40


床を這いずる そいつは、何かを探しているように見える。

四つん這いの形になると、首の付け根を フロアの床に着けた。


「は... ?」


そいつが頭を上げると、また 肩や胸、腕が 床から

出てきた。腰や脚も伸びると、今まで這いずっていた方が 下になって立ち上がる。


ぼんやり眺めてしまっていたが

「泰河」と、隣に立った ミカエルが背に触れて

そうだ、消さねぇと... と 思い出す。


右手を 接合部の首の辺りに差し入れると

釘でガラスを掻くような金切り声に

思わず顔を背けた。

何か言葉を言っているようにも聞こえるが

何を言っているのかは 分からない。

影人は、上下どちらも 接合部から消えていった。


シェムハザが指を鳴らすと、周囲で怯えていた人たちが、ぽかんとした表情になった。

泣いてしまっていたり、しゃがみ込んでいた人たちもいたが、次第に“何をしてたんだろう?” と

いったような表情に変わり、それぞれが フロアを歩き出す。


「今のは... ?」

「影人 二体で、一体になっていたのか?」

「でも、頭部が... 」


「とりあえず、珈琲を」と、シェムハザが取り寄せてくれた。

さっきのヤツが、すぐに また出るとは限らないが

カフェやバーに入って 座る気にもならない。


「砂漠には?」と聞かれた ミカエルが

「いや。人が集まっていない場所には

間違えて出ることも ないのかもな」と ヘルメスに

返している。


「ニビルの話の時」


ヴィシュヌは もう、インダスの人や エラムの人が残した あの記録のことを、ニビルと呼ぶらしく

こんな時に つい笑っちまった。

長く濃い睫毛の眼を オレに向けて微笑う。

緊張をほぐそうとしてくれたのかもしれん。


オレまだ、ヴィシュヌのことは 掴み切れてねぇんだよな。優しいのは分かるけどさ。

温めのコーヒーを 一口飲んで 気付いたけど

ミカエルも オレの背に手を添えたままだ。


「さっきみたいなものが 神殿に描かれていた って、言ってなかった?」


「そうだ」と、ボティスが ヴィシュヌに頷いた。

そういえば 言ってた気はする。

他にも 動物っぽい何かとか、よく分からねぇものが描かれてた って。


「戻ったぞ!

シェムハザ、オレンジ... いや 蜜柑水!」


ロキたちが戻った。

取り寄せた青い瓶の水を渡しながら

さっきの影人のことを シェムハザが話し

ボティスも イゲルを喚び「全体に伝えろ」と

命を出し、ミカエルは守護天使たちだ。


「でも なんで、そんな妙な形になって出たんだ?

そんな形の奴は 居ないぞ」


ロキが 水半分を 一気に飲んで言った。


「神殿に描かれていたなら、影の奴等の中には

そういう奴も 元々居るんじゃないのか?」


トールが言っているが、軽く眉をしかめた 四郎が

「影人と重なり切った方は、普通に暮らして居られるんですよね? 以前通りの暮らし という意味ですが... 」と、話し出す。


「現代では スマホなどで、簡単に調べ物が出来ます。“影人の対策法” なども 読まれたのでは?」


「え? 重なり切った人が ってことか?」


朋樹が聞くと、四郎は「はい」と頷き

「重なる対策が、“他の方と手を取る”... つまり

二人で 一人の形になりますので」まで言うと

「向こう側も 対策してきた... という事か?」と

ボティスが聞いた。


「じゃあ、手を取る っていう対策法が効かなくなる ってこと? 二人の形なら、二人共 影人に重なられんの?」

「けど 二体 一組の影人には、頭が無いんだぜ」


「しかし、そうした形になれるので

神殿の壁にも描かれておったのではないか と... 」


「なら、頭は要らない ってことなのか?」


我ながら 変な質問をしちまったが

「んー... 頭が無いと、型である個人を特定するのは 難しくなりそうだけどね」と

ヴィシュヌが考え

「どうかは 分からんが、影人の身体つきは

どちらも男だったな」と ボティスが言う。


「腕や手を取っているのが、“男二人” なら

重なれた ってこと? 急に アバウトだよね」


ヘルメスが言った後に、ルカが

「じゃあさぁ、重なられちまった 二人は

あの影人みたいなカタチになんの?」と

怖ぇこと言いやがった。


「おまえ、何 考えてるんだ?

頭部が無くなるってことは、司令塔の脳が無くなるんだぞ」


ジェイドが呆れているが

「けど 奈落で、ミカエルたちが

重なり切っちまった “完全” ってヤツと話した時

“ひとつなんだ” とか言ってたんだろ?

