82 泰河


「ベリアル。リリー を頼む」


皇帝が言うと、皇帝のコーヒーの上に

蒸気のような靄が凝り、水になっていく。

それが 花の蕾の形となって、水の花が開くと

また蒸気に変わりながら 解けていった。

“了解” ってことらしいが、なんか綺麗じゃねぇか。ベリアル、こんなことするんだな。


けど、皇帝参戦は やばくねぇか... ?

天狗や 他の妖しにも、蝗が入ってることが分かったら、“またアバドン?” ってなるしさ。


モレクの時は、奈落が絡んでいることに 納得が出来ても、今回は “泰河オレ狙い” じゃ、根拠が薄い気がする。


「参戦するって、お前 何か出来んのかよ?」


皇帝に こんなこと言えるのは、ミカエルくらいだろう。


「この国のことは、お前よりは知っている。

俺を召喚したのは お前だろう」と

眠気を誘う声で言って、コーヒーを飲む 皇帝に

シェムハザが

「そう。術が通用しないこともある。

ルシファー、まだ 力を貸してもらうことも... 」と

それとなく、何かあったら また喚ぶ 風なことを

言い掛けていると

皇帝は「友が困っているのだろう?」と 言った。


たぶん、浅黄や榊、霊獣たちのことだ。


「天狗側に着く者は、河川敷に 誘導している」


師匠が言うと、シェムハザが

「河川敷には ボティスや月夜見が居る。行こう」と、皇帝に 手を差し出した。


ジェイドの髪にキスをして 肩の手を離した皇帝に

ミカエルが「花」と 言うと

皇帝は、皿に残った 三つのバルフィに息を吹く。


花バルフィを食った ミカエルに、口元を緩めると

シェムハザに手を取られて、一緒に消えた。




********




とりあえずオレらは、博物館から

バスを停めた 駐車場へ向かっている。

街灯も点いているが

ビルや街路樹も 真珠色に淡く光っているので

一方通行の細い道路も、全然 明るい。


「しかしのう... 」と、後ろを歩く師匠が

すれ違う人たちに、感嘆なのか ため息なのか

分からない息をついた。この辺も 猫頭地帯だ。

フランキーの術は、かなり広範囲に効く。


「ファシエル。すぐに助け出せなかった。

ごめん」


背中には ミカエルの腕が回り、頭から トーガを掛けたまま、まだ ぼんやりしているであろう ゾイに

ミカエルが言う。

ミカエルたちは、オレとルカの前にいる。

ミカエルたちの前には、朋樹とジェイドだが

とても 振り向けないだろう。


「... いえ ... そんな」と

掠れた女の子の声が 微かにした。

トーガから ブロンドの髪が覗く。


「外から、光で焼く 計画だったけど... 」


「“計画”?」と、つい 朋樹が振り返り

すぐに前を向いた。あれ? 振り向いたな。


見るなよ という視線を、朋樹に送ったらしい

ミカエルは

「... そう。ファシエルは、柘榴と入れ代わろうとしてたんだ」と、推測通りのことを言った。


「自分になら、それが出来る。

きっと 天狗に取り込まれる心配もない... って」


ミカエルが、ゾイに回している腕に

少し 力を込めたように見えた。


雇主マスターのオレには、相談なしか?

ミカエル、反対したよな? もちろん」と

朋樹が聞くが、師匠が

「お前は 自分の式鬼が、天女であると

理解わかっておろうな?」と 逆に聞いた。


「御使いとは、そういったものよ。

“守護を止めよ” と 言うことは

本人の存在意義を否定する ということであろう。

翼を折るようなものだ」


本人の存在意義... 天使ファシエルの。

柘榴は霊獣で、ファシエルより 弱い存在だ。

“自分になら助けられる” のに、見過ごすことは

人間には出来ても、天使には 出来ないのかもしれない。


「でも、それは...

“誰も犠牲にせずに 柘榴を助けよう” って、

ミカエルも それには納得してた」


「しかし、本人の意志があろう?

