83 泰河


「... 何 これ?」


木の根は するすると、縮んでいき

割れたアスファルトの中に 戻っていく。


木の根が戻った向こうには、白尾とハティがいた。ハティが息を吹くと、割れたアスファルトが 元通りになった。


「ハティ、白尾」「何してんの?」


オレとルカが、バスから 一度降りてみた。

朋樹とジェイドも 窓全開にして「よう」と

挨拶してるけど。

今の木の根は、白尾がやったらしい。


「影穴の気配がした」


「気配って、あるんだ」


ルカが聞くと

「五つ閉じた」と、ハティが言った。


「そんなに あったのか?!」

「ひとつと思ってたのに!」


「閉じると、別の影に穴が開く」


えぇ...


「ただし、一度に複数 開くことはない。

同じ影穴が移動しているものか、別のものかは

はっきりとしていないが... 」


「どうやって閉じてるんだ?」


「術だ。界の重なりを解消するものがある。

中の者たちが這い出た後、玄翁や真白が読む 般若心経と組み合わせ、元の状態に戻す」


影穴が開く前の状態に戻す ってこと か... ?

ルカも特に、質問はしていない。

中にいるヤツらは出してるんだな。

行方不明の狐や狸探し でもあるからだろうけどさ。


「戻ったとこが、また開く ってことはねーの?」


「暫くは無いだろう

十年から二十年程の間と いったところか」


普段の仕事、暇に なるんだろうな...


「白尾の木の根は?」


「人避けです。

自動車ごと避けた方が良いので... 」


意外と、やり方が派手だ。


「玄翁と真白爺はー?」


「アヤカシに化け、憑依された人間を

建物に追い込んでいる」


ビビらせてんのか...

「ハティは やらねーの?」と ルカが聞くと

「あ... 」と 白尾が、何か 気を使う。

ハティは無言だ。


「一度、魔神の姿に戻られましたが

気配も隠されなかったので、二名程 失神されたのです。自動車の信号が 赤で良かったのですが... 」


「ああ、怖ぇもんな」「実害 出してんじゃん」


「そちらは、何か進展などは?」


話を逸した気はしたが

「魔像は片付いたぜ」「皇帝 参戦」と 言うと、

「何故 すぐに報せん?」と 漆黒の眼を向けられたので「師匠」って 呼んだ。


オレらが説明をしても、要領を得ないことが分かっている ハティは「迦楼羅ガルダ。皇帝が来たと?」と

師匠と話している。


「泰河」「コーヒー」と、朋樹たちに言われ

「白尾もいる?」と、自販で買う。


白尾は 時々、自分が治める 四の山のキャンプ場の自販から、木の葉の小銭で買っているらしく

「このジュースが好きなんです」と

アップルソーダを指した。白に赤い水玉の缶だ。

白尾が かわいかったので、全員分 それにして

オレらも飲んでみることにした。


札入れて、ボタン押しまくって

排出口からは、白尾とルカが 落ちてきたやつを

取り出しまくっていると

玄翁と真白爺が、狐 狸の姿で 忽然と現れた。

神隠しして 戻って来たようだ。


「お疲れ」「同じジュースでいいー?」と

二人にもアップルソーダを渡す。


「うむ」「かたじけない」と

前足で受け取り、二人共 術で缶を開けた。

榊とは ちょっと違うな...

