72


男の身体を隠した葉は、男の衣類に変化していた。

白地の小袖は 袖口が浅葱色に染まり、濃紫の裁着たっつけ袴に 黒い脚絆、草履を履き、白い襞襟ひだえりに赤い羽織、黒いロザリオ。


長い黒髪は、分けた前髪だけを両サイドに垂らし

高い位置で 一つに束ねられた。


凛々しい眉に 涼やかな 二重瞼の眼。

真っ直ぐに通った筋の鼻に、微かに口角が上がっている整ったくちびる。

頬はまだ、ようやく引き締まってきた というような未成熟のラインだが、利発そうな顔立ちだ。


『ふらんしすこ様』


マリヤは男を呼び、両手に持っていた布を男の肩に掛けると、白い襞襟の下に 布の留め具を付けた。

すねまで届く 黒い天鵞絨ビロードのマント。


「これが... 」と、朋樹が先を言い淀むと

「シロウ・アマクサだ」と ハティが肯定した。

自分の喉が鳴った。眼が 男から離せないでいる。


「これが例え 別人だったとしても、死者が “復活” した。

肝要であるのは、その奇跡だ」


イエスと同じ “救世主” だと示した ということか...


涼やかな男の眼が、広場の首無しの身体や 浮遊する抜け首、すげ替わりの人たちに流れると、突然 周囲から悲鳴が上がり、

「何、これ?」「首が... 」と、恐怖と動揺が拡がっていく。“今 気付いた” といった様に。


『あなたに 血肉を分けた、兄弟姉妹です』


黒く染めた歯を覗かせて マリヤが言う。


『これらは、生きるでしょうか?』


マリヤが問うと、すげ替わりの首の人たちから

ぷつぷつと音が立ち始めた。


次々に正座をし始めた人たちの 首から立つ音は

背筋をさわさわと粟立あわだたせる。


ぶつぶつ と、重なる音が 連続で大きく鳴り出すと

ごきり と 骨が外れる音が立ち、肩の位置から水平に首が落ちていく。


誰かが「ヒッ」と 近くで息を飲んだが、叫び声を上げられた人は いなかった。

何を見ているのか よく理解が出来ない といった感じだ。


『生きる』と 男が口を開いた。


『私と、共に』


すっと通る 落ち着いた声で言うと、男は無表情に、ふう と 息を吹いた。


首無しの身体の背に、白や灰色の十字が浮き出し、落ちた首が 緩々と浮き上がっていく。


浮いていた抜け首が、今、首を失ったばかりの 正座の身体に据わった。


ちりちりと 小さく弾けるような音が立つ間に、立っていた首無しの身体が その場に座り始める。


浮き上がった首が、座ったばかりの身体に着き

また音を立てると、他の首も身体に据わり出し

ちりちりと 音が重なっていく。


「元の身体に... 」と、ジェイドが呟く。


髪の長い女や、さっき見た首の男、濃紺のスーツを着た人...


ちりちりとした音が 鳴り止んでいくと、背中の十字が薄れて消えた。


「... あなたこそ 神です」


首が繋がった ひとりが言うと

「神... 」「あなたこそが... 」「救世主キリストだ」と

声が拡がり、人々が立ち上がる。


マリヤの術だと 分かっているのに、本当は この涼やかな少年が やったんじゃないか?... と 錯覚してしまう。

周囲からも「奇跡?」という声が聞こえ始めた。


「首、落ちたよね?」「でも 血は... ?」と 半信半疑だが、恐怖だったものが別の興奮に塗り替えられていく。


『“聞く耳のある者は 聞くがよい”』


聖書のイエスの言葉だ。


『... “敵を愛し、憎む者に親切にせよ。

のろう者を祝福し、はずかしめる者のために祈れ”... 』


男は、無表情に人々を見渡し

聖ルカの書 6章27節からを読み始めた。


『... “あなたの頬を打つ者には ほかの頬をも向けてやり、あなたの上着を奪い取る者には 下着をも拒むな。

あなたに求める者には 与えてやり、あなたの持ち物を奪う者からは 取りもどそうとするな。

人々にしてほしいと、あなたがたの望むことを、人々にも そのとおりにせよ”... 』


何をする気なんだ?


