32


ミカエルは、十字に割れた海に向かって

左腕に巻いた鎖を伸ばした。


大いなる鎖の端を 手首に巻いたまま、右の肩当てを外して捨てると、ゾイを左腕に抱き換え、頭からトーガを掛けてる。


ザドキエルとシェムハザ、アコは、ミカエルから少し離れて 海上にいて、オレらも割れた砂浜の近くまで行き、眼とスクリーンで状況を見守る。


「ミカエル、ゾイを!」


シェムハザが言うけど、ミカエルは答えない。

まだシュガールオトリにするようだ。


ミカエルは 右手で、左手首から海中に伸びる鎖を 握って引いた。

海中にいた蛇を、割った海の砂の上に引っ張り出そうとしている。


「もう少し 近付くか?」


朋樹が 割れた海の先に眼をやって、うずうずしながら言うけど

「いや。まだミカエルに呼ばれていない」と

ボティスは、海上の二人を見つめてる。


「ザドキエル!」と、ミカエルが呼ぶと

ザドキエルが ミカエルの隣に移動した。


ゾイを預けるのか と思ったけど、手首から外した 大いなる鎖の方を渡したし。


カッ と、空が光る。

海上の空を覆った青い天空霊を透過して、雷光が割れた海に落ちた。

立て続けに また 二本 落ちる。

「狐に」と ボティスに言われた榊が 人化けを解き

ボティスの腕に収まった。


また落ちる雷光と音に、身体が反応するけど

「お前等はたれないだろ?」と

ボティスに言われて、バラキエルの時に加護をもらったことを思い出す。


「お前はないからな」と、榊に言って

「俺が働くことになったら、扉 開いて入れよ」と

先に釘 差してるし。

「ミカエルがいる。俺は消えん」と言われて

榊は「ふむ」と、大人しく頷いた。


「射たれねぇけどさ... 」


また落ちた雷光に、泰河が喉を鳴らす。

うん、分かる。

オレらは サリエルの時に 散々 教会で射たれかけて、かなりトラウマになってるし。


「これ、蛇がやってんのか?」


朋樹が言うのに、ボティスが頷く。


「雷神でもあっただろ?

マリと交わらんと、嵐にはならんようだがな」


「その蛇は... 」と、ジェイドが言った時に

割れた海から、長いものが突き出してきた。


碧蛇だ。


割れた海の海中から、ザドキエルが握る 艶のないゴールドの鎖に 身体を巻かれ

ミカエルとゾイがいる高い位置まで 伸び上がって来る。

腰から上は男の姿で、腰まで届くウェーブの長い藍毛。腕の肘から先には 碧い鱗が見える。


赤いトーガに掛けたゾイを左腕に抱いたまま

ミカエルは、右手を開いて つるぎを握った。


「諦めろよ、シュガール

こんなとこまで、にえ 追って来やがって。

贖罪は終わりだ」


ミカエルは 一方的に言って、剣を突き付けた。

スクリーンの中の顔は笑ってるし、ボティス並みじゃね?


碧蛇の神は、ミカエルを見据え

また海に 雷光を 二本 落とした。


「ミカエルは、蛇に触れられるのか?」と

ジェイドが聞く。

異教神のモレクには、ミカエルも皇帝も触れなかったんだよな...


最終的に、モレクを殺ったのは泰河だった。

白い焔の模様の右手で、モレクに触れただけで

モレクの胸が裂け、肋骨が左右に開いた。


その時の泰河は、前に 山間の集落で 六十六部の僧に触れた時と 同じ顔をしていて、あの白い焔の獣が 人型になった時の顔と印象が重なった。


「お前、聞いてんのかよ?

贖罪から解放しろよ。次の印を解け。

ブロンドにした子供の髪を戻せ。

アコ、見て来いよ」


ミカエルに言われて、海上のアコは ボティスに顔を向けた。

ボティスが頷くと、一度 オレらの近くに顕れて

「子供の髪の色が変わったら戻る」と言って 消えた。


「リラから術を解け。目覚めさせろよ。

土の系譜であっても 信徒の魂だ。

天が貰い受ける」


言いたいだけ言ってるよな...


