21 泰河


大学の近くの駐車場に 車を入れて降りると

もう、外は薄暗かった。

すぐ夜なんだよな。“いつもの感じ” がする。


ロリポップ食いながら、朱里と

ふらふら構内に入ってみる。

「これ、チェリー味?」

「うん。チェリーミント。今 お気に入りの味ぃ」

とか 話しながら。


あっちこっちから、話し声や笑い声。

当然だけど 学生だらけ。空気が明るいよな。

民俗学サークル、マジで まだ存続してんのかな?


「やだ!」「ちょっと... 」と

急に 慌ただしくなって、朱里と立ち止まる。

騒いでいる子たちは、中央キャンパス2号館の

屋上に眼を向けていた。


男がいる。

ここの学生だろうけど、フェンスに登り出した。


「えっ、嘘ぉ!」「自殺ぅ?」


不穏だけど、無遠慮な声だ。

スマホ取り出してるヤツも多い。

なんで、撮るんだ?


すぐに、何人かの守衛と教員も出て来たが

「警察に連絡を」と なった後は

どうすることも出来ない。


朱里が、オレの腕を ぎゅっと握る。

どうするべきだ? 走って間に合うのか?


フェンスを登る男の後ろに、黒いもやが見えた。

人型の靄だ。


「朱里」と、眼を見ると

朱里は頷いて、オレの腕を離した。


「オン ラタンラタト バラン タン... いや

オン ガルダヤ ソワカ」


ミカエルやシェムハザがぎったけど

なんとなく 喚べず、

焦って 阿修羅真言が出ちまったが

もう 師匠を喚ぶことになったか... と 思いながら

2号館へ走る。顕れた師匠は、屋上に立った。


階段を駆け上がって、屋上に着いた時は

ドアに鍵が掛かっていた。

くそ... と、ガチャガチャやると

カチ と 手に音が響いて、ドアが開く。


屋上では、赤く輝く翼を広げた師匠が

フェンスを通過している手で、男の腕を掴み

黒い人型の靄を睨んでいる。


耳にゴールドの でかいリング。

上半身裸で、白いトーガのような布が 首に掛かり

腕や翼の下に 風で取り巻くように纏っている。

下は 黒のハーレムパンツだ。

艶のある 赤い布をベルトのように 腰に巻いて結び

足元は、ゴールドのアンクレットとサンダル。

アラビアンっぽいけど、ガルダの時の姿のようだ。


「通常であれば、手は出さぬが

これは “虚霧ウツキリ” だ。人を引き、死に追いやる」


月夜見が支配する闇靄とは、少し違う印象だ。

染み入るだけじゃない。

こいつ自身に、魂を取る意志があるようだ。


軽く調息すると、陀羅尼を始める。


「ノウボバキャバテイ タレイロキャ ハラチビシシュダヤ ボウダヤ バキャバテイ タニヤタ オン ビシュダヤ... 」


虚霧の靄が、オレに向いた。

眼も鼻も何もないし、顔も動かしていない。

けど、そう感じた。


「... アユサンダラニ シュダヤシュダヤ ギャギャノウビシュデイ ウシュニシャビジャヤ ビシュデイ サカサラアラシメイ サンソジテイ サラバタタァギャタ キリダヤ ジシュタナウ... 」


「俺から逃げんとは。天魔に使われておるな?」と、派手な師匠が 虚霧に言う。マジか...


「... ジシュチタ マカボダレイ バザラキャヤ ソワカ タナウ ビシュデイ サラババダダ バヤドラギャチ ハリビシュデイ バラチニバラタヤ アヨクシュデイ サンマヤ ジシュチテイ... 」


陀羅尼を唱えている間に、虚霧は オレに近付いたが、やっぱり オレには憑けないようだ。


「天魔は何処どこにおる?」


ドアの方から、警察らしき人が 二人入って来た。

師匠や虚霧は見えていないようだが

虚霧の意識が、警官の方に向く。


「... サラバボダ ジシュチタシュデイ バジリバザラギャラベイ バザランババトママ シャリラン サラバサトバンナン シャ キャヤハリビシュデイ サラバギャチハリシュデイ... 」


「君は、何を... 」


警察らしきヤツの 一人が、オレに聞いている間に

もう 一人に、虚霧が息を吹き掛けた。


吹き掛けられた 一人は、フェンスへ歩いて行く。


「答えんか。阿修羅アスラ


師匠が喚ぶと、虚霧の前に 白い焔が顕れて

阿修羅になる。えっ、喚べるのか?!


