95 泰河


「“ノウボバキャバテイ タレイロキャ ハラチビシシュダヤ ボウダヤ バキャバテイ タニヤタ オン ビシュダヤ”... 」


陀羅尼を唱える。

牛頭鬼ごずきとなったなら、もう ただの念じゃない。

人が産んだ鬼だ。


目を覚ました人々も 餓鬼に引き摺られて来て

煮え湯と煙を吐き、身体から湯気を吹き出した。

失神しては目覚め、恐ろしい熱と

自分を煮る音や匂いに 取り巻かれる。

ガボッ ガボッ と、水をこぼしながら 気を失う人もいる。


「“ソハハンバ ビシュデイ アビシンシャトマン ソギャタバラバシャノウ アミリタ ビセイケイマカマンダラハダイ アカラアカラ”... 」


「つまり、隠府ハデスの浄火の役人ということか?

ウリエルのような」


シェムハザに ワインを取り寄せさせた皇帝が

眠気を誘う声で、天狗に聞く。


「これは、被害をこうむった者の怒りだな?」と

牛頭鬼を指し

「ならば、幾らでも生まれる。

下手をすれば 人間の数を凌ぐ。

これをやることに、何の意味がある?」と

グラスを傾け、赤いワインの表面を見つめた。


赤黒い鎖に巻かれた天狗は黙っている。


「精神を消耗すれば、身体から魂が離れる」


倒れる度に、ミカエルが癒やして回り

倒れている人を、何とか眠らせようと

シェムハザとゾイが 術を掛け

玄翁と真白爺が 牛頭鬼に向かい、新たに不動金縛りの術を掛け始める。


「クソ羅刹め!! 俺の腕を 喰いやがった!

喰いやがったんだ!」


肘から先を落とされた鬼や

肩を喰い千切られた悪魔が運ばれて来た。

血の匂いと 人から発せられる湯気が立ち込める。


「... “アユサンダラニ シュダヤシュダヤ ギャギャノウビシュデイ ウシュニシャビジャヤ ビシュデイ サカサラアラシメイ”... 」


「人間の血肉を喰らおうと、魂を飲まん者が

何故、こういった手段に出る?」


ワインを飲む皇帝に、ボティスが

「アバドンに使われている。蝗がいるからな。

天使は、大っぴらに 魂を集められん。

レヴィアタン方式だ」と 答え

「印を消せ」と、オレに言う。


陀羅尼を続けながら、天狗の前に出ると

隣に ハティが立った。


天狗は、赤黒い翼まで 鎖に閉じられ

腕に食い込む程 締められていても、陀羅尼にも

何の反応も見せない。

赤く光り消える文字のように、額の印も 現れたり消えたりしている。


白い焔の模様が浮き出した腕の指を

天狗の額に伸ばすと

天狗が『オーム』と 声を出し、腕を掴まれた。

肩から生えた、別の腕だ。


ハティが その腕を掴み、逆の手で 天狗の人差し指を ねじって 千切り取り、そのまま地面の草の上に落とした。陀羅尼が止まる。

中指も落とし、薬指に触れると

オレの腕から 天狗の三本の指が外れた。


「泰河」


ハティに呼ばれ、天狗の額に 血が付いた腕の手を当てる。文字は 確か “呪” だったが、動揺し

記憶は あやふやだ。

ハティは まだ、天狗の手首を掴んだままだ。


じゅっ と、印が消えた感覚がきて

額から手を離すと

天狗の頬や胸、腕にも走る文字が明滅し

顔の中に、黒い頭骨が透けて見えた。


ドヴェーシャ” と、天狗が くちびるを動かす。


パチパチと、火がぜるような小さな音に 振り向くと、何人かの人が 縛られたように両手を後ろに回し、必死に身体を振ったり、地面に転がったりしている。


みののようなものを巻かれているのが、うっすらと重なって見えた。それに火が点いている。

過去、四郎たちが 一揆を起こす前に行われていた

蓑踊り ってやつなのか... ?


