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「何だよ、今のは?」


ミカエルが眉をしかめる。


「タグチが出した蝗と違ったぞ」


田口というまげの霊が、ミリタリージャケットの人の身体から出したのは、普通の蝗の形だった。

今のは、後ろあしがない長い尾の蝗だ。蝗なのか?

チューブのような 灰色の長い尾だった。


アコとルカと拾った 灰色蝗の死骸は、幾つかは検査で切り刻まれたり、体液を採取されたり、試験管の液に突っ込まれたりしているが、瓶の中には まだ残りがある。


「あの蝗は、海で男の背中に うじゃうじゃ付いて

吸血してたヤツと同じなのか?」


朋樹が 作業机の上の瓶を指差して言うと、パイモンが「ほぼ同じだ」と答えた。


「以前、お前たちが 海で採取した蝗と違う点は、体内で孵った蝗には 宿主の遺伝情報も含まれていた という点だ。

海で採取した方には、それがない。

蝗が吸血した 腹の中の血液中からは見付かったが

蝗自体には、元であるアバドンの遺伝子と 何者か... 灰色蝗を使う吸血鬼の遺伝情報だ」


「今、アンバーが引っ張ったヤツは、形から違ったよな... 」


空のトレイをニルマに渡し、アンバーを胸元に抱いてみている パイモンに言ってみると

「しかも、体内から出ると 分解するようだ」と

難しい顔をしたが

「だが、体液だけなら採取 出来るかもしれない」と、また少し楽しそうな顔になった。


「琉地、アンバー。こっちの人の蝗も引いてみてくれないか?

口からは出さずに、舌の上まで頼む」


いそいそと琉地とアンバーに頼みながら

「ニルマ、指を頼む」と、笑顔でニルマを振り返る。指... ?


ニルマが消え、また顕れた時は、手に人間の手首から上を持っていた。

白く 整った爪をした女の手だ。


「おい... 」と 呟くと、パイモンは 一応って感じでミカエルに向き

「契約者の 一部だ。若くして病に侵された。

彼女との契約は、“遺す家族の安泰” だ。

死後の献体にも合意を受けている。

契約と献体の礼に、子孫七代先まで 健康で何不自由なく過ごせるようにしている」と 断った。


ミカエルは無言で 軽く睫毛を臥せたが、咎めようとはしていないようだ。

缶ボトルから 冷めたコーヒーを飲んでいる。


パイモンは、ニルマが持って来た白い手の人差し指を 自分の指で挟むと、術で 人差し指を切り取り

「ハーゲンティ、形を変えてくれ」と渡す。

ハティが人差し指を錬金して、注射器と採血管に変えた。

「試験管も頼む」と、中指も渡す。 おう...


琉地とアンバーがいる 別の女のベッドに、ハティが錬金した注射器を持って行き、女の舌の上の蝗の身体に 横から注射器の針を挿し、採血管を入れて 体液を採取している。


「見ろ、採れた」


注射器の中の、微かに黄緑の色味がついたの液を示し、高揚した風の笑顔だ。

パイモン、美人なのにな。男だけどさ。

「うん」「良かったよな」って 言っておく。


「尾の部分からも取っておこう。

ハーゲンティ、小指も採血管に頼む。

アンバー、尾が見えるところまで引き出してくれ」


アンバーの糸に引き出された蝗は、口から出た顔部分は 陽炎を立て、揺らめき消えたが

「ちょっと止めてくれと」パイモンがアンバーに言い、透過スクリーンで 蝗の尾を確認する。


「体内にある尾は、スクリーンには映らない。

蝗自体の影は映るが...

外まで引き出すと分解されるが、口内から見ると

喉の奥には 尾が続いているのは見える。

状態は、口内から覗くしかないということか... 」


蝗の尾の部分から 体液を採取しながら

「内視鏡で見れるかどうかだな。

気管ではなく、食道に入っている。

開いてみたくもあるが... 」と 物騒なことを 口ずさむ。


「泰河の手で消せるんだからさぁ、どこにどう繋がってたって 別にいーんじゃねーのー?」


採血管の中の薄黄緑体液を見つめるパイモンに

ルカが言い、ジェイドが

「この人たちは、もう帰すんだろう?」と聞くと

「加護は どうする?」と ミカエルも聞く。


「また あのクラブに行くかもしれないだろ?

クラブにも全体に加護を与えるか?」


「いや、まだ蝗が足りない」


パイモン...


「殺り合うかもしれないんだぜ?」


「お前が押さえればいいだろう?

それに クラブに加護を掛けてしまうと、尾長蝗を移す場も あちらこちらに分散する。

もう拡がってはいるだろうが、今以上に ということだ」


尾長蝗おながイナゴ。新しい名前が付いたな。


「その店に拡大の場を集中させておき、泰河も居れば、灰色蝗を使う者も 姿を現す恐れはある。

しばらくは加護は与えず、事後対処をしていく」


ハティも言うと、ミカエルもオレらも なんとなく納得はした。

蝗移しの場が、あの店もこの店も、路地裏も... とかになったら 困るしな。


「何故 尾が長いか という点に着目すると、食道に伸びている この尾は、恐らく特定の伝達物質を分泌しているのではないか?... と、推測している」


「ニルマ」と 採血管を渡しているが、やばい。

何か始まる気がする...

