10 祝福 ゾイ (第八日)


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「おはよう」


目覚めると、桜の花びらが 私の頬に落ちた。

桜の木の下。そうだ、河川敷にいたんだった...

まだ暗い。

頭にエステルを乗せたアコが 覗き込んでる。


「アコ! 突然 眠らせるなんて... 」


両手に珈琲のカップを持ったアコは

「うん。上手くいった」と、私に 一つカップを渡した。珈琲だと思ったけど、ココアの香り。


「何がだ」


声に振り向くと、仏頂面のボティスがいた。

しゃがんで珈琲を飲んでるボティスの前に

ミカエルが 横向きで寝てる。


“どうなってるの?” と、眼でボティスに聞くと

「アコは、目覚めの術を マスターしていない。

普通は眠らせる時に 同時に掛ける」と

ため息をついた。 アコ...


「ボティスやシェムハザがいるから、大丈夫だと思ったんだ。お前とミカエルを喜ばせようと思った」と 肩を竦めるから、もう怒れない。


ボティスは、里にいたところなのに

連れて来られたようだった。


「榊は?」と 聞くと

「里で花見をやっていて、月夜見キミサマが降りている」と、つり上がった眉をしかめる。

シェムハザは家族で出かけているみたい。


「それで?」と 聞かれて

「うん... 」って 考える。


「アコが いっぱい いた気がするんだけど...

あと、トンネルか洞窟か... 」


“アコがいっぱい” に、アコが “おっ” て顔したけど

ボティスは「飯にする」と

ミカエルの額に指を当てて、呪文を言った。


ブロンドの睫毛を開いたミカエルは

手に 皮紙を持ってた。アコが それを受け取って

「おはよう」と ココアを渡してる。


「俺、チョコっぽいの

あんまり好きじゃないぜ?」と、あくびして

でも ひと口飲んで「エステル」って 呼んだ。


「エステル?」って、ボティスが聞くと

「そう、こいつの名前。最近付けたけど... 」って

ブロンドの眉をしかめてる。


「私も、知ってます」と、言ってみると

「ファシエル。お前を “河川敷で寝せた” って

聞いて来たんだぜ?」と 眩しく笑った。

ミカエルは、朋樹たちと居たみたい。

「プラモデル作ってたんだ」って。


「ファシエルも知ってるなら、夢かな?」って

言ったけど、夢の内容をボティスが聞くと

「アブラハムがいた気がする」って 答えたから

もう聞かなかった。


「ずいぶん進んだじゃないか」と、皮紙を見て

アコが言う。「もう22章だ」


「だが、“創世記” のだろ?

アコ、飯。ここで食う」


「ほら、アブラハムだろ?」


「燔祭のところだな。分かった分かった」


「あと、水に浮いた気がする」と、ミカエルが

言った時、私も その感覚を思い出した。


エステルを 手のひらに乗せたボティスが

降ってきた桜の花びらを食べさせながら

「なら、ガリラヤ湖か 死海だろ」と

鼻を鳴らす。

「行って来りゃ思い出すかもな」


「うん。ファシエル、今度行く?」


私に そう聞いたミカエルは、モッズコートの下に

絵画のミカエルプリントのシャツを着てる。


「はい... 」って、顔を熱くしながら返事をすると

箱がたくさん入ったビニールを持って

アコが戻って来た。


「ハンバーガー食ってみたい って言ってただろ?」と、ミカエルに箱を 一つ渡す。

アコも、ジャケットの中は ミカエルシャツだった。


「シャツ」と、箱の 一つを開けながら

ボティスが言うと、アコは 私にも

「アボカドバーガー」って 渡して

「ミカエルとイタリアに買いに行ったんだ。

いる? いっぱいある」って 答えてる。


「聖子にしておく」と ボティスが

指に つまんだオニオンリングを、口に入れたら

「何だよ、バラキエル! 俺にしろよ!」って

ミカエルが拗ねながら、トマトバーガーを食べてみてる。なんだか かわいい。


「ファシエル、お前は着るだろ?」


ミカエルがそう言うと「そうだ」って

ハンバーガー持ったまま アコが消えた。


戻って来たアコは、紙袋をたくさん持ってて

「お前と沙耶夏に」って、私に それを渡す。


「なに?」と 聞くと

「こないだのクラブの仕事の報酬だ」と

ボティスが答えた。


紙袋から箱を出して開けてみると

女性用の水色のワンピース。


「ありがとう! 沙耶夏に似合いそう」って

言ったら「それは お前用」って言われて

驚いて ボティスを見た。


「ミカエルと出掛けるときは

最初から ファシエルにしてもらえばいいだろ?

無人の場所など、地上には山程ある。

ミカエルは、着替えの術も出来るしな」


「うん、似合いそうだ」って

ミカエルがワンピースを取り出して見てる。


「ありがとう」って もう一度言うと

「榊の服のついでだ」って 珈琲を飲んだ。


「ファシエル、俺のシャツも着るだろ?

