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これは、勝てねーよなぁ...


氷の粒を昇らせる トールの十字架の前に

マグマや 氷を噴き出した深淵。

その前に、維持神 ヴィシュヌと

進化の隙間を埋める神、バアル・ゼブル。


ソゾンのシナリオでは、主神 オーディンの息子、

聖子に準えた アースガルズの善である トールを

自分を介して キュベレに捧げさせ、

熱と水によって、ここ、ヴィーグリーズから

新しい世界の創造を始める気だったんた。

オーディンとアースガルズ、世界樹ユグドラシルの他の世界も

滅ぼすと同時に。


けど、熱も水も簡単に ベルゼの虫に喰われちまった。ソゾンの氷柱のナイフは、師匠とヴィシュヌに融かされ、生贄のトールも 解放されつつある。


『... 妻を、渡せ だと?』


「は... ? なんか、言い方が... 」って

眉をしかめる泰河に、“そ” って 頷く。

ソゾンは もう、復讐とか 世界再生とかの方が

建前になってる。キュベレに夢中なだけ。

使ってるはずが 使われちまうんだよな。


だいたい、元々は 復讐目的であって、それを果たした後の構想は、大して無かったんじゃねーの?

バルドルかウルを 次世界の主神に据える

... くらいだったんだろうし。


それだと 別に、世界樹ユグドラシルの主神が変わる ってだけで

黙示録にあるような、“悪が滅され、天国が降りる”

とか、ヴィシュヌの化身アヴァターラカルキがダルマを立て直すっていう、“新しい世界” には ならない。

壊滅させた国の乗っ取り再建 統治 って感じ。

支配者が変わるだけ。同じ世界のままだ。


キュベレが出てこなければ、神人である自分の子供たちを使って、キリスト教化された 人間世界ミズガルズ

改革させようとしてたんじゃないか? って

推測しちまう。


だって、巨人や妖精族アールヴたちにも 優れた子は産ませられるのに、わざわざ人間に産ませて 人間世界ミズガルズに侵入してるし。


キリスト教化される前のように、占いとかで

精霊信仰を拡めて、巫女ヴォルヴァやノアイデを 人間世界ミズガルズの権力者の妻や愛人に据えれば、人間世界ミズガルズも動かせる。

けど それも、全世界って訳じゃなく

北欧諸国だけで考えてた と思うんだよなぁ。


キュベレが、異教神のアジ=ダハーカと 一緒に

ヴァナヘイムに現れたから、異教や別界まで 構想に取り込まれて、計画が でかくなったんだ。


神人の子供たちの母親を、生贄としてキュベレに捧げたことで、子供たちを “女神のすえ” にした。

この時点でもう、自分ソゾントップじゃない... 使われる側になった ってことに 気付いてなかった。


口では、“神母” と キュベレを立てて話してるけど

女として見てる。

アジ=ダハーカも出し抜きたくて、キュベレを孕ませた。... まぁ これは、ソゾンの話が本当だったら だけど。


キュベレが孕んだことで、キュベレと自分の関係が 強固になって、自分もキュベレと同列... いや

まだ “自分がキュベレを使えてる” とも考えてるんだろうけど、どこかでは、“そうじゃない” とも

気づきかけてる。


今は、“渡すものか” っていう 強い思念。

それを隠す気もない。


自分の兄、ヴァナヘイムのミロン。

アースガルズのトール、世界樹ユグドラシルの神々を キュベレに捧げて、愛情を示そうとしてる。

“俺の世界樹せかいのものを 全部 おまえにやる” って


『... 許可も無く 世界樹トネリコに入り込み、妻を渡せ と』


「主神の許可であれば、得られているようだが?」


ソゾンは、スレイプニルに跨った オーディンには

眼を向けず、顎を突かれ、裂けた頬のミロンの顔を歪ませる。

エルフみたいな顔立ちなのに、あんな表情になるんだ と、不思議に思うくらいの 強い怒りの表情。


自分の胸の前に開いた、ガントレットの右手を

グッ と 握り締めた。


「トール!」


氷の十字架の向こう... 四郎とは逆の位置に

ミカエルが降りる。


「何だ... ?」

「トールの背中に... 」


ベルゼの虫のおかげで 十字架の背面が薄くなって

透けてきてるんだけど、トールの背中や脚が嵌ってる部分に、何箇所も 拳大の円形が見える。


「あれ、円錐になってるんじゃねぇのか?」


カッとした眼になって、朋樹が言った。


円錐 って...


