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「シェムハザとヘルメスは、もう 一台に乗ってたけど、ロキが車を停めたのに気づいたんだ。

俺は ロキと乗ってから、“どうした?” って聞いた。でも黙ったまま車を降りて、あのオアシスの場所に入って行ったんだ。

ロキが入った場所は、砂壁になって入れなくなった。異教神避けが掛かっていた時と同じだ」


アコの説明を聞きながら、ルカと ボティス

ミカエルやトールと オアシスの場所へ急ぐ。

朋樹たちは、ヴィシュヌと 一緒に追って来ている。


「ロキの様子は?」と 聞いたトールに

「俺の声が聞こえてないみたいだった」と 答え

「異教神避けは、シェムハザや ヘルメスにも

やっぱり解けないんだ」と 珍しく不安そうだ。


根のこともあるけど、儀式の場だった。

相手... 異教神も 得体が知れな過ぎる。

神殿が建っていないのに、異教神避けが掛かるのは おかしい。

今 あの場に、誰かが居る ってことなのか?


オアシスの場に着くと、ボティスが そのまま入って行く。「悪いな... 」と トールに言われ

「全然」「行って来るし」と、オレらも続いた。


影の無い 砂壁や奇岩の中

ロキは、平坦になった泉の場所でなく

神殿が建っていた場所に 立ちすくんでいた。

色が移り変わり、ステンドグラスを思わせる 虹色の眼は、何も映していないように見える。


「ロキ」


声を掛けながら ボティスが近づいて行くと

顔は向けたが、どこか虚ろだ。


「兄様方」と、四郎が 隣に顕れた。

朋樹とジェイドは、砂壁の間から 顔を出したところだった。


『... “マーマは、どこかに居るの”?』


口を動かしているのは、ロキだが

ロキの声じゃない。まだ高い声。イヴァンだ。

ボティスが「母親が存在するのかを聞いている」と 訳してくれた。


ロキに 憑いているのか... ?

それか、思念だけ飛ばして話している とかだろうか?

どっちにしろ、キュベレやソゾンと居るのなら

それも考え難い。 なら、残りは罠だ。


「イヴァン」


四郎が声を掛ける。

ロキを使って、ソゾンが イヴァンに言わせているなら、四郎を陥れるためなんじゃねぇのか?

四郎は、イヴァンを引き止めていて

ソゾンは それを知っている。


ボティスもルカも 黙って状況を見守り

遅れて着いた 朋樹とジェイドも

ボティス程 ロキに近寄らず、少し離れて オレらと居る。同じような推測は立てているだろう。

四郎自身も。


「居られます。しかし、あなたの御父上や

神母と居られるのでは ありません」


ボティスは、四郎の言葉を訳さなかったが

ロキは『マーマの魂は、神母とあって

だから、僕は 女神のすえで...

でも、そうじゃないの?』と 四郎を見た。

オレらには、ジェイドが訳す。ロシア語らしい。


「イヴァン?」と、朋樹が 独り言のように言った。 視えるのか?

じゃあ、ロキの中に居るのは イヴァンなのか... ?


「取られておるのです。

御母上が望まれて 神母と共に在る訳では御座いません。ですが、何処に取られておろうと 精神は

あなたと居られる。

あなたを 愛しておられるのですから」


そうだよな。魂の在り処が どこでも

心 というか、もっと芯のような精神は

イヴァンと共に在るだろう。


四郎は、過去 原城に籠城した時

自分の母親や姉、妹とも離れていた。

けど 心には、母ちゃんも姉妹も居た。

お互いに そうだろうし

それは 死んでしまっても変わらない。

“見守る” も、そういうことじゃないかと思う。


「あなたが此処に戻られたのは、疑問を感じ

迷うておられるからでは ないのですか?」


イヴァンの声で話しているヤツは

ロキの眼で 四郎を見つめたまま 黙っている。


「御父上や神母と共に居られることは

あなたが望んだことでは ありますまい。

もし、離れたいと思われるのならば... 」


『助けてくれるの?』


話を遮った問いに「はい」と答えた四郎が 歩み寄ろうとしたが、ボティスが制止した。

ロキと ボティスたちの間に、何かが墜ちて

オレらと ボティスたちの間には、白い煙が凝って琉地になる。

琉地は、ボティスと四郎を飛び越え

ロキに飛び掛かった。


「琉地! 何を... 」


ボティスが、砂の地面から 何かを拾っている。

四郎の背中が 緊張したように見えた。

「アンバー... ?」と、ジェイドの声がして

は... ? と、ジェイドに顔が向く。

墜ちてきたもの... ボティスが拾って、抱いているものが か... ?

