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「あれ さ... 」


泰河が 低い声で呟く。


煤けた平原に顕れた男は、ターコイズの虹彩。

シルバーに青い装飾が入った肩当てに、藍色のマントと、藍色のサーコート。

シルバーに青装飾のガントレットや、腿当てや 脛当て。シルバーのブーツ。


顎の下の傷から流れた 血は乾き

細く裂けた サーコートの腹部も、血の跡で黒く見える。


「霊樹は... ?」


白い霊樹の 一本が よじれている。

変化に気付かなかった。黒ガラスが散った時か?

月夜見キミサマが 白蔓に戻し、地面に潜らせると

中身は空だった。

ソゾンが使ってるのは、ミロンの身体だ。

腹だか胸だかが カッと熱くなる。

あいつ、どこまで...


『さて オージン。あがなってもらおう』


声は、ミロンの口からした。

半魂で入ってやがる。

もし 今、ミロンの身体を破壊しても

ソゾンは また、別の身体に入るか

自分の身体に戻る。


ソゾンは、ミロンの足で トールの 氷の十字架へ

歩み寄りながら、ガントレットの右手を

まっすぐ 前方へ向けた。


赤い空の雲が 真上に集まってくる。

雲の中に 煌めくものが無数に見えてきた。

細氷ダイヤモンドダスト... ? と 思っていたそれが、空から降ってくる。


ヴァナヘイムの兵士たちが、円形の盾を上げ

ハティが 錬金の息を吹き上げる。

ヴィシュヌが チャクラムを投げた。


頭上の盾を突くような音。

衝撃に倒れかける兵士の盾を 一緒に支える。

兵士たちの向こう側の地面に、でかい槍くらいの氷柱ツララが バスバスバスッ と 何本も突き刺さった。


「マジかよ... 」


地精ランドヴェーッティルの黒馬兵たちは、今の氷柱ツララ

ほとんどが、楡の木や 楓の木、大岩や 綿菅ワタスゲ... と

元の姿に戻っていて

相手をしていた戦死者霊たちは、盾と剣で

氷柱ツララから身を護っていた。


ハティの錬金の息で、氷柱は砂金になって

オーディンたちも無傷。

マーナガルムは狼たちに降る前に、ヴィシュヌがチャクラムで 氷柱を粉砕。

狂戦士ベルセルクたちの周りにも、折れた氷柱が散らばってる。これ、狂戦士ベルセルクに当たって折れた ってこと... ?


トールの 十字架や、黒妖精デックアールヴたちの上には

氷柱ツララが浮いてて、その下の方には 陽炎が見える。

ベルゼの 翅だけ虫たちだ。


ベルゼが「返してやってくれ」と 命じると

斜めに傾いた氷柱が、ソゾンを目掛け

矢のように飛ぶ。


「あ?」


つい、声が出る。

ソゾンは 避けもせず、術で返すようなこともせず

右胸と左の脇腹、左腿を 氷柱に貫かれ

右の頬に掠った氷柱で、頬も裂かれた。


『さすがだ、バアル・ゼブル...

