾンの声。

黒い鎖が砕けたが、長い剣を握る 天狗アポルオンの両肘は

肩より下にある。


「まだだ」


天狗アポルオンが剣の柄を 自分の方へ引き切り

テーブルの背後へ降りた。


ソゾンの後頂部は 皇帝に掴まれ、け反っている。右瞼を傷つけられていた ソゾンは

左眼から右の腿までを剣で貫かれ、前に 剣の刃を引かれたことで、その部分が長く裂け割れていた。長い裂け目から光を発する。

皇帝が息を吹くと、裂け目が裏返る程に割れ開き

また強く光って消えた。半魂の消滅だ。


審判者ユーデクス!」


聞き慣れない声... ミカエルの副官、ゾフィエルだ。

倒れた審判者ユーデクスを支えているが、審判者ユーデクスの左眼から

右の腿までが まっすぐに裂かれている。


「ソゾンと同じ傷だ!」

「どうなっている?」


翼を広げたままの皇帝の背後から、ミカエルが

移動する。「シェミー」と喚ぶ 皇帝の声。

ゲートから入った シェムハザが

自分の魂を分けた青い炎を審判者ユーデクスの口元に運ぶが

審判者ユーデクスは呼吸をしていない。


「何故、審判者ユーデクスが?」

「誰も 触れてもいないぞ」


「いや... 」


ミカエルが、足元にうずくま道化ニバスに視線を下ろした。


「足を吐き出す前に、審判者ユーデクスの足首を掴んでた」


「... 違う! 掴んだかもしれないけど 違う!

何もしてない 何もしてないよ!」


まだ ぼろぼろと涙を溢れさせる 道化ニバス

座り込んだまま、必死に首を横に振った。


審判者ユーデクス!」「息を!」


青い炎の魂を口に含む シェムハザが

裂けた審判者ユーデクスの頬を 両手で押さえ、口の中に

炎を吹き入れる。


ミカエルが、審判者ユーデクスの赤いローブと天衣を たくし上げ、道化ニバスが掴んだ足首を確認した。

黒い印章があるが、見たことはない。


「“写し” だ」


翼は畳んだが、無表情のままでいる皇帝が言った。

ボティスが「道化そいつが言っていることは本当だ」と

つり上がった眉の間に シワを寄せる。


「写しは、“転移” とは違い

写された者は、写した者と同じ目に合う」と

シャツを上げ、胸のクロスの端を見せた。

ジェイドの肩にあるクロスを写したものだ。

それと同じように、膝下や指を切られた イヴァンの痛みを、写された道化ニバスも感じたらしい。


「上級魔術だ。道化そいつには扱えん。

憑依を解かれたソゾンが 道化ニバスを使い、自分に起こることを 審判者ユーデクス恩寵グラティアに写させようとしたんだろ。

ソゾンが 半魂の状態だったため、右眼を掠った傷は写されなかったが、魂の中心を貫いた傷は写った」


「じゃあ、審判者ユーデクスの半魂は... ?」


ゲートの前に立つ ヴィシュヌが振り返って聞くと

ボティスは「消滅した恐れが高い」と答え

「だが、七層を開く鍵は浮き出していない。

恩寵グラティア」と ゲートの中に声を掛け、恩寵グラティアに確認をした。


「魂は残っている。だが 身体がこれでは

じきに離れるだろう」


「シェムハザ」


「駄目だ。半魂が消滅する程の傷だ。

身体も大破しては... 」


皇帝も 審判者ユーデクスの傷に手を置いたが

「これは塞がらん」と、すぐに手を離した。

白い剣を手に立ち尽くす 天狗アポルオン

「お前のせいではない。良くやった」と

少し表情を緩めている。


「... ソゾン、呼んでたのに

アバドンは来ないね」


小声で言っている ヘルメスに、トールが

地獄ゲエンナで手こずってるんじゃないか?

ソゾンの消滅も感じたのなら、今 のこのこと顕れんだろう」と返した。

確かにな... けど、油断は出来ない。


「私の細胞は、使えませぬか?」


四郎が、ボティスに向いて言った。


「私は、他の方々の赤色骨髄により

身体を再生して頂いた と... 」


何だっけ?