『... お許し下さい』『どうか、お慈悲を』

『必ず 納めますので、どうか... 』


厳しい表情をしていた四郎が、ふと

気付きの顔になって、ソファーを立った。


ジェイドが、聖水を振り撒き

「父と子と聖霊の名のもとに告ぐ... 」と

牛頭鬼を祓おうとしていると

まやかしよ、去れ!」と 四郎が片手を広げ

蓑に巻かれた人たちや 煮え湯を吐く人

餓鬼までも 風で飛ばし、河へ落とした。


真珠の燐光を放つ 炙りの光の水が

ぼこぼこと湯立ち、湯気を上げ

『どうか... 』『必ず お納めいたします... 』と

声が聞こえる。


「... “わたしはまた、

日の下に行われる すべてのしえたげを見た。

見よ、しえたげられる者の涙を。

彼らを慰める者はない。

しえたげる者の手には 権力がある。

しかし 彼らを慰める者はいない”... 」


四郎が 伝道の書を読むと、河の光が強まった。


「... “わたしはまた、日の下を見たが、

さばきを行う所にも不正があり、公義を行う所にも 不正がある。 わたしは 心に言った、

『神は 正しい者と悪い者とをさばかれる。

神は すべての事と、すべてのわざに、

時を定められたからである』と”... 」


河面から 湯気が薄れると同時に

黒い餓鬼たちも薄れていく。


四郎が、牛頭鬼に向かい合い

「私に 裁きを与えるが良い」と 言った。


「過去、三万七千もの人々を扇動し

君主様や世に逆ろうた 大罪人である。

城に攻め入った者等を討ち、私の名のもと

まだ幼き等も 妻等も討たれた。

恨む者も さぞ多かろう」


微かな 鎖の音がし『ドヴェーシャ』と

さっきとは 違う声がした。


天狗の顔に透ける 黒い頭骨が、喉に下りていく。

ぼこり と 喉が膨らみ、胸まで下りると

皮膚に透ける頭骨は そこに留まり、眼を開いた。


『にくい』と、その顔が言う。

これは、あいつの声だ。白い骨皮。

微かな 苛立ちが湧く。


「あの方々に向けられた 恨みの念を引き出したのは、無念を晴らすためでなく

只々ただただ霊魂あにまを獲るためであったか。

そのような事のために、友等の念を まやかされてなるものか。

公正なる 天主でうす様の裁きは、すでに下された。

この地に、宗門が認められたのだ。

よって、すべては 空に解かれた。

我等の念など 残っておるものか。

“カエサルのものは カエサルに、

神のものは 神に”。生者を裁くのは 法である。

死後の裁きは、死後に任せよ。

現世で、死後の裁きは許されぬ」


牛頭鬼の 脇腹や脚が、ぼこぼこと波打った。


「しかし 生者には、与えられた時がある。

罪を犯した者も、被害をこうむった者も

自身の内にある光により、赦され 救われる。

悔い改めも 赦しも、内より生じるものである。

他者により 与えられるものではない。

もう 人は、“幼い時から悪い” のではない。

人の内には、決して失われぬ 光がある。

光を育む “時” も、与えられている」


牛頭鬼の身体に、顔が浮き出した。

『くやしい... 』『どうして... 』と

細い声を出し、口をつぐむ。


『... “わたしは また、

人の子らについて 心に言った、

「神は彼らを ためして、彼らに 自分たちが獣にすぎないことを悟らせられるのである」と”... 』


伝道の書を読む 女の声。聞き覚えがある。

ルカの影に、白い女が立っていた。

小さな子を抱いている。


『... “人の子らに臨むところは 獣にも臨むからである。すなわち 一様に 彼らに臨み、

これの死ぬように、彼も死ぬのである。