「なら、でかいトゲに 刺されてるってことか?」


泰河が 右手に槍を握り直す。

トールの背中や脚の円形の周りに 赤い色が滲んで見えた。

赤い空に 無数の光が煌めく。また氷柱ツララの雨だ。


マリゼラたちが、盾を空に向ける。

グッ... と、喉が詰まるような声がして

声の方に 振り返ると、ロキが ロキの首を絞めてた。

後で来た方の 蔓なしロキが、イチイが付いてる

蔓ロキの首を。


「俺に、イチイを移す気なんだろ?

その前に やってやる!」


蔓ロキは、蔓なしロキの両手を掴んで抵抗してるけど、蔓なしロキは、首を掴んだまま

蔓ロキの腹を蹴った。


「おい! ロキ... か?」

「とにかく、やめろって!」


盾や地面を、氷柱ツララが突く ひどい音がする。

盾の下をくぐりながら、泰河と 二人で

揉み合う ロキたちの方へ向かう。


「おい、ロキ!」

「離せよ! 相手は 蔓巻かれてんのに... 」


けど オレも泰河も、蔓なしロキの片腕で

簡単に振り払われちまうし。


「朋樹!式鬼で... 」って 言って見たら

朋樹とジェイドは、ソゾンの方を見てて

狐榊が、シェムハザを飛び越えて

オレらの近くに、すた っと着地する。


「ベリアルは... ?」


ボティスの隣に ベリアルがいない。

また氷柱ツララ雨。ひどい音の中

『計画に変更はない!』と叫ぶ ソゾンの声。


四郎の風で、氷柱ツララが 十字架に届く前に 前上方へ 弾け飛び、ソゾンを貫こうとする氷柱ツララまで粉砕する。


砕けた氷柱ツララと、ハティが錬金した砂金が 降り注ぐ中、ソゾンの真後ろに ベルゼが立った。

5メートルくらい先の 割れた地面の前にも

ヴィシュヌとベルゼ。


『いいや。終わりだ、ソゾン』


ベルゼの声に、ソゾンが振り返る。

ベルゼが 形代カタシロに変わって落ちた。

朋樹の人形ヒトガタだ。


唖然とするソゾンの前に、忽然と顕れた ベリアルの右手は、ソゾンの 穴だらけのサーコートの胸に触れていた。

ラテン語の呪文を唱えながら、左手で ソゾンの

頭頂の髪を掴んで引くと、唇に くちづける。


「良し!」と、ボティスが言う声に

「やった!」「閉じ込められた!」という

朋樹とジェイドの声が続き

泰河の「やめろ!」という、切迫した怒りの声が重なった。


首を掴まれている 蔓ロキの方が

泰河が握ったままの 槍を掴み、泰河の手ごと引いて、蔓なしロキの腹に突き刺してる。


泰河の手が槍から離れると、槍が消えて

綿菅ワタスゲの白い綿が舞う。

蔓なしロキの両手が、蔓ロキの首から離れた。


槍は、綿菅の地精ランドヴェーッティルの 一部だったようだ。

獣の血を持つ泰河の手で、槍の形を保ってた。

でも、蔓なしロキの腹は 血に濡れていく...


「ロキ!」


蔓ロキは 喉を押さえ、身体を折って 咳き込み

蔓なしロキは、右手で腹を押さえながら

左手で 自分の仕事着の襟口を引き、中を覗く。


「よし... 移ってるぞ... 」


一瞬、呆気に取られる。... どういうこと?


腹を突かれた 蔓なしロキの髪が伸びて

一つに束ねられる。ブロンドの髪。

ヘルブリンティのような オリーブ色の虹彩。

本当に、ロキの兄弟 ビューレイストだ...