「間葉系幹細胞か?」と、朋樹が言って

確か そんなやつだ と、ちょっとだけ思い出した。

骨髄にも含まれてる未分化の細胞で、リンパ系や循環器系、骨とかに分化する... だった気がする。


「ディル、注射器を。穿刺用だ。ボティスに」と

シェムハザが指を鳴らし、皇帝が翼を広げた影響で割れた 蛍光灯を直してくれた。


ボティスの手の上に、でかいシリンジと針が載る。人間用なんだろうけどさ...


「少しでも繋ぎ止めねば」と、青い炎を吹き入れ続けているので、ボティスが 骨髄採取するようだ。

邪魔にならないよう下がりながら、ルカが

「何にも出来ねーってさぁ... 」と 呟く。

そうなんだよな。無力感に ただ焦るだけだ。


「骨盤から採取する」


ベルトを外し、左側の骨盤が少し出るよう

ジーパンをずらした四郎が、長テーブルに横になった。


「麻酔無しなのか?」と、ジェイドが ギョッとして聞いているが「麻酔するもんなんだな」って

言っちまった。普通は全身麻酔になるようだ。


「緊張する?」


ヘルメスが 四郎の前にしゃがみ、視線を合わせた。


「いえ。あの、少し... 」


「終わったら ミカエルが癒やしてくれるだろうけど、今は俺が ついておくから 大丈夫だよ」と

手のひらで四郎の目元を隠し、手を退けると

四郎が眠った。


ボティスが、アルコール綿で四郎の腰を消毒し

骨盤の後ろ側に ぶっとい針を刺し入れた。

お...  「倒れそう」と言う ルカに 同意する。

背筋が そわそわするぜ。

シリンジの中に赤色髄が溜まりだした。

少し溜まると、針の位置を変えている。

腰骨も そわそわしてきちまった...


審判者ユーデクスは... と、ゲートの向こうに目を向けると

テーブルの上に寝かされ、シェムハザが魂の炎を与え続け、皇帝が 裂けた胸に 手を置いている。


ミカエルは、シェムハザが取り寄せたらしい布に

包んだ イヴァンの足や足の指を、黒いケースに収めていた。


イヴァンも大丈夫なのか... ?

ここに顕れた半魂は、催眠が掛けられた状態だったのか、痛みは感じていないようだった。

けど、まるで危険を感じない という状態も

生きる上では良くないだろう。

半魂が身体を見失い、身体に残った魂も離れたら... 不安ばかりが募る。


「相変わらずだな」


トールが、開いた窓から 校門の方を見ている。


校庭に居るのは、見張りの悪魔たちだけで

校門の外、学校の塀を囲み、見える範囲の道路中に 影人たちが立っている。

水色の葉の白い木が目に入ると、何かに胸を キリっと刺されたようになった。


「すげー 数だよな... 」


学校に避難している人たちの影人だろう。

朝になったら消えるのか? と 疑問だ。

オレが消して回ったとしても、また すぐに

地中の影を型にして 形を取った影人が出てくる。

重なったやつを消して、影を取り戻さない限りは

ずっと繰り返しだ。


「静かで これだと、余計にな... 」


歩いている人は もちろん、車の音も聞こえない。

落ち着かない静けさだ。

他の宗教施設の周辺も こうなってるんだろうか?


... 『え だ』


「うん?」


少し離れた場所からの声だ。“えだ”?

オレの “うん?” に、ルカと トールが

「ん?」「何だ?」と 反応したので、二人には聞こえてなかったようだ。空耳か?


... 『... え』


いや、違う。空耳じゃない。

「あれ?」と、ルカも 窓の外を見直した。

けど「ぱちぱち 言ってね?」と、謎の発言だ。


「パチパチ?」と、ストロベリーブロンドの髪の間で 赤眉をしかめたトールを見上げ

「そ。炭酸の気泡がはじけるみたいなさぁ」と

返しているが、オレには そうは聞こえない。

あ? だったら...


... 『に だ... 』


影人たちの声だ。“贄だ”

影人を消すと 金切り声で絶叫するが

オレ以外には、破裂音に聞こえるらしい。

夜国の神か キュベレが、“贄” と 四郎を要求しているのか?


