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「何故、ルーン文字が?」


「いつ... ?」

「神人の子供たちの塔では、神隠しをしていた」


「後にしてくれ! 早く毒を... 」


ロキの言葉で、マリゼラや四郎が

牙の傷口や 状態の観察に戻る。


「文字は 消えましょうか?」


四郎に聞かれて、泰河が 青いルーン文字に触れたけど、文字は浮き出したまま消えなかった。


「術で書いては いるが、その文字自体に 術の効果は無い。恐らくだが “印” だ」と

助力円で蛇人を燃やした ボティスが言う。

式鬼札を飛ばそうとする朋樹が 躊躇した。

ミロンは まだ、首を掴まれたままだ。


「印? 」


トールの右の腿の横に立って、心配や不安に

苛立つ声で ロキが聞くと、ボティスは

「キュベレの生贄にする気なんだろ。

“アース神族” も 差し出す気だ」とか 答えちまって

「あ?」と ロキが詰寄ろうとするし。


“生贄” なら、ヴァン神族のように

半魂を取られて 兵隊にされる訳じゃない。

洞窟の 氷漬けの女の人たちがよぎって

つい、トールの白い顔から 眼を逸す。

イヤだ。こんなこと 認めたくねーし。

でもなんで、兵隊にしようとはしないんだ? とも

聞けねーけど...