背中に冷水を浴びさせられたようになる。


飛び掛かった琉地は、ロキに触れる前に 何かに弾かれ、ロキの顔で 中のヤツが、蔑むように嘲笑った。


「ロキが... 」


ロキの足下から 黒い根が伸びて巻き付いていく。

朋樹が 炎の尾長鳥の式鬼を飛ばして 根に追突させると、燃え消えて すぐに、新しい根が幾本も ザッと伸び上がる。


... 獣を 喚ぶべきか?


琉地は、ロキに触れなかった。

イヴァンとソゾンが 麦酒の瓶を回収に来た時の

泉の蒸気霧と同じだ。けど オレは、触れられた。


右腕に 白い焔の模様を浮かせて、ロキに走り

腰までに巻き付き、胸まで這い登ってきていた

黒い根に 右手の指で触れる。

ロキにも触れた時、蒸気霧に腕を差し入れた時と

同じ抵抗が起こった。骨に電気が走るような。


ただ、黒い根は沈んで行く。

沈み切るまで耐えて、ロキを 根から離せば...


目の前にある、赤、オレンジ、黄、緑、青... と

移り変わっていく ステンドグラスのような虹色の眼は、オレに向いておらず、後方に立つ 四郎の方に向けられたままだった。

背中の向こうに、ボティスに抱かれているものを意識する。でも、確かめることは したくない。


『これでも、助ける?』


イヴァンの声が、四郎に問う。

このガキ... 「楽しいか? 逃げるなよ」と

ロキの首を左手で掴むと、眼は オレを睨んだ。


抵抗が強まったが、黒い根は もう膝の位置だ。

「あなたが」と、四郎の声がする。

「望むのであらば」


目の前の眼は、カッとしたように見えた。

動揺したように 視線が揺らぐ。


抵抗は ますます強まり、骨が軋む。

身体から突き出るんじゃないかと思う程だが

肩に手が置かれて「ロキ以外」と ルカの声がすると、赤い雷光が ロキの周囲を包む。

黒い根は消滅し、雷光も消えたが

抵抗の反動にあったロキが 弾かれて腰を着いた。


「おっ、言うこときいた! 弾かれたけど」


隣に立つルカに 眼を向けると

入れ替わった 光彩と瞳孔、強膜の色が戻ったところだ。忙しいから 見なかったことにする。


ミカエルとヴィシュヌ、シェムハザ、ヘルメスとアコが 一度に顕れ、トールも立った。

異教神避けが解けた... って ことは

ロキに憑依はいったか、口を使ったヤツは 消えて...