『... “自分を愛してくれる者を 愛したからとて、

どれほどの手柄になろうか。

罪人でさえ、自分を愛してくれる者を愛している。

自分に よくしてくれる者に よくしたとて、

どれほどの手柄になろうか。

罪人でさえ、それくらいの事は している。

また 返してもらうつもりで貸したとて、

どれほどの手柄になろうか。

罪人でも、同じだけのものを 返してもらおうとして、仲間に貸すのである”... 』


首が繋がった人たちも、周囲の人たちも

静かに 耳を傾けている。


『... “しかし、あなたがたは、

敵を愛し、人によくしてやり、

また 何も当てにしないで貸してやれ。

そうすれば 受ける報いは大きく、

あなたがたは いと高き者の子となるであろう。

いと高き者は、恩を知らぬ者にも 悪人にも、

なさけ深いからである。

あなたがたの父なる神が 慈悲深いように、

あなたがたも 慈悲深い者となれ”... 』


天草四郎だという少年の声は、渇いた地面に水が染み入るように 脳に届く。

通るが静かな声だ。抑揚が乏しいせいかもしれない。


『... “人を さばくな。そうすれば、

自分も さばかれることが ないであろう。

また 人を罪に定めるな。そうすれば、

自分も罪に定められることがないであろう。

ゆるしてやれ。そうすれば、

自分も ゆるされるであろう。

与えよ。そうすれば、

自分にも与えられるであろう。

人々は おし入れ、ゆすり入れ、あふれ出るまでに量をよくして、あなたがたの ふところに入れてくれるであろう。

あなたがたの量る その量りで、

自分にも量りかえされるであろうから”... 』


ビルの間に風が吹くと

同じように 十字架の下にも 風が吹き

四郎の黒い天鵞絨ビロードのマントの裾や

ニナに掛けられた 陣中旗を はためかせた。


ニナから浮いた陣中旗に描かれている 聖杯に合掌礼拝する 二人の天使は、赤や青だった翼や聖衣が 白く変わっていて、イエスが磔刑になり 埋葬された後、墓へ行ったマグダラのマリアが見た 天使たちを彷彿とした。

ヨハネの章、20章11節からだ。


... “しかし、マリヤは墓の外に立って泣いていた。

そして泣きながら、身をかがめて墓の中をのぞくと、白い衣を着た ふたりの御使が、イエスの死体のおかれていた場所に、ひとりは頭の方に、ひとりは足の方に、すわっているのを見た”...


陣中旗を 四郎が手に取り、空に放すと

旗は、白い十字架の交差する中央に 広がり留まる。


脚を崩して座った状態で眠っているニナは、開いたシャツの胸に花々を抱いているように見えた。


『... “そのとき、十二弟子のひとりで、

イスカリオテと呼ばれていたユダに、

サタンが はいった”... 』


四郎が ニナの肩に手を触れると、ニナは瞼を開いた。


「聖ルカ、22章3節だ」と、警戒するように

ジェイドが言う。


イスカリオテのユダ。

イエスの十二人の弟子の 一人だ。


イエスを救世主だと認めない ユダヤの祭司長や

律法学者たちは、イエスを殺害したい と考えていた。

彼らは ユダに話を持ちかけ、イエスを売らせる。


マタイやマルコ、聖ルカの書により 差異はあるが、ユダは “私が接吻する人が その人だ” と押し掛けた祭司長や群衆たちに イエスを示し、イエスは律法とは違う教えを吹聴し “民衆を たぶらかした” として引き連れられ、ポンテオ・ピラトに引き渡される。


ポンテオ・ピラトは、第五代ローマ皇帝 カイザル... ティベリウス・ユリウス・カエサルが治めた時代の ユダヤ属州の総督だった。

法の執行権限を持つ。


祭司長や群衆らは 最終的にピラトに罪の裁定を求めるが、イエスに罪は認められない。

だが “処刑しろ” と迫る群衆に押され、イエスの磔刑を決した。


これになぞらえるなら、ニナの先祖と思われる 山田 右衛門作は、イスカリオテのユダの位置 ということだ。

幕府に 四郎を売るために、“四郎を小舟で逃がす” と誘い出し、引き渡そうと計画していた。


自分に触れた四郎を 見上げたニナが

「... 何なの?」と、辺りに眼を向ける。


「誰? いつ朝に... 」


店で悪魔に連れて行かれて、眠らされて、今 だもんな...

