4 息吹 ゾイ (第八日)


「少し歩こうか」って言ったジェイドとカフェを出て、並んで河川敷を歩いてる。


冬でも昼間は暖かい。

葉を落とした木々や 枯れ草の色。

地上で 四季がある国の、その季節の移ろいは美しくて、色が静かになる冬も好きなんだけど。


「リグエルのこと なんだけど」


「海で召喚して、最初に滅した天使のこと?」


「そう。彼は、同じ第三天シェハキム配属の天使だった」


シェハキムには、北と南の区域があって

その区域は、また何層にも分かれてる。


私の持ち場は 北区域の十二層で、地上で聖人と呼ばれる人が住む南区域とは違って、炎の川が流れる 荒涼とした場所だった。


月から送られる魂を、浄化し癒した後に

隠府ハデスへ送る。

浄化し癒しても、罪の記録は消えないのだけど。


「話があるって、五層に呼ばれたんだけど

リグエルしかいなくて... 」


今 考えると、リグエルは

各層が無人になる時間帯を知っていたのだと思う。


「うん、わかった」


ジェイドは、私の言葉を止めて

手を差し出した。


「... 手を 繋ぐの?」


「そう。君が心細そうな顔をしてるから」


「友人だからね」と言うけど、河川敷には

あちこちに散歩をしている人がいる。


「私は、男性ゾイの姿をしているから

人に見られたら、誤解を受けるよ?」と言うと

「僕は構わないよ。今、妬く人もいないし」って

答えた。


手を繋ぐと、身体から ふっと力が抜けるような

安堵感を感じる。

ジェイドの手は、沙耶夏とは違って大きいし

長い指に私の手の方が包まれがちになる。

私の癒しも、こんな風に出来ていたらいいのだけど。


「リグエルは きっと、私を傷付けてやろうと思った訳じゃないんだと思う。ただ、一方的だった」


やめて と、言ったのに。

力でだって敵わなかった。


その後は、罪悪感からか リグエルの方が 私を避けていたし、私も 忘れたつもりでいた。

地上に降りるまでは。


なのに、“嫌いな天使を” と言われて

私は彼を選んだ。


彼を無に還してからというもの、時折 私の中に

それがますます 色濃く浮き上がってくることがある。復讐は 穢れを濃密にする。


ゾイがいた森に横たわっていた、ティーシャツだけの女の人の遺体を思う。

あれは私だった。

私の 一部は、あんな風に死んでいる。


「僕らが、君にそれをさせたんだ。

君を捕らえて、脅して命じた」


「でも私が、悪魔ゾイを使って

呪殺させようとしていたから... 」


「それだって君の意思じゃなかった。

使命を守ろうとしただけだ。

とにかく、リグエルを滅したのは僕らだ」


「そんな...  リグエルを選んだのも

実際に手を下したのも 私なのに」


「じゃあ、一緒に殺った。

罪は、君だけのものじゃない」


隣を見上げると「わかった?」と確認するように

聞かれて、頷くしかなかったけれど

相反する胸の中には、温かいものが沁みた。


「それに今、はっきりさせておくけど

君は、愛されていいし、大切にされていいんだ」


もう 一度 ジェイドを見上げる。

立ち止まってしまいながら。


「これから言うことは、君にとって 酷で困難なことかもしれないけど、聞いてほしい。

いつか、独りよがりだったリグエルのことを

赦してほしいんだ。

傷付いた君に言うのは、間違っているかもしれない。

だけど、そうすれば 彼がしたことは

罪ではなくなるし、君も被害者ではなくなる。

“あれは熱だった” と、忘れてしまっていい」


「うん... 」


「本当にね」と、ジェイドは軽く眉根を寄せて

「闘争本能が備わっているせいなのか、抑えが利かないような時もあるんだ。男はね」なんて

また そぐわないようなことを言うから、泣きそうだったのに、笑ってしまう。


「何故 笑うのか、理解 出来ないけど」って言いながら、ジェイド自身も笑ってしまってる。


だけど、抑えが利かない 熱のようなもの。

それが 男性性の中に、眠っているのはわかる。


それを 向ける相手や、向けられる相手

双方の関係によっては、傷ではなく

喜びと なり得るんじゃないかということも。


「そうして、感情とは別に 心に向き合うといい。

君の心なのに、君が そっぽを向かないこと。

ゆっくりでいいから。いい?」


「うん」って、また見上げると

ジェイドの穏やかな眼に、胸の中が落ち着いた。


『何、手なんか繋いでんだよ?』


声に驚いて、足元に視線を向けると

それは私の肩まで 一気にジャンプして乗って蹴り

ジェイドの肩に移った。


「ミカエル?」


『露に降りるのって、ほぼ俺だろ?

降りたら河川敷ここだったんだ。

バラキエルのとこに行こうと思ったんだけど

お前等が見えたからさ』


ミカエルだ...

安堵したばかりの胸の中が 忙しくなる。

今の話は、聞かれてないよね... ?


「ボティスは里だよ。そんなに遅くならずに戻って来ると思うけど、僕らと遊んで待つ?」


『うん。いいぜ』


露ミカエルは、明るい碧い眼を私に向けて

『お前、ミソスープの店は?』と聞いた。


「あ... お店が、休みなんです」


『ふうん... なら今日は、ミソスープ飲めないんだな? 降りて損した』


そんなになんだ...


「ミソスープは、お店じゃなくても

ゾイが作れるよ」


『じゃあ、後で作れよ。

で、なんで 手なんか繋いでたんだよ?』


「何か気になるの?」


ジェイド...  なんだか 待ってって思ってしまう。

恥ずかしいし、話のことになったら

私の気持ちも知られてしまうかもしれない。

もちろん、大きなことは望んでいないけれど

まだちゃんと、私は私と向き合えていないし。


『うん、少し。だって、お前から見たら

こいつはイシュに見えるんだろ?』


「だからだよ。親睦を深めようと思ったんだ。

女の子に見えていたら、軽々しく繋がないよ。

悪いじゃないか」


『男同士で肩組むようなもんてことか?』


「そう。この国では、友情や愛情の表現も

大人しく 慎ましいものなんだ。

だから合わせて、肩を組まずに 手を繋いでみた」


『そうか。でももう やめろよ。

中身はイシャーなんだからな』


肩の上から眼を細めて見る 露ミカエルと

ジェイドは至近距離で眼を合わせていると

『返事しろよ』って、小さい前足で

鼻を ちゃっとやられてる。


「わかった。親睦は他の方法で深めよう」


『他の方法って何だよ?』って言うミカエルを

両手で肩から外して

「聖書を短くまとめてるから、それかな?」と

私の胸に 露ミカエルを渡した。


露を抱くように 露ミカエルを支え抱くと

『つまんねぇことしてるな。でも俺が見てやるよ。ケーキ買って行くぞ!』と、前足でカフェを指す。


「僕の家? ルカたちもいるよ」


『いや、ルカの家に行く。あいつらも呼べよ。

あいつ、俺の絵を描くって言ったから

描いてもらうんだ。マシュマロもいるぜ?』


『ケーキは 二個だからな!』と、私の鼻にも前足で触れると、腕から跳んで、カフェに向かって走り出した。


何も聞かれてないみたい。良かった。

身体の緊張も解ける。


「露ミカエルだと平気なんだね」と言いながら

ジェイドがスマホを出して、ルカにメッセージを入れてる。


「うん。ミカエルだって分かるんだけど

露も 一緒にいるし... 」


カフェでタルトとカップケーキを買うと

車の中で タルトを露ミカエルに食べさせながら

ルカの家に向かった。


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