碧蛇が、ゾイに腕を伸ばし掛けて

「櫛を」と 言うと

苛ついた眼になったミカエルが 軽く剣を振る。


碧蛇の肘から上... 鱗の腕が、十字の砂地に落ちて

碧蛇が咆哮すると、立て続けに雷光が落ちた。


「触れられるようだな」と

ボティスが鼻を鳴らす。


「話、聞いてんのかよ?

櫛は諦めろって言ってんだぜ?

何人 りゃ気が済むんだ?

陰府ハデスに ジャンヌの魂はなかった。

贖罪の犠牲になった 他の信徒の魂もだ。

今、ここで終われ」


碧蛇が残った腕を伸ばそうとすると

ミカエルが喉元に剣を突き付けた。


「滅せられることはなくても、お前も刺されりゃ

マリみたいに身体を失うんだろ? 退けよ」


また雷光が光るけど、ミカエルを狙って落とした雷光は、落ちる前に掻き消える。

力の差は 歴然としているように見える。


剣を突き付けられたまま、碧蛇が腕を伸ばそうとすると、ザドキエルが鎖を強く引いて ミカエルから碧蛇を引き離し、シェムハザが

「ミカエル!」と声を掛けて ミカエルを止めた。

ミカエルは、伸ばしてきた腕に視線を動かしていたようだ。


「邪魔すんな って言っただろ?」


剣を持ったままの右手に秤を出し

「信徒をたぶらかしたな?」と

シェムハザに その秤を差し出す。


「待て、ミカエル。話を... 」


「しただろ?

俺は、“リラを目覚めさせて 子供の髪の色を戻せ” と言ってるんだぜ?

アコは まだ戻らないし、ラファエルからの報告も

聞こえない」


碧蛇は 身体を鎖に巻かれたまま、血が流れる落ちた腕の肘の上を、残った鱗の手で握って、苦しそうに顔を歪めている。


「ミカエル、私に話を着けさせて欲しい。

預言者にするために、ここから リラを連れ去ったのは 私だ」


ザドキエルが言い、シェムハザが秤に触れないのを見て、ミカエルは またムッとしたけど

「五分で済ませろよ」と、剣と秤を下ろした。


「私は ザドキエルといい、天に属する者だ。

バスクの神、シュガールだな?」


ザドキエルが 話し始めると

ミカエルは 少し後ろに退いた。


「ゾイを」と、シェムハザが言うけど

機嫌が悪いのか 無視してやがる。


「ゾイって、自分で戻れねぇの?」って聞いた 泰河に

「ミカエルが離してないからな」と、ボティスが ため息をついた。


「バスクには 生贄崇拝はない。

そうであっても、人間の魂によって 女神の身体を取り戻せるというのか?

ならば何故、天災に依らず、自死による犠牲を強いる?」


ザドキエルが質問すると、またボティスが

「そうだ。自然神のほとんどは 人間個人に対する 復讐はしない。

天災を起こし、辺り 一帯に復讐する」と

勘弁してくれよ っていうような説明をした。


「女神マリが身体を失って、嵐が起こせなかったからじゃないのか?」


ジェイドが、鎖が巻かれた碧蛇の神に 痛々しい というような眼を向けて聞くと

「だが、あれだけ好きに落雷させられるからな」と、空いた手でピアスをはじいてる。


「生贄崇拝がないならさぁ、マジで 人間の魂じゃ 女神の身体は復活しないんじゃね?

やっぱ、復讐なんじゃねーの?

生命いのちで償え” みたいなさぁ」


オレも聞いてみると

「それを今、ザドキエルが聞いてるだろ?

悪魔ダビは、“試練によって 女神の身体が戻る” とも

言っていたしな」って

榊越しに呆れた眼を向けた。


「しかし」と、榊が 長い鼻の顔を海に向けて

「あの者は、そういった者であろうか... ?」と

首を傾げてる。


ザドキエルに眼を向けた碧蛇は

「櫛を... 」と、また繰り返し

ザドキエルの背後にいるミカエルの方に、肘の上を握っていた手を伸ばした。


「“櫛” というのは、割れた女神マリの櫛か?