イブメルの滅呪を返したことにも頷ける。

あなたには、下手に攻撃すべき ではない』


軽く両腕を開いてみせた ソゾンは、胸や腹、腿に

氷柱を貫かせたまま、ベルゼの元へ 歩を進める。


オーディンが グングニルを軽く上げると

戦死者霊エインヘリアルが乗った白馬たちが、ソゾンへ走った。


ソゾンと戦死者霊エインヘリアルたちの間に、何本もの氷柱が

地面から突き出てきた。オレらの胸くらいの高さ。戦死者霊エインヘリアルたちが手綱を引き、馬を止める。

ソゾンの背後から、ヴィシュヌが チャクラムを

投げると、ソゾンの周囲に 白い霧が出現し

チャクラムの軌道を曲げた。


「でも、氷柱ツララは... ? 貫いてるのに... 」


ジェイドが言うと、ベリアルが

「貫かせたのだろう」って 答えてる。


「ソゾンは、死者 生者問わず 憑依する事が出来る。憑依した肉体が滅びようと、魂は無傷だ。

氷柱に貫かせたことで、それを知らせている。

ミロンの肉体が滅びれば、また別の身体に替えればいい。

“次に憑依された者も こうなる” とも 知らせ

攻撃自体も牽制しているが、戦死者霊エインヘリアルや チャクラムを回避し、自分の力も知らしめている。

こちら側に降伏させるため、“この場を支配” している訳だ。有能な者は、自分の配下に据えようと考えている」


『あなたが何故、オージンといるのか

俺には 理解出来ない... 』


ベルゼから、5メートルくらいの距離を取って

ソゾンは立ち止まった。


世界樹トネリコとも 無縁のはずだが... 』


「そうだ。眠り姫を引き取りに来たが

イブメルと関わることになった」


ベルゼの左手は、いつの間にか戻っていて

腕に掛けてた ステッキを持ってる。


「八芒星の結界を、トールに掛けられないんすか?」


朋樹が マリゼラに聞くと

「トールの 十字架を、八人で 取り巻くことが

出来れば... 」って 返ってきた。

ソゾンに妨害されるよなぁ...

ヴァン神族の術は、知り尽くしてるんだし。


地精ランドヴェーッティルの槍を 両手で握った泰河が

喉を鳴らして「あの... 」と、ベリアルに 話しかける。オレも何故か、隣で緊張するし。


「ミロンには、悪いんすけど...

ミロンの身体に、ソゾンの魂を 結んじまえば... 」


「ソゾンに 触れる程 近付ければ可能だ。

チャクラムも避けていたが」


そうっすよね... って ツラになった 泰河が

「すんません」って 謝ってるし。

オレも 俯き気味に会釈する。

ベリアルも、当然 考えるよなぁ。


「しかも、ミロンの肉体に 封じたところで

あれは “半魂” だ。残りの魂が 元の肉体にあるのなら、ソゾンを封じられる訳ではない」


「でも、ソゾンが あんな風に、誰かに憑依する ってことは 封じられるよね?

ミロンの身体から 半魂が出られなくなるんだから」


ジェイドが言ってみると

「そうだ。私は 契約の締結や、魂の術の結びには

くちづけを用いるが... 」って 返ってきたんだぜ。


泰河が、また緊張してる。... ん? じゃあ

エデンでは リラ子にも?

いや 中身は、サリエルなんだし

魂のリラ子には 会ったけど け ど...


「何で、そういう契約の結び方にしたんだ?!

ソゾンが させる訳ない! したくもないだろ?」


ロキもどき なんだぜ。ちょっと こいつのこと

忘れてたし。 今 なんか、複雑だしさぁ...


「私は、バアル・ヤアルでもあり

私を崇めた王たちは、敬意を込め、忠誠の証に

くちづけたものだ」


ベリアルは 普通に答えてるけど、ボティスが

「くちづけでの締結は、父が嫌がるからな」って

言っちまってる。


「ボティス」と 笑顔で呼ぶ ベリアルの隣... 翅だけ虫の上で眠る シェムハザの前に、狐榊を抱いた

ボティスが並んだ。


「お前が、ルシファーの寵愛を受けてさえいなければ、私の直属の配下にしたものを... 」


眠っているシェムハザを挟んだ 背後には

ロキと ロキもどきの 二人だけ。

ボティスと ベリアルは振り向かず

「妻を貸してみろ」って、狐榊もベリアルに渡り

榊は「む... 」と 長い鼻を空へ向けた。


『... 女は もう、俺の妻だ』


トールの十字架の前では、ソゾンとベルゼの話が

続いている。


『バアル・ゼブル。共に、世界を再生しよう。

あなたは、崇高なる存在だ。

“悪霊の かしら” に おとしめられていることは無い』


「私は、私自身を貶めてなど。

人間から見れば、疫病の神であり

天から見れば、幾らかの異教神等を束ねる者でもあるが。

天に属する者ではなく、地上神とも言い切れん。

よって 地界に属している。

ソゾン。何故、世界再生など求める?