玄翁は、狐の時も 細くて小さく

真白爺は、丸くて でかい。見た目 和むぜ。


「今日さぁ、なんで 人化けしてねーの?」と

ルカが聞くと

人化けしても、猫頭にはならないので

野犬に追われる恐れがあるから... ってことだ。

野犬を幻惑したりすると、人間や妖しを追う係も減る。


「玄翁や真白のことは、野犬たちも知ってるんじゃねぇの?」


「話にはの。史月殿や朱緒殿と同じく

我等も 山神である故」

「しかし若き者には、知らん者もおるのよ。

我等に化け、“六の山の真白である” などと

騙るような者等も おるしのう」


狐も狸も、イタズラ好き多いし

いろいろ大変だよな。


「... ゾイは?」

「ミカエルが離していない」


魔像や皇帝の話を聞いた ハティは

ミカエルの対応に納得したようで、バスの方を見て 軽く微笑んだ。

アップルソーダの缶が 似合ってねぇけどさ。


「むっ... ?」と、玄翁と真白爺が

同じ方向を向いた。

自販とバスの間にある、ビルとビルの隙間だ。


「白尾」と、ハティと 言うと

「はい」と 白尾が しゃがみ、地面に手のひらを着ける。バスの向こうと、ハティたちの背後に

また アスファルトを割って、ドッ と 木の根が生えだした。


蛇のように カーブを描く木の根は、ざわざわと伸び上がりながら 互いに絡み、街路樹よりも高くなった。


ビルとビルの間の影から、両腕を前に突き出した影が出て来た。

前に歩き進む度に 影の色は薄くなり、炙りの建物や街路樹の光に照らされて、正体を表す。


ボロボロの白衣に袴。

剃り上げた頭の顔には 眼がなく、突き出した腕の両手のひらに 一つずつの眼が付いている。


「手の目 であるのう」


続いて出た影は、宙に浮いている。

ぽっ... と 中に火が灯り、提灯の形になると

顔が浮き、口の部分が パカッと開いた。


「化け提灯よ」


この辺りで、朋樹とジェイドも

アップルソーダを片手に バスを降りて来て

見学を始める。

影は、次々に 妖しや霊獣、人霊 獣霊の形になっていく。


「うん?」


師匠が眉をしかめた。

人型の影に くちばしが出来、修験者のような格好になった。背に翼が生える。鴉天狗だ。

ぞろぞろと 集団で出て来た。


「師匠って、鴉天狗と なんか関係あるんすか?」


「俺は、元々 異国の異教神であるからの。

異国の者を “天狗” と 呼んでおったこともあろう?

俺も 天狗とされることもあろうの」


迦楼羅天像、鴉天狗像と似てるもんな...

師匠、鳥だしさ。

鴉天狗は、だいたい修験者... 山伏の格好をしてる気がするけど。


「あれは?」と ハティが、手ぬぐいを被り

その片方の 端を咥えた 着物姿の猫頭を差した。


「えっ? 人間... ?」「いや、化け猫だろう」


フランキーの術が効いてるし、紛らわしいよな。


半分、地面に沈んでいる 泥人間が

『田を返せェ... 』と、腕で 進んでいく。

「泥田坊ですね」と 白尾に聞いて

ハティの スーツの背中が楽しそうだ。

妖したちは、向かいの 一方通行の道路を

先へ先へと ぞろぞろ歩いて行っている。


「これさ、みんな同じ方向に向かってるよな?」


白尾が伸ばした木の根は、妖したちも妨げるらしく、あの 一方通行の道に入るしかねぇんだけどさ。


「途中からは、守護天使達が 脇道を塞ぎ

誘導していく」


「どこに?」と 聞くと

「河川敷であろ?」と 師匠に言われた。

そうだったな。これ全部、向かってんのか...

