79


「泰河」


歩み寄ったジェイドが、座っていたままのオレの顔や腹を 蹴り回す。


反撃どころか 立ち上がる気力もなく、鼻か 口の中か分からん血で 顔が濡れるまでボコボコに蹴られて

日差しに眩しい 白木蓮の花びらに横顔を沈める。


「ジェイド」と ボティスが離し、オレの背や胸に触れた シェムハザが

内臓なかの破損はないな」と、いつもの甘い匂いをさせ、明るいグリーンの眼で オレを覗いた。


エデンの門に 腕を伸ばし、赤いトーガを掴んだミカエルが、ニナに それを掛けた。


「真実の姿に」と ゾイが肩を抱くニナの手を ハティが 取り、呪文を唱えると、胸の花々や腰が曲線を描き、頬や くちびるが 柔らかく丸みを帯びていく。


「女になった」


アコが言うと、ニナは 自分の胸に眼をやり

頬や肩、身体中に触れている。


「嘘みたい... 」と 話した声は高く、真実ほんとうの性別になった。

ミカエルが トーガを外すと

「ふむ。良い女である」と、人化けした榊が ニナを見上げて 抱き締められ

「む! 良い!」と 胸の花々に 頬をうずめた。


「まさか 会えるとは... 」

「うん、嘘みてーだよな... 」


高い位置に 束ねた黒髪。白い襞襟ひだえり

赤い羽織に、濃紫の裁着たっつけ袴に 黒い脚絆。

黒い天鵞絨のマントの端が、草履の足元の白木蓮の 白い花びらの上になびく。


ルカや朋樹と握手をし、陣中旗を渡した。

「嘘?! マジで?」「いいのか?」と 二人とも 眼を丸くしたが

『来世の友に』と 涼やかな顔で笑っている。


『“べるぜぶる”。

天狗の方々にも、大変に 御世話になりました』


ベルゼやハティ、ボティス、シェムハザ、パイモンとも、ひとりひとりを見上げて 挨拶をし、両手で手を握ると

神父パードレ』と、ジェイドの前に立った。


『これを、あなたに』


四郎は、自分の首に掛けていた黒いロザリオを

ジェイドに渡した。


「神父は生き方。ジェイドという名前だよ」と

ジェイドも自分の翡翠のロザリオを 四郎の首に掛けて握手をすると、四郎は また子供のような嬉しそうな笑顔を見せた。


『たいが』


転がって起き上がれないオレの 目の前に膝を着いた四郎に 名前を呼ばれ、驚いて 眼だけ上げると

『皆、あなたを そう呼んでいた』と 握手の手を差し出す。


右側が 上になっていて良かった と、なんとか 腕だけを上げて握手したが、細く繊細な手は、力強く 温かかった。


『生きるのですよ』


手を握ったまま、四郎は オレを真っ直ぐに見て

そう言った。


『生きるのです。必ず』


やっと止まったのに、涙ばかり出てくる。


「シロウ、行くぜ?」と ミカエルが声を掛けた。

エデンから 善悪の木を通って、天に上がる。


その後は、第三天シェハキム南の 聖人の領地か

それが無理なら、楽園に入るらしい。


『はい、天使あんじょ さんみげる』と、四郎が立ち上がると

ミカエルは、手に持った赤いトーガを ゾイの肩に掛けた。


「心配だった。戻るまで 預けとく」と、四郎を連れて、エデンの階段を昇る。


「はい... 」と ゾイが声を掠れさせると、ミカエルは笑って 白いアーチを潜り

天地てんち同根どうこん 万物ばんぶつ一体いったい一切いっさい衆生しゅじょう 貴賤きせんを選ばす。どうか、互いに愛を』と、四郎も入り

階段と アーチが消えた。


「そう心配はないと思うが

一応 皆、診療を受けた方がいい」


パイモンとレスタとニルマは、首が繋がって 蝗を出した人たちを ずっと看てくれていたようだ。


「私は戻るが、今後の話もある。

ハゲニト。片付けが済んだら、私の城へ」と

ボティスやシェムハザ、パイモンに礼を言われ

「眼鏡が似合っていた」と 朋樹の髪に触れてから

ベルゼとアンジェが 地界へ消える。


「ビルの修復を」と、ハティとシェムハザが

地下から 一階に開いた大穴へ向かう。


蹴りまくられて、ズキズキ痛む 顔やあばらの痛みをこらえ、上半身を起こしてみると、白い十字架だけでなく、後に立った 八本の黒い十字架も消えていた。


「泣き止んだ?」と ニナが来て、隣に座る。


“泣き止んだ” って 言葉なんか言われたのって、いくつくらいの時だ?

