78


リョウジ


「泰河... 」


あれは、リョウジだ


「聞け、泰河。エマを祓えば、必ず... 」


何 言ってんだよ、ボティス


一歩 前に踏み出すと

足が地に 一体となったように、動かなくなった。


「泰河」


ルカが 後ろから、オレの首に腕を回す。

知っている感覚だ。カフェでも...


「... なせ」


「泰河、せ。オレらじゃ 何も... 」


隣で、ミカエルが 舌の長い抜け首を ゾイから受け取り、ベルゼが黒い霧で包んだ。


悪魔の遺体に重なった首無しの遺体に ハティが息を吹くと、さらさらと砂になって崩れ、風に流れる。


“まいか”


砂浜と、黄色いバケツと、

アイボリーのネックウォーマー、赤いコート


車の助手席で、パンを食べる写真の その子の眼が

オレに 向いた。


殺した オレが。


この視点の男を この子の 父親を


もう意識が途切れる というところで、隣にいる ミカエルの顔を横切るように、右腕を エデンに伸ばすと、手にピストルが握られた。


離せ


「泰河... 」と 呼ぶルカが、背中から吹き飛び

抵抗を感じるまま 足を前に出し、地の精霊を外す。

止めようとしたボティスに 銃口を向けた。


銃口の向こうから、つり上がったゴールドの眼が

オレの眼を 見下ろす。


「泰河。下ろせ」


ミカエルの声と共に、艶のない ゴールドの鎖が

オレの身体や腕に 巻き付いていく。


ボティスの眉間から ピストルの腕を下ろすと

右から 二本目の十字架から落ちた 首の元へ歩く。

がちゃり と、大いなる鎖が 地面に落ちた。


「泰河」という、ゾイの声が耳を掠る。


「... “天が下のすべての事には季節があり、

すべてのわざには時がある。

生るるに時があり、死ぬるに時があり、”... 」


ジェイドが 伝道の書を読む声。


地面の首の前に着くと、膝が震えた。

座り込み、硬い音をさせて ピストルを 地面に置く。

ガタガタ震える指で 首の頬に触れ、両手に抱え上げて、顔を確認する。


瞼が被る眼は、オレを映さない

地下教会で 富士夫の 空っぽの眼に映った

蝋燭の灯りを彷彿とする。


「... “抱くに時があり、抱くことをやめるに時があり、捜すに時があり、失うに時があり、

保つに時があり、捨てるに時があり、”... 」


リョウジだ


「... “愛するに時があり、憎むに時があり、

戦うに時があり、和らぐに時がある”... 」


首の断面から ジーパンに 血が滴る。

細胞が停止せずに、死に続けて...


「... “神の なされることは

皆 その時にかなって美しい。

神はまた 人の心に 永遠を思う思いを授けられた。

それでもなお、人は神のなされるわざを

初めから終りまで見きわめることはできない”... 」


“いつか 泰河くんみたいに... ”


「こっち、見ろよ リョウジ」


「... “わたしは 知っている。

すべて神がなさる事は 永遠に変ることがなく、

これに 加えることも、

これから取ることも できない”... 」


「... うるせぇ」


地面に 何かが動く。十字架の 蔦の蔓だ。


黒い十字架から、四郎に集中していき

十字架に磔の 首の無い身体が傾ぐ。


「... “神は正しい者と 悪い者とをさばかれる。

神はすべての事と、すべてのわざに、

時を定められたからである”... 」


十字架の 膝の蔓までが解かれると

地面に どさりと 身体が落ちた。


「... “神は彼らをためして、彼らに 自分たちが獣にすぎないことを 悟らせられるのである”... 」


身体の断面から 地面に血が拡がる。


「... “人の子らに臨むところは

獣にも臨むからである。

すなわち一様に 彼らに臨み、これの死ぬように、彼も死ぬのである”... 」


なにが 神だ


「... うるせぇ っつってんだよ!!」


左手に 首を抱えると、

ピストルを掴んで立ち上がる。


神父服スータンのジェイドが、オレに 憐れみの眼を...


胸の中から何かを 引き千切られる。

ジェイドは、同じ場所にいない。

同じように、怒っていない。


「... “彼らは みな同様の息をもっている。

人は獣に まさるところがない。

すべてのものは 空だからである”... 」


リョウジの、身体の元に歩く。

足が 重い。重いのに、雲を踏んでいる気がした。


エデンの階段みたいだ。

あれは、この世じゃない。


ターコイズの靴紐のスニーカー。

足首に 蔦の蔓が絡む。

十字架の下の身体には、息づくものが


いや、大丈夫だ。絶対に。

首を 繋げれば、今までだって...


