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「この麦酒ビールを、地上から持って帰って来た 天使を連れて来てくれる?」


天狗アポルオンに言われて「はい」と 黒い麦酒の瓶を持った

天使が消える。


オレとルカは、相変わらず 印消しだが

一度 ミカエルが、張った腕を癒やしてくれたので、腕の疲れは だいぶマシだ。


麦酒を持ち帰った天使は、すぐに見つかり

探しに行った天使と 一緒に戻って来た。


天狗アポルオンに会釈すると、ミカエルや ロキに挨拶し

「これは、どこで手に入れたんだ?」と 聞く

ミカエルに

「ペルシア高原です」と緊張しながら答えた。


ペルシア高原... イラン高原か。

西のチグリス河から 東のインダス河の間にある。

南西には、チグリス河の下流の方から ペルシャ湾にかけて ザグロス山脈が走り、

北側には カスピ海沿いに、アルボルズ山脈が走る。

この アルボルス山脈の最高峰が、アジ=ダハーカを封じた ダマーヴァンド山だ。

イランの首都 テヘランから近いんだよな。


北東部には カヴィール砂漠、東には ルート砂漠も

広がっている。

乾燥地帯だが、カナート... 地下水路を作って

地下水を導水し、麦を中心とした農耕も盛んだ。

あの辺り... イランだけでなく、メソポタミアや

コーカサスにも、古代から 野生の麦も生えてたみたいだけど、現代では どこでも作ってる。

この麦酒ビールに関しては、イランのものだと判明したけどさ。


「どんな奴から? 儀式酒か何か?」


ミカエルが聞いてるけど、儀式酒だと思う。

イラン イスラーム共和国、国教が イスラム教だ。

イスラム教徒... ムスリムは 酒飲めねぇし。

キリスト教やゾロアスター教の信徒もいるらしいけど。


「人間でした。儀式酒かどうかは 分かりませんが... 」


緊張しっぱなしの天使に、よく話しを聞くと

奈落の地上買い出し班の天使達は、地域が決まっているらしく、この天使は 中東。

西は エジプトから、東は アフガニスタンまでの

あらゆる酒係だ。

奈落で落ちた翼の羽根や、簡単な天魔術の写本を

地上の魔女に売り、その金で 酒を買う。


「ですが、アバドンには、常に 新しいものを求められていたので... 」


悪魔や異教神に 情報を求めることもあるようだ。

この麦酒ビールは、悪魔に紹介された魔女から買った と言っている。

その悪魔が 魔女契約をしてるんだろう。

禁止されているはずの 酒自体に関しては

「自宅で作っている者もいるし、闇市場もあります」ってことだ。

まぁ、こういうのは どこでもだしな。


「悪魔の名前は?」


「ネイトロです。人間と 不当な契約を結ぼうとしていたところを捕らえ、奈落の印を付けて 見逃す代わりに、魔女を紹介してもらいました」


「奈落の印?」と、ルカが聞くと

「奈落の天使が付ける 要注意の印。

次に 天の法を破ったら、自動的に奈落の鎖に囚われる」というもので、捕えて 天に送る程ではない悪魔や異教神に付けられるもののようだ。


「その悪魔や魔女のところに 案内出来る?」


「はい!」


緊張した答え方だ。

ミカエルを案内するんだもんな。


「ネイトロって奴と話して来る。

今 開いてるゲートを閉じたら、一度 休憩」と 言われ

「おう」「わかったー」と 返し

悪魔が連れて来る人たちの 印を消していく。


印を消した人の影に、悪魔が目眩めくらましをしながら

ゲートを出て行くと、今まで 次々に開いていた新しい門は開かず、「じゃあ、行って来る」と

ミカエルが別に開けた門に、案内の天使と二人で

入って行った。


「お疲れ様。ひっきりなしに来てたのに

よく頑張ったね」


天狗にねぎらわれ、ロキに「食えよ」と渡されたグミも食いながら