ハティが「ほう」とか言って、“面白い” ってツラしてるしさ。


「体内の情報伝達については 知っているかもしれないが、大雑把おおざっぱに説明しよう。

まず 神経系だ。

人間の細胞数は、60兆ほど といわれているが、

大脳皮質の “神経細胞ニューロン” の数は、個人差があり

平均値を取ると 140億個ほど。

脳から脊髄まで、中枢神経全体の神経細胞の数は

1000億から 2000億の間と推定される。

さて、神経伝達物質 というものは

神経細胞ニューロンの興奮や抑制を 他の神経細胞に伝達する物質だが、これは神経細胞で 生成される。

神経細胞同士は、電気信号でお互いに情報伝達を行うが、情報を “送り出す” 突起の 軸索じくさく

情報を “受け取る” 突起である 樹状突起じゅじょうとっき を持つ。

この軸索と樹状突起の繋ぎ目のような間の部分を “シナプス” と呼ぶ。

ハティ、枝を頼む。ミカエル、マシュマロを」


ミカエルのマシュマロの袋から、一つマシュマロを取り、ハティが空いた缶ボトルを錬金した木の枝を「持っていてくれ」と頼むと

「これは、どちらも神経細胞だ」と説明を始めた。


「マシュマロが 軸索、木の枝が 樹状突起。

情報を送り出す 軸索マシュマロは... 」と

マシュマロに術を掛け、にゅーっと紐状に伸ばした。

「次の神経細胞の 樹状突起きのえだに、情報を送ろうと近付く」と、紐マシュマロの先を、枝分かれした木の枝の 一本の先に、くっ付くくらい近付ける。


「この、マシュマロと枝先部分が シナプスだ。

マシュマロを伝わった電気信号... 電気的な情報は

マシュマロ... 軸索の先の 小包 という器官から

神経伝達物質を放出する。

マシュマロと枝先の 隙間 で 放出されるということだ。

神経伝達物質が、木の枝... 樹状突起の受動体レセプター

... この受動体レセプターとは、細胞や細胞膜に存在するもので、体内で生成された化学物質などの 放出されたものと結合する部分のことだが... と、結合すると

結合した神経伝達物質は、再び電気的な情報に変換され、これがまた次の神経細胞に伝達される」と、枝をニルマに渡し

術で 形を戻したマシュマロを口に入れた。


「これに対し、内分泌系は

脳や臓器の内分泌腺から分泌された 内分泌液が、血液に入って運ばれ

“標的とする臓器” の 受動体に結合する」


パイモンが、聞いてる? って眼で見るので

「うん」「おう」と 返事を返し

「内分泌器があるのって、脳下垂体とか甲状腺とかだろ? 他にもあるけど」

「消化管や生殖腺もだね」と

朋樹やジェイドも聞いてるぜアピールをする。


「そうだ。“脳下垂体の前葉” で分泌された成長ホルモンが 血液に入り、標的の “全身” の、骨、筋肉等の成長促進する。

同じく、前葉で 濾胞ろほう刺激ホルモンが分泌され、女の場合なら 卵巣に結合して卵巣の成熟、男の場合なら 精巣に結合し精巣の成熟 を促進する」


標的 っていうのは、各分泌液を受け取る側... 目標とする特定の臓器 のようだ。


「習ったかもしれないが、もっと分かりやすく

お前たちも通って来た成長を例に出そう。

生殖腺の精巣で分泌するのは、男性ホルモンとも呼ばれる テストステロンだ。

全身や生殖器が標的。

生殖器等の発達、筋肉や骨の成長、また男子の 二次性徴... 体毛やひげなどの発生や声変りなどを促進する。

卵巣なら、女性ホルモンと呼ばれる エストロゲン。全身や生殖器、乳腺、子宮が標的。

子宮や性器の発育促進、二次性徴の発現、子宮内膜の増殖などに係わる」


情報伝達には、シナプスの “神経系” と

血液に入って流れる “内分泌系” があるってことか。なんとなく解った。


「そこでだ。受動体レセプター

体内で生成された化学物質... 伝達物質などと結合する部分だと話したが、ウイルスなどと結合するものもある。

これによって、ウイルスが体内への侵入することを 許すことにもなるが

今 俺が立てている仮説は、ウイルスではなく

内分泌系。ホルモンだ」


「ホルモン?」「尾長蝗の?」


「そうだ。昆虫だから “フェロモン” になるか。

人間の内分泌腺が 血液中にホルモンなどの伝達物質を放出するように、植物や昆虫は仲間への情報伝達のため、気体の化学物質を 大気中に放出する。

もし何らかのウイルスなら、尾が長い という必要性は低いだろう?