雇主であれば、まず本人の意志を聞くが良い。

お前が そのようであるから、相談出来ぬであったのだ。ミカエルは、御使いとしての意志を尊重し

その上で 救い出そうとしておった」


最初は、朋樹が喚べば 帰って来るから... って

“ゾイを 像に差し出す” 感じだったもんな。

四郎が それを止めた。理想を追いたい と。


けど ゾイ自身は、柘榴を救いたかった。

ミカエルは、たぶん 悩んだだろうけど

ゾイの心を尊重した。

自分も天使だし、気持ちが解るのだろう。


「“わかった。でも 必ず助ける”... って こと?」と

ルカが聞くと、師匠は「うむ」と 頷いた。


ゾイが、像の中で 天狗に抵抗して焼き、

ミカエルが 外側から焼く。

どうにか、像に傷を入れて 光の通り道を作り

内と外から 光を共鳴させて、強大なものにし

像を粉砕、天狗も焼き尽くそう と 考えていたようだ。光と光。五行なら 比和だ。


「だけど、柘榴が助かって 油断したんだ。

天狗は、密教神を狙っているだろうと思った」


もう ゾイが取り込まれることはないだろう... と

オレらも思った。


「ヒメサマがダーキニー像に触れた と 聞いて

妃探しだと、狙いの推測が着いた。

でも ヒメサマを封じちまえば、天狗は喚べないだろう と思ったんだ」


けど、姫様は封じ前に 天狗を喚んで

ゾイが取られちまった。

ミカエルは、像に 傷を入れようとしたが

それも すぐには上手くいかなかった。

どこか、慎重になっても いたようだ。


「それで、ルシフェルを頼った」


中から破裂させる。そのために力を抑える。

ミカエルが皇帝を頼ることは、初めてのことだったらしい。


ゾイを救うために... と 思うと、胸が熱くなって

「すげぇよな。プライドも捨てるなんてさ」と

言うと、師匠が

「捨てたものか。“何をしても救う” というのが

プライドであったのだ」と 言った。


そうか...  そうだよな...

ゾイを救えるなら、皇帝に頭を下げるくらい...


いや。やっぱり、ミカエル すげぇ。

“こいつは頼りたくない” とか

そういうことだけじゃねぇもんな。

いくら地上でも、本当なら 天のトップが 悪魔に... って

あっては ならないことだろう。


「また、ジェイドも 正確に理解しておった」


ジェイドは、ゾイが 天狗と結ばれるくらいなら

殺してでも 阻止しようとした。

オレには、賛同は出来ない。

でも 反対も出来ない。

ゾイが、それを選びたかったんじゃないか... と

いうことは 分かる。


魂は消滅する。けど、その精神は消滅しない。

それこそが 魂だ。

ジェイドは、ゾイの心と魂を 護ろうとした。


「あーあ。負けるよな。いろいろ」


前を向いたまま、朋樹が言う。

「助けてくれて、感謝してるけどよ」とも。


「... ううん。朋樹、嬉しかった」


ゾイだ。


「像の中に 居ても、見えてて...

朋樹が、あんなふうに

助けたいって 思ってくれて... 」


声を震わせながら、一生懸命に言う。


「命を 聞かなかったりして、ごめんなさい...

それに、ジェイドが、理解わかってくれてたことも

ルカが、生きてほしい って 言ってくれて

泰河は、ピストルを、私に向けてたんじゃないって...  助ける ために...  あの、だから... 」


泣き声で ぐずぐずになりながら

「ありがとう... 」と、くぐもった声で言った。

たぶん トーガの中で、顔 覆ってるんだろうな。

「うん。頑張った」と、ミカエルが褒める。


師匠が振り向いて、ゾイの方に 微笑んだ後に

「泰河、お前は泣かんで良かろう?」とか

言ってるけどさ。


「お前は 仕方あるまいが」と朋樹が言われてて

... マジか?!って、涙が引っ込んだ。


「泣いてねぇし」


鼻声だ...