四つ五つの 幼稚園の時くらいじゃねぇか?


しかもオレ、ニナと全然 喋ってなかったのにさ。

恥ずかしい っていうか、何で? って感じだ。


「昨日から、驚くことばっかり。

気付いたら 朝だし、“天草四郎” なんているし

山田 右衛門作の子孫だなんて、初めて知ったし。

私、歴史って あんまり興味無いから、だから何? って感じもするけど」


「けど 怖かっただろうし、大変だったよな」と 普通に返してから、話しやすい子だな と思った。


ニナは「うん、少しね」と 頷き、また話し出す。


「私を 良人おっと って呼んだ、あの エマってひと。

子供を取り返したかったのも 本当だって思う。

でも 天草四郎に、罪滅ぼしも したかったのかも」


自分の靴に眼を向け、ニナの話しに 返事が返せずにいる。

エマは、四郎が天人だと 信じてはいたけど

オレには、ニナが言うようには 思えなかった。


「うん、それは 考え過ぎだよね。

なんか かばいたくなっちゃって。

“クソ女” って、思わないであげてほしい」


「ごめん、それは... 」


ニナに向いて、自分がしたことに気付いた。

“クソ女” どころじゃない。オレは ニナを撃った。


「ああ、私のことは 気にしないで。

オモチャで撃たれて、何で気を失ったのかは 不思議だけど、あの時に気が軽くなったの。

気付かずに持ってた 重りのようなかげが抜けた気がしたから」


そう 言われても、気にならない訳がない。

オモチャ... って 思うよな。けど、そうじゃない。

ニナが生きてたのは 本当に良かったが、普通なら 死んでしまっていた。確かに 撃ったよな... ?


「それに、私... 」と、ニナは 幸せそうに笑った。

おっ... と なるくらい 笑顔が かわいかったし

「おう」と 頷く。


「すきなひとに触れられるのって、どんな風なのかな?」と、ぼんやり 夢想する顔で言うことにも

何も答えられなかったが、ゾイが ぽやっとしてる時の顔と重なった。


「あ」と、ニナは 離れた場所の何かを見て

「シイナが起きたみたい」と 立ち上がる。


「助かったのか... 」と ホッとしたが

同時に、ココを思う。


「だって、しぶといに決まってるじゃない」


冗談めかして言ったニナは

「みてあげなくちゃね。あんなだけど。

何も知らない親切な女の子が 犠牲になっちゃ困るし。またね」と、オレに手を振って 歩き出した。


オレも、行かねぇと...


ルカや朋樹は、まだ 陣中旗を見ていて

ジェイドは、ゾイと榊と 何か話している。


行きづらくもあるけど、しょうがねぇよな...


冷静じゃなかった。

あのまま、ジェイドがエマを祓っていれぱ

それで 済んでいたんだろうと思う。


なんで、カッとしたんだっけ... ?


まただ。おかしい、絶対。


コツ っと、後頭部に 硬い物を当てられ

背筋が 緊張する。


「ダメじゃないですか。

こんなの、地面に置いといちゃ」


声と同時に後頭部から それが外れた。

座ったまま 振り返ると、昼の日差しで 泣いた眼をやられ、一度 視線を落とす。白木蓮の花ぴらの中

黒いスニーカーに ターコイズの靴紐...


「... リョウ ジ?」


「はい」


バクバクと 身体の中が音を立てる。


「そうですよ」と、リョウジが 目の前に来て

しゃがみ、正面で 眼が合った。


くちびるが震え、リョウジのパーカーを掴んで

引き寄せると、ヘッドロックする。


「あっ! 何ですか?! 痛いです!