ミカエルは持っていない。

犠牲の魂を どうした?」


碧蛇は、少しの間 黙っていたけど

「答えろよ。量られたいのか?」と、ミカエルに

剣と秤を示されて「飲んだ」と 答えた。


「お前達は、人の魂を飲む者じゃないだろう?」


ザドキエルが怪訝な顔をする。

日本神も飲まねーもんな。

それと似た感じなんだろうけど、なら やっぱり

これ、復讐としか考えられなくね?

けど “飲んだ” って言ってるしな...


シェムハザが

「“飲んだ” としてだ。

リラの魂も 取り返して飲もうというのか?

それが何になる?」と、口を挟むと

「... 試練により櫛が戻る」と、話が変わった。


「何か おかしくないか?」


朋樹が眉をしかめた。うん、おかしいよな

話になってない気もするしさぁ。

でも、碧蛇は “おかしいヤツ” って感じはしない。


「試練は その者による。

ジャンヌ、“添い遂げる”。サラ、“生涯の愛”。

リラ、“愛の獲得”」


サラ は、リラの叔母だろうと思うけど

意味がよくわからない。


「試練を課すのは、犠牲者の死後か?」


ミカエルを気にして、とりあえず話が進むようになのか ザドキエルが聞くと、碧蛇は頷き

「私は海の中でしか、試練を課せない」と言う。


「試練を課すために、悪魔ダビを使って

リラの家系の者等を 自死に導いたのか?」


「ダビ?」


碧蛇が眉をしかめて聞き返すと、ミカエルが下ろしていた剣を上げる。

シェムハザが 腕で制しながら

「何故、女性ばかりを選ぶ?」と 質問を変えた。


「自ら 贖罪に... 」


碧蛇は言葉を止めて、シェムハザから ザドキエルに 視線を移した。


「“自ら” では、無い と... ?」


こいつ、ダビが 海に犠牲者を送ってたことを知らねーのか?

犠牲者が自分から 罪の贖いのために海に入る と

思ってるみたいだ。


「犠牲者に試練を課し、遂げることで、何故 櫛が戻る?

櫛が戻る ということは、マリの身体も戻るということだろう?

自然神のお前に、そんなことが出来るのか?」


碧蛇が ザドキエルから眼を逸らした。


「成る程」と、ボティスが鼻を鳴らす。


十字の向こう、四分割された海の奥に

眼を向けたザドキエルが、鎖を引こうとすると

「トロい」と ミカエルが強く引き

碧蛇を砂地に引き倒した。


ザドキエルが そのまま鎖を解き

シェムハザが、砂地に倒れた碧蛇の元へ降りる。


「何だよ?」「どういうことだ?」


オレらが聞くと、ボティスは舌打ちして

「状況が変わった」と ハティを喚んだ。


スーツに黒コートのハティは、海に眼を向け

「契約か」と 微かに眉をしかめた。


トーガを掛けたゾイを 片腕に抱くミカエルと

鎖を腕に巻いたザドキエルの視線の向こうの海が

ざわざわと うねり荒れ出す。

十字の海の壁の向こうに 渦が巻き出した。

みるみると潮が引いていく。


ヤバい...  何か かなり

それは分かるけど、それしか分からねー...


「何なんだよ?!」


朋樹が怒鳴って聞くと

シュガールは、悪魔と契約しやがったんだ」と

ボティスが榊の背に、空いている手を添えた。


「犠牲者に試練を課し、遂げれば “マリの身体”

櫛が戻る。魂は契約主に流れる。

“飲んだ” のは、そいつだ。

選出した犠牲者を、ダビにそそのかさせていたのも

その契約主だ」


遠くの渦から吹き出した水飛沫みずしぶき

雨となって 砂浜まで降り注ぐ。

荒れ狂う渦の海面から 巨大な何かが首を出した。

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