わざわざ人に移りにくい尾長かたちにする必要はないからな。

尾長蝗の分泌するフェロモンが、憑かれた人間の体内の いずれかの受動体レセプターと結合することにより、行動に関する体性神経に影響を及ぼすのでは... と、考えている。

例えば、縦に長く、寄生箇所が食道中であることや、脊椎に沿う形である ということを 踏まえると

脊髄... 中枢神経に影響することが考えられるからな」


「おお、なるほど... 」

「尾長蝗を見ただけで、そこまで仮説を立てれるのは すごいね」

「じゃあ、それで良くね?」

「この人たち、帰さねぇとな。アコー」


もう眠てぇし、とりあえず切り上げようとしたら

パイモンは「仮説を立証したい」と アンバーを抱いてしゃがみ、琉地と眼を合わせ、自分の手の匂いを嗅がせた。


アコが顕れ、ベッドの人たちを見て

「帰すのか?」と 配下の悪魔を喚ぶ。


パイモンは「尾長蝗を調べれば、抜け首や 首無しの身体のことも 解るかもしれないだろう?」と

琉地の肩に手を回し

「お前達には、遊具を開発してやろう。

俺の助手をやらないか?」と 誘惑しているが

「蝗の種類が違うのに 首とは関係ないだろ?」と

退屈そうなミカエルに、話を切られている。


「とにかく、やっぱり こいつ等には、帰す前に加護は与えるぜ?

同じ奴が何度も憑かれることもないだろ?

憑かれたことがある っていう印にもなる」


ミカエルがベッドの方を見ると

「免疫が ついた... という可能性は?」と、ハティまで加護を止めたりした。


「ダメだ。こいつは、イシャーを殺りかけたからな。

女だって 刃物でも持てば、人を殺傷 出来る。

子供とか老人とか、弱い者に それを向けたら どうするつもりだ?」


「それなら、採血だけさせてくれ」


パイモンが言い、レスタとニルマが 尾長蝗を出した人たちから採血を始めた。


「尾長蝗も、色は灰色だ。

灰色蝗から分化した恐れがある」と、パイモンは頑張っているが

「じゃあ、進化したってことかよ?

灰色蝗が全部 尾長になったら、骨髄が集められないだろ? で、他にも種類が増えるのかよ?」と

採血が終わった人たちに、ミカエルが加護を与える。


アコが、黒スーツに皮膜の翼の悪魔たちに

「全部コンビニ前。無人じゃないから」と、男 一人と 女二人を運ばせると、他の黒スーツが アコの隣に立ち

「蝗憑きが五人運ばれて来る」と 報告して また消えた。

シェムハザとボティスが、クラブで見つけたようだ。


「五人か... 」「多い... か?」

「外にもいるんだろうけどね」

「さっきの二人は、コンビニ前だったしな」


「その五人の蝗 消して、加護 与えたら、もう召喚部屋に行くぜ?」と 退屈に飽きた ミカエルが言うのに「そうだな」と あくびを噛み殺す。


「蝗が出たようだな」と シェムハザが立ち、コーヒーとマドレーヌを取り寄せてくれた。

疲れてるし、すげぇ嬉しかったが

もう、蝗憑きの五人が運ばれて来た。

女四人、男 一人だ。

女 三人がベッドに寝かされ、残り 二人は地面だ。


「まだ女の人が多いね」

「蝗の配り手だもんな」と、ジェイドと朋樹が

アンバーと ガーデンテーブルの方に向かうが

「ルカ、泰河。早くしろよ」と、オレらは もうマドレーヌ食ってるミカエルに言われて

渋々 シャツをめくられ、腹を出された人たちの鳩尾みぞおち上部を、ルカが筆で なぞり出した。


「泰河、待て。ハティ、採血管を」


またニルマが持って来た手の指を、ハティが 注射器と採血管に錬金して パイモンに渡す。


手袋をしたニルマが、ルカが印を出した 一人の口を開けさせ、小さな強い光で喉の奥を確認し

「ミカエル、見ろ」と、勝ち誇った顔を向ける。


「何だよ?」


貝の形のマドレーヌを 一個 口に入れ、コーヒーカップを持ったまま こっちに来ると、口を開けられている人の喉を見て ブロンドの眉をしかめている。


からの注射器を持つパイモンは

「抜け首だ」と まだ得意気だ。


ハティが見た後に、オレらも確認してみると

喉の奥の蝗には 頭部が無かった。

「なんで?」と ルカが、疲れた赤い眼を少し見開く。


「千切れた蝗の頭部が、次の者の喉の中で 尾長蝗になるんだろう。

産卵ではなく、自己複製すると考えられる。

それなら、こちらの残った身体からも また頭部が生える ということになるだろう。

まだ仮説だが、調べる必要はある」


口移しで、蝗の頭を移してんのか...

まあ、“情報” だろうから、実体を移してるんじゃねぇけどさ...


「吸血の抜け首や身体と 類似する点がある。

また見つけたら、印だけ出して送ってくれ」と

パイモンは 美人顔で笑った。

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