71


さっき捕まえた抜け首の後頭部の印を消すと、朋樹が半式鬼を付けて、抜け首を放した。


抜け首は 瞼を閉じたまま、ゆらりと 外へ向かう。


「また、急に狙って来たよな」と 朋樹が言っていると、パイモンが

「そうだ、泰河。採血させてくれ」と腕を出させられ、ゴムのチューブみたいなやつで 二の腕を巻いて圧迫される。

「親指 握って。チクッとするけど」と 注射針を刺されて、採血管を六本も取り出した。


「そんなに?」と聞いたら

「本当なら倍は欲しい。もう手は緩めて」と返ってきたので、もう黙っておく。


「しかし、洞窟教会を出た抜け首や 首無しは、まだ歩き回っているのか?」


シェムハザが聞いている内に、透過眼鏡を掛けた イゲルが顕れて

「今から尾長憑きを運ぶけど、一人が重症で 病院に運ばれた」と 不機嫌な顔で報告した。


尾長の被害かと思ったが

「ボーリング場が開いて、尾長を移しまくってる女がいた。

さっき歩いて行った身体も産卵器だ。

抜け首は、外から入って来てる。

ボーリング場のトイレの窓が開いてた。

ボーリング場でもカラオケでも ケンカが多かったけど、重症を負わせた奴は その混乱に乗じた奴だ。尾長は憑いてない」って ことだ。


「その、“乗じるヤツ” って 何なんだろな?」と

朋樹が眉をしかめると、イゲルは

「しかも、ケンカを止めようとした奴を ボーリングの玉で撲ったみたいだ」と言い添えて、また不機嫌な顔になった。


「どうしようもない奴もいるからな」


「人と獣は、同じ日に造られた。

だが 他を慈しむよう、人間は 父に、手ずから造られたというのに。自ら ケダモノまで下る」


採血が終わり、ボティスの配下の悪魔たちが ぞろぞろと尾長憑きを連れて来た。


「並べ」と アコが命じ、榊が幻惑すると、ルカと印を出して消す。


「しかし 多いよな」と、朋樹が 仕事道具入れから 半式鬼の片割れの束をテーブルに出した。


「全部、同じ場所に向かっているのか?」


ゾイを隣に座らせ、はにかませている ミカエルが聞くと

「ちょっと見に行ってみるか」と シェムハザが椅子を立ち上がり「俺も行く」と アコも立つ。


尾長の人たちは、八人いた。

ビル内だけでか... とも思ったけど、抜け首や首無しも動かしてるし、オレらに その邪魔をさせねぇようにするために集中させているのかもだよな。


けど、マリヤは 真下にいる。

ハティも見張りに行ったままだしさ。

歩かせている抜け首や首無しには、何をさせる気なんだ?

人間を襲わせるんなら、バラバラにやらせた方が

こっちの対処は遅れるのに...