「いや オレら普段、あんまり役に立たねぇからさ」

「そー。出来るコト 少ねーの」と

ルカと 椅子に座ると

「珈琲 冷めたから、温かいの持って来たよ」と

蟷螂頭の悪魔の 一人が、新しいカップを持って顕れた。

ミカエルが『休憩』と 言ったので、用意してくれていたようだ。


「おぉ、ありがとう!」「気ぃ利くよなぁ」と

ルカと貰い、湯気吹いて飲んでいると

またロキが グミを勧めてくる。コーヒーに合わねぇのに。


「ネイトロ って、聞いたことない?」

「え、俺は知らないけど... 」


蟷螂頭の悪魔同士の会話だ。


「キュベレ系じゃなかったっけ?」

「だから、知らないって」


キュベレ系... ってことは、リリトの血筋か。

ついでに、奈落に居る悪魔は 堕天使系のようだ。


「キュベレ系って、よく分からない奴も たくさんいるんだよな。

リリトが 誰の子を産んだか にもよるし。

その子供たちが、人間とか悪魔とか、異教神とか

また いろいろと混ざってくから」

「あれ? あのひと、ひとりでにも産めたよね?」


ひとりでに産んだ悪魔は まだしも

異教神とも って、どんな能力 持つんだ?

キュベレが ソゾンの子を孕んだ ってことも

思い出しちまったぜ。


「産めたと思うけど、ひとりでに産んだ とは

聞いたことがない。

人間の子を産んだのも、地界に入る前だけだと思う。異教神の子供を産むのも、ツナギを付けるため ってところが 大きい気がする」


異教神との繋って...

皇帝と居る リリトを見たところ、リリトの方が

皇帝に入れ込んでいた感がある。

皇帝自身も 異教神との付き合いはあるけど、

リリトが他の異教神の子を産むことで、関係が

より強固になってる気はする。


「どうしたの?」


天狗が ロキに聞いている。

そういや、大人しくなってるな。

“子を産む” とか、そういう話だからか?


「いや。こいつ等も リリトと寝たから

それ 思い出しただけ」


お... 忘れてぇのに... みんな 引いてるじゃねぇか。

ルカも、女子っぽく「やめて」っつってるし

「けど 夢だぜ? 地上で流行ってるんだ」と

言っておいた。


「今のうちさぁ、印が あるかどうか見ようか?」


ルカが悪魔に言っているので、オレも頷いて見せると、「本当?」「いいの?」と そわそわしている。そりゃ、戻れば 嬉しいよな。


「うん。額には無いから、上 向いてみて」


蟷螂頭の悪魔が「はい」と 顎の下を見せると

マジで印があったようで、ルカが筆でなぞる。

「あっ、アバドンの印章だ」と

天使が眉をしかめた。


白い焔の模様が浮き出した右の指で

赤く浮き出している アバドンの印章に触れると、

印章が薄れていくと共に 灰色の煙が吹き出して

悪魔の蟷螂頭を包み込む。


「煙たい ね」と 悪魔が噎せたが、すぐに煙は消え

「ええーーーっ?!」

「マジか?!」

黒髪に群青の虹彩... 恐ろしく男前の顔が現れた。


オレらの反応を見た悪魔は、自分の頬に触れ

「あっ、戻ってる!!」と 喜んでいて良かったけど、これは まさかだろ...


「もう 一人も やってみろ」


ロキに言われ、ルカが出した印に触れると

今度は、ブロンドにグリーンの眼。

「わぁ... ありがとう!」と、両手が触れる頬に

そばかす。女の子っぽい顔の悪魔だ。


「本当は そんな顔してたんだ!

戻れて 良かったじゃないか!!」


天使も喜び

「みんな戻してもらいましょうよ!」と 天狗アポルオンに勧め、天狗も同意しているが

「でも アバドンは、どうして こんなに綺麗な顔の

悪魔たちを、蟷螂かまきりに変えてたんだろう?」と

疑問も口にした。


「絶対、好むと思うんだ。はべらせたいタイプだし」


首を傾げる天狗に、ルカが

「あー... けど なんか、イイオンナじゃなくね?