“声が聞こえる” とかよ」と 朋樹が聞く。


「頭は、必要なのか?

司令塔は、一人居れば いいんじゃねぇのか?」


「司令塔って、ニビルかよ?」


ミカエルは、ニビルを 異教神の 一人として話し出した。“夜国の民の神殿の神” って、長ぇもんな。


「それなら、何故最初から 二体の形で出さん?

二人いっぺんの方がラクだろう」と

腹を減らしたトールは、バケツカップに入った

チキンも取り寄せてもらっている。


「二人で手を繋いでいる状況の方が少ないから

じゃないのか?」


ボティスが言うと、トールは「そうだな」つって

四郎と チキン食い始めたけどさ。


「なら、対処法が拡まったから やり方を変えてきたんだろ?

最初に 一人ずつにしたのは、この対処法に気づかせるため ってことか?

今は 影人を見かけりゃ、皆 手や腕を取る。

そういう状況にしてから、二人いっぺんに重なれる手を出してきた ってことか?

俺等、嵌ってんじゃねぇか!」


話す内に、ロキは腹が立ってきたようで

トールに「食え」と チキンを突っ込まれている。


「でも、対処法が拡まらなかったら

一人でも どんどん重なられていたんだ。

頭部がない というなら、見ることも聞くことも

食べることもしない。

人間の身体だと、すぐに亡くなってしまうよ」


ヴィシュヌが言うと、ヘルメスが

「じゃあ、選別し出したの?」と

ブロンドの髪の下の眉間に シワを寄せた。


選別って

二体で重なったら “処分” ってことか... ?


「許されることじゃない」


ミカエルの顔つきや声色が変わる。


「魂を量るのは、公正なる秤だ。

黙示録の時までは、父の御座に保管されてる」


「ミカエル。まだ そうと分かった訳じゃなくて

推測だから」

「うん、重なっては ないしね」


ヴィシュヌや ヘルメスが言うが、ミカエルは

「キュベレが絡んでるからな」と 厳しい顔のまま

「聖子に話してくる。

すぐ戻るけど、もうすぐ 飛行機の時間だろ?

ケシュムに降りるから」と、エデンのゲートを開いて

天に上がっちまった。


「まぁ、報告はした方がいいだろうな」と

ボティスも またイゲルを喚び

「ハティに報告。冥界ニヴルヘルに居る」と 言い付け

ヘルメスも「オリュンポスと天界に行って来るよ」と 消えた。

これも大変だよな。栗鼠ラタトスクみたいのが居りゃあいいのに。


「とにかく、そろそろゲートへ向かう。

ドバイから ケシュム島までは 30分程だ。

ヘルメスも、直接 ケシュムへ来るだろう」


シェムハザに ついて、ゲートへ向かう。

ヘルメスが言った “選別” という 言葉を思い出して、イヤな気分になった。




********




「えっ、島つっても、モールとかあるんじゃん」

「この辺りはな」

「夕方でも かなり暑いよな... 」

「40度近くあるんじゃないか?」


飛行機の中に『ただいま』と ヘルメスが登場し

シェムハザが指を鳴らすまでの 一瞬

周囲が どよめいたが、まぁ、到着した。

降りてすぐ 熱気にやられ、もう汗が流れている。


通り掛かった女の人たちが、ビシャーブという

スカーフのようなものを巻いて、髪を隠しているが、それだけでなく 額から口の上に掛かる仮面のようなものを着けている。暑くねぇのかな?


「着いたな」


アコだ。「二台にしたぞ。日本車。八人乗り。

でも、六人と七人に 分かれよう」と

駐車場の車を指差す。黒のランドクルーザー。


「俺、運転する」

「俺も」


ロキとヘルメスだ。

「運転、したことあるのか?」と アコが聞くと

「全然」「砂漠だし、いいだろ?」と 返している。


「じゃあ、砂漠に入ったら にしよう」


「何で?」「信用してないの?」と 文句を言い出したが、シェムハザに氷入りのフレーバー水もらって、アコが 二人を宥めようとしている内に

エデンの門が開いて、翼 背負ったミカエルが降りて来た。


「話して来た。影や影人の状況だけじゃなくて

ニビルの話から したんだけど

“私が降りる前にも、それが存在したのなら

父が知らないはずは無い” って言うんだ」


つまり、麦酒の瓶や神殿が消えたから

問題視してなかった ということではなく

聖父も 夜国の民の存在は 知らなかったのか?