「じゃあ、半分くらい飛ばすかな。

よし、おまえら。戻りに行け」


朋樹が 手のひらの上に半式鬼の札を載せ、ふう っと息を吹くと、札は はらはらと浮き上がって、白い片羽の蝶になった。


くらりくらりと ぎこちなく片羽で羽ばたき、入口へ向かう。


「この蝶は好きだ」「うん、分かる」と シェムハザとアコも のんびり追うが、蝶たちは 入口近くで床に止まり出した。


「ん? どうしたんだ? まだ... 」


「むっ」と、榊が 振り返る方向を見ると

ビリヤード台に寝せた 首無しの身体が起き上がり

床に降りる。


「止めるなよ。

邪魔な奴は 排除しようとするからな」


入口へ向かう 二体の首無しの妨げにならないよう、進行方向にある テーブルや椅子を移動し、歩いて行くのを見守っていると、隣に ハティが立った。


「ハティ」

「カーテンの向こうには、入れそうなのか?」


「いや。マリヤがカーテンを開くのが条件だ」


「じゃあ、ムリじゃん」

「ここの床に 穴 開ける?」と、オレらが聞いた時

ドン と、縦に突き上がるような衝撃を感じ、でかい爆破音が鳴った。


続けてバラバラゴロゴロと硬い音がし、パラパラと 欠片が落ちるような小さな音が鳴る。


「だが、向こうから 動く気になったようだ」


首無したちが入口まで着くと、片羽の蝶たちが くらりと羽ばたいて上がり、首無しと共に 外へ向かって行く。


追って、オレらも プールバーを出ると、ビルの入口の床が 三メートル程の大穴を開けていて、正面の壁は自動ドアごと 半分以上が吹き飛んでいた。


その先の外に 視線を移す。


まだ午前中の明るい日差しの下、二車線の道路と

このビルの間。

駐車場が隣接する ビルの前の広場に、大きな白い十字架が浮いている。


オレら側から見えるのは、十字架の背だ。

地面から 1メートル程 浮き上がっている十字架は

縦 3.5メートル、横 2メートル程の大きさで、それぞれの幅は 30センチ程。


縦横が交差する 十字の中心部分から、幾本ものつたの蔓が伸び、十字架に絡んでいる。


赤紫の蔓に 若緑の蔦の葉。

葉の下には、白い十字架の向こう側にも 濃赤色の葡萄が実っていた。


半式鬼の白い片羽の蝶たちが 赤色の葡萄の実に たどり着くと、両羽の蝶となり、ひらりひらりと空へ昇っていく。


「半式鬼は、片割れを付けたヤツに返る」と

朋樹が茫然としている。


「赤色髄を 頭部の膜のこぶに蓄えた抜け首等は

舌先を、蔦の生える 十字の中心部分に挿し入れ

瘤の中身を移していた」


それなら あれは、赤色髄から生った実だ。


十字架の すぐ隣には、白と桜の色の着物の女が立っていた。


白地の小袖の着物は、裾や袖口が桜色に染められ

薄紅の帯を締めている。

長い黒髪は、後ろで緩く 一つに束ねている。


「“マリヤ”?」と 聞くと、ハティが頷く。


首無しの身体たちや 浮遊する抜け首たちが、白い十字架と マリヤの前に歩み寄って来る。

すげ替わりの身体のある人たちも。


ミカエルが 目の前の大穴の向こうに立ち、十字架の方へと歩き出す。


姿を目眩めくらまししたハティや、シェムハザ、アコも立つと「行こう」と、ジェイドが言い

大穴の隣を歩き、吹き飛んだ入口から外へ出た。


十字架まで、後 2メートル程... というところで

前には進めなくなった。空気の壁がある。


空気の壁に沿い、半円状に 十字架の前が見える位置に移動する。


眉を剃り落とし、白粉おしろいで化粧をしたマリヤは

麻紐に 十字架を付けたものを 胸に掛け、その下に 折り畳んだ黒い布を持ち、静かに立っていた。


「あれが... ?」


十字架に磔になっているのは、古い人骨だった。


若緑の葉と赤い葡萄を付けた赤紫の蔓が 人骨に絡み、十字架に止め付けている。


「ニナ」と、アコが言った。

十字架の前には、瞼を閉じたニナが座り、何かの絵が描かれた布を膝に掛けられている。

見たことがある絵だ。


「あれ、“天草四郎陣中旗” だろ?」と、ルカが眼を見張る。


そうだ。キリシタンの 一揆勢が原城に籠城した時に、本丸にひるがえった旗だ。


旗の中心には イエスの血... 葡萄酒の聖杯と、その上に イエスの肉であるパン... 丸いホスチアの中に 十字架が描かれていて、十字架の中に “ I N R I ” の文字。


これは、“Iesus Nazarenus Rex Indaeorum” から

“ユダヤ人の王ナザレのイエス” という意味で、聖杯の左右下には それを挟み、合掌して見上げる青い翼に赤い衣の天使と 薄紅の翼に青い衣の天使が描かれている。


旗の上部には

“LOVVADO SEIAOSACTISSIMO SACRAMENTO” の文字。

ポルトガル語で “尊き 聖体の秘蹟を 尊び讃えよう”... と書かれているようだ。


「ニナの本名って、“ヤマダ ユウゴ” だったか?」


朋樹がアコに確認すると、アコが頷いた。


「山田 祐庵ゆうあん の、子孫じゃないのか?」

「いや、まさか... 」


山田祐庵... 山田 右衛門作えもさく は、原城に籠城した 一揆勢の中で、唯一 斬られず生き残ったといわれる。


幕府軍に矢文で内通しており、諸説あるが

“四郎を小舟に乗せて逃し、生け捕りにさせる”