彼らは みな同様の息をもっている。

人は 獣にまさるところがない。

すべてのものは 空だからである。

みな 一つ所に行く。

皆ちりから出て、皆ちりに帰る”... 』


小さな子を抱いた 白い女が消える。


「... “光は やみの中に輝いている。

そして、やみは これに勝たなかった”... 」


四郎が ヨハネを読むと

ぐちゃり と 牛頭鬼が崩れ、顔の小山に戻った。

もう 声は聞こえない。


「泰河」


ハティに引かれ、天狗の前を開ける。


皇帝とボティスが座る ソファーの後ろに

月夜見キミサマが立ち、二人の間から

黒い弓に 黒い矢をつがえている。

矢は、闇靄で作られているようだ。


放たれた矢は、天狗の胸の顔の 額を射抜いて消える。カラカラと 音を立てて、天狗から 黒い頭骨と 身体の骨が落ちた。呪骨だ。


額に 射抜かれた穴が開いた 黒い頭骨は

ヒビを作って割れ、身体の骨も砕けていき

闇靄になって立ち昇ると、空中で 解け消えた。


ミカエルとゾイ、シェムハザ、アコやイゲルが

河で気を失った人たちを 岸に上げ

榊が狐火で 衣類を乾かす。


天狗の胸には、まだ顔があった。

眉や睫毛は無く、瞼を閉じている。


月夜見に射抜かれた額が 縦に裂け

それが開いた。凶神マガツビだ。


ドヴェーシャ


天狗の頬や胸、腕を走る文字が赤く光る。

ハティの手から、手首が擦り抜けた。


赤黒い鎖に巻かれたまま

天狗は、河辺に転がる人々の 間に立っていた。


ミカエルが ゾイを引き寄せ、エデンを開き

大いなる鎖を左腕に巻くと、天狗が消える。


「どこに... 」

「いや、天空精霊の囲いからは出られない」


「向こうだ。羅刹天ラーヴァナの近く」


ハティが消え、ボティスが 二本のサーベルを

手に取った。


「離せ」


アコが、目を覚ました人に命じる。

目を覚ました人たちは、闇靄の息を吐きながら

アコやイゲル、ミカエルやゾイの脚に

しがみついていた。

自分が吐き出す闇靄に、喉や胸が染まっていく。


月夜見キミサマが、三ツ又の矛を地面に突き

闇靄を集約させる。

しがみつく人々は、アコが命じると 一度手を離すが、その間に他の人が しがみついて来た。


「助けてくれ... 」「助けてよ、苦しい... 」

「なんで こんな目に?」「代わってよ」


玄翁や真白爺、榊が 心経を始め

白尾が 人々の腕に蔓を巻く。

指まで巻くと、手はジーパンやシャツから離れたが、無理に しがみつこうとし、蔓が 指や腕に食い込み、パキ っと 関節が外れたか 骨が折れたか という音が聞こえた。


ゾイが 蔓の手を握るが、その手を朱緒が取り

白尾や桃太、人化けしたフランキーが

しがみつく人々を 自分の方へ誘導し

ミカエルやアコ、イゲルと代わる。


月夜見が「向こうを」と

羅刹天や師匠たちの方を指差した。

怪我をした鬼や悪魔を診ているシェムハザも 残るようだ。リフェルを呼び、手伝わせている。


ミカエルとゾイが消えると

皇帝が、四郎の手首を掴んだ。

「大将が 無闇に動くな」と、自分の隣に座らせ

ワインのグラスを渡した。


「接近戦は無理だけどな」


式鬼札を出しながら、朋樹が向かい

アコやイゲルが、背に皮膜の翼を広げて

「怪我人を連れて来る」と 羽ばたく。


オレらも 邪魔にならない位置まで向かっていると

「何か おかしくないか?」と

ジェイドが言った。


牡牛の頭に二本の角、グリフォンの翼

魔神の姿に戻ったハティが、青白い肌の鬼を

投げ出した。

トーガを巻いたゾイを片腕に抱く ミカエルも

大いなる鎖を 赤い肌の鬼に巻き付け、斬り合いの中から 引っ張り出している。