「洪水の後だ。父は、余計に人間を愛した。

また いろんな事を大目に見てしまっていたから

見逃してた恐れはある。

人間たちが羊を燔祭にして捧げていても

神殿の神自身は モレクのように、生贄を望む神じゃないから」


異教神は、たくさん居るもんな

けど ボティスが「獣のように か?」と聞く。


「いや、獣は噂だけはあった。

実際にサンダルフォンが見つけてるだろ?

ルシフェルも予言してる。

これについては、全く知らないみたいなんだ。

規模が小さかったこともあるだろうけど、誰かが隠していたかのように」


「隠していた って、父にか?

そんなことは 誰も... 」


シェムハザの声を聞いていて、唐突に

里に居た 着流しの皇帝を思い出した。

“私に 光の印を”

予言の言葉について、ミカエルと話しているところだ。


もし、予言の言葉が たくさんの何かの声で

それが ひとつになっているのなら

“完全” ってヤツに 近くないか... ?

そいつが予言した訳じゃねぇだろうけど

なんか、性質がさ。


「サンダルフォンは、なんで 獣に気付いたんだ?」


ロキが不思議そうに聞くが、ミカエルも

「うん、そういえば 何でだろ?」だ。


「キュベレが気付かせた とか?」と言う 朋樹に

「眠っていたのに、突然に か?

キュベレの存在自体、天でも 実在が怪しまれていたくらいだがな」と ボティスが返している。


「だが、第七天アラボトに昇れるものなら 知っていたのだろう?」

「それでも話だけだ。牢には立ち入れない」


「ルシファーのように、誰かの予言?」


ヴィシュヌが首を傾げ

「でも、天で 天使に予言なんかされたら

聖父は気付きそうだよね?」と

カップの氷を鳴らして、オレンジ水を飲んだ。


「ならさぁ、獣が出現してから

キュベレが影響されたんじゃねーのー?

サンダルフォンが 獣の事 知ったのって

オレらが10歳ん時だぜ?

昔だけど、つい最近だしさぁ。

獣は、千年くらい前から目撃されてるじゃん。

月夜見キミサマが、獣のせいで歪みが起こる みたいなこと言ってたし、じわじわ いろんなところに影響を及ぼして、眠らされてるキュベレが 牢を出るために

サンダルフォンを利用しようとした とかさぁ」


もう水を飲み干したルカが

「まぁ、サンダルフォンに聞くのか早いんだけど

それも ムズカシイんだろうしー。

とりあえず 暑くね?

話すなら、涼しいとこ入らねーの?」と

氷を食う。オレも食おう。


「うん、有り得るかもな。獣の影響なら

父は気付かないかも」と ミカエルが考え出したが

「とりあえず、異教神避けがしてある場所まで

近付いてみようか」と、ヴィシュヌが言い

「後で また取り寄せる」と

仕事着が入ったトランクが 城に送られると

二台に分かれて車に乗る。


オレらと四郎は、ヘルメスやシェムハザと 一緒だ。

海のテントの時のように、シェムハザが

車の内側に 氷を張り巡らせてくれた。


「遠いのかな?」

「いや、観光場所でもあるようだ」


アコが運転する車を追う。

オレらの方は、シェムハザが運転。

ヘルメスが「後で 運転代わってよ」と

助手席にいるけどさ。


舗装のない 砂色の道を行く。

道 というか、広い場所 っていうかってところだ。

砂漠なのかもしれんけど、地面も 遠くに見える砂が固まったみたいな丘も 硬そうだし。

丘には 地層の横のラインが幾本も見える。


「こんなとこさ、俺が運転してみたって

全然いいじゃん。他に車も 通ってないし」


「今 ヘルメスに代わったら、前の車でも

ロキが うるさくなるだろう?

目的地に着いてから ドライブして来るといい」


シェムハザの 爽やかな甘い匂いが増し

ヘルメスが大人しくなった。何にでも効くからな。


「城で作っている」と 取り寄せてくれた

フルーツと リキュールのカクテルのアイスキャンディーを食いながら、窓の外を見る ジェイドが

「別の惑星の景色みたいだ」と 明るい声で言う。


「確かに」

「火星っぽい」


砂色の奇岩が増えてきた。ビルの三階か四階くらいの高さがありそうな でかいやつ。


「そろそろだ」

「えっ、もう?」


壁のように立ち塞がる箇所が 前方に見えると

オブジェのように立つ奇岩の前で、アコが車を停めた。シェムハザも その隣に着けた。


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