などの文が 城の敷地内で 一揆勢に見つかり、妻子を処刑され、本人も牢に入れられたらしい。


だが 天草四郎陣中旗は、南蛮絵師だった山田右衛門作が描いた といわれている。


原城落城後、幕府軍に取り調べを受けた右衛門作は、天草四郎のことを

“才知にかけて並ぶものなし、儒学や諸術を身に付けた 天主デウスの生まれ変わりである” と 語ったらしく

その後は幕府に、キリシタンの目明かし... キリシタンかどうかを判断する役人の下働きとされたようだが、晩年にはキリシタンに立ち返った という説もある。


「原城で処刑された妻子以外に、家族がいたってこと?」

「けど、そうとしか... 」


ビルの入口の方から「何、これ?」と 騒ぐ声が聞こえてきた。

前を通る道路に車が停まり、ビルに入ろうとしていた人たちも 周囲に立ち止まる。


「シェムハザ」と、ミカエルに呼ばれ

シェムハザが天空霊を呼び、空に広げさせた。


『... “主の手が わたしに臨み”... 』


マリヤが、黒く染めた歯の口を開いた。


『... “主は わたしを 主の霊に満たして出て行かせ、谷の中に わたしを置かれた”... 』


「なんだ?」と 聞くと、ジェイドが

「“エゼキエルの書” だ」と 答えた。

確か、旧約の預言者の書だ。


「バビロン捕囚の時代の預言者だ。

彼は、捕囚人の中から 預言者に選ばれた」


エルサレムに侵攻したバビロニアの ネブカドネザル二世により、ユダヤ人たちは捕虜とされ、捕囚人とされる。

その捕囚人の中から 主なる神に選ばれた預言者の書で、エレミヤ書、イザヤ書と並ぶ 旧約の三大預言者の書であるらしい。


主ではない異教の神... バアル神などに生贄を捧げ 崇拝したことにより、神の民 イスラエルの人々は 神の怒りに触れ、エルサレムは陥落する。


けれど、その最中にあっても

“悔い改めるのであれば” と、人々に希望をもたらすために、主なる神は預言者を選び、預言を伝えさせる。


「マリヤが読んだ章は、37章。

エゼキエルが、主なる神により 谷の幻視を見る」


谷には、多くの 枯れた骨があった。

主なる神は、それを “イスラエルの民の骨” と言う。


骨は、“われわれの骨は枯れ、われわれの望みは尽き、われわれは絶え果てる”... と 言うが、

主なる神は

“わが民よ、見よ、わたしは あなたがたの墓を開き、あなたがたを墓からとりあげて、

イスラエルの地に はいらせる”... と 答える。


この後、エルサレムは返還され再興するが、そのために 主なる神の預言を人々に伝える預言者として、エゼキエルは選ばれた。


『... “人の子よ、これらの骨は、

生き返ることができるのか”... 』


マリヤが、主なる神の言葉を読み

白い十字架に触れる。


周囲には、あっという間に人集ひとたかりが出来た。


近くに来るまでは、スマホで誰かに連絡したりと普通だが、近くまで来ると 皆、十字架だけを見上げている。

すぐ前にいる 浮遊する抜け首や 首無しの身体には

気付いていないようだ。


「人避けも 神隠しも効かぬ... 」と言う榊に

「“ショー” だからだろ?

この空気の壁が、人だけでなく 術も避けている。

見られなくては 意味がないからな」と ボティスが答えた。


「主なる神の問いに、エゼキエルは

“あなたは ご存知です” と ゆだねる」と、ジェイドが

マリヤを見つめる。


通常なら、枯れた骨は生き返らない。

だが 神の手によれば、通常通りとは限らない。


「主なる神は、エゼキエルに

... “これらの骨に預言して、言え。

枯れた骨よ、主の言葉を聞け”... と 命じ、

... “わたしは あなたがたのうちに息を入れて

あなたがたを生かす”... と 言われた」


エゼキエルは、命じられたように預言する。


『... “わたしは あなたがたの上に筋を与え、

肉を生じさせ、皮でおおい、

あなたがたのうちに息を与えて生かす。

そこで あなたがたは

わたしが主であることを悟る”... 』


マリヤが その言葉を読むと

十字架の磔の骨が、カタカタと 音を鳴らした。


... “見よ、動く音があり、

骨と骨が集まって 相つらなった”...


骨に絡んだ 赤紫の蔓が、骨の上や間を這いずる。

しゅうしゅうと音を立て、ぷつぷつと葡萄の実が

蔓に飲み込まれるように 萎んで消えていき

骨の上が 赤い筋肉に覆われいく。


音の中で肋骨の中に内臓が生じ、身体中に血管が張り巡らされると、体色が変化し出し、顔や身体に皮膚が覆っていく。

髪が伸び、指先に爪が生え、男のかたちとなった。


... “わたしが見ていると、その上に筋ができ、

肉が生じ、皮が これをおおったが、

息は その中になかった。

時に彼は わたしに言われた”...


『... “人の子よ、息に預言せよ、

息に預言して言え。主なる神はこう言われる、

息よ、四方から吹いて来て、

この殺された者たちの上に吹き、

彼らを生かせ”... 』


またマリヤが読むと、空気の層の中、四方から 十字架に風が吹き荒れ、実を失った蔓が枯れ、葉が 男に寄り集まり、磔の身体を覆っていく。


『... “”そこで わたしが命じられたように預言すると、息は これに はいった... 』


白い十字架が下がり、底が地面に着く。


... “すると彼らは生き、その足で立ち”...


十字架の男が、黒い睫毛の瞼を開き

地面に足を降ろした。









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