お前の目的は、お前の血を継ぐ バルドルや ウルを

世界樹ユグドラシルの主神の座に据えることでは?」


ソゾンが黙った。


「諸々の復讐として、オージンを滅する気でいるようだが、そこまでは まだ理解が及ぶ。

何故、他神の領域までを?

先に、ベリアルが話した事の意味は考えたか?

眠り姫が お前を選んだのは、オージンの魂を飲むためだ。お前が 飲ませまいと妨害しようと、お前の意志など 無関係だ。

眠り姫は、誰の子を産み落とそうと、誰の手にも落ちん。預言者モーセの 創世記を読んだことは?

あれは、“聖父の肋骨あばらぼね” だ」


ソゾンが、ベルゼに まっすぐに伸ばした腕の

ガントレットの手を開くと

ベルゼの背後、割れた地面から

氷の粒が噴き出してきた。


『バアル・ゼブル。力だけ貰おう。

モレクのように』


ソゾン... ミロンの身体を貫いている 氷柱ツララ

白い蒸気となって 空気に溶ける。


ベルゼの足は、氷の粒に包まれて 囚われ

背後には、氷の椅子が造られた。

押されるように ベルゼが座る。


『... あの女は 俺の妻だ!!』


やっぱり、ちょっと おかしい気ぃする。

本当は もう、“世界再生” とか “息子を主神に” とか

どうでもいいんじゃねーの... ?

キュベレにイカれちまってるだけ に見えるし。

だって、すげー 妬いてるしさぁ。

キュベレは 聖父の肋骨で、それは変わりようがない ってことに。

オレも、知らない内に浸透されちまってたけど

あんな風に ならなかったのは、ミカエルの加護のおかげなのかも。


空気に溶けた氷柱の白い蒸気が

また ソゾンの前に 姿を現し始めた。

幾つもの 手のひらくらいの大きさに分かれ

形を取っていく。


旋回してきた神鳥の師匠から、ヴィシュヌが

ベルゼの前に 飛び降りた。


「... お前、何してるんだ?」


ボティスと 一緒に戻って来て、蔓を巻かれてない方のロキ... 蔓なしロキが 口を開いた。


「何? ベルゼが捕まっちまったから

何か 案を... 」


一人で戻って来て、蔓に巻かれてるロキ

... 蔓ロキが言う。


「いいや。

今、シェムハザに触れようとしただろう?」


蔓なしロキが言うと

「何 言ってるんだ? 触れて どうする?」と

蔓ロキが言い返す。


「シェムハザを殺りに来やがったな?」


蔓なしロキ。


「何なんだ? シギュンの次は、俺に成りすまして。俺と入れ替わる気なのか?」


蔓ロキ。


「俺は俺だ。お前だろ?」

「いや解いてやる。変身出来る奴は限られてるからな。ビューレイストだろ?」


ビューレイスト って、ロキの兄弟だ。

けど 蔓ロキが言っても

蔓なしロキは、ロキのままだった。

名前を言われたら、変身が解けるんだったよな...

じゃあ やっぱり、蔓ロキが 偽ロキなのか?


「ビューレイストは お前だろ」


蔓なしロキが言っても、蔓ロキも ロキのまま。

「どっちもロキなのか?」って、半分 本気で

ジェイドが言うけど、無言で流してやるし。

マリゼラたちも 様子を見てる。


「魔女の薬を飲みやがったな?」と

蔓なしロキ。


名前 呼ばれても、変身 解けなくなる薬って

あるんだ...

「だから、お前が飲んだんだろ?」って

蔓ロキが返してるけど。


「判別方はある。

お前、イチイが付いてるだろ?」


蔓なしロキが言う。

ヘルブリンティが付けられてた、イチイのルーン文字か。ロキを殺れば、ロキに移せるっていう...


「何 言ってるんだ? そんなもの ある訳...

ああーっ!! あるっ!! 何でだ?!」


自分の仕事着ん中 見た、蔓ロキなんだぜ。


「お前もあるんじゃないのか?!」って 言ってるけど、仕事着のボタン外して、中のシャツめくった 蔓なしロキには ルーンねーし。


「お前、それを 俺に移しに来やがったんたな?