琉地やアンバーも ボティスたちも、大変だろうな...  皇帝もいるけどさ。


「むう... 」

「此度は、狐や狸が 居らぬであったのう」


影からは、もう何も出て来なかった。

ビルとビルの間に行ったハティが、小瓶から

黒い粉を吹いた。

「黒いルーシー?」と聞くルカに 頷いているが

“黒いルーシー” って、何か 悪そうだよな。


炙りの光で見えるだろう... と 思いながら

ハティが退いた後に 覗きに行ったが

そのビルの隙間だけ、奥まで 真っ黒いペンキで塗ったか、暗い穴が空いたように暗い。闇靄の色。

これが影穴のようだ。


「へぇ... すげぇな」「入る勇気は ないね」


朋樹やジェイドも覗きに来たが、玄翁と真白が

心経を始める。


「“観自在菩薩かんじざいぼさつ 行深般若波羅蜜多時ぎょうじんはんにゃはらみつたじ 照見五蘊皆空しょうけんごおんかいくう 度一切苦厄どいっさいくやく”... 」


「お前も読め」と 師匠に言われて

オレも 読み始めた。


「... “舎利子しゃりし 色不異空しきふいくう 空不異色くうふいしき

色即是空しきそくぜくう 空即是色くうそくぜしき”... 」


声が増えた気がする。白尾と師匠だ。


「... “受想行識亦復如是あいそうぎょうしきやくぶにょぜ 舎利子しゃりし

是諸法空相ぜしょほうくうそう 不生不滅ふしょうふめつ 不垢不浄ふくふじょう 不増不減ふぞうふげん”... 」


「え?」と、朋樹やルカが 周囲を見渡す。

「誰の声なんだ?」と ジェイドが言った。

心経を読む声が 重なってきた。


「... “是故空中ぜこくうちゅう 無色無受想行識むしきむじゅそうぎょうしき

無眼耳鼻舌身意むげんじびぜつしんに 無色声香味触法むしきしょうこうみそくほう”... 」


明らかに、ここに居ない人たちの声だ。

どこから聞こえているのかも 分からない。


「... “無眼界乃至無意識界むげんかいないしむいしきかい

無無明亦無無明尽むむみょうやくむむみょうじん 乃至無老死ないしむろうし 亦無老死尽やくむろうじん”... 」


ビルの間を通る風に 混ざっているのか

天からか 地からなのか も、分からないが

声は どんどん重なっていく。

ビルの隙間の闇影が、ぐにゃりと揺らいだ気がした。


「... “無苦集滅道むくしゅうめつどう 無智亦無得むちやくむとく

以無所得故菩提薩埵いむしょとくこぼたいさつた 依般若波羅蜜多故えはんにゃはらみつたこ

心無罜礙しんむけいげ 無罜礙故むけいげこ 無有恐怖むうくふ

遠離一切顛倒夢想おんりいっさいてんどうむそう 究竟涅槃くぎょうねはん”... 」


言葉と、人の声は すごい。

重なるごとに 力を増していく。

読む声の音の中に、バクバクと 鼓動も重なり

空間と 自分も重なっていく。

言葉と 声と 一体となる。


闇影から、巨大な黒い両手が出て

オレらを 覆い掴もうとする。

指先を蠢かし、“甘美へ” “淫楽へ”... と 誘うが

惑わされることもなく、恐怖も感じなかった。


「... “三世諸仏さんぜしょぶつ 依般若波羅蜜多故えはんにゃはらみつたこ

得阿耨多羅三藐三菩提とくあのくたらさんみゃくさんぼたい 故知般若波羅蜜多こちはんにゃはらみつた

是大神呪ぜだいじんじゅ 是大明呪ぜたいみょうじゅ 是無上呪ぜむじょうじゅ 是無等等呪ぜむとうどうじゅ

能除一切苦のうじょいっさいくやく 真実不虚しんじつふこ 故説般若波羅蜜多呪こせつはんにゃはらみつたじゅ”... 」


胸が、満たされていて 空っぽだった。

闇影の両手が揺らぎ、ビルの隙間へと後退していく。指先まで 闇に消えると、闇が薄れ始める。


「... “即説呪曰そくせつじゅわつ 羯諦ぎゃてい 羯諦ぎゃてい 波羅羯諦はらぎゃてい 波羅僧羯諦はらそうぎゃてい 菩提薩婆訶ぼじそわか 般若波羅蜜多心経はんにゃはらみつたしんぎょう”... 」