隣では ルカが、涙を零さねぇようにしてたから

「堪えるなよ」と、指で弾いてやったら

「痛ぇだろ、コラ... 」と 泣きやがった。

あ... って なって「ごめん」と 謝った。


「泣いてるけど」と、ジェイドが振り返ると

ミカエルが「あっ」つってる。


「キスのショックからは

やっと 立ち直ったみたいだね」


微かに聞こえていた

ゾイの 鼻すすりの音が止まった。


「ショック って何だよ? 悪いことみたいに言うなよな。だいたい、前 向けよ!」


「顔は 覆ってるじゃないか」


イシャーだから ダメだ!」


バスに乗り込んで、バスを出しても

ゾイは トーガで、顔 隠したままだ。


「ジェイド、お前が 口に出したりするからだろ?

ファシエル、ごめんな。ルカ、前 向けよ」


「どうやってだよ? オレ、テーブルなんだぜ?」


師匠も乗って、七人だからな...

小さいテーブル部分に 座ったルカは

ミカエルやゾイと 向かい合う形になって

ミカエルに文句を言われている。


「ミカエルも よく、“キスしていい?” って

聞いてるだろう? 額にだけど」と

助手席から答えた ジェイドが振り返ってみせると

「前 向けって!」と 怒られた。

けど なんとなく、いつもの雰囲気に戻る。


「この辺りも 猫頭ばかりであるな」


師匠は、ゾイの性別が変わることや

ミカエルが 天使ゾイを見せたくない ということも

まったく 意に介してないようだ。


ちょっと見ちまってると、察しのいい師匠は

「“アルダナーリーシュヴァラ” という名を?」と

聞いてきた。名前なのか。長ぇよな。


首を横に振ると

「シヴァと、その妻パールヴァティが 喧嘩をし

仲は戻ったが、お互いを強く 抱き締め過ぎた」


結果、右半身が シヴァ、左半身が パールヴァティという 姿になったらしい。

「シャクティの象徴でもある 完全体だ」って

言うけど、そりゃ たまに性別が変わるくらい

どうってことねぇよな。


「猫頭がいるところは、史月たちが 頑張ってくれてんだよな」


言っているそばから、野犬が 猫頭じゃない人を

建物に追いやり、憑依していた 狐が

河川敷の方に 追い込まれていく。


「駅周辺は大丈夫かな?」

「でも、人が多いところはなぁ... 」


駅周辺は、史月たちに任せるとして

繁華街の方を見に行くことにした。

その辺を見回ってから、住宅街を回る。


仕事を終えて、外で飯食った人たちが 帰宅したり

飲みに行こうとするような時間だ。まだ渋滞中。

で、これから タクシーでも混み出してくる。


「そこを右折した方が、繁華街には近くなる」


ジェイドに言われ、朋樹がハンドル切って

一方通行の道に入った。


建物や街路樹まで明るい割に、地面に影はある。

まぁ、炙りの光は オレらには見えても

あとは、感が強い人にしか 見えねぇんだもんな。


「ん?」と、朋樹が バスの速度を落とす。

建物の前にある 自動販売機の影から、野槌のづちが伸びてきた。


芋虫のように 節がある長い身体に、茶色い産毛。

肉感的な唇。バスのフロントに伸びてきて、その唇を パカッと開ける。最悪だ。


シューニャ


師匠が言うと、野槌は ゴールドの炎に包まれた。

長い身体を 天に伸ばし、炎が昇りながら解けていくと、同時に 野槌も解けていく。


「マジか... 」「師匠、すげぇ... 」


「あれは、煩悩であるからの」


またバスを走らせながら、朋樹が

「でも、今まで野槌なんか見たことねぇのに。

いろいろ喚んでるよな」と、でかい道路を渡って

再び 一方通行の道に入る。


「影穴ってさぁ... 」と、ルカが言った時に

朋樹が急ブレーキを踏んだ。


「何だよ? 危ね... 」


進行方向に、アスファルトを割って

ドッ と 木の根が生えてきた。


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