見た目は整ってるんだけど、そう見えねーんだよなぁ。恐怖支配タイプだろうし、侍らせる程さぁ。いや、一応 奥さんなのに悪いけどー」と

話を脱線させたが

「うん、分かる。気にしないで。

でも、“私の周りに居ろ” って命じそうなものなのに... と 思って」と、天狗が答え

悪魔 二人は暗い顔だ。


「... アバドンの私室で、ワインを注ぐ時だけ

元の顔に戻されるんです」


うわぁ...  ルカも天狗も 言葉を失ったが、

アバドンを全然 知らねぇはずの ロキが

「あのアマぁ」と 意見を纏めた悪態をいた。


「俺が 一緒に居た時は、オベニエルだったのに。

他の悪魔も、全員?」


ウンザリした顔で 天狗が聞くと

「全員って訳では... アバドンの好みでなければ

城の外の仕事になってました。

強くて顔も好みなら、城内でしたが... 」

「俺と こいつは、ワインのみの係だったので。

天使の時も、元々 上級天使でもなく

地界で 誰の軍にも属せなかったし... 」と

暗い顔のまま 答えている。


「お前等、何か 術が使えるのか?」


ロキが グミを差し出すと、一粒ずつ摘みながら

「悪魔になってからは、擬態です」

「でも、植物なんです」と、ため息をついた。

植物に擬態か... 確かに、だから何だ って術だよな。


「すごい。

俺は、神々や 人間を含む動物しかムリだ」


ロキは 真面目な顔をしているが、イヤミにしか聞こえねぇ。悪魔たちも無言だが

「擬態すれば、その植物の質や記憶も見えるんじゃないのか?」と 聞かれ

「そうなのかな... ?」

「記憶については、試したことは 無いけど

質は解るよ。“この果実は 人間には有毒” とか、

“他の植物との組み合わせ方次第で、こういう薬が出来る” とか」と返し、少し明るい顔になった。

狐や狸の化けとは違うのか...


「別界の植物ものでも?」と 聞いてみると

「うん、解ると思う」と 返ってくる。

そうなのか、すげぇ。パイモンやハティの研究室とこで働けるんじゃねぇのか?


「それにさぁ、何かの時に スパイとして潜入しても、樹のフリして話 聞けるんじゃね?

相手の結界とかに入れちまえばだけどー」


「あっ、うん。そうかも」

「根に擬態すれば、地面に潜れてしまえるしね」


ルカに答えた 二人に、天狗アポルオンや天使が

「すごいじゃないか」

「出来る事、多いと思うよ!」と言うと

ますます表情が明るくなる。


「なんで、地界の誰かの軍に入れなかったんだ?」


ロキが聞くと

「能力が “植物擬態” じゃ、志願する勇気がなくて」

「そのうち、アバドンの使者に声を掛けられて

奈落に入る事が決まって... 」ってことらしい。

なら、地界の悪魔にも 二人の能力は知られていない。


「地上の入れ替わりの場所の事を 調べられないかな? 奈落の森にもあるから、まず そこからでも」


天狗が言うと、二人は嬉しそうに

「見てきます!」

「奈落が済んだら、地上の方も!」と 返事をして

消え、

天使が「他の悪魔も頼める?」と オレらに聞き

天狗に「呼んで来ます」と 断って消えた。


カップのコーヒーを飲み干すまでに

闘技場の門から、蟷螂頭の悪魔が ぞくぞくと入って来ると、さっき消えた天使が もう顕れ

「オベニエルに断って、とりあえず城内から連れて来ました。交代で 休憩していた悪魔たちが

城内に入ってます」と 報告している。


「よし、並べ。こいつ等は、ミカエルが戻ったら

他の仕事があるからな。どんどん やっていくぞ」


グミを片手に ロキが仕切り、悪魔たちが並ぶと

早速、印を出して消す作業に移った。


先頭の悪魔の頭部が、まだ煙に巻かれている間にも 次々に消していっていたが、煙が消えた悪魔が

「やった!戻った!」「ありがとう!!」と 喜ぶと、「おう。別の奴と交代してやれ」と ロキが答えている。


「はい!交代して来ます」と 頭が戻った悪魔たちが消え、門からは 別の蟷螂頭たちが入って来た。

でも、ありがとう って言われると、こっちも嬉しいんだよな。出来れば 今、全員 戻したいぜ。


「次は、城壁の外の悪魔達を お願いします」


天使が ロキに頼み、ロキが「連れて来い」と頷く。オレら、いつの間にか グミの子の手下だぜ。

慣れてるけどさ。


「本当に ありがとう。

もう、半分くらいの悪魔達を戻してくれた。

奈落には、天使の方が多いからね」


「ん... 」


感謝してくれる天狗に、ルカが 曖昧な返事を返しているが、オレも 素直に頷きづらい。


たぶん 悪魔の人数が、以前より減った... ってこともあると思うんだよな。

モレクの件で、皇帝が 牢獄の悪魔たちを始末しているし、四郎の件では、ミカエルが 相当数の悪魔たちを斬首した。

奈落の悪魔たちは、アバドンの命に従うしかなかったんだろう。

奈落に 天狗が入ったのは、その後だ。


休憩していた天使たちと交代して来た 牢獄の見張りの悪魔たちの頭部を戻していた途中で

「ただいま」と、ミカエルと案内の天使が戻って来た。


「おっ、頭 戻ってる! 良かったな!」


ミカエルが言うと、悪魔たちは ビビりながら

「はい!」「ありがとうございます!」と

ピシっと言っている。この人ら、天に反逆なんか しそうもないけどな...