身体の首に、抱えた頭部を重ねる。


こうやって、どうするんだっけ?

そうだ、印を...


「リョウ... 」


名前を呼び切れず、涙が ぼろぼろと出てきた。


いや、助ける


助ける。


「背中 を... 」


印は 背中にあるんだ。

うなじの線に触れたら、十字が消えて


クソ なんで 血が...


「... “みな 一つ所に行く。

皆 ちりから出て、皆 ちりに帰る”... 」


「... やめろぉっ!! クソッ!!」


また ピストルを持って立ち上がる。


空気の壁の向こうに 並んでオレを見る眼は

皆 同じ眼だ。

ルカも、ボティスも ミカエルも、朋樹さえ...


「泰河」と、肩に置かれた ゾイの手を振り払う。


「邪魔をするな、泰河!」と ジェイドが怒鳴り

「泰河、戻れ」と、ハティの声。


なんで みんな、そんななんだよ?


『... ふらんしすこ様、過去が 晴れないのです。

この 気が、取り払えません』


『エマ殿。どうか 御頼みします。

大罪を犯す訳には 参りません』


蔦の蔓の束を握り、胸や 黒染めの歯の口から煙を上げ始めたエマに向かい合って言う四郎を突き飛ばした。


「おまえのせいだ、クソ女!」


銃口を額に押し当てる。


おまえが 死ねば...


『待たれて下さい。私の霊魂あにまを... 』


「うるせぇ!! 寝てろ、クソガキ!」


ピストルの腕で、再び四郎を突き飛ばすと

『ふらんしすこ様... 』と、エマが助け起こそうと 追いすがり

『時が ないのでしょう?』と 起き上がって座った四郎が、エマの手を 自分の首に誘導する。


「おい、オレに向け」


エマの肩に手を置くと、四郎が オレに手のひらを向け、吹き飛ばされて 転がった。


眼の前に、ブラウンと紺に染めた髪の人の頭部があって、眼に 赤い空を映している。


すぐ傍に転がる ミリタリージャケットの身体に

蔦の蔓が また絡んで、蔓の先が這い進み、頭部まで伸びようとしていた。


道連れに するつもりか?


リョウジも... ?


いやだ やめてくれ  あいつだけでも...


立ち上がると、質量を伴った温度の無い闇が 背後に立ち、ピストルの右腕を上げさせた。


オレ、今 何て 願った... ?


『 ... そのとき... ... ダに サタンが入った...  』


銃口の先には、胸に花々を抱く ニナが立ち、仰け反り倒れるところを ゾイが抱き止める。


腕や背から 温度の無い闇が消え、白い十字架から 陣中旗が落ちた。


『りの様!』


煙の上がる黒染めの歯を剥いて、エマがオレに向かって来ても、オレは ぼんやり立っていた。


飛び掛かり、馬乗りになったエマは、桜色の袖から出る白い両手で、オレの首を掴み くびる。


細い指が 顎の下や器官に食い込む。

剃り落とした眉と、黒い睫毛の 憎悪の眼。

白粉おしろいの匂い。 綺麗だ。


煙の呼気に見え隠れする黒染めの歯が

ひどく 色っぽかった。


『私の 良人おっとを... 』


そうだ 殺した オレが。


あの子の 父ちゃんも、

さっき、黒い霧に喰われた人も。


ココも、エマの主人も、ニナも、ソカリも

リョウジも


オレが いなけりゃ、たぶん死ななかった


耳まで 破裂しそうに熱い


みっともなく 生にしがみつく手が、

白く細い手首を掴む


頼む もう このまま...