俺と同じ白にしたんだ。店に持って行く。

沙耶夏は薄いピンク」


「はい」って 答えると

「シェムハザのツナギみたいなものだな」って

ボティスがピアスをはじいて

「違う。仕事で着るんじゃないから」って

ミカエルが また拗ねたような顔になる。


眼の前に 桜の花びらが降って、木を見上げると

その先に 明ける空。


狭まってしまったのでは... と、心配した空は

幾千年前と変わらずに 深く広くて、父を想った。


「祈るのは遠慮してくれ」って

隣に座ったアコが言う。「俺、悪魔だから」


「私、祈りそうだった?」


「すごく。感謝しただろ?」


また笑ってしまったけど、やっぱり父に感謝する。そうだ...


「アコ、“ハウヮァク” って何?」って 聞いてみると「“あなたのエバ”」って 教えてくれた。


「でも、変わった使い方だ。

“Hawwah” が “エバ”。

“ak” が付くと、“あなたの” って 意味になる。

アラム語だろ? なんで?」


「なんでだろう?」


二人で きょとんとしていると

「18章か?」って、ボティスが言った。

聖子が人の姿で降りる章。

「うん、そうだ!」って、ミカエルが私を見た。


そのまま、頭上の桜に明るい碧い眼を移して

「花が降ってくるって いいよな」って

くすぐったそうな顔で笑ってる。

照れてるように見えて、何故か 私も照れてしまう。


ポテトを食べ終わる頃には、空は ますます明るくなっていて、

明るい朝の黄色と 薄まる夜の蒼が溶け合う。


「浅黄」って言ったボティスに、なんだかとっても同意したけど「やばい、父だ」って

アコが雲を指した。雲の中には、小さな虹。


「ハンバーガー 食ってただけだ。

悪いことはしてない」


「鳥も獣も人も 地に満ちたから、

互いを愛で満たせ って言ってるんだ。

父は、求める者すべてと 契約を結ぶ。

アコのハンバーガーは気にしてないぜ?」


ミカエルは立ち上がって、エステルを呼ぶと

自分の頭に乗せて

「そろそろ沙耶夏が起きるだろ?」と

ボティスとアコがくれた、たくさんの紙袋を持とうとする。


「ミカエル! 俺が運んでおくから

少し “らしく” した方がいい。

ゾイ、玄関先に入れておく」って、紙袋を持って

アコが消えた。忙しそう。

私も これからは、もっとアコを手伝おう。


ボティスは里に戻るみたいで、アコが戻ると

「昼間 店に行く」と、片手を上げて

二人で カフェの駐車場へ向かう。


ミカエルもジェイドの家に戻るけど

「送る」って言ってくれて、沙耶夏のマンションまで 一緒に歩けることになった。


モッズコートを脱いで、私の頭に フードを掛けると、手を繋ぐ。

ブロンドに戻る髪と、ぶかぶかのスニーカー。

だけど、なんてしあわせな朝だろう。


「季節が 暑くなったら、また何か考えないとな」


「はい... 」


こうして、少し先のことを話してくれるのが

すごく嬉しい。


「死海や、エデンの夢にも行こう」


どこかで、そう約束をした。

頷くと、肩を 見えない翼に包まれた。


マンションの前に着くと

「コートは預けておく」って、私の額にキスをくれる。


「フードは部屋まで被っていくこと」


「はい」


返事をした私に、また眩しい笑顔を見せると

「俺も店に行く」って、私のフード越しに撫でて

消え、ジェイドの家に帰って行った。


ふう... って、胸から甘い気息をつくと

私も 沙耶夏の部屋の玄関に顕れて、スニーカーを脱ぐ。


「ゾイ、おかえり」って

沙耶夏は、朝の支度と シーツの洗濯をしてたから

「うん、ただいま」って、いつもみたいにハグして、「シーツ干してくる」と ベランダに出た。


父の虹は、もう見えなかったけど

雲の合間から差した 天使の梯子。

川沿いや 街のあちらこちら、遠くの山まで桜色に染まって、風に花びらが舞う。


地上は、美しく 温かい。

愛で満ちますように、地上を愛しています... と

天を仰いで祈ると

“Hawwah” っていう、聖子の声がした気がして

右手首のミカエルのクロスが 熱を帯びて光った。


「“Yeshua”... 」と、つい 聖子の名を呼ぶと

空中に、白く凝縮した光が弾け

白いアーチの門と、アイボリーの階段が降りる。


星絵の善悪の木、ルカと 天使のリラ。

仔牛のような琉地。 エデンだ...


それは、すぐに薄れて消えたけど

胸が震え、涙が溢れた。

空は 足元から天高く、無尽に拡がっていく。


手のひらの、硬い感触に気付いて

知らず握っていた右手を開くと

柄の長い 小さなゴールドの桜桃さくらんぼがあった。




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