33


渦巻く海面から 白い波が

割った十字の砂地にも溢れて 流れ込んだ。


潮が引いた砂浜まで、シェムハザが碧蛇を連れて戻り、ハティが歩み寄る。


「... いる よな?」「いるじゃねぇか」


ミカエルが 十字で四分割した海の奥

向かって右側の海面に、長い首を出したのは

透明な鱗をした 鰐面ワニヅラの蛇だ。

顔のでかさは バスくらい。


海水に濡れた身体を 月光が反射させ

白い虹彩に 縦長の黄色い瞳孔の眼を開いた。


反射した光で見える、ゴツゴツとした岩のような鱗の顔は 口が長く、閉じた口の外側に

尖った牙のような歯が 上下交互に並び

後頭から背には 恐竜のような骨板が 一列に並ぶ。


「レヴィアタンだ」


「冗談... 」


ボティスに つい言ったのは ジェイドだけど

オレも、“嘘だろ?” と 笑いたくなった。


顔の長い ほぼ恐竜の海蛇は、白の中の黄色く光る眼を ゾイを抱いたミカエルに止めて

前に開いた鼻から、蒸気のような 水煙の息を吹く。 すげーし 怖ぇ...  眼ぇ 離せねぇし...


「神の獣だ... 」


ジェイドが 独り言のように言う。


レヴィアタン... 日本訳聖書の表記では

“レビヤタン” は、創造の5日目に造られた

海の神の獣だ。


旧約の創世記やイザヤ書にも名前は出てくるけど

ヨブ記という書の 41章に

... “これは あなたと契約を結ぶであろうか。

あなたは これを取って、ながく あなたのしもべと

することができるであろうか”... と

レビヤタンの姿が書き表されている。


それによると、身体は “二重よろい” で

“歯は恐ろしく”、“背に 相互に密接した盾の列”


“くしゃみをすれば光を発し”

“目は あけぼののまぶた” “息は炭火”

“口からは たいまつが燃えいで、火花をいだす”

“鼻からは煮え立つなべの水煙の煙”

“首には力が宿り、肉片きんにくは密接に相連なり

心臓は石のように固い”... と、くしゃみで光レベルの上に


“つるぎも やりも矢も、もりも用をなさない”

鉄は わら、青銅は朽ち木。

おまけに “海を香油のなべのようにする” っていう。


“地の上には これと並ぶものなく、

これは恐れのない者に造られた。

これは すべての高き者をさげすみ、

すべての誇り高ぶる者の王である”


... つまり、皇帝とかベルゼ位のヤツってことだ。


「レヴィアタンには、悪魔祓いは効かないんだ」と、ジェイドが 呆然としたまま言った。


「人と契約しないから。他神や悪魔としか」


けど、“どうするんだよ” とも 聞けねーし。

たぶん、近付くだけで 焼き殺される。


「レヴィアタン、契約を解除しろ!」


ミカエルが、右手のつるぎを差し向けるのを見て

一瞬、なんか 目眩がした。


レヴィアタンの渦や周囲からは、白い海霧が上がって、濡れた顔や身体を包み出している。

海水を 煮え湯どころか、揚げ油にするらしいしな...  鼻からの蒸気の向こうに、黄色く長い瞳孔が光る。


「あれ、海の中で会ったら 見えるのか... ?」


聞いた朋樹の口は、薄く開いたままだ。


「何かが殺られりゃ、血の色で浮き出す」


うん そうか


ミカエルが、白い海霧に包まれながら

「大人しく退け!」と、また宣告する。


「お前が、にえをブロンドにしてやがったな?

契約解除して戻せ! 今 終わりにする!」


レヴィアタンは、白い濃霧の奥で 長い口を開いた。空気を吸い込む音がすると、ザドキエルが

ミカエルの背後に移動する。


地鳴りのような轟音を立てて、牙の歯が並ぶ喉の奥から 赤オレンジの炎が吹き出されると

ミカエルは 剣を縦にし、刃で炎を左右に割った。


「おっ... 」「ミカエル、すげぇ... 」


神と神だ


「お前、俺と やる気なのかよ?」


ミカエルが また、剣の刃先を差し向ける。


「ジェイド、何をしている?

四方位の守護精霊を召喚しておけ!」


潮が引いた 砂浜に近い、左の海で碧蛇の傍にしゃがみ、ミカエルに切り落とされた 鱗の腕を持って

シェムハザが怒鳴る。


「ルカ、召喚円を」と スマホ渡されて

画像 見ながら、地の精霊に円を描かせた。


ボティスに「界を開け」と言われて、腕を降り、人化けした榊が 正装で幽世かくりよの扉を開く。大きく開いた襟のうなじに 眼ぇいくし。

綺麗だよなぁ...