闇影が、他の影と同じ色になると

地面には 黒い魔法円が見えた。

ハティが敷いていた 黒いルーシーだ。


黒い二重の円の中に書かれた 黒い文字が浮き上がる。二重円の中央には、模様も何も無い。


ハティが 開いた赤い手をかざ

「claudere」... クロウデレ と 言うと

浮き上がった文字が高速回転し、二重円の中に収まった。どろどろと その文字が溶け、黒い水たまりのようになる。

突然、パン! と 音を立てて 魔法円ごと消えた。


これで 影穴を閉じたようだが、オレらは

まだ ぼんやりしていた。

さっきの、心経を読む 大勢の人の声に

まだ 何かを、打たれたようになっていた。


「今の、さぁ... 」


ぽつりと ルカが言うと

師匠が「三世の読み声よ」と 言った。


「術なんすか?」と、朋樹が聞くが

「いや。現世だけでなく、過去未来の声も重なった。仏弟子等と共鳴したものだ」と

サッパリ 訳が分からねぇ。


「仏弟子の人たちが、読んできた声や

現在も読まれている声、未来に読まれる声と

共鳴し、重なった... という ことですか?」


師匠は、ジェイドに「うむ」と 頷いた。


「色や濃度を深めていくのは、闇だけではない。

清らかさも また、集まり深まっていく。ミトラ

色を空と。同じものが集まり、力となった」


声の人たちが、オレらを 助けようと意識した訳じゃねぇんだよな。

けど、慈悲があるから それが届いた。

知らない間に 同じように、どこかや 誰かに

声や心が 届いているのかもしれない。

そう思うと、嬉しくなった。


「なんという体感ことであろうかのう... 」

「彼岸に至った 一瞬ひとときの久遠であるのう... 」


地面に置いていた アップルソーダの缶を

両前足に挟み持ちながら、

玄翁と真白爺が 感じ入った声で言う。


「お前達は、俺より 涅槃にちこう あるからな」と

師匠が言うと

「迦楼羅様」「何を... 」と 謙遜しているが

その辺のナマグサな坊さんより、玄翁たちの方が よっぽど覚りに近いだろう と、オレも思う。


「さて... 」


白尾が 木の根を地中に戻すと

ハティが アスファルトに息を吹き、道路を直す。


「あっ、おまえさぁ、黒いルーシーは?」と

ルカが聞くと

ハティは スーツのポケットから小瓶を出して

黒い粉を見せた。

パン!って弾けても、戻るのか...

ルーシー すげぇ。ルカは ほっとしてやがる。

ルカって、ルーシーに 関心あるよな。


「ヒゲ」と、朋樹に言われて

「おう」と 顎ヒゲにあった 指を戻し

アップルソーダの残りを飲んだ。


「また 影穴の気配を探すこととするが、

お前達は、守護天使や野犬から 逃れた者等や

影より湧いた者等の相手を」


ハティに 空の缶を渡されて、自販の隣にある

ゴミ入れに捨てに行く。


「おう。まだ 天狗が見つかってないけどな」と

朋樹が答えると

「いずれ、河川敷に現れる」とか言う。


「なんでだよ?」


ルカも、師匠と自分の空き缶を 捨てに来ながら

聞くと

「影穴から出した者等を、集約させておるからな」と、師匠が答えた。


「天狗は 妖し等に、蝗や闇靄を付け

自分の配下としておろう?

それらが 自分の命を聞かず、一所ひとところに集まっておるのだ。

邪魔だてする者は 排除しようとする」


「また 泰河、お前も囮になる。

まず、天狗が アヤカシを使っての仕事... 人間の魂を狙うということを、邪魔して見せ

河川敷で待つが良い」


「でも、アバドンと契約してるのは 姫様なのに

天狗も 泰河を狙うのかな?」


まだ 空き缶を持ったまま、ジェイドが言うと

「天狗には、アバドンの蝗が入っている。

姫君の鏡もあるのだろう?」と

ハティが、軽く肩を竦めた。

「大変な淑女だと 聞いている」


「おう... 」「相当な... 」


「では行くか」


「バルフィ」と、師匠がハティに

紙袋を渡して「また後程」と 挨拶したので

オレらも玄翁たちに「また」「河川敷か里で」と

手を振って、バスに乗り込んだ。

















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