泰河くん、痛い! 痛いって!!」


うるせぇ。泣き顔を見せる訳には いかねぇ。

オレにも プライドはある。


ふいに 水のような声と

“身体を お返し致します” と 覗いた黒染めの歯が

眼に耳に浮かぶ。


救ってくれたのは、きっと

エマと 絡んだ蔦の蔓と、四郎の 友の魂だ。


エマは、元凶でもあった。

けど、生かしてくれた。助けてくれた。


「泰河くん! あの... 」


忘れていたあばらの痛みが蘇ってきて

少しだけ 腕を緩める。


「あ?」と だけ答えたが、鼻声になって

心の中で舌打ちした。


「ただいま、帰りました」と

オレの腕に 頭を挟まれたリョウジが

鼻をすすり、肩を揺らす。


「おう」


ダメだ しばらく腕は ほどけそうにねぇな...




********




目が覚めると、開いたドアの向こうから コーヒーの匂いがした。

スリッパ履きの足音がして、何か 気が抜ける。


簡単に髪を纏め、昨夜のシャツとジーンズを穿いている朱里シュリは、近くに買い物に出たらしく、ベーコンにスクランブルエッグという ベーシックな朝飯を作っているようだ。


くるっと振り向くと

「あっ、うるさかった?」と 気にするが

「いや。勝手に起きただけ」とベッドを立ち、ボクサーだけだったので 上に シャツを着る。


「どこ行って来たんだよ?」と 聞くと

「ん? すぐそこだよ」と 答えたが

冷蔵庫を開けると、飲み物も何本か入っていた。


「重たかっただろ? 起こしゃあ いいじゃねぇか」


「ううん、全然 全然。

一人でも いつも、このくらい買ってるし。

勝手に作ったりして ごめんね?

コーヒー 飲む?」


「おう。もらう」


冷蔵庫から炭酸水 取って、飲みながらソファーに座ると、朱里が コーヒーを持ってきてくれた。


「もう、出来るからね。パンはチーズ」と、フライパンのベーコンを スクランブルエッグの皿に盛り、トースターを見ながら サラダを仕上げている。


座っとくのもな... と テーブルを拭き、コーヒーのカップを持って、洗い物の手伝いにいく。


「えっ、泰河くんて、そういうことするの?」と

眼を丸くしているが

「おまえ、そのへんに買い物でも 顔描くんだな」と 返して、フライパンを洗う。


「だって、眉ないと失礼だしぃ」

「沙耶ちゃんとこで、手伝い 慣れてるからな」


「あっ、そっかぁ! 喫茶店なんだよね?」

「おう。今度 連れてく」


話し変えちまっても、ちゃんと そっちに答えてくれるんだよな。

いや、今のは別に 試したりとかじゃねぇけどさ。


「パンも焼けたから 食べよう」と 皿をテーブルに並べ、ソファーに並んで食う。

スクランブルエッグとベーコンの皿には パプリカのソテーも乗っていて、サラダは トマトとレタス、アスパラガス。

チキンスープは、ニンジン 玉ねぎ、ブロッコリー、インゲン...


「これ、今 パッと作ったのか?」

「うん。だって スープは煮るだけだし、サラダは切っただけ。アスパラは スープの野菜と下煮したしぃ」


出来るな...


「小さいケチャップあるよ? 卵にいる?」と 聞かれたが、塩胡椒の加減も良く、そのままで美味かった。


スープも食って「美味い」と 素直に言うと

「本当ぉ? でも煮ただけなんだけどぉ」と 隣で笑う。かわいい んだよな、こいつさ。

まあ、言わねぇんだけどさ。


「スープね、ブイヨンくらいしか入れてないから

カレーとかシチューにも出来ちゃう感じ」と、チーズが溶けたパンを噛じった。


昨日の夜

オレは ひとりで突然に、ジャズバーへ行った。


あれから『では、一度帰る』と、パイモンとハティ、ヴァイラとニルマやレスタが 地界へ戻り、シェムハザも城へ戻った。

アコとゾイが、ニナとシイナを病院へ送る。


『帰るぞ』と、リョウジは ボティスから肩に腕を回されて緊張していたが

『はい!』と 嬉しそうでもあった。


『おい、帰るぜ ヒゲ!』

『泰河、おまえ 運転しろよ』

『ふむ。取り敢えず 珈琲など欲しくある』と、ルカや朋樹、榊も いつも通りで

『泰河。もちろん、おまえが奢るだろ?