頭部が戻って喜ぶ悪魔を見ていると

下衆ゲスい悪魔は少なかったんじゃねぇか? って気がする。

奈落の支配者が アバドンから変わった時に

天狗にも始末されてるから

いい奴だけ残っている... って恐れもあるけど、

ともかく この先は もう、斬ったり斬られたりとか 無くなるといいよな。


「どうだった?」

「ネイトロに会ったのか? キュベレ系らしいぞ」


天狗やロキが聞くと

「うん、会った。詳しく話をさせるために

召喚部屋に連れて行ったけど。

ハティと バラキエルが居るから」と

天使に注がれた ワインを飲み

「魔女の方は、行方不明」と言う。


門を通って来た 牢獄担当の悪魔たちの頭部を戻しながら、話を聞いていると

「行方不明? 殺られた? 口封じか何かか?」と

ロキが 新しいグミの袋を開けた。ミカエルは

「まだ ハッキリしないんだ。

ネイトロも、魔女が消えたことを知らなかった。

ケシュム島の魔女の家に案内させたら、魔女は不在。床に 黒い足跡が残ってた」と 答えている。


外出中 などではないようだ。

「魔女契約している ネイトロになら、魔女が

どこに居るかが分かる。

探させると、無人の自宅で “絶対に ここだ” と 言ってたんです」と、案内した天使が補足している。

無人の家で消えた ということだ。


「黒い足跡?」


「うん、触れても消えなかった。

守護天使を喚んで 調査させてる。

ネイトロも、“魔女契約の報酬を貰っていない!” って怒ってたけど、儀式酒のことを聞いても 答えなかったから、バラキエルに渡した」


「ネイトロは、儀式酒のことは知らないんじゃなくって、ミカエルに話さないの?」と 聞いた天狗には

「うーん... 詳しくは知らないとしても

何か知ってるような印象だったんだ」と返しているが、ミカエルに話さないのなら

儀式酒のことに触れるのは 相当マズイってことだろう。けど ボティスが尋問すれば、何かは話す。


「重なった影人の方が 一段落 着いたら

一度 地上に戻るぜ。朝 また再開するけど」


ミカエルが門を開き始め、ルカとオレは

影人が重なった人たちの印消しに戻る。

合間に、牢獄の見張りの悪魔たちの印も消し

奈落の悪魔たちは、全員 頭部を戻せた。


「よし! よくやった!」

「今日は、闘技場で お祝いをしよう」


ロキにグミで労われながら

天狗の言葉に 笑顔で盛り上がる悪魔たちを背に

影人の印消しを続行していると、奈落の森の 入れ替わりの場所を見に行った 美形悪魔二人が戻って来た。


「根に擬態して、かなり深くまで潜ってみても

奈落の中のトゥアル島の森には、何も無かったんですけど... 」と、黒髪の悪魔が報告し

ブロンドの悪魔が

「入れ替わった方の森には入れず... 」と

説明を続けている。


キュベレが落ちた 奈落の森と入れ替わったのは

ジャタが居る 元トゥアル島の島だ。

下界の森とも入れ替わり、現在は バリ島の近くに移動。

世界樹ユグドラシルとも繋がっているので、厳戒な結界が張られている。地下教会とも繋がってるんだけどさ。

ブロンドの悪魔が言っているのは、この島のことだ。


「なので、バリ島の アグン山麓にある

アタカマ砂漠へ行き、見張りの悪魔に断って

サボテンの根のみに擬態して 潜ってみました」


こっちは、アジ=ダハーカの封が現れた場所だ。

アジ=ダハーカ入りで、封だけ イラクのダマーヴァンド山に戻された。

入れ替わりの場所には、悪魔たちが見張りに着き

天使や 阿修羅の軍が 蛇人ナーガ根絶に努めている。


「深く深く潜ると、蛇人たちの巣穴のようなものがありました。蟻の巣のように幾部屋も。

天使たちの炙りの跡があり、無人でしたが」


天使たちは、地下を炙って

蛇人が這い出したところを 殺ってるみたいだ。


「ですが、巣穴の下に 何かが迫る気配がありました」


「迫る? 地中から?」


ミカエルが聞くと、ブロンドの悪魔は

「はい。なので 巣の下へ潜ると、黒い植物の根が

下から伸びてきていたんです」と 答えた。

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