扉から、白い御神衣かんみその袖の中に腕を組み

幾重もの翡翠の長い細数珠を首に掛けた月夜見キミサマ

いつも通りに不機嫌そうな表情かおで、高い位置に括った髪を揺らして出て来た。

やたらな色気。


「よう」と ボティスが眼を向けると

「うむ」と じっと見つめて、軽く霊視してる。


榊を扉の向こうに立たせ

「まだ閉めずに良い」と 言って

オレの胸に眼を向けた。


砂浜の召喚円に、ジェイドが 光の人型の

守護精霊を降ろす中

月夜見は「紫丁香花ムラサキハシドイ」と言った。


「え?」


「和名だ」と 顎を少し上げて、オレの胸を示す。

“リラ” か...


「ザドキエル! 鎖で巻けよ!」


ミカエルが ザドキエルに命じると

レヴィアタンが 息を吸い込む音がした。


「いや、私は戦闘型ではない!

鎖を握ることは出来ても、投げることは出来ないと 知っているだろう?!」


嘘だろ...

ミカエルは、“使えねぇ” って 眼ぇ向けてやがる。


牡牛の顔に 先が金になった 二本の角を持つ 元の悪魔の姿になったハティが、背に漆黒のグリフォンの翼を広げて ミカエルの隣に着いた。


「ゾイを」って 言ってるけど

ミカエルは また無視してるし。


レヴィアタンが吐く火焔を また剣で割り、ハティに秤を差し出した。

ハティが指で 秤の片方を押し下げると

「よし、罪だ!」と 秤を消し、高く飛び上がる。


「ザドキエル、鎖を寄越せ」と 剣の腕を伸ばすと

ザドキエルも 鎖を巻いた腕をミカエルに伸ばし

その腕を 解け離れた鎖は、ミカエルの腕に巻き付いていく。


レヴィアタンの上空から後頭に回り、振り向いたレヴィアタンが 息を吸い込むと、また高く上昇し、上に向かって吐かれた火焔を真横に移動して避ける。

ミカエルが 鎖の腕を伸ばすと、レヴィアタンの口に巻き付いていった。


「ザドキエル!」と、腕を伸ばして鎖の端を投げ

ミカエルは、レヴィアタンの頭の上に降りた。


「サタンは だいたい、俺に踏まれるもんなんだよ」


上から 片眼 見下ろして言ってやがる。

絵画とかで、悪魔の頭 踏みつけてるもんな...

腕 組んだハティが ため息をつく。


「さっさと契約解除しろよ。契約書はどこだ?

また奈落に繋いでやってもいいんだぜ?」


水煙が密度を増す。

高温になった海水の熱が こっちにまで流れてくるくらいだ。

っていうか ミカエルって、レヴィアタンも繋いだことあんのか...


ザアアッと 海面の向こうから音が近付いてきた。

海面に出たレヴィアタンの尾だ。海を割り進んでくる。

尾の先まで 背から続く骨板が並んでやがるし、もし当たれば、吹き飛ぶだけじゃなく 割り潰されるんじゃないか と思う。


「ザドキエル、ハーゲンティ、けろよ」


赤いトーガを掛けたゾイを抱いた ミカエルは

レヴィアタンの頭から飛んで、目の前の砂地に降りた。


「ミカエル、大丈夫なのか?」「ゾイを... 」


オレらが言うと、ミカエルは横 向いて

「囮がいないと、あいつが海に消えるかもしれないだろ? 連れたままでも いけるぜ?」って

やっぱり離そうとしねーし。

ゾイ、トーガで 顔 見えねーし。


「あぶないだろ?」

「いや、ゾイが ここに居たって、あいつから見えるじゃん!」


「お前等、あいつから護れるのかよ?」


「えっ?」


レヴィアタンから...


「ん! 護るし!」「おう、やるぜ!」

「守護精霊もいるしね」「ゾイ、おまえ... 」


けど ミカエルは、オレらの返事を無視して

ゾイを連れたまま 海へ戻って行っちまった。


「マジかよ、あいつ... 」


朋樹が 羽ばたくミカエルを見上げてる。


「囮ならば、ハーゲンティに連れさせておけば良かろうに。両手が空く」と 月夜見キミサマが言うと

「離す気がないだけだろ」と、ボティスがピアスを弾いた。


ハティがザドキエルの前に盾になり、息を吹いて

レヴィアタンが上げる湯飛沫を 砂にして吹き返す中、ミカエルは また頭に降りる。


「鎖で繋いでるからな。逃げられないぜ?」


消えねーんじゃねぇかよ...


