34


山を降りると、渋滞で 思うように車が進まない。

それだけじゃなく、皆 空を見上げて

大騒ぎになってた。


「アコ。信号に細工」って、ボティスが

無茶な命を出す。


でも、アコは ボティスに忠実だ。

半式鬼を追う アコが示す方向の信号は

全部 青になった。


「あと、人だよな... 」


空を見上げたまま、信号が変わったのに気付かず

立ち止まり気味に渡るヤツもいるし

運転してるヤツも 窓の外ばかり見てる。


「あれっ?!」

「は? なんで?!」


突然、空を羽ばたく人たちが忽然と消えた。


フロントガラスに コツっと指の関節を当てて

銀縁眼鏡のサラリーマンが、バスの前を横切った。桃太だ。


「神隠し 掛けたみたいだな」


窓開けて「助かるぜ」とか

「さんきゅー」とか 言ってたら

「早く行け。人等は誤魔化しておく」って

桃太は歩道を歩いて行く。


「歩道にいる じいちゃんたち

玄翁と真白爺じゃね?」

「本当だ。真白爺、いん 組んでるぜ」


「どう誤魔化すんだろな?」って言いながら

朋樹が バスを出すと、びゅっと風が吹いて

周りが木の葉で見えなくなった。


「えっ?!」

「おいおい... 」


すぐに、ザッと 木の葉が落ちるけど

この辺り全体が 木の葉で目隠しされたらしく

道路も 車も、通行人も葉っぱだらけ。


バスの前を ろくろっ首が横切った。


「なに... 」


傘化けが 一本足で跳んで、人を追い回し

手足が生えた瓢箪や達磨が 女の子をナンパする。


「良し。なかなかだ」


ボティスがピアスはじいて

ふわっとした顔になったジェイドが

助手席から降りようとするのを 朋樹が止めた。


手長に足長、白蔵主、のっぺら坊。火車、釣瓶火

鼻高天狗に ぬらり...


「誤魔化すって、これ?」

「狸勢が多い気すんな... 」


歩道からジャンプして、ルーフに乗った 包帯でぐるぐる巻きのミイラ男が、助手席側のガラスに

逆さに 包帯顔を出し

「アコを追うのだな?」と、浅黄の声で言う。


「先に行く故」と ルーフから跳ぶと

薙刀を背負った銀狐になって走って行った。


妖物たちは、一気に化け解いて

狐や狸の姿に戻ると、歩道の人の間を縫うように

走りながら散っていく。


「ウスバアゲハの人たちも、これの 一部 って

思わせるってこと?」


無理あるよなぁ...


「どうやら、そのようだ」と

ボティスが 窓の外を指す。


ビルの屋上から、ウスバアゲハの人たちが飛ぶ。

途中で狸の姿になると、風呂敷みたいな何かで

ひらひら歩道に降りて 走って行った。


誤魔化せる... かなぁ? 迷うところだぜー。


「あれさぁ、どうやって飛んでんの?」

「さぁな」


気を取り直して、アコが立つ 進む方向を見ると

大通りを抜け、河川敷沿いの道路を走る。


何かが、バスのリアガラスを掠めた。


「待て!」

「停めろ!」


人だ。河川敷の草原の坂に落ちて転げる。


バスから降りて 近付くと

羽が傷付いて 落ちた人だった。


すぐに筆で印を出して、泰河が消し

近くに来たアコが軍のヤツを呼んで、病院へ運ばせる。

羽が傷付いても、時間を置かなければ

まだ助かるみたいだ。


「羽人たちは、あの橋の向こうを目指してる。

半式鬼の片羽も、同じ場所を目指して行ったぞ」


アコが指差したのは、河の向こう側へ渡る でかい橋だ。

けど、河を渡らずに 橋の先 ってことらしい。


ボティスが指笛を吹くと、黒雲が空を覆い出した。

「他に落ちた者を探せ」とめいじると

黒雲は解けて散っていく。


またバスに乗って走らせる。


「アーチだ。エデンだな」

「でも、ミカエルはいないぜ」


河に沿って橋を越えると、河の水面の上に

魔神姿のハティがいた。

エデンのアーチのゲートが見えるってことは

ミカエルも降りてるはずだ。


蝶の人たちが、その周囲に羽ばたいて舞っている。


橋のこっち側は、河原の整備はされてなくて

あちこちにむらになっている草の丈も高い。


「近くにバス停めてくる」と言う朋樹に バスを任せて、河原へ降りようとしていると、アコが

「半式鬼は向こうだ」って、道の先を指差した。


「あれ。ベビーカーを押してるヤツ」


おばさんだ。向かいから歩いて来る。

ベビーカーには 赤ちゃんが眠っていた。

よかった、無事だ。


オレと泰河が駆け寄ると、明るい外灯の下で 眼を上げて「退きなさい」と言った。


「なんで? 河の方に降りようとしてるじゃん。

この辺りは 草の丈も高いし、危ないからさぁ」

「もう 暗いし寒いぜ。風もあるし。

赤ちゃんが 風邪ひいちまう」


「止まれ」と、隣に立ったアコが言う。


おまえも そんなかよ、って 思ってたら

おばさんは、戸惑ったような顔で ベビーカーから手を離した。


しゃがんで、印の有無を確かめる。

... 印は なかった。感染してない。


「赤ん坊を どうする? 何のつもりか話せ」


「アコ... 」って 止めようとすると

「この方は、クライシ様は、神の御子です」と

おばさんが話し始める。


「人類は、次のステージへと進むのです。

ついに空を制覇し、争いのない 新しい世界を

自らの手で... 」


「赤ん坊を どうするつもりなのかを聞いてる!」


おばさんが口ごもり、アコが「話せ」と ゆっくり命じる声に、泰河が驚いたように眼を向けた。

アコは悪魔だってことを 初めて実感した。

ゾッとして。


「ク、クライシ様は、御自分の御意志で

こちらに 行くよう、私に命じられたのです」


自分の意志って、憑依した クライシが そう言ったってことか。

“河に行け” って... ?


