祝福 ゾイ (第八日)

1 祝福 ゾイ (第八日)


海から戻って、しばらくが経った。


地上で、私がいる国では

河川敷や公園、側道や 山々に

桜の木が あちらこちらで花を咲かせる。


風が冷たくなくなって、雨の度に暖かくなって。


こんな風に、山も街も

ふんわりした優しい色に彩られることが

いつもの春の風景だっていう。


この花で 春の訪れを知るなんて

なんて すてきなんだろう。

私、堕ちたのが この国で良かった。

“春めく” って 言葉を、とても実感する。


今は深夜。一時を越えた頃。


お店から、沙耶夏とマンションに戻って

どちらもシャワーを済ませて、一緒にニュースや深夜の番組を観て話したり、時々映画を観たり。

夜は そんな風に過ごしてから、沙耶夏が眠る。


私は その後、朝までは だいたい

本を読んで過ごす。


世界各地の地質や、植物や動物の分布、

地上で語られる たくさんの神話や民話。

そして、本の作者が 創造した物語。

リビングのソファーや、借りてる お部屋のベッドに転がったまま、その世界に浸る。


実際に観察をしたり 話しをしてみたりするということ以外で、地上や人間のことを知るには

地上で書かれた本を読むのが 一番って気がする。


天にも たくさんの図書があって、様々な図鑑も

異教の神話の本もあるし、物語の本もある。

それらは もちろん素晴らしいものなのだけど

どれも “天の本” という感じ。


天にいる時は、そんな印象は持っていなかった。

上級天使たちは、地上や地界の本の閲覧も 許可されるのだけど、

下級天使の私たちには、預言者が書いた聖書や

異教の聖典以外は、必要がないから 許可が出ない。


天の本しか知らなかったから

心や感情が “揺り動く” ってことは少なかった。

おかしな表現かもしれないけど、“安全の中で読む” という感じ。

天には、不条理な物語や 、都合が良過ぎる物語もない。秩序が欠けることがないから。


地上の人間の歴史について学ぶと

争いや虐殺、異教の儀式や 諸々の殺人などについても、哀しみを感じていたし

喜びや怒りなどの様々な感情や、

天使にはない 出産や肉体の死にも、感慨のようなものはあったけど、

それをいつも、天から... 外側から 見てた。


人間が書いた地上の本を読むと、内側から見ている感じがする。人間の。

本に眠る文字を 読むことで、私の中に それが目覚める。

書かれている物語の内容だけでなく、登場人物達の心、作者の考え方や 人柄まで感じたりもする。


最初は、いけないんじゃないかと思って

ドキドキした。


例えば、お店で お客さんから受ける相談の話しや、榊が話してくれるボティスの話し、海で見たルカより、ある意味で生々しさを感じたから。

心で感じることや考えることを、文字で説明してあるからだと思う。人によっては克明に。


天で、下級天使に閲覧が許されなかったのは どうしてなのか、身を持って知った気がした。


本を読まない日なら、

睡眠は必要ないのだけど 時々 眠ってみたり、

少し 散歩に出てみたりする。


今日は、深夜の散歩をしているところ。


沙耶夏は眠った後、本当は本を読もうとしていたのだけど、ページを開いても 気がそぞろで...