「ロキ」


トールとミカエルが、伸びているロキに近づくが

朋樹の蔓が ロキに巻き付き、1メートルくらい

ロキを引きずる。


「捕まえたぜ」


朋樹とジェイドの背後には

炎の尾長鳥が羽ばたき、滞空している。


朋樹の蔓に引きずられる前に ロキが居た場所には

透けているイヴァンが 腰を着いていた。

両手と両足が、地面の下に消えている という

妙な形で。


「何で?」「どうやって... 」


オレとルカに

「影だ」「地中にあることが解ったからね」と

式鬼鳥を連れた 朋樹とジェイドが寄る。


ヴィシュヌたちには、ボティスが簡単に説明をし

シェムハザが アンバーに、魂を分けている。

なら、アンバーは死んでいない。助かるんだ。

良かった...  肩や胸から 力が抜けた。


「セイズだろ?」


朋樹が しゃがみ、イヴァンに聞いている。


セイズ呪術は、ヴァン神族が得意とするもので

身体を離れることが出来る 自由な魂を 遠くへ飛ばすことが出来る。

ただし これには、性的な恍惚感が伴う と聞くので

苦い気分になった。


イヴァンは、人間世界で 人間の母親と暮らしてきている。セイズなんか知らないはずだ。

教えたとしたら、ソゾンだ。


「どうして影を動かせるのか、考えてみたんだ」


シェムハザが分けた魂を飲み、ボティスの腕から

へろへろと飛んできた アンバーを受け止めると

胸に抱き 微笑んで、たてがみにキスをした ジェイドが

「同じだよ。セイズのようなものだ」と

イヴァンにも微笑った。


「身体から離れることはないけど、影にまで

自分の霊の 器の範囲を拡大するんだ。

実体の無い影は、相手の影を通して 相手の霊を掴む。普段ならね。

今 君は、地中にある僕らの影に、自由な魂を囚われてる。両手首と両足首を掴まれて」


朋樹とジェイドは、玄翁の屋敷で

真っ暗で無音、床も感じない という無感覚になる

幻惑を掛けられ、瞑想修行をしていた。

自分以外、完璧な無だ。

その幻惑が自然と解ければ、影を動かせるようになる。自分を境界とする 内側と外側が繋がった時

幻惑が解けたんだろう。

師匠との 阿字観を思い出す。


「火鳥の光で、地中の影が伸びる角度を変えて

ここまで伸ばした。ルカが雷を喚んだおかげで

根は消滅した。何か制約があるのか、新しい根は

しばらく伸びてこない。

または、同じ場所に伸ばせないか だ。

さっき 根が出たのは、泉だった場所だったからな。ここは神殿の場所だ。 そうなんだろ?」


イヴァンは、朋樹から 眼を逸したが

朋樹が続ける。


「何のために戻った?

ここに オレらを集めるためか?」


トールが支え起こしたロキの額に、ミカエルが

指を当てて 様子をみている。

ロキには 根が絡みついたが、赤い雷光の影響はなかったはずだ。

イヴァンが憑依したことについての影響は 分からないけど...


「それか、ロキを狙ったのか?」


そうだ。ロキを洞窟から逃したのは キュベレだ。

死神ユダのピストルが使える境界者のロキを、キュベレは 気に入っている。

ソゾンは、それを気に入らねぇだろうけど。

キュベレが ロキを手に入れれば、ソゾンの地位が揺らぐ。


イヴァンは 何も答えず、自分の 立てた膝を見ている。

地面から伸び上がった黒い地界に、青い炎が溶け込んでいく。

アコが喚んだ 地界の鎖に、シェムハザの魂だ。

魂になら、魂を捕らえられる。

青黒い鎖は、イヴァンに巻き付き出した。


「必要なのですか?」と聞く 四郎に

「話すまではね」と アコが答えた。

ついでに、イヴァンに

「自分から来た?

ソゾンかキュベレの命なのか?」と 聞いている。

イヴァンは だんまりだ。


「ヴァナヘイムの地下宮殿で会った時は

アクサナたちのように怯えていて、逃げたそうに見えた。あれは、あの場が怖かったの?」


ヴィシュヌが 優しく聞き

「今は、怯えているようにも見えないけど

洗脳されているようにも見えない。

解かれたようだね。

ソゾンも君も 気が変わったのかな?

それとも、キュベレに解かれて 利用されてる?」と 加えると、無表情を装っていた イヴァンの眼に

怒りの色が見えた。


「ソゾンやキュベレと居たい?

どうするか、自分で選ぶことは出来るよ。

質問に答えれば、解放する」


トールに支えられている ロキが気づいた。

「何故、ここに来た? 憑かれてたぞ」と 聞き

「俺が? あのガキに?」と 唖然としている。


「車の中で憑かれたのかよ?」と聞く ミカエルに

「いや。狼が見えたんだ」と答えた。


「ヴァーリに 似てた」


ヴァーリ... ロキとシギュンの 息子の 一人。

アース神族に 狼に変えられ、弟の ナリを喰い殺した。

ロキを誘うために ヴァーリの幻覚を見せたなら

許し難いが、イヴァンは まだ子供だ。

“これなら ロキを釣れる” と 思ったのだろう。

そう思いたい。


イヴァンに 異教神避けが張れるなら、儀式の時は

神殿に居たのか?