「それで お前は、そのめいを聞いて

自分の姪子を 何かに喰わせると?」


オレと泰河の後ろから、ボティスが言った。


にえだろ? 大方 “次世界ための尊い犠牲” だか

“すべての人類のために” だか吐いて

あとは “真の神と 一体となる” ってとこだろ。

それを クライシは、どこから お前に言った?

赤子の口じゃあないな。今はミカエルの名が邪魔して、憑依など出来んからな。

隣か? 背後か? 悪魔はそそのかす時、正面には立たん。わかってるんだろ? 神などではない、と」


「いいえ、この子は...  この方は、特別な... 」


「そうか。その赤子の母親は どこにいる?

あっちに ひらひら飛んでいる蝶の 一匹か?

母親... つまり お前の姉妹の前で、その赤子を悪魔に渡して喰わせよう と。

まったく いい趣味をしている。悪魔以上だ。

悪魔は、他人ひとガキは喰っても

自分のガキを喰ったり捧げたりなど しないからな。

父親を のろったな?」


父親?

おばさんの顔は、真っ青になった。


「ジャズバーの... 」と、信じられんって顔で

泰河が言う。... 公園で蚕になった人か?


そういえば、教会で 他の人に話を聞いた時

“生け贄にするのを反対していたようだった” って

聞いた。

“のろわれろ” って、言ったのか... ?


「Ave Maria, gratia plena, Dominus tecum,

benedicta tu in mulieribus, ... 」


ジェイドが 魔女契約解除を開始する。

おばさんは焦り出して、視線をうろうろと

さ迷わせた。


「赤子の母親には何故、光を与えた?」


「... et benedictus fructus ventris tui Jesus.

Sancta Maria mater Dei, ... 」


“光あれ” と言ったから、赤ちゃんのお母さんは

蚕ではなく、ウスバアゲハとなった。


おばさんは答えない。答えられないのかもしれないし、話が入っているのかすらも わからない。

かろうじて立っている って感じに憔悴した顔だ。


「あそこで ひらひらと舞っているのは

贄となる赤子を 救うためじゃあないのか?

光を与えたのは、そのためだろ?

クライシの言いなりとなって 赤子の父親を呪い、

もう後戻りが出来ないところまできた。

お前自身は クライシが恐ろしくて逆らえないが、

母親に赤子を救わせようと 投げたな?

無理だとわかっていて、だ。

母親自身も わかっている。それでも行く。

母親だからな」


「... ora pro nobis peccatoribus, nunc, et in hora mortis nostrae. Amen.」


「悪魔は誰だ?」


つい、しゃがんだまま ボティスを振り向く。

やめろ と 言いそうになって。


『“目を覚ませ”』


クライシの声だ。


「“死にかけている 残り者たちを 強めよ”... 」


おばさんの口が動いて、言葉を吐く。

ジーパンの後ろから筆を取って 立ち上がると

ボティスが オレの肩に手を置いて止める。

「必要なものを与えろ」と  額の 印は...


「“わたしは、あなたの行いが、

わたしの 神の前に 完全な者とは 認めない”... 」


ガボッ と、口から白いものを吐き出すと

それが直接 身体を取り巻いていく。


胸や腕を覆いながら

口から流れ出続ける 白いそれは、背に回ると

二つのこぶのように いびつな形に纏まり出した。


身体が痩せ細り、肌からも髪からも

白く 色が抜けていく。

蝋のような顔に、外灯の明かりが反射した。

背の瘤は 羽を模して平らに拡がり出す。


ジェイドが、隣に片膝を着いて

白く細い 蝋の枝のようになった手を取り

詩編、6編の3節までを詠んだ。


「“主よ、あなたの怒りをもって、

わたしを責めず、

あなたの激しい怒りをもって、

わたしを懲らしめないでください。

主よ、わたしをあわれんでください。

わたしは弱り衰えています。

主よ、わたしをいやしてください。

わたしの骨は悩み苦しんでいます。

わたしの魂も またいたく悩み苦しんでいます。

主よ、あなたはいつまで お怒りになるのですか”」


おばさんが 膝を折り、力無く 座り込むと

重たく見える 背の白い羽が ばらばらと落ちた。


「... 罪を 犯しました」


おばさんが、ぼんやりと口を動かした。


「“ヒソプをもって、わたしを清めてください”」


ヒソプ。

マヨナラ シリアカっていう シソ科の植物だ。

ジェイドが今 詠み出したのは

詩編の 51編7節から12節。


「“わたしは清くなるでしょう。

わたしを洗ってください

わたしは雪よりも白くなるでしょう。

わたしに喜びと楽しみとを満たし、

あなたが砕いた骨を喜ばせてください。

み顔を わたしの罪から隠し、わたしの不義を

ことごとくぬぐい去ってください。

神よ、わたしのために清い心をつくり、

わたしのうちに新しい、正しい霊を与えてください。

わたしを み前から捨てないでください。

あなたの聖なる霊を

わたしから取らないでください。

あなたの救いの喜びをわたしに返し、

自由の霊をもって、わたしをささえてください”」


おばさんは、白髪の下の 白い蝋の瞼を閉じると

「... この 子を 護って 」と

白い枯れ枝のように 崩れ落ちた。




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