「マジで 抱っこしときたいだけー?」って聞いたら、泰河が優しい顔になったけど

レヴィアタンに そのツラを向けてるみてーに見えるし。


「まぁ 一応は、レヴィアタンの注意を引くため

とも言える。遺骨のペンダントがあるからな」


「本当かよ?」って 眼を細めた朋樹の肩に

泰河が ぽんって 手ぇ置いた。


碧蛇シュガールは大丈夫なのかな?」


「あっ」「そうだな」


守護精霊の向こう、四分割された海の手前 左側で

碧蛇の切断された肘に 腕を付けて

シェムハザが、なんとか くっ付けようとしてる。


「試練の話を聞くか」と、ボティスが向かうし

オレらも 聞きに行くことにした。


「どうだ?」


ボティスが シェムハザに聞くと

「繋がりそうではあるが、いまいち術の効きが悪い」と、肘と腕の接着部を 両手で包み、違う術を いろいろ試しているようだ。


「榊」と、月夜見キミサマが呼び

「こちらに扉を移動しろ」と 命じると

榊は「御意」と、扉を出て 月夜見キミサマの隣に立った。


白い手を肩の位置まで上げると、閉じた扉のままの形で 扉が すうっと移動して開く。


何故か榊の肩を抱いた月夜見キミサマは、扉に向かって

柚葉ゆずは」と、声を掛けた。

“ケッ” って ツラになったボティスが、月夜見キミサマの隣に移動してる。


「月夜見様」と 扉から顔を覗かせたのは、おかっぱの女の子だ。幽世かくりよにいる子。

なんか ボブって言うより、おかっぱ って感じする。

高校生くらいらしいんだけど、この子、リンより幼く見えるんだよなー。


「柚葉ちゃん」「久しぶり」


柚葉ちゃんは「泰河くん、朋樹くん」と 笑って手を振り、オレとボティスにも会釈すると

ジェイドに「はじめまして」って また会釈して

シェムハザ見て 息を止めた。そりゃあなぁ。


「針を持て」と 月夜見に言われた柚葉ちゃんは

「柚葉?」と 榊に呼ばれて、ハッとしてる。

「縫い付けですね!」と、一度 扉の向こうに消えると、太い縫い針と青い糸を持って来た。


「シェムハザ、その者の腕を柚葉に渡せ」


「付けられるのか?」と、シェムハザが指を鳴らすと、柚葉ちゃんの耳たぶに翡翠のイヤリングが付いた。ご挨拶だ。さすがだよなー。


「落ちた腕を 一度 死した と見做せばな」

「ふむ。儂の首も柚葉が縫い付けたのじゃ」


「おっ?!」「マジかよ?」


榊が結い上げた髪の下の、紅いラインに眼がいく。

シェムハザが「頼む」と、柚葉ちゃんに 碧蛇の鱗の腕を渡すと

「はい、イヤリングありがとうございます」って

ペコリと頭を下げて、腕を受け取った。


「肘を 扉に入れるが良い」


月夜見キミサマが碧蛇に言うと、シェムハザが付き添い

碧蛇は 扉の前に、腰から下の碧く輝く蛇体をとぐろに巻いた。


月夜見は、肩を抱いたままの榊を 扉の境に立たせ

榊が 柚葉ちゃんが持った腕を、碧蛇の肘に付けて支え持つと、針に青い糸を通した柚葉ちゃんは

おもむろに 碧蛇の肘に針を入れて、バッツバッツ縫い付け出した。そんななのかよ...


「シュガール、試練とは?」


縫い付けられる自分の肘を呆然と見ている碧蛇に

ボティスが聞くと

腰まで届く 長い藍の髪の間から 顔を向け

「試練は遂げられた」と 答えた。


「どういった試練だった?」


「ひとりひとり違う。

ジャンヌであれば、死後 魂も添い遂げること。

サラは、夫に 生涯 愛され続けること。

リラは、愛情を受けること」


「ジャンヌは、夫と共に犠牲になったな。

何故 魂は添い遂げられなかった?」


「夫は、別の者に売られた。

ジャンヌが ついて行こうとすると、レヴィアタンに飲まれた」


そう答えた碧蛇は、レヴィアタンに視線を向けた。

別の者って、別の悪魔 ってこと?

ボティスが確認すると、碧蛇は頷いた。


「サラ... リラちゃんの叔母さんは、残された旦那さんが、再婚したから なのか?」


朋樹が聞くと、碧蛇は また頷く。


「なんか聞いてるとさ、出来そうなのに難しい試練だよな」と、泰河がムッとしたツラを碧蛇に向けた。


そうなんだよな。

生きてりゃ 出来ることだと思う。

けど、サラさんの旦那さんが再婚したのも否めねーし、ジャンヌに至っては 取り上げられてるしさぁ。レヴィアタンが ハッキリ邪魔してんじゃん。


オレも眼を向けると

碧蛇は、悲しそうな顔になって俯き

「私が、土の人の罪を売ったから」と 答えた。

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