「... ビボウダヤ ビボウダヤ サンマンダ ハリシュデイ サラバタタァギャタ キリダヤ ジシュタノウ

ジシュチタ マカボダレイ ソワカ」


陀羅尼が完了すると同時に、白い阿修羅は

虚霧に 左手を突っ込んだ。


虚霧の口元から落ちた何かが跳ねる。蝗だ。

黒っぽく見えた蝗は、阿修羅の近くに落ちると

白い焔で燃やされて消え、虚霧も消える。


フェンスを掴んでいた 警察の 一人と

向こうにいる男が、自分の状態に気付き

ぎょっとしている。


白い阿修羅は、次々に姿を変える。

他の人間や 様々な動物たちに。

白い焔を揺らめかせる麒麟のような動物になると

師匠に向かって飛び入り、そのまま消えた。


「師匠... 」


師匠は、獣が消え入った 白いトーガの自分の胸を

見下ろしたが

「いや、何ともない」と、首を傾げる。


フェンスを無視して、向こう側にいる男を

引っ張り込んだ師匠は

フェンスを登ろうとしていた警察の方に

その男を押し付け、ふっ と息を吹いた。


「大丈夫ですか?」

「下で、お話を聞きますので... 」


駆け寄った もう一人の警官も、師匠だけでなく

オレまで見えなくなったようで

飛び降りようとしていた男を、屋上から連れて行く。


迦楼羅ガルダ


えっ?


阿修羅アスラ」と、師匠が答える。

オレの隣に、逆立てた黒髪の毛先を揺らめかせる

上半身裸の男が立った。

黒くしっかりとした眉に、濃く長い黒い睫毛。

くっきりした二重瞼。彫りが深い。


赤に近い... というか、サーモンピンクの肌に

たすきのように 左肩から斜めに掛けた滑らかな布

... 確か、条帛じょうはくってやつだ。

胸には、ゴールドに翡翠やルビーがついた胸飾り。なんとなく クレオパトラっぽい。

両手首には ゴールドのバングル。

ゴールド地に、黒と緑刺繍の 膝下丈パンツ。

っていう、武神像が履くような衣類だ。

足元は、草履っぽいゴールドのサンダル。

派手だな...


疑問顔のオレに、師匠が「阿修羅アスラだ」と言う。


「いや、さっきのは... ?」

「白い焔だろう」


そうだ。でも、獣だけど 阿修羅だった。

いや、素っ裸の 虹彩まで白い男だけど

隣にいる 阿修羅そのものだ。


「師匠が 喚んだんすよね?」

「俺が喚んだのは “阿修羅アスラ” だ」


「小僧。俺を従えておきながら

一度も喚ばんな」


条帛や 派手な胸飾りの上に、バングルの腕を組む

阿修羅が言う。


「喚べるのは知らなかったんで...

いや! っていうか、一度 喚びました!

あの、ケヒケヒ言う... “障涯ショウガイ” ってヤツの時に。

つい真言が出て」


「つい先程、俺を像から解する時も

参っただろう?」と 師匠も言うと

「知らん。お前は また取り込まれたのか?」と

阿修羅が眉間にシワを寄せた。


「... 泰河、俺の真言を唱えてみよ」


師匠に促され「オン ガルダヤ ソワカ」と

迦楼羅かるら真言を唱えると、白い焔が揺らめき顕れ

オカッパ頭の師匠のかたちになった。

白い阿修羅のように、素っ裸で 虹彩までが白い。


「阿修羅真言」

「オン ラタンラタト バラン タン」


阿修羅真言を唱えると、白い師匠だったものは

阿修羅のかたちに変わる。


オレに白い虹彩を向けた 白い焔髪の阿修羅は

ギリシャ鼻の男や 矢上妙子、顔を知らない男や

藤にも変化すると、肩の上に切り揃えた髪の藤から、五つ尾の狐のかたちに変化し

狼、鹿、馬、豹、虎、鰐、蛇、鳥... と

目まぐるしく姿を変え、白い焔の獣になって

オレの頭上を飛び越えて 背後の影に消えた。


「真言にて、お前が あれを喚んだのだ」


阿修羅がオレに言う。マジか...