「惑わされおって!」


赤髪の歌舞伎鬼、酒呑が

剣を向けてきた自分の配下の鬼を蹴り飛ばした。片腕を失っている羅刹の額を掴み、握り潰すと

赤髪の間の端正な顔の頬に 血飛沫ちしぶきが散る。


「人共。犬死に 参ったか?」


血走った眼を向けられ、ゾクっとした。

「マジで オレら邪魔じゃね?」と

ルカも 顔が引き攣る。


「まあ、そう言うな」


両手にサーベルを握るボティスが言い

向かって来た羅刹の腹を突き、腕を落とした。

背後から羅刹の首を 刃が落とす。

茨木だ。白地の着物が 赤く濡れ染まっている。


「混乱した者等を、正気に戻すことなど

出来ようか?」と

隣に よろけ出て来た羅刹女の 眼を刺し貫き

「多少の事では 死なぬ故」と、引いた刀で

味方の鬼に向かおうとする鬼の 腕を落とした。


「ちょっと... 」


腕を落とされた鬼は、ハッとした顔を 茨木に向け

「気を抜くな」と 叱られ、頷いている。

手を拾ったアコが、月夜見の元へ 鬼を連れて行く。


「惑いを超える痛みや 危機感で気付く。

あれに任せると、縫い付けも難儀になろうからのう」


茨木が示した史月は、羅刹に飛び掛かり

肩の骨を噛み砕いていた。

そのまま腕ごと引き千切っている。


「痛みや危機感 って言っても... 」


朋樹は、白い鳥の式鬼で 腕を切断... とかは したくないようだ。

とは言え オレらが、鬼に 痛みや危機感を与えることは 出来ないだろう。

混乱した鬼なんか、近寄るのも無理だ。


迷っている間に、ハティやミカエルに弾き出された 鬼が立ち上がり、オレら... 人間の匂いに反応してか「ガァッ!」と 喰う気の顔で向かって来る。


「うおっ!!」「やべぇ!!」


地の精で拘束を試みたルカが、当然 弾かれ

鬼の 一人の腕を落としたボティスが

「火の蝶に 聖油」と 案を出す。


「大丈夫かよ... 」とか、ルカを起こしている間に

朋樹が出した式鬼札に ジェイドが十字を書き

「どうなるか知らんぜ」と、朋樹が札を飛ばすと

手のひら大の青い炎の蝶が 八枚の羽で羽ばたき

鬼の肩に止まった。


「えっ? 終わり?」

「青蝶? 癒やしなのか?」


肩の蝶が消えると、一瞬 腕ごと青い炎に巻かれ

ゴキッ と 鬼の肩が外れた。

「グアッ!」と 正気に戻った鬼を

腕を落とされた鬼と 一緒に、イゲルが連れて行く。


「おお、さすが 神使よの。では頼んだ」


茨木は、憤怒の顔で掴み掛かろうとした羅刹女の顎を 刃で突き上げ、羅刹女の頭の方を掴み

刃から抜いて捨てると、他の羅刹に向き直った。


「この式鬼、何か怖ぇ... 」


朋樹は不安げだが、ミカエルが鎖で 青鬼を投げて来た。「生き血... 」と 言われたので

やっぱり 怖い青蝶の式鬼を飛ばしている。


ハティが投げた悪魔には、ボティスが

つり上がった形の ゴールドの眼を向け

「エイダ」と 名前を呼んだだけで

「すまん、ボティス!」と 正気に戻った。

「危機感かぁ... 」と言う ルカに頷く。

だって、怖ぇもんな。


「須佐様!」


浅黄の声だ。羅刹天や師匠たちがいる

前の方から聞こえた。

ミカエルを呼ぶ、師匠の声。


「見て来い」


朋樹やジェイドを庇って、羅刹の腹を突き

首を落として 蹴り倒しながら ボティスが言う。


斬り合っているところを 大きく回り

ルカと走って 見に行くと

羅刹天に向いた 阿修羅の背を、スサさんが 斬り付けたところだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る