生成りのシャツの腹は 赤黒く濡れて

黒いパンツにも染みていく。

シャツの襟口を編み上げた紐が 緩まってて

青いイチイのルーン文字の 一部が見えた。


「ヘルブリンティは、騙され たんだ... 」


咳が落ち着いたロキが、ビューレイストに

虹色の虹彩の眼を向けると

「ソゾンは、どうせ... 」と

噎せたビューレイストは、口中も血で濡らした。


「... ヘルブリンティが、お前に 勝てやしない と

分かってた。

“血族の手によって 他方が 血を流せば”

生贄の印の ルーンは移るんだ。

殺ろうが 殺られようが、血族に。

一度 移ったルーンは、また

血族の手に掛からなければ 移らない」


「でも、俺は... 」


ロキが、咳き込んだ後の 掠れた声で言う。

ヘルブリンティは、グングニルに貫かれたし

殺ったのは オーディンだった。


いや... ロキとオーディンは、互いの血を交換して

兄弟の契りを交わした 血誓兄弟だ。

グングニルが抜けて、倒れ掛かったヘルブリンティに触れたのは、ロキだったけど...

あの時に、ルーンが移動したのか?


「何で、お前が... ?」


朋樹が ロキの蔓を解いたけど、ロキは動かない。

ぐらついた ビューレイストを、オレと泰河が支えて、地面に座らせる。また 氷柱ツララが降ってきた。

『... バアル・ヤアル! 貴様 何を... ?!』と

声を震わせる ソゾンの叫びが、盾を撃つ 氷の音に霞む。


「ロキ... お前が、家を 出た時」


話しながら噎せる ビューレイストの、開いた片足の隣に、狐榊が座って 頬を膝に寄り添わせた。


「俺も、一緒に 行きたかったんだ。

ヘルブリンティが 怖くて、出来なかった けど」


本心だ。ビューレイストは、次男のようで

長男ヘルブリンティに逆らえなかったみたいだ。

外見のせいもあって 注目されるロキを

ヘルブリンティはうとんでた。


「お前が、洞窟を出た って、ソゾンが言ってて

でも、始末したい って、ヘルブリンティたちと

ルーンの話を してたから... 」


「... だから! 何でだよ?!」


ロキが怒鳴ると、ビューレイストは

「変わら ないな... アース神族に なったのに」と

眉をしかめながら言った後に

「お前が、俺の 弟 だからだよ」と 微笑わら

「予言に ないことが、起こってる。

何かが 変わると 思ったし、俺も 変わりたかったんだ。ロキ」と、また噎せて ロキを見た。


口を開けない ロキに

「ずっと、庇って や れなかった。ごめんな」と

謝り

「なぁ、志願 するよ」と、マリゼラに言う。


「何故、君が... 」と 返す マリゼラの声に

「ダメだ! キュベレに飲まれるんだぞ?!」と

弾かれたように怒鳴る ロキの声が重なる。


「どっちにしろ だよ」と、ビューレイストは

自分の胸の ルーン文字を指した。


「善人に、なりたかったんだ」


ビューレイストの 呼吸が浅くなってきて

寒さに震え出している。血の匂い。


「なんだよ、それは... 」


声や 全身からも、気が抜けたようになったロキは

「... いやだ。いやだ、ダメだ ビューレイスト!」と、瞼を充血させ、虹色の虹彩を潤ませていく。


「泰河」


ボティスが、泰河を呼ぶ。

ビューレイストの向こうで、眼を閉じた泰河は、

眼を開くと「ルカ。ピストル」と オレに言った。


そうか... ロキが 地面に投げ付けた時に

オレが拾ったままだった。

上下に分かれた仕事着の後ろ、腰に差していた

ピストルを 泰河に渡しながら

また、そうか と 思った。


キュベレに、飲ませないために

死神に 取らせるんだ。


そう 言葉で考えると、指が震えた。

ピストルが 泰河に渡る。


『... 許されると思うなぁッ!!』という

ソゾンの絶叫と、盾を撃つ 赤い氷柱の雨。

「ベリアル!」と呼ぶ ヴィシュヌの声。

氷柱は 地面に突き刺さると、どろりとした炎となった。

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