「けど、勝手に出て来た時もあるぜ。

一度、一の山で見たしさ。阿修羅のかたちだった」


「うむ... 」と 考えた師匠は

「俺の身の危機をしらせたのやもしれんな。

像の中で、天魔... 天逆毎あまのざこの子に 融合されしを

あらがうておったからな」


「でも、出たのは 結構前で... 」


天からボティスが戻って すぐだった気がする。

召喚屋の話が出た時だ。


「時の流れの差異に依るものだろう」


あ、そうか...

師匠は、オレが修行した 大学生の夏から

像の中に居たんだよな。何年も前から。

秋くらいなら、全然 “こないだ” だ。


「獣が、師匠や阿修羅のかたちになるのは... ?」


師匠と阿修羅は、眼を見合わせた。

 

「俺は、お前に下ってやろうと認めた時

白い焔に包まれ、像から出たのだ。

一度、喰われたのであろうな」


阿修羅が言っているのは、修行の時のことだ。


「俺も 昨夜、お前に従うと決めただろう?

杯をわした。

喰われたのは、今さっきであろう」


師匠の胸に、獣が入った時か...


「白い焔の某に、“阿修羅あしゅら” “迦楼羅かるら” と

名が付いたために、真言に呼応するようになったのだろうな。

日本国、天界や修羅界に属する者として

お前に従ったためだろう」


“阿修羅天”、“迦楼羅天” として... って ことか。


「だいたい、何が起こっている?

天逆毎あまのざこの子だと?」


阿修羅が聞くと、師匠が

「山寺にて話す」と 阿修羅に答え


「泰河。日輪や月輪、友等に呼び掛けるが良い。

天魔が入った像は、姿が変わっておる恐れもある。使役虫しえきちゅうを 妖物等に仕込んでおるようだ。

また、天逆毎の絡みである。

父神の須佐之男尊の耳にも 入れるが良かろう」と

オレに言った。


「必要があれば、喚ぶが良い」って

もう帰る雰囲気で言うけど

「真言だと、獣が出るんじゃないすか?

奈落とか 他神絡みで、話とかある時は... ?」と

聞いてみる。いちいち獣が出るのもさ。

それに オレ、なんとなく 獣ニガテだし。


「名を。“阿修羅アスラ” と」

「“迦楼羅ガルダ” で良い」


元の名前か...

この姿で来るんだろうな。派手だぜ。


「ではな」と、二人が消えて

オレも屋上から館内に戻り、階段を降りると

出入口の所で 朱里が待っててくれた。


オレの顔を見ると「泰河くん、おかえりー」と

ホッとした顔をする。外は もう暗い。


「おう」


虚霧に憑れ、飛び降りようとした男は

まだ館内で 話しているようだったが、

集まってスマホ出してた野次馬は散っていた。


「ごめんな、急に置いて行ってさ。

なんか、大学見学って感じじゃ

なくなっちまったな」


「ううん、全然!

さっきの男の子が 落ちなくて、本当に良かった。

また 蝗さんだったの?」


「そうなんだよな。

ちょっとヤバくなってきててさ」


親指の指輪の手を取って

自動販売機が並ぶ3号館の前まで歩く。

2号館との間に、少しスペースがあって

ベンチが二つ並んでいる場所がある。


小銭入れて、朱里に選ばせると

ミルクティーを選んだ。

オレは、いつも通りにコーヒーにした。


「でも、助けれたよね?」


ミルクティーの缶を開けながら「すごいね」と

自動販売機と 外灯の灯りの下で

朱里が オレを見上げて笑う。


「いや、師匠 喚んでさ。オレは何も... 」


「泰河くんが、師匠さんを喚んだから

さっきの男の子は 助かったんだよ?

“助けたい” って 思って。あたしが知ってる」


嬉しかった けど、照れくさくなって

「おう」と コーヒーを開けて飲むと

「これ飲んだら、泰河くんの お部屋に戻ろうよ」と、朱里が言った。

オレが すぐに、仕事で動けるように と

考えてくれたようだ。


「けど おまえ、休みなのにさ」


「うん。旅行出来たよね?

お部屋に戻ったら、何か簡単なもの作るね。

冷凍した ご飯あるし。炒飯にする?」


「おう。炒飯 好きだし、楽しみだな」と 頷いて

コーヒーを飲み干す。


朱里も 急いで飲み干そうとするから

「五分や 十分くらい、変わんねぇだろ」と

ベンチに座って、朱里も隣に座らせた。

昨日も思ったけど、こいつで良かった... と

出会えたことを 何かに感謝しながら。


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