「息子のウルが、オージンに 主神の座から

失脚させられているからな。

オージンの息子であり、アースガルズや人間世界ミズガルズの守護神であるトールを 世界樹ユグドラシルが失えば、

最終戦争ラグナロクの予言は 半分 成ったようなものだ。

また、世界樹の各界の者等を “キュベレの子” とするために、それぞれの界から 生贄を選出することも考えられる」


... イスラエルの人々が カナンを離れ

居留したエジプトで 奴隷となっていた時、

聖父は、時の預言者モーセに

“人々を連れ、カナンへ戻れ” と言う。

モーセが 聖父に与えられた力で “十の災い” を起こしても、エジプトのパロは 人々を解放せず、

聖父自ら... 実際には使いたちかもだけど

エジプトのすべての初子ういご... 長子を屠った。


この時、イスラエルの人々の家には 印を付けさせ

... “わたしがエジプトの国を撃つ時、災が臨んで、

あなたがたを滅ぼすことはないであろう。”... と

家から出ないよう籠もらせて 過ぎ越す。


その後、エジプトから解放されたイスラエルの人々に、“すべての初子を聖別せよ” と命じる。

聖別っていうのは、他のものとは分けて

聖父のものにする ということで

イスラエルの人々は、家畜の初子、人やロバの初子として 贖罪羊スケープゴートを燔祭で捧げ、聖父の子に戻った。


トールを 兵隊にせず、生贄にするのは そのためか...  オーディンから取り上げることにもなる。


「ソゾンは まず、世界樹ユグドラシルを解体し、自分が仕える キュベレのものとするつもりなんだろ。

生贄の選出は、最終戦争ラグナロクの予言に名がある者から と 考えられる。

アース神族からはトール、虹橋ビフレストのヘイムッダル、

灼熱ムスッペルスヘイムの門番スルト、冥界ニヴルヘルのヘル。

小人国スヴァルトアールヴヘイム妖精国アールヴへイム極寒ニヴルヘイムからも 選出されるだろうが、巨人ヨトゥンは お前だ。

争いが本格化する前に、ここで トールもお前も

生贄にして始末するつもりでもあるんだろ。

だが、キュベレが最初に お前を外している。

その点に於いて、ソゾンとキュベレの思惑に

齟齬そごが生じてきているが、ソゾンは 気付いていない」


「オージンは... ?」と、ぼんやり聞いた ロキに

「“キュベレの子” にはしない。

ソゾン自ら制裁する気だろ」って 答えてる。


「ロキ」「トールと居ろ」


ジェイドと 盾を持つ兵士たちが言って、

ロキの背に手を添えた榊が、トールの傍に誘導すると、トールの皮膚の変色が また拡がったことに

気付いて、カッとした顔になる。

「何してるんだよ?!」と 怒鳴って

「早く、何とか... 」と、唇と声を震わせた。


世界樹ユグドラシルの蛇毒じゃない。解毒術は... 」

「トールは、天主でうす様に 悪魔と見做されましょうか... ?」


迷いながら、四郎が「きよくなれ」と

右肩の傷口に触れる。

浅い息をつくトールが 短く唸り、身を捩ったので

傷から 手を離した。


「どうすりゃいい? ボティス、何とか... 」


「アジ=ダハーカの毒に、対抗 出来るのは

善の象徴である アフラ=マズダーの聖火だが... 」


けど ここに、アフラ=マズダー は 居ない。

ロキに向いた ボティスは

「お前が そんな顔をするな」と

兵士たちの 盾越しに、トールに眼をやる。


トールは、力の無い眼を ロキに向けてて

「... まだ、死んで ない だろ」と

浅い息の合間に言って、ムスっとした顔を作ろうとした。


「絶対に、何としても 解毒を... 」


四郎に頷いたマリゼラが、サーコートの下のズボンポケットから、小瓶に入った錠剤を出して

「毒には効かん。鎮痛剤だが... 」と

トールの口に入れ

「骨格筋幹細胞に 筋再生を促す」と

傷口周囲の 変色した皮膚の上に触れて

呪文を唱え出す。


榊に付き添われた ロキが、トールの近くに座って

立てた膝の上に 祈るように組んだ指で、口元を隠した。


一度 ゆっくりと息を吐いて、胸を落ち着かせる。

イヤだから 諦めねーし。


何か 筆でなぞれるものは ないかと

トールの額や傷口付近から 印を探してると、

空気を割るような音に、打撃音が連続で入り混じって、兵士たちが 散らされて倒れた。

アジ=ダハーカが 尾を振り回したようで

ミカエルやハティ、ベルゼは、浮いて回避してる。

アジ=ダハーカの左手に 首を掴まれたままのミロンは、ぐったりとしていて

ハティが 本当に仮死にさせたのかが 心配になった。


ミロンをぶら下げた アジ=ダハーカの正面に立った ミカエルが降りた。

ハティとベルゼも ミカエルから 少し離れて着地する。


「ミロンを放してくれ」


ミカエルが、剣と盾を下げ

ハティも 赤い肌の人型の姿に戻った。


「抵抗は やめる」


は... ? 耳を疑う。

ミカエルが、悪に屈することなんか 有り得ない。


「嘘だ... 」と、ジェイドも唖然としてるけど、

ミカエルの隣に「お待たせ」と ヘルメスが立ち

ベルゼとハティの間には、いつの間にか居なくなってた 琉地が座る。


ベルゼが、ステッキで床を突くと

アジ=ダハーカの動きが止まった。

両肩や背中から ベルゼの黒い虫が飛び立ち、

ガツッ という重たい音に 広間が揺れる。

次に ゴッ という破壊音が響くと、天井の一部と

蝋燭シャンデリアが落ち、チャクラムが浮いた。

天井の穴から飛び込んだ ヴィシュヌが

立てた人差し指を回すと

チャクラムは、ヴゥン... と 音を立てて弧を描き

アジ=ダハーカの左腕を切断した。


黒く鋭い爪の腕と 一緒に弾かれたミロンを

ハティが受け止め、首を掴む腕を外す。


「霧虹へ行こうとしてたんだけど、

琉地が 地面を掘る仕草をして見せたからね。

月夜見キミが結界割りして

ま、分かってるだろうけど、ヴィシュヌが」と

ヘルメスが 天井の穴を指した。


アジ=ダハーカの背後に居る誰かが

「やはり、なかか」と 声を出した。

白い翼が開き、その数が増えていく。


「青い鎖は、自分の魂を護るためだな?」


ベリアルの声だ。

神隠しが解けた後は、姿を消して潜み

アジ=ダハーカの観察をしてたらしい。


「そういや、ベリアル 居なかったよな...