しらばっくれやがって... 」


蔓なしロキが 蔓ロキに詰め寄る。

トールにも付けられてる、生贄の印。

ボティスもベリアルも、トールたちの方を向いたままだ。


トールたちの方... 氷の椅子に座らされてるベルゼと、その前に立つ ヴィシュヌを見る。

ヴィシュヌが顔の隣で立ててる 人差し指の上には

チャクラムが浮く。


ソゾンの前に凝った 手のひら大の蒸気は

一つ 一つが 短く尖い形をした 氷柱ツララになっていた。投げナイフのように横になった状態で 静止してる。


『維持神 ヴィシュヌ』


「そうだよ。よく知っていたね。

そういえば、バリに来てたようだけど。

俺は、君の事は知らなかった」


ヴィシュヌって、嫌味ねーんだよなぁ。

嫌味言う人じゃねーからだろうけど。

本当に知らなかっただけ だと分かる。


「運命の神だと自称しているようだけど

運命を司るのは、ノルニルじゃないのか?」


ノルニル... 北欧神話には、ノルンと呼ばれる女神たちがいる。

いろんな場所に居て、出身も 巨人だったり妖精族アールヴ小人族ドヴェルグだったりと様々で

三人一組で 黄金の糸を使って、人々の運命を決める。


アースガルズに伸びる 世界樹ユグドラシルの根の下には

ウルズの泉があって、ウルズ、ヴェルザンデイ、スクルド という三人の女神たちが棲んでいて

黒竜ニーズホッグが根を齧り、牡鹿たちが樹皮を食べて弱らせる世界樹ユグドラシルに、ウルズの泉から汲んだ水や白泥をかけて癒やす。

この三人の女神は、巨人族出身と いわれていて

女神達ノルニル... “運命” が 訪れたことにより、最終戦争ラグナロクが起こることが確定された とも聞く。


『ノルンたちにも、当然 父がいる。

ウルズは、俺の娘だ』


マジかよ...  ソゾンが 右腕を払った。

氷柱ツララのナイフが 一斉に ヴィシュヌへ飛ぶ。


神鳥の師匠が羽ばたくと、氷柱ツララがゴールドの炎に纏われ、人差し指を動かした ヴィシュヌが

チャクラムを旋回させて 一蹴した。

弾き飛ばされた氷柱は、ゴールドの炎に融けて

空中に消える。


「俺は、維持神だからね。

もう、カリ・ユガ の時代ではあるけど

本当なら、まだ カルキになる時じゃない」


カリ・ユガ... ヒンドゥー教の “鉄の時代” で

人々が争い、環境破壊も著しく、欲望と不誠実の暗黒時代。終末が近い。

ヴィシュヌの化身アヴァターラの ひとつ、カルキは

白い馬に乗って 不徳アダルマを滅し、ダルマを立て直す。


「周到に計画を立てていたようだけど

君の力が及ぶのは、どこまでだと思う?」


ヴィシュヌの背後で、ベルゼが立ち上がった。

ステッキで地面を突くと、氷の椅子と足枷が

さらさらと 氷の粒に戻り、空へ立ち昇っていく。


「私の熱喰い虫は 増殖する性質を持つ。

単為生殖であるため、いずれも短命だが」


単為生殖... 雌だけで繁殖すること。

自分のクローンを産む。

白い手袋の左手を開くと、右手のステッキで

割れた地面を示し

「この下で、トールの十字架となった 氷蛇が生成されたことにより、地下にいた虫の大半は死滅したが、増殖途中にあった虫は変容し、進化した」と、開いていた左手で、空に昇る氷の粒を指す。


「どうやら 冷気も食す」


トールの 氷の十字架の 腕の部分の端から

幾粒かの氷の粒が昇るのが見える。


“世界と物質の創造には、水と熱がいる” と言った

ロキの言葉を思い出す。

ベルゼは、どっちも 虫に喰わせて、創造それを阻止し

「眠り姫を渡してもらおう」と

ヴィシュヌの隣に並んだ。

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