なのに 突然、弾かれたように

首の片手が外れ、エマが振り落とされた。


気官が解放され、空気にせる。


「... くそ」と いう、ルカの声。


噎せながら、横を向くと

エマの 白い腕が落ちていた。


「子どもの魂の前で、やらせやがって... 」


ルカが、風で

エマの腕を ねじり切ったようだ。


「ニナ」と、ゾイが呟く。

ゾイが支える腕の中で、ニナが眼を開けた。


地面に落ちた陣中旗が

中央の聖杯から せり上がっていく。

中に 何かがいるかのように。


陣中旗は、四隅や裾をなびかせながら

見上げる位置まで上がっていく。

聖杯の位置にあるのは、人の頭のようだ。


『エマ』と、それが喋った。水のような声で。


白い腕を残したまま、エマを立ち上がらせると

陣中旗の下の その空気の人は

『ふらんしすこ様』と

四郎の手から、蔦の蔓の束を取り

陣中旗を落とした。


『りの殿... 』


蔦の蔓を持つ 空気の人は、蔓の中に溶け込んでいく。


『... “ふたりは ひとりにまさる”... 』と

水のような声が、伝道の書を読む。


エマは、その蔓に巻かれながら

白い十字架に歩き出した。


袖や裾の桜色の着物の、白地の色が

赤く染まっていく。身体が ほつれだしている。


『... “彼らは その労苦によって

良い報いを得るからである”... 』


十字架の下に着くと

エマの身体を、巻き付いた 蔦の蔓が持ち上げ

十字架に付け出した。


赤く染まった片腕のエマは

眼の前の 黒い球体の炎に、煙の息を吹き掛ける。


『エマ殿』と、見上げる 四郎の声に

『... “すなわち 彼らが倒れる時には、

そのひとりが その友を助け起す”... 』と

水のような声が重なった。


『... ふらんしすこ様』『... 再会出来るとは』

『... あなたがおられたことが』

『... 御心おらしょそのものでございました』


白く揺らめいていた 来世の友 の魂たちが、

蔦の蔓を伝って 分かれていく。


『... ようやく 南蛮の酒を飲むことが出来ました』

『... “これは、あなたがたのために与える

わたしのからだである”... 』

『... “この杯は、あなたがたのために流す

わたしの血で立てられる 新しい契約である”... 』

『... はなれても、共に 在ります』


蔓を伝い、繋がった首の無い身体に融け込んだ。


『... “またふたりが 一緒に寝れば暖かである。

ひとりだけで、どうして暖かに なり得ようか”... 』


水のような声が言うと、黒い球体が霧散し

白い炎の形の魂が エマの前に揺れる。


『... ゆりいな』


『... かあさま』


白い炎は、解れたエマの胸に 融け入った。


『どうか、わたくしして下さいませ。

身体を お返し致します』


ぼたぼたと、蕩けた血肉が蔦の蔓を伝い落ちる。

蔓は エマを血髄を吸い、どくどくと脈打つ。


「キュベレに飲ませるな」という ミカエルの声。

「聖子の名のもとに、契約を裁ち切れ」


「主 ジェズの御名みなもとに、

なんじ エマ、及び ユリイナ、リノに命ずる。

その身を 血に肉に返し、霊は 天に返すことを」


ジェイドが 悪魔祓いを始める。


「... “初めに 言があった。

言は神と共にあった。言は 神であった”... 」


ヨハネだ。穴の空いた胸に 何かが蘇る。


「... “この言は 初めに神と共にあった”... 」


蔦の蔓の間の エマの身体の下に、

長いはらわたが 見えた。


「... “すべてのものは、これによってできた。

できたもののうち、一つとして

これによらないものは なかった”... 」


『... “人がもし、その ひとりを攻め撃ったなら、

ふたりで、それに当るであろう。

三つよりの綱は たやすくは切れない”... 』と

水のような声が読んだ。

『... “どうか あわれんでください。送り火を”... 』


朋樹が、炎の尾長鳥を飛ばし

蔦の蔓ごと エマを燃やす。


「... “この言に命があった。

そしてこの命は 人の光であった”... 」と

ジェイドが読み

『... “光は やみの中に輝いている。

そして、やみは これに勝たなかった”... 』と

四郎が 涙声で読む。

エマの中の光が、エマの やみに勝った。


赤い炎の中に、白い十字架と エマが燃える。


見上げているしか 出来ようがなかった。

白い腕の隣で


「... “すべての人を照す まことの光があって、

世にきた。

彼を受けいれた者、すなわち、

その名を信じた人々には、

彼は 神の子となる力を与えたのである”... 」


狂い咲きの 白木蓮の花が、赤い空の風に舞い

十字架の前に降る。


『... ふらんしすこ様』と

すすのようになったエマが、消え入る声で

呼び掛ける。


『... どうか、マリヤ様の 御言葉おらしょを』


十字架と エマの煙が、そらに昇っていく。


『... “わたしの魂は 主をあがめ、

わたしの霊は 救主なる神をたたえます”... 』


どうして 涙ばかり 出るのだろう


『... “”この卑しい女をさえ、

心にかけて くださいました。

今からのち 代々の人々は、

わたしを さいわいな女と言うでしょう、

力あるかたが、わたしに

大きな事を してくださったからです”... 』


煙が昇り切ると、青空の下

白木蓮の花びらが 日差しに眩しかった。

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