1ページの半分くらいの文を読み飛ばしてしまって、本を閉じた。


だけど、眠る気にもならない。


窓を開けて、ベランダに出て

春霞の中の半月を見ていると、アンバーと琉地が顕れて

アンバーが、鉤爪の小さな手に持っていた里の桜酒を、私に渡した。


小さな和紙のメモには、沙耶夏と私宛てに

“本年の桜酒を 御賞味いただきたく... ” と

達筆な筆文字で書いてあって

素敵だと、とっても嬉しくなった。


明日 沙耶夏と一緒に、お礼のロールケーキを作ろう と考えながら、アンバーにクリームチーズを出して、琉地の頭を撫でる。

琉地は私を見て、ニカッと口を開いて笑った。


アンバーがチーズを食べ終わると、顔を拭いてあげて「一緒に遊ぶ?」と 聞いてみたのだけど

二人は、沙耶夏の寝室に消える。


寝室のドアを そっと開けてみると

沙耶夏のベッドの足元に、二人で丸くなり始めた。顔を上げた琉地が、私に また笑いかける。

沙耶夏を みていてくれるみたい。


「じゃあ、少しお願いね」と、小声で二人に言って、“ちょっと お散歩してくるね” というメモを

テーブルに置くと、着替えて 外に出てみた。


アンバーと琉地は、私が 朋樹たちに仕事で喚ばれた時や、こうして何か落ち着かない夜に顕れることが多い。


アンバーは、ジェイドの使い魔... というか

愛して止まないインプで

最近 ジェイドが、“パパにキスは?” と

アンバーに鼻にキスしてもらって、蕩ける眼で

“ありがとう。おまえは なんて可愛いんだろう” と

言っていたのを目撃してしまった。

パパって言ってしまっていたし、ジェイドには

なかなか恋人が出来ない予感がしてしまう。


琉地は、アリゾナから ルカに着いて来たコヨーテの精霊。ルカは 琉地のことを

“普段は好きにしてるからさぁ” と言うし

琉地も、史月の五の山や フランスのシェムハザのお城、私と沙耶夏と 一緒にいてくれたりして

忙しそうだけど

ハティが “本を” と、私に勧めるために喚んだ時

ルカの家で寝ていたルカの隣に、琉地が寝てた。

ルカが知らない時に甘えていたりして、なんだか かわいかった。


それで、アンバーと琉地には

ジェイドやルカに関わりがある人たちが

気分が落ち着かない時だとか、何かを求めている時が分かるから、こうして顕れてくれる... って気がする。

今の場合なら、私が沙耶夏を心配せずに

散歩に出掛けられるようにしてくれた。


二人を見ていて、関わりって、傍にいるってことだけが必要なことじゃないって知った。

とっても良い子たちだし、私は 天使としても

二人を尊敬してる。

あんなふうに そっと、誰かの助けになれるってことを。


公園の桜の木の下に立って、桜を見上げる。


白を ほのかに染めたというような、桜の色の

薄い花のひらが 月の下に重なり合う様。


私は、この国にいるから

この国の人が書いた本を読むことが多いのだけど

その言葉や表現は、この花のようだと感じることも多い。特に 少し古い本から、それを感じる。

情熱のときも 冷ややかなときも、どこか繊細で。


そして、こうして見る桜と月は

沙耶夏みたいだ って思う。


沙耶夏は、人に 触れ過ぎない。

いろんなことが視えてしまうのも原因なのだろうけど、誰との間にも ちょうどいい距離感を保つ。


沙耶夏と付き合いが長い 泰河や朋樹とは もちろん

今は当たり前にいるルカやジェイドとも。

ボティスですら、沙耶夏には気を許している感じがするし、ハティも店に、珈琲と読書に来る。


榊や浅黄も。

榊は、ボティスと来ることも多いけれど

ひとりでも “来てみたものであるが... ” と

カウンターで珈琲を飲んだり

“マリネなどを習いたく... ” って、セロリを持って来てみたり。


浅黄は 蝗探しの合間に、桃太と一緒に

“昼である故... ” と、日替わりランチを食べて

“珈琲など... ” と 休憩に来てみたり。

そして 沙耶夏に “今日は二匹しか取れぬであった” とか、“先程、酒呑殿が参られて... ” って

何故か 仕事の報告もする。


みんな、食事に来るというよりは

沙耶夏がいる空間に来る という感じ。


堕天して、滅されず 地上で暮らすことになって。

性別の違う悪魔の身体、全く知らない場所。

必死で、とても不安だった。

もし、この国しか知らない人が

突然 全く文化が違う国に 一人で暮らすことになって、もう この国には戻れないというような不安。


でも 私には、ハティという先生が ついてくれて

沙耶夏が受け入れてくれた。

誰より、ずっと傍に。


最初は、当然 遠慮してしまっていたけれど

沙耶夏は、私の元の姿も 今の姿も、

使命として 私が暗殺を謀ったことも、

何もかもを引っくるめて。


性別の別や、種の違いも影響せず

独りと独り として。とても 自然に。


“きっと、彼が引き合わせてくれたのだと思うの”


沙耶夏は、亡くなったご主人の写真を指して

にっこりと笑って言った。

私は、胸に何かが詰まるほど嬉しくて

彼に、父に 感謝をした。


沙耶夏は、日常の安らぎのようなものをくれる。

一緒にいると、それが良く分かる。

そうして私を 必要だと思ってくれてる。

しあわせって、こういうことだって思う。

誰かが居てくれること。誰かのために在ること。


それに。

ハティが、私を護ってくれているのが分かる。

シェムハザは、お城に呼んでくれて

アリエルや子供たちと仲良くなった。


ボティスは榊と お店に来て、私を連れて

ジャズバーへ紹介へ行った。

私と沙耶夏が いつ来ても、ボティスのテーブルに通されるように。

ボティスが里に出掛けた時も、たまに喚ばれて

玄翁や蓬や羊歯とゲームをしたり

浅黄の師匠の慶空に 棒術を習ったりしてる。


地上にいて、私は とっても満ちたりてる。


... それなら、こんな風に 気が漫ろになって

本も読めずに、深夜の散歩に出ることなんて

ないのだろうと思うのだけど。


沙耶夏みたい って思いながら

桜と月を見上げるのに

思い浮かんでしまうのは、ミカエルのこと。










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