ハティやミカエルを見てみたが、まだ動かずに見守っている。


『“ユダ” を、どうなさいましょう?』と、マリヤが 四郎に聞く。


けど 山田右衛門作は、幕府と通じていたことがバレて、一揆軍に 妻子を殺されている。


右衛門作自身が 天草四郎陣中旗を描き、四郎と共に原城本丸に居た 一揆軍の副大将だったようだが、“妻子を取られて、仕方なく 一揆に参加した” という説もある。

こちらは、幕府に取り調べされた際に そう供述したか、または右衛門作を “おとがめ無し” とするために幕府側が流布るふしたことかもしれないが...


四郎や 一揆勢に対する裏切りの罪は、妻子によって あがなわれてるんじゃないのか?


落ち着かない様子の ニナは、四郎から マリヤに視線を移し、また四郎に戻すと、その背後にそびえる 白い十字架に眼を止めた。


視線は そのまま、はためく陣中旗まで上がると

日差しを眩しそうにしていた表情が ふと変わり、何かが蘇ってきたように まざまざと 苦悩が浮かび出した。


「“フランシスコ”... ?」と、四郎に視線を戻す。


『“りの”』と、四郎が ニナを呼んだ。

リノ というのは、山田右衛門作の洗礼名だ。


「... これは、何? 何の記憶?」


『そなたに眠る、血の記憶だ』


すっと通る声で 四郎が答える。


『“りの”。何故、二心を?』


ニナの眼を見て、四郎が聞くと

「... “こんなことは、終わらせなければ と”」と

さっきまでとは違う男の口調で ニナが話し出した。


「“間違っていた。

天主デウス様の教えのように、耐え忍ぶべきだった。

南蛮の商人は、武器と女人にょにんを交換させた”... 」


奴隷貿易のことは 聞いたことはある。

キリシタン大名が、ポルトガルに女性を売っていたことだろう。

このことや、ポルトガル宣教師や商人と繋がっているキリシタン大名たちが 幕府を脅かす程の力を持つことを阻止するため、伴天連追放令が出された。


純粋に教えを広めに来ただけの宣教師もいたんだろうけど、奴隷貿易をする商人と同じように

“南蛮人” として 見られたのだろうし

宣教を隠れ蓑として、貿易を続けさせることを

防ぐための措置でもあったのでは... と 思われる。


『“カイザルの物は カイザルに、

神の物は 神に”?』


四郎が聞くと、ニナが頷く。

社会的なことは社会に、信仰は神に という イエスの言葉だ。


信仰が認められなかったことと 厳しく取り立てられる年貢のこととは切り離し、信仰についても反発せずに耐えるべきだった と、ニナ... リノは 言っているようだ。


「“たくさんの者が亡くなった。

伝えゆく者が生きなければ、残さなければ、伝えられた言葉も絶えゆく。

南蛮の神父パードレ達が去ったとしても、いつか宗門は認められたかもしれない”」


今になって言っても、仕方の無いことで

今だから言えるようにも聞こえるが、ニナは

「“あなたが申し開きをすれば、何かが変わるかもしれない... と思った”」と付け加えた。


一揆勢と幕府軍は、矢文のやり取りをしていた。

幕府軍からの矢文には

異教徒ゼンチョや、立ち返ったが 再び異教徒に戻りたい者

また、単に巻き込まれた形で 籠城している者は

投降すれば 刑に処すことはない”... と いった文や

また、16歳の子供が 三万七千人もの 一揆勢を扇動して率いたとは思っておらず

“四郎本人であっても、投降すれば処遇は考える”

... といった文を 送っていたようだ。


事態が事態だった。

投降したとしても処刑されなかった ということは無かっただろう と思われるが、国内のキリシタンに対する弾圧は、もっと早くに緩められたかもしれない。


『けれど あなたは』と マリヤが口を挟む。


『ふらんしすこ様や、共に籠城した者等だけでなく、天主デウス様を裏切り、信仰ひいですを捨てられた』


ニナが 俯くと

『この方を どういたしましょう?』と、再び マリヤが、四郎に聞く。


四郎は『赦そう』と 答えた。


『罪は 赦される』


四郎は、首が繋がった人々や周囲の人々を もう一度 見渡し

『... 私は何故、此処ここに いるのだろう?

此処は はらいそ ではなく、いんへるの でもないようだ』と、無表情だった眼に 戸惑いを見せた。


マリヤに 眼を移すと

『そなたは、誰だっただろう?』と 言う。

眉のない白い顔のマリヤは、黒い歯で笑った。








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