帰ったら 洗濯係だからな』と、助手席に乗ったジェイドも いつも通りだった。


『リョウジ、お前も病院には行っておけ』

『ふむ。ご両親や学校などは 幻惑する故、心配は要らぬ』と、リョウジを病院に送る前に

『甘いもんとか食ってからにしねー?』と ルカが言い出し、そういうのに強そうなカフェに寄る。


『行きたい店などは?』と リョウジに榊が聞くと

『いえっ、全然 お店 知らないんで...

あ、じゃあ、前に朱里さんとも入った お店がいいです! キャラメルラテを飲んだ... 』と、ボティスつきなのに、女の子が好きそうな かわいらしいカフェに入った。

リラやルカとも 入ったことがある店だ。


ボティス以外は 珍しく全員ラテで、榊は “オーレ”。

腹 減ってきたけど、パンケーキとかタルトとか

甘いもんばっかり取った。


昼過ぎだったし、店はいている時間だったが

オレらのように コーヒーや甘いもん休憩に ぱらぱらと入って来る。


それでも オレらのテーブルの周りはボティス効果で、いつもと同じく空いていたが

『ままー、おそとが みえる おせきが いいー』と

小さな女の子が走って来て、オレらの隣の席に ちょこんと座った。


黄色いカーディガンに、紺のスカート。

膝の下まである白いソックスには、履き口にフリルが付いていて、リボンが付いた水色の靴を履いている。

“お出かけ” という雰囲気の格好で、母親らしき人も、化粧も格好も そういう感じだ。


『泰河、場所を代わるが良い。

儂は、わらしを見るのが 楽しくある故... 』


『あ? おう... 』


何か 引っ掛かりながら席を立ち、女の子の顔を もう一度 見た時に、その子が、写真と女の子と重なった。


少し大きくなっているけど、あの子だ。


『... 榊、おまえ。分かってて 言っただろ?』


立った席に、そのまま座る。


素知らぬ顔をしていた榊は、それでも実際は 焦っていたようで、今更 テーブルに神隠しを掛けた。


榊だけじゃない。

こいつらが、あの子だと 分からない訳がない。


そうだ。リョウジの首が落ちた時だって、この子の父親... ギリシャ鼻の人や、その人と すげ替わった身体の人のことを思い出した。

深夜のカフェで、リョウジの 首無しの身体を見て

オレは、その人を... その人たち 二人を、噛み殺した。


そのことも、忘れていた。今みたいに。


『泰河くん... 』と、リョウジが不安げな声を出したが、オレは、オレだけが 忘れさせられていたことに憤っていた。


そりゃ、すぐに カッとするし、何も出来ない。

けど、忘れていていい事じゃねぇだろ?

人殺して、のうのうと 甘いもん食って...


『おまえが そんなんだからじゃね?』と

ルカが イラついた声を出し

『あれは、もう... 』と、朋樹が言いやめる。

リョウジは 同じようになって、今 ここにいる。


『おれ、あの時に、一度 死んだんです!

自分で分かってます。たぶん、他の人も...

あの時は、人間じゃなかった』


リョウジが 必死になって言う。


『でも、泰河くんたちが 戻してくれたんです!

今日だけじゃない。蝶の時だって。

いつも助けてくれる。

本当に すげぇ って思います。カッコイイです。

泰河くんも、ボティスさんや 榊さんも、朋樹くんも ルカくんも、ヴィタリーニ神父さんも、おれの ヒーローなんです』


違う オレは、ちがう


どうしようもない 気分になって

そのくせ 胸を熱くする。


どうやって、こらえれば いいか...


『だって、おれは ひとの血を 吸ったのに... 』と

リョウジが言った時に、もう たまらなくなって

その場から逃げた。




















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