神殿と繋がった あの森に居たのか?

ミカエルたちさえ入れなければ、人間であるオレらは 驚異でない と考えたか、人避けまでは出来ないか、ピストルも狙ったのなら 持ち主のオレも狙ったか...


「... アンバーと琉地は、オーロを追ってたみたいだな」


琉地の前に しゃがみ、額に手を置いて

思念を読む ルカが言う。

アンバーは、イヴァンに捕まってしまったようだ。術で眠らせると、琉地に触れられないようにして、さっき落とした。


「何故... 」


アンバーのことについて、ジェイドは 何も言わなかったが、四郎が 眉をひそめて聞く。


苛ついたような表情になった イヴァンは

『ラディーツァ』と 言った。

ジェイドが ロキに顔を向ける。


トールに支えられ、立ち上がっていた ロキは

元々 細い身体が、一回り細くなり

肩や腰のラインが 柔らかく丸みを帯びた。

頬や くちびるも。女の時のロキだ。


ロキの仕事着の下、下腹が膨らんでいく。


「родиться... “生まれる” だ」


訳したジェイドが、イヴァンに眼を戻す。

イヴァンは 嘲笑っていた。


膨らむ下腹に 両手を当て「う... 」と 小さく呻き

座り込んだ ロキに、ミカエルが寄り添う。

トールは、イヴァンに 憐れむような眼を向け

瞼を臥せると、ミカエルと同じに ロキに添う。


このために来たのか?

ソゾンか キュベレの命で?

それとも、自分の意志で?

ロキが子を産むことに、何の意味がある?

... けど、フェンリル、ヨルムンガンド、ヘル

境界者のロキが産む子は、運命を動かす。


「ロキ」


四郎が ロキの背後に回って しゃがみ、背中に手を添えると、ロキは少し 安心したようだ。

その様子を見るイヴァンは、眉間に深いシワを刻んだ。


『神母が、子を産んだんだ。僕の妹を』


ミカエルの碧い眼も イヴァンに向く。

キュベレが 子を... ソゾンの子だ。


境界者そいつも産んだら、面白いと思わない?

その子も親族だし、僕の弟か妹のようなものだ』


「味方が欲しいの?」


ヴィシュヌが聞いた。


「キュベレが子を産んで

ソゾンの 君に対する扱いが変わった?」


『 違う!』と叫び、ヴィシュヌの言葉を止めた

イヴァンは

『僕を放せ! 境界者そいつの腹を破るぞ!』と

充血した眼で、ヴィシュヌを、朋樹を ジェイドを

睨んだ。


青黒い鎖を巻かれた イヴァンの手足は

もう 地面の上に出ていて、式鬼鳥は消えている。

朋樹もジェイドも、影の手は放していた。


「... ぐっ」と ロキが、細い身体を捩った。

ミカエルが 下腹にあるロキの手を 自分の手で包む。


『僕は本気だ!

それに、僕を殺す気なのか?!

僕は 神族じゃない。長く身体を離れていたら

もう戻れなくなる... 』


「そうだね。話を早めよう。

身体と 一緒には来れなかったの?」


朋樹やジェイドの背後から平然と聞いた ヴィシュヌに、ショックを受けた表情を見せた イヴァンは

開きっぱなしだった唇を 一度 閉じると

『僕が、死んでも いいの?』と 確認した。


「違うよ。そんな事は 一言も言ってない。

身体は、自由になれないの?

セイズは 自分で覚えたんだね。

ソゾンは それを知らないんだ。

キュベレや 子供の事しか見てない。

君も子供なのに。使われるばかり」


『どうして... 』


何故 知っているのか を問うと、ヴィシュヌに

「推測した事を言っただけだよ」と 返され

イヴァンは、上手く合わせられなくなった唇を

震わせた。


「身体に戻らなければならないね。

でも、本当に戻りたい?」


イヴァンは、涙を押し留めるのに必死で

声を出せないでいる。


「アコ」


ボティスが アコを呼ぶと、イヴァンから 鎖が解かれた。立ち上がった イヴァンが消える。

消えた場所を見ながら、ルカが

「四郎と 話したかったっぽい」と 言った。

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