何で 気付かなかったんだ?」


泰河が言うと、ボティスが

「お前等の記憶からも潜んでいたようだな。

もし、“ベリアルは?” などと 話し出したら

相手が警戒する」って 答えてて

上級悪魔って すげー... って 驚嘆する。


アジ=ダハーカが 牙の口を大きく開け、

カハッ と、何とか呼吸をしようとしている。

右手で 背後にいるベリアルを掴もうと藻掻き、

振り回した黒い尾を ミカエルが盾で受ける。


天井の穴から 師匠と月夜見キミサマが降りて

四郎の背後には、シェムハザが立った。

かなり安心して 緊張で肩や背に入っていた力が抜ける。

「トール」と、四郎の隣に しゃがむと

青い炎の象の自分の魂を分けて、トールの口元に運んだ。


「何をしたんだ?」と、ロキが顔を上げる。

シェムハザが割った炎が トールの口に吸い込まれて、皮膚の変色が薄れていくと、明るい顔になった。


トールも、だいぶ楽になったようで

深い息をついて、全身の力を抜いたけど

咬み傷の状態を診た シェムハザは

「押さえられているが、毒が抜けた訳ではない」と、眉をひそめてる。


「蛇毒か?」


師匠が見に来て、マリゼラの隣に しゃがむと

ぽとり と 落ちた何かが、トールに向かって這い進む。ジェイドの右腕に棲む ゴールド鱗の蛇だ。


「ほう... 初めて実物を見たが」


師匠が、驚いたような 感心したような顔をして

「スマラの愛慾に、シューニャの炎が結びつくとは。

相剋そうこくであろうにのう」って 蛇を見つめてる。


相剋... 確か 陰陽の五行で、相手を弱める作用。

相生は 逆。相手や互いを高める。


「スマラ神の蛇を 欲として見たら、師匠の炎で

燃やし尽くされて、解かれるはずなんだよな」


トールの首筋の咬み傷から 体内へ潜り込んでいく蛇を見て、朋樹が言った。

何か新しいものが生まれた... ってことだよな?


「欲が燃やされたんなら、アイ ってこと?」って

言ってやったら、泰河に肩 固めかけられたし。

マジメな顔で言ったのにさぁ。


「蛇は、助けようとしてるんだよな?」


ロキが、期待を込めた顔で ジェイドに聞くけど

「悪くはしないと思うんだけど... 」って

首 傾げてる。

「今、抜け出た感覚も無かったし

師匠に反応して出て来た気もするからね」って

何か 頼りねー。


「上の掃除は済んだのか?」って 聞くボティスに

「泉や水路の水が枯れ、蛇人ナーガ等の修復もされず となったからの。

それで、地下宮殿ここの結界も見えたのだが... 」と

答えた 月夜見キミサマ

「ベリアルは、何をしておる?」って 聞いてる。


「アジ=ダハーカのなかに、ソゾンの魂が潜んでいるようだな。

ミカエルが 引いて見せ、隙が出来た時に

それを 掴んだ。

防護の鎖を巻いていたが、なかにいる自分や

背後の部屋を護るためだったんだようだ」


鎖を失えば、ソゾンは アジ=ダハーカから出て

自分の身体に戻ろうとする。

アジ=ダハーカを捨てて、キュベレと移動するために。


「けど なんで、内にソゾンの魂が居る って

分かったんだよ?」って 聞いたら

「中に入った ベルゼの虫が調べたんだろ?」って

簡単に返ってきた。うん、そっかぁ。


「ルカ、何か 見えるんじゃないか?」


トールの咬み傷を見ながら、ジェイドが言う。

眼ぇしかめてるし

「おまえ、何か見えんの?」って 聞いてみたら

「蛇が、咬み傷から咬み傷へ 移動してる気がするんだ。ほら」と

トールの 右肩の傷から左肩の傷へと指差した。

本当だ。ゴールドと白の光が 移動してる。


眼を凝らしていると、咬み傷の牙の跡周辺に

蛇の光がある時、ヒラガナの “く” と 縦線や横線で 構成された 記号のような文字が浮かぶ。

確か、古代ペルシア文字。


首筋の文字を 天の筆でなぞると、蛇の光は

右肩へ移動した。なぞると 次は左肩。

最後に、左の脇腹へ。文字は 全部が濃紫。

「“腐敗”」と、シェムハザが読んだ。


左の脇腹の咬み傷から、するすると抜け出してきた蛇は、ジェイドの脚から 右肩まで登ると

仕事着の首元から 右腕に入っていく。

泰河が、模様の右手の指で 濃紫の文字に触れると

焦げ臭い匂いと黒い煙を上げながら 文字が消えて

咬み傷も消える。


「うん、毒が消えた」と シェムハザが言うと

トール以上に、ロキが明るい顔になった。

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