とにかく「“贄” っつってやがる」と 二人に言うと

トールが「ミカエル」と、ヴィシュヌや皇帝たちにも話しに行った。


ボティスが「効けば、あと 一本 採る」と

ジェイドに 注射器ごと渡し、シェムハザの元へ

運ばせている。


ノジェラが注射器を受け取り、審判者ユーデクスの心臓の位置に針を差し込んで 赤色髄の注入を始め、

皇帝は「シェミー」と、手のひらに出した 白い炎の人間の魂を飲ませた。


「どうだ?」と ボティスが聞き

一度 注入をやめ、様子を見る ノジェラに

皆が注目する。


「修復され始めている。心臓や血管は復元した」


ふう と、空気の緊張が解けた。

半魂が消滅してしまっているとしても

身体が修復され、残りの魂が留まるのなら

七層の鍵の 一つも 審判者ユーデクスから離れることはないだろう。


「“贄” って、影人たちが言ってるのか?」


眠っている 四郎の様子を見に来た ミカエルが

また骨盤に 注射針を挿れられる時に、肩に手を載せて癒やしながら オレに聞く。


「そう聞こえる」と 答えると

「影人が?」と、首を傾げた。


「夜国の神に 地上からの贄を捧げさせようとしているのは、キュベレだ。

影人が 夜国の神の意志を口にしてる としても

こうして要求してくることには、違和感がある」


「なんでだよ?」と、ルカが聞いているが

オレは、なんとなく解る。

崇拝のため、謝罪のため、願いを叶えてもらうため... としても、贄や供物は 人間側が進んで捧げる。

モレクのような神は、贄の種類を指定するが

それも、願いを叶えたい人間に対する要求だ。


夜国の神には、夜国の民たちが 麦酒を捧げている。それなのに キュベレではなく、夜国の神自身が “四郎を” と 要求をするのは おかしい気がする。

夜国の神は、地上の人間から 崇拝されなくても

いいんだよな。

影人を重ねさせれば、重なった夜国の民たちが

崇拝するんだしさ。


「キュベレが、夜国の神に やらせてるんじゃないのか?」と ジェイドが言ったが、それでも

何かが引っ掛かった。

四郎を贄に と、キュベレが望んでいることは

グラウンドの聖火で燃えた 悪魔が伝えてきたことや、イヴァンの腕や足を送り付けてきたことで

わかってるんだし、わざわざ なぁ...


キュベレなら、次は、“イヴァンと交換する” と

四郎の受け渡し方を 伝えに来るんじゃねぇか?

ソゾンが失敗している。半魂が消滅したことも

解っているだろう。

オレらを詰めるために、腕や足を切られた イヴァンは心配だが、恐らく殺されることはない。

イヴァンを死なせてしまったら 交渉材料を失うことになり、いざ という時に、キュベレが こちら側を抑止する材料も失うからだ。


イヴァンのことは、元々 助けたい とは思っていたけど、交渉材料にされるとは思ってなかった。

“独りきりの イヴァンを救わなければ” となるよう

こっち側を誘導するために、自分が産んだ娘だけを可愛がり、イヴァンを孤独にして オレらに救いを求めさせたのなら、まんまと それに嵌った。

まだ キュベレの手のひらの上にいる。


「キュベレが言わせていないのであれば

何に向けて “贄” と言っているんだ?」


アマイモンが、オレを見て言った。

「わからないっす」と 答えると

「まだ言っているのか?」と、窓の向こうを

視線で示す。


校門の向こうを暗く染めている 影人たちに眼をやると、内容のない黒い顔が こっちを見上げていて

急に ゾッとした。見られている気がする。

人間に重ならなければ、意思はないはずなのに。


「あれ? バイクの音じゃね?」


ルカの声に、また外に眼や耳を向けると

本当に バイクの排気音が近付いてきた。

ヘッドライトの灯りが 影人たちの向こうに見えたか と思うと、なんと 影人たちを突っ切って

大型バイクが校門に乗り込んできた。

すげぇ...  なんだ? あの人...


乗り込んだところで、アマイモンの配下の悪魔たちに 止められ「あれっ? エンジンが... 」と

焦った声を出したが、後ろに乗っていた 誰かが降りた。


ルカは「えっ? はるさん?」と 言っているが

オレの